「フレン」
「……」
「フーレーンー」
「………」
「フレンフレンフレンちゃーん」
「うるさい」
振り向き、鋭く睨み付ける蒼の瞳は怒りに揺らめいていた。
周囲の空気が一気に氷点下まで下がる。絶対零度とはこのことを言うのだろう。
しかし、一般人だったら尻尾を巻いて逃げてしまいそうな視線も、長年共に時間を共有した相手には通用するものではなかった。
それどころかやっと返事をしたフレンに疲れたような溜息を零す。
「なに怒ってんだよ、お前」
「…なんでもない」
「ほー、なんでもない奴が無視したりすんのかよ。そりゃあご大層なこった」
「君がっ!」
「俺が?」
「……っ、もういい」
話す事はないとでも言うかのようにふいっと、外方を向いてしまったフレンの横顔は憤慨する心に混じって哀しみの色が見えるのをユーリは見逃さなかった。
ただ無視されているだけなら、こちらも怒ったり罵ったりやり様があるものの、こうして哀しみに歪んでいる表情を見てはどうしようもできない。
ユーリは居心地悪さを覚えながらも、自分に非があるのだろうと思われるだけに、その場を去る事はしなかった。しかし、こんな押し問答をいつまでも続けていたってしょうがない。
ユーリは強行突破をとるべく、フレンの腕を引き寄せ、向かい合わせに自分の腕の中へと収めた。途端、暴れる身体を力で押さえ付けるが、体格的にも腕力的にもさほど差のない者が相手だとそれなりに大変なことである。
「いたた…大人しくしろっての!」
「嫌だ!離せ、ユーリ!」
「だああぁっ!めんどくせぇ!!」
叫ぶと同時にユーリはフレンの唇を己のそれで塞いだ。抗議の声も呼吸さえも奪われたにも拘らず、フレンは身を捩って尚も抵抗を続ける。
だが、口内に熱く湿ったものが侵入してくると、鼻のかかった甘い声を漏らしながら脱力してしまう。
強く、弱く獰猛する舌にフレンは成すが侭にされ、応える余裕すら持ち合わせていなかった。
長い時間をかけてじっくり味わうかのように何度も内部を掻き回される。くちゅ…と鳴る水音にフレンはあまりの恥ずかしさに意識さえも飛びそうになった。
「ふ、ぁ…」
好きなように徘徊する生暖かいものから、ようやく解放される頃には立っていることさえままならくなっていた。
それをユーリは片手で支えてやり、もう片手はフレンの顎に添え上向かせた。
とうとう逃げ出すことの出来なくなった状態に、フレンはキスの余韻を残した虚ろな視線でユーリを見つめる。
「…黙ってちゃ分からねえよ。何があった?」
「……っ」
「言えよ、フレン」
ユーリが顔を近付けたことで、フレンの視界には彼だけが一杯に映し出される。
海面のように揺れていた瞳が大きく波打ったかと思うと、ぽろっと赤い頬に雫が落ちた。
あまりに突然のフレンの涙に流石のユーリもギョッとした。宥めるように背中を擦ってやるが、一度零れたものは堰を切ったかのように止まらない。それどころか顔を歪め、小さな嗚咽までもれる始末。
ユーリはフレンを出来るだけ優しく抱き締め、ひとまず落ち着くまで待つ事にした。
「ああ、もう。マジで泣きやんでくれよ」
「無…理っ…!」
「分かった分かった。じゃあ、せめて理由を話してくれ」
「ユー、リが…悪い、んだ…っ」
「なんで?」
「君がっ…、いる、から…僕はおかしくなる……」
言われた言葉にユーリは首を傾ける。何気に酷い事を言われたような気がするが、それは置いておくことにしよう。
それにしても、自分が存在していることでフレンの何がおかしくなったというのだろう。ずっと昔から見ているが彼は彼のままだ。まだ幼かった時も、二人で暮らし始めた時も、恋仲になった時も、フレンは自分を崩すことなく真直ぐに立っていた。
その悠然とした姿にいつしか置いていかれるんじゃないかと思い、不安になることもあった。だけど、フレンはやっぱりフレンで、嬉しそうに笑ったり、悲しみに涙したり、時には今みたいに怒ったり。様々な想いを自分へとぶつけてくれていて、いつしかそんなフレンの一挙一動がユーリにとって何にも変えられないほど尊いものになっていた。
「お前は別にどこもおかしくなってなんかないだろ」
「ユーリが、知らないだけだ!僕は…汚い…っ、」
「汚い?お前が?」
それはないだろう。ユーリから見てフレンに汚い所など一つもない。
こんな純粋でいて強い意思を秘めた者のどこが汚れているというのか、ユーリには分からなかった。
続きを促すように、ユーリはフレンの額に優しく口付けし、細く柔らかい髪を梳くようにして頭を撫でる。
ようやく冷静さを取り戻してきたらしいフレンが小さくすまない、と謝罪を述べる声が聞こえた。未だユーリ腕の中にいるという状況は変わらないが、ゆっくり呼吸を繰り返しユーリの方へともたれ掛かる。
すると弱々しいか細い声が必死に言葉を形作る。
「ごめん…僕の八つ当たりだ。ユーリは何も悪くない」
「それは俺が判断するところだろ。理由もなくお前があんなんなる訳ねぇしな。どうした?」
「それ、は…」
言うべきかどうか迷っているらしいフレンが柳眉を下げて唇を噛んでしまう。だが、ユーリが真剣な表情でフレンの名を呼ぶと、迷いを打ち切りゆっくりとした動きで口を開く。
「最近いつも…ユーリは怪我ばかりしている、から」
「…?そんなん昔から日常茶飯時だろ」
「…ここ何日かは特に酷いよ」
言われてユーリは思い返してみるが、確かにここ最近は生傷が絶えないかもしれない。深手を負った時の傷なんかまだ完治もしていない。
でも、それはしょうがないことだとも思う。下町の人間にとって兄貴的な存在のユーリは、何かと用事を頼まれやすい。その用事が大したことじゃなければユーリも引き受けなかったかもしれないが、外界にしかない薬草を取りに行く、鍛冶に使う鉱石を取ってくるなどの外界へと繰り出さなければいけない仕事は危険が付きまとう。
それで、ユーリはその手伝いを引き受けているだけなのだ。自分達のことは自分達でこなさなければいけない下町の住人にとって、皆との助け合いは欠かせない。騎士団みたいに戦う力があるわけでも、貴族達みたいに傭兵を雇う金もないのだ。
自ずと戦える力を持っているユーリが結界の外へと足を運ぶようになるのは、自然なことなのだ。
そんな悲惨な現実を変えていく為に彼だって頑張っているのだから、自分の出来ることをしているのだという訳であって。それはフレンだって分かっている筈なのに。
「上の連中がなにもしてくれねぇんだ。自分でなんとかするしかないだろ」
「分かってる、頭では理解してるんだ……でも、」
閉じた瞼がふるふると小刻みに震えている。濡れている長い睫毛が影を落としていて、顔には愁色が浮かんでいる。
それを表すようにユーリの服を握る手に力が込められていた。
「急にどこかへふらっと行ったかと思えばボロボロになって帰ってくる。この前なんて傷が深くて熱がでたぐらい…!
でも、僕はただそれを見てるだけで何も出来ないんだっ」
「見てるだけじゃないさ。お前は下町の…市民の皆のために出来る事をしている。…守ろうとしてただろ?」
「……っ、そうじゃないよ…違ったんだ」
「違う?」
訝しげに問うたユーリの声にフレンは頷くことで応えた。
未だに伏せられた眼は現実を見るのを拒んでいるようにさえ映り、ユーリは何故か焦りにも似た感情が沸き起こる。彼を泣かせたい訳でも、悲しませたい訳でもない。
いつもの強硬で凜とした彼に戻ってほしいという一心で、ユーリは抱き締める腕を強くした。否、強くしたはずだった。
その前に拘束から抜け出したフレンが一歩離れた所でユーリを真直ぐ見つめる。その様は高潔でいて神聖な造形物のようなのに、どこかがぽっかりと欠けているのだ。それは倒錯的な思考でありながらも正常な考えであった。
フレンは緩くかぶりを振りながら重ねて否定の言葉を続けた。
「……僕が守りたいのはユーリがいる下町なんだ。僕は結局、君がいなきゃなにもできない…っ」
苦々しく吐き捨てられたフレンの言葉にユーリは目を見開く。それを見たフレンは悲痛な面持をより深めた。
「君のように下町のことを純粋に想っての行動ではないって気付いた時…自分に嫌気が刺した。なんて薄情な奴なんだろうって…。
ユーリが守ろうとしている皆を僕は守ろうとしてたんじゃない。ユーリがいる場所だから守りたかった」
「……フレン…」
「だから、僕は君のやることが心配になってしまう。止めてしまう。なぜなら君がいなくなったら僕は、僕の守るべきものを失ってしまうから…」
窓から入る西日が部屋の中を赤く染めていた。それはフレンの金髪にもかかり、太陽の下とは違った色味をもって光り輝く。震える身体を静めようと自分の身体を抱くようにして、腕を巻き付けるフレンの姿をも夕日は艶やかに移し出していた。
「ごめん、ユーリ。でも…ぼくは君を失いたくない。あんな身を斬られるより辛い思いを味わいたくない。
……もう…、怖いよ…っ」
「………」
「失望させてごめん、…ごめんなさい……ごめ…ッ、」
頬を濡らし、刹那に謝り続けるフレンの姿はとても痛々しく、見ているのが耐えられなかった。
ユーリはフレンの顔を両手で挟み、自分へと向き合わせる。頬に伝っていた涙は唇を寄せて拭った。
フレンは呆然と立ちすくみ、ただされるがままとなる他なかった。ぱちぱちと瞬きする度に長い睫毛に残った雫が真珠のように煌めき、散る。
目前には愛しい人が紅く照らされていて、その端正な容姿に拍車をかけて美しく魅せていた。しかし、ユーリにとってそれは飾り程度な事でしかない。なぜなら、フレンの見た目も好きだが、それ以上にその心に引き寄せられているのだとユーリは分かったいた。
何故、こうも一人で背負いこもうとしてしまうのだろうか。何故、自分を極限まで追い詰め、責めてしまうのだろうか。
人間誰にだって汚い一面の一つや二つはある、完璧な人間なんていないのに。彼は周りの期待に懸命に答えようとしているではないか。その上生まれ育った小さな世界を守れなんて言えないから、自分がそれを引き受けて少しでも負担を軽くしたいだけなのだ。
ユーリ自身が受けた傷を己のもののように思い泣くフレンも、自分の醜い所にぶつかり泣くフレンも美しい。失うのが怖いと言って涙を零すフレンもやっぱり綺麗だ。
「…俺はお前が汚い奴だなんて思わねーよ」
「そんな、こと…」
「じゃあ聞くけどな、お前は俺のことを汚ねぇって思うか?」
「ユーリは汚くなんかないっ!………ぁ、」
ユーリの言わんとしていることに気付いたのか、フレンは小さな声を漏らす。
遠回しにだけど、伝えられた言葉。ユーリの気持ちも同じだということ。自分だけではなかったのだ。
「お前がいなけりゃ俺だって生きてる意味ねーよ。同じことだ」
「ユー、リも…同じ…?」
「ああ。こんなん思うの俺だけで、お前はそんな邪な考え持ってないと思ってたから正直嬉しいんだぜ?
だから…話してくれてサンキューな」
ふわりと笑むユーリに釣られたようにフレンもぎこちなく微笑み返した。そこに、さっきまでの暗さはない。
自分だけじゃない、純粋に守りたいと思わなくたっていい。何にも変えられないぐらいの一番大切なものがあったっていいのだ。
言葉よりも切に気持ちを込めてユーリは唇同士を重ねた。甘い口付けは明日を紡ぐ力になり、強さになる。
きっと無茶することはお互い止められない。ならば、守ればいいのだ。
この命の最果てまで、守り続ければ。
夜風が二人を包み込み、月の光が部屋を照らすまで、互いを抱く腕が解かれることはなかった。
貴方へと伝えた音の組合わせ。
それは、君を守りたい、
それだけ、なんだ。
○後書き○
もう何が何やらよく分からない……;;;
意味不ごめんなさいρ(..、)