この想いの始まりは
きっとあの時から
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雪解けの街、オルニオン。
顔を隠していた太陽がようやく姿を表したそこは、名前の通り雪が降った後の名残を残していた。地面には所々、花が咲いたように雪の白が散っている。
いつもなら活気のある街の住人達も、肌を刺す寒さに流石に耐え切れず、今日は室内にて休憩中だった。
交代制の見張りをしている騎士以外、皆が家の中でたまの団欒を楽しんでいる。
それはこの部屋でも例に漏れなかった。
「フレン、紅茶おかわり」
我が物顔で幅広いソファーに腰掛け、カップを差し出す。あたかも当たり前のような動作は遠慮の欠片もない。
ちらりと向けられた視線は明らかに不満を含んでいた。
「…ユーリの方が近いじゃないか」
もっともな意見をもってフレンはあしらうが、ユーリはそれに対して特に何か言うでもなく溜息を吐く。
その態度にフレンはムッと眉を寄せたが、それも一瞬のことだった。
なぜなら、先程まで近況報告をし合っていた為に、此所には自分達だけでなく、ユーリの仲間達がいる。そうなれば当然ながらエステルもいておかしくない。
その上、今日は大事な話もあったので皇帝陛下であるヨーデルまで側にいるのだ。
二人っきりなら遠慮なくしかめっ面するところだが、皆の前で(しかも確実に世界を支えているだろう面子でもある)そんな失態をさらす訳にはいかない。
そう、気心知れてる幼馴染みに何を言われようとも───
「分っかんねえかなぁ…オレはお前が淹れてくれたのが飲みたいんだよ」
フレンは手に持っていたカップをあやうく落としそうになった。慌てて態勢を持ち直したので難は逃れたが、顔を赤く染めて餌を求める魚のようにぱくぱくと口を開閉する。時折、漏れる不明瞭な音は言葉としての意味をなさない。
端から見ても、ユーリの発言に狼狽していることは明らかだった。
その様があまりにも普段とのギャップがありすぎて、フレンの隣りに座っていたヨーデルは思わず吹き出してしまった。
釣られて、エステルやジュディスも笑みを浮かべ、リタやカロルは声をたてて笑い、レイヴンに至っては実に面白そうに眺めている。
そんな周りの反応にフレンは常の冷静さはどこへやら、耳まで真っ赤にしながら居心地悪そうに視線を泳がせた。
いつだって、心構えなどしても、結局ユーリの口には勝てないのだ。
「ふふっ…フレン、貴方の淹れた紅茶を飲みたいと仰ってるのですから、淹れてあげてはいかがですか?」
「よ、ヨーデル様…」
「ほらほら、天然殿下直裁のご命令だぞ」
「ユーリ、君…っ!」
「あっ、私もフレンが淹れてくれたのが飲みたいのですが」
ヨーデルにニコリと微笑みかけられ、フレンはとうとう席を立つ他なかった。別に淹れるのが嫌だった訳でもないのだ。ただ、何となく意地を張っただけ。
フレンは顔を隠すよう俯き加減でカップを受け取った。だが、遠目から見ても可哀相なほど、満面に朱をそそいでいるのが分かる。
いつになく落ち着きない動作で台所へと向かう細い背中を見送ってから、ユーリは今まで耐えていたものを吐き出すように、声にだして笑った。
「ちょっとからかっただけだってのに、かわいーの」
「アンタ…確信犯でしょ」
「ユーリってフレンに意地悪するの好きだよね…」
「さぁ?」
大袈裟に肩を竦めて見せるユーリに、リタとカロルは内心でフレンに同情した。こんな性悪な友人を持つと何かと大変だろう。
ユーリも他の人にその手のことをやらない分、フレンだけはここぞとばかりに弄りたがる。その度にフレンもフレンとで、律義に反応を返すものだから、余計にユーリの悪戯心を煽っていた。
もう十何年も繰り返してるだろうことをよくも飽きずにやるものだと、感心すらしてしまう。だが、それも彼だったら納得してしまうのも事実だ。
現に、頬を染め、子供のように表情をコロコロと変えるフレンは愛らしい。それはまだ子供なリタやカロル、女好きであるレイヴンから見ても思えることだった。
「好きな子ほど苛めたくなるものね」
「まっ、そんなとこ」
何に対してもあまり執着することのないユーリが心から大事にするもの。それが親友であり、恋人でもあるフレンだった。
お互いを大事に思うが故、衝突することも多々ある二人だが、本当の意味での決別はしていない。それを以前にエステルが『目には見えない絆なんですね!』と、称していた。
此所にきてふと、レイヴンはとある疑問が浮かんだ。それは安直だが、最も気になっていたこと。
「そういえば、青年とフレンちゃんは何処で知り合ったのよ?」
「あっ、それ私も知りたいです!」
尋ねたレイヴンに続いてエステルが身を乗り出さんかの勢いで同意する。
今までユーリからフレンとの過ごしてきた日々の話を聞くことはあっても、肝心の二人が出会うきっかけについては一度も話されたことがなかった。同じ下町育ちだからと言って、世界で一番広い街である帝都のこと。皆と顔を合わせるなんてことはないだろうし、それなりの出会い方でなければ知り合うこともないだろう。
おまけに、二人の性格はお世辞にも合っているとは言えない。例え知り合ったどころで、性質の違いからユーリとフレンがくっつくなどは考えにくいことなのだ。
だが、二人は実際にこうして支え合って生きてきた。
それならば、一緒にいるようになった理由があってもおかしくはない筈。
レイヴンとエステルの質問に同調するように、他の面々もユーリに目を向けて答えを待つ。リタやジュディスは単純な興味だろうが、カロルは憧れている人物二人の話なものだから、聞きたいことこの上ない。
ヨーデルに至っては、信頼どころか溺愛している部下の話であれば、何でも知りたいといった所。
やたらとキラキラとした目で見つめてくるのは勘弁してほしい。それらの視線にユーリは息を詰まらせ、「あー」とか「うー」とか言葉を濁していた。
絶対に言いたくない訳じゃないが、あまり話したくないのは事実だ。でも、こんな風に見つめられては軽くあしらう訳にもいかない。
どうしたものかとユーリが思案していると、後ろからパタパタと小走りする足音が響いた。
「ユーリ、さっきから何を唸っているんだい?」
そこに丁度よく戻ってきたフレンにユーリは音がしそうな勢いで振り返った。
なんてこう間の悪い奴なんだと、内心で毒付く。そんなユーリの心情を知るよしもないフレンは小首を傾げ、不思議そうな顔をしていた。
その無防備な表情があまりにも自分のつぼに入っていたものだから、ユーリは思わず突っ伏してしまう。
「ユーリ青年とフレンちゃんの出会いについて話してたのよ〜」
「僕とユーリの出会い…ですか?」
「うん。ユーリとフレンはどうやって知り合ったのかなーって」
「ああ、なるほど…」
ようやくユーリの様子がおかしい訳に一人、納得したフレンはおかしそうに笑う。
まだ熱い紅茶の入ったカップを順に並べると、おもむろに椅子に腰掛ける。
「何笑ってんだよ…」
「うん?君のことを知りたいって言う人がいることが嬉しいんだよ」
「…オレだけじゃねえっての」
ユーリは横目で睨んでいたが、フレンが優しく愛しそうに微笑むものだから、重い溜息を一つだけ吐いてソファーに深く座り直した。
フレンの淹れてくれた紅茶を啜りながら、目線だけで了承の意を示す。
それは些細なもので、よっぽど注意深く見ていなければ分からないようなものだったが、長らく共にいたフレンには直ぐに伝わったようだ。
もう一度、フレンはくすぐったそうに笑うと、目を細めて過去を振り返った。
その綺麗な碧の瞳には、慈しみの色だけが拵えられていた。
その日は大雨だった。
あまりの降水量に警備兵から警告が出されるほどで、外へと出ることは叶わず、下町の住人は渋々家へと籠っていた。
「みんな、最近雨が続いてて嫌でしょうけど、外には出られないから部屋で遊びましょうね」
孤児院の先生であるライナの呼び掛けに対し、直ぐさま元気な返事が返ってくる。それを満足そうに聞きとげた後、ライナは窓へと目を向けた。
そこにいたのは鮮やかな金色もつ子供。みんなの遊びに加わるでもなく、じっとただ外を見つめている。そんな子供の様子を訝しむだけの余裕はなかった。まだ降りやみそうにない雨に、内心では焦りばかりが募る。
孤児院の経営は下町の住人の寄付金だけで成立っていた。自分達の生活だけでやっとだというのに、親のいない子供の為にと、みんなで僅かなお金を出し合っていたのだ。
しかし、こう雨が続いててしまえば仕事ができなくなってしまう。下町には農業者や出店での商売人が多い。その為に、儲けは天候に左右されやすいのだ。
決して贅沢をしていなくとも、もともとが貧困な下町にとってはそれは損害が大きい。
そうなれば自然と、孤児院の存続にも関わってくるのだ。
(ああ、神様…この子たちだけでも幸せにしてください……)
ライナはそっと心中で祈りを捧げる。
自分の身などはどうにでもなるが、親のいない子供達が放り出されてしまえば、どうなるかは目に見えていた。
運がよければその日限りの生活はできるかもしれないが、大抵は人身販売の商品にと闇業者に捕まってしまう。生きた人間を飼いたがる貴族など山のようにいるのだ。
買われた人間の末路は奴隷や見せ物、性道具など様々だった。同じ生をうける人間同士なのにと、いくら怒りをぶつけても無駄なのは分かりきっている。それを黙認しているのは貴族でも闇市でもない。帝国なのだ。
唇を噛み締めて目を瞑ったところで、何かが服を引っ張る感触にハッとした。
下を見れば茶髪を二つに結んだ女の子の姿。僅かに目が潤んでいるのは何故だろうか。
屈んで頭を撫でると、今にも溜まった雫が零れ落ちそうになった。
「どうしたの、ドナ?」
「ライナ先生、フレンくんがいない…」
「えっ…」
「フレンくん、ずっと窓からお外見てたのに…いなくなっちゃった……」
ライナは立ち上がり慌てて室内を見渡すが、それらしき人物が見当たらないことに絶望を覚えた。こんな大雨の日に外に出てしまえば、ただでは済まないだろう。
否、それ以上に心配していたことがあった。天災よりもずっと恐ろしいもの、それは人間である。
まだ6歳と幼いながら見た目の麗しいフレンは、幾度となくその手の輩に目をつけられてきた。その度に最悪の事態を免れてきたのも、ひとえに下町の住人のおかげであった。
だが、いつもなら助けてくれるその住民達も今は皆、家の中だ。子供が大人の力に勝てるはずがない。
ドナを宥め、子供達に絶対に外に出ないようにと口早に告げると、急ぎ外へと飛び出した。
(どうか無事でいて…!)
容赦なく打つ雨にも負けず、ライナは全速力で走る。
ずっと真直ぐ行ってところにある広場にも輝く金は見つけられず、辺りを見回した。まだ時間はそこまで経っていない。子供の足でそう遠くには行けないだろう。
肩で息をしつつも、下町を横断する小さな川に沿って再び走った。
少しだけ奥まで行くと、薄暗い中でも美しい金糸が目に飛び込む。
「フレンっ!!」
良かった、無事だった。
押しかける安堵に足が崩れそうになるのを、必至になって奮い立たせる。呼び掛けに反応して振り返ったフレンの顔は、いつもより白かった。
「ライナ先生…」
「駄目でしょう、勝手に外に出たりなんかして!」
「ごめんなさい…でも、この子……」
駆り立てる焦燥と、影にもなっていた為に気付かなかったが、フレンの後ろにはフレンと同じ歳ぐらいの子供がいた。肩にかかるぐらいの黒髪は闇に紛れそうだったが、どこか神聖なものを感じる。俯いているので表情は読めないが、髪の間から覗く横顔は端正であることが窺えた。
「その子は…?」
「分からないけど、ずっと外にいたの」
未だ顔を上げようとしないその子供に近付く。
ビクッと肩が跳ねたかと思うと、そのまま距離を離された。そこにきて初めて顔を上げた子供の表情を見て、ライナは絶句する。
そこにあったのは何処までも暗く、哀しい面をしている子供だった。
ここにきてようやく理解する。フレンは何の理由もなしにただこの子供を追って外に出たのではない。この子供が持つ悲哀の感情を無意識に感じ取っていたのだ。
元来の世話焼きな性格のせいか、このまま何もなかったかのように放っておくことは、もう出来そうになかった。
腰を屈め膝をつき、目線を合わせる。長めの前髪から覗く黒色の双眸は、まるで鋭利な刃物のようだった。
「急に近付いてごめんなさい。びっくりしちゃうわよね」
「………」
「あなた、名前はなんて言うの?」
「…………あんたに関係ない…」
睨み付ける瞳は明らかな拒絶を含んでいる。
手を伸ばせばまた一歩下がり、近付せようとしない。それを許さない。
ただ宙を漂うしかない己の右手を胸元で握り締めて、先生と呼ばれ続けてきた自分の過去を振り返る。だが、いくら考えてもこういう時の対処の仕方など思い付きもしなかった。無力な自分が怨めしく、またもどかしい。こんな哀しみの感情を持て余しながら、一人彷徨う幼い子供さえ救えないのだろうか。
降り続ける雨に衣服は重さを増すばかりだった。
「お願い、私を信用してくれないかしら…?」
「……信用?」
「ええ。私はあなたを傷つける気はないの。だから…」
どうか伝わるようにと真直ぐ見つめると、目の前の子供は再び俯いてしまった。丁度、ライナの前に立つフレンが子供に一歩歩み寄る。
逃げる様子のない子供を見て、ライナはほっと一息吐く。もしかしたら上手くいったのかもしれない、と。
フレンはゆっくりと歩いていく。向うも未だ退こうとはしない。
目前までフレンが来た途端、子供はがばっと勢いよく顔を上げた。そして、事もあろうかフレンを思いっきり突き飛ばしたのだ。
「フレン!!」
突然のことに対応が遅れたフレンはそのまま尻餅をつく羽目となったが、特別驚きはしなかった。
ただ、碧の澄んだ瞳は目先で肩を上下する子供を見つめている。その視線をも受け止めながら、子供は髪を振り乱し怒鳴った。
「ふざけるなッ!お前ら大人が、母さんをうばったクセに…っ!!」
「おかあさん…死んじゃったの…?」
フレンの問いにギッと鋭い眼光を向ける。しかし、フレンは動じることはなかった。
気持ちが高ぶりつつあるのか、子供の声音が先程よりも大きくなる。
「そうだよっ…、オレの母さんは重い病気にかかった。それで母さんを助けてくれって頼んだのに……みんな、オレを無視したんだッ!
ガキじゃあ話にならないって言って!!母さんは…いつもみんなを、助けていたのに……っ」
「そう…、すごく、かなしかったんだね」
「なっ…!お前なんかに何が分かるって言うんだよ!!」
立ち上がり、服に付いた泥を軽く払うとフレンはまた子供へと近付いた。一歩一歩踏み締めるように進む足取りは、冷たい雨に打たれ続けてきたとは思えない程しっかりとしている。
しかし、フレンが近寄ることを断固許そうとしない子供は、強い眼差しを向ける。つくった拳は、握り締めすぎて爪が掌に食い込んだらしく、血が滑り落ち、細い手を赤く染めていた。
「来るなっ!!」
「…なんで?」
「どうせお前達だって…最後は逃げるに決まってるんだ!」
「逃げない。僕は逃げないよ。君から離れたりなんか、しない」
「うるさいッ!近寄るな!!」
地を叩き付ける雨をも覆うような悲痛な叫びは、ライナの胸の深い所に刺さった。
近付くフレンから逃げるように、黒髪を翻して駆け出す背中にライナは手を伸ばすが、寸でのところで届かなかった。
しかし、それ以上に目を疑うようなことが目の前で起こる。
「危ないッ!!」
ぬかるみに足を取られた子供が、横に倒れる。その先には小さくとも、雨のせいで勢いを増した川があった。
子供の軽い身体は糸も容易く水に呑まれてしまうだろう。ライナは駆け出した。
だが、間に合わない───
「ユーリッ!!」
フレンは大声で叫ぶなり、川に落ちていく子供の後を追って、自らも飛び込む。
驚愕に息を飲む音がしたのは自分のものだろうか、それとも名を呼ばれた子供のものだろうか。どっちにしろ、ライナには判別がつかない。
流されていく子供二人を追い掛ける。
足は今までにない程、速く大地を蹴っていた。
数十メートル行ったところで、運良く鉄の棒に引っ掛かっていたフレンと子供の姿を見つけるなり、ライナは助かった嬉しさに破顔する。
あと少し流されてしまえば、帝都から出てしまっていたのだ。そうなれば、どうすることもできない。
今も安心できる状況ではないだろうが、放り出されているロープを使えば引き上げられるだろう。
「二人とも無事ねっ!?待ってなさい、今助けるから!!」
手速くライナはロープの先に輪を作り、川に投げる。それは黒髪の子供の側に落ちた。
だが、子供はそれを取ることを躊躇う。大人に関わることに戸惑いがあるのだろうが、ライナにはそんなことは関係なかった。
助けられる生命を助けたい。
それは孤児院を担う一番の理由だ。
「あなたの恨み言は全部、私が聞いてあげるわっ!だから、今は生きなさい!!」
「………」
子供は無言で見返していたが、何かを決意したように素早くロープを身体に巻き付ける。
そして隣りで棒に捕まっていたフレンを引き寄せ、力の限り抱き締めた。いきなり子供の腕の中に収められ、フレンは瞠若する。
上からライナの笑い声が耳に入った。それでいいのよ、と聞こえた気がする。
「引き上げるわよ、ユーリ!フレン!」
柵にロープを縛り付け固定し、ゆっくりと引き上げていく。
いくら軽いといえ、水を多分に吸った服を身につける子供を二人引き上げるのは女性には重労働な筈なのに、ライナは始終笑顔のままだった。
徐々に上がっていく二つの股体。水面を睨み付けるように見つめる子供に、フレンは自らもしがみつく。
冷たい水によって体温は下がっていたのに、どこかが温かくなる。その感じにフレンは覚えがあった。
それを思いだそうとしているうちに、身体はいつの間にか地上へと上がっていた。
地に立つなり、子供は肩で息をする女性を一瞥して、フレンと向き合う。
その眼にある光を見てフレンは顔を綻ばせる。
「よかったね、ユーリ」
「……なんでオレの名前を知ってるんだ?
それに、お前泳げないだろ。なのに何で飛び込んだ?」
一瞬だけフレンはきょとんとするが、問われた内容を理解するなり楽しそうに笑った。
その屈託ない笑顔はひび割れた心に染み入るように浸し、そして優しく広がる。この感じは自分の愛した母親がくれた気持ちと、酷似していた。
己が全身で感じた、受け取っていた無償の愛情と…。
「ユーリ、ってその腕輪に彫ってあるのが見えたんだよ。いい名前だね」
「私はフレンが呼んでいたから、ね」
ユーリはいつも身に着けている腕輪を見やる。それは母親がユーリのために作ってくれたもの。不器用ながらも懸命に残してくれたもの。
突き飛ばしたあの一瞬で、それを見ていたフレンに内心で驚愕する。
それよりも問いたださなければいけないこどかある。子供は目の前で金糸を揺らす人物を真直ぐに見つめた。
「……今のでお前たちも死んでたかもしれない。なのになんで…」
「死なないよ」
きっぱりと言い切られ、子供は眉を寄せる。
死なないかどうかなんて分からないじゃないか、暗に視線で訴えかけるがフレンは微動だもせず、また死なないよ、と繰り返す。
「言ったでしょう?」
「ユーリから離れないよ…って」
ふわりと微笑みかけられ、顰めていた眉間がのびた。
代わりに喉がひくひくと震え、目の奥が熱くなる。口内は渇いているのに、どこかが確実に潤ったのが分かった。
凍て付いていた気持ちがゆっくりと、ほぐされる。消えていく。
たった一人の親を亡くし、独りで生きていく為に心に壁を作っていた。そんなに強くもない心が悲鳴をあげていたのに、気付かないフリをして、また蓋をして閉じ込めていた。
だが、張り詰めた感情が一つでも崩れてしまえば、後はもう歯止めなんか利くわけもない。
頬を伝う温かいものが何なのか理解すると同時に子供は──ユーリは、フレンにどん、としがみついた。
「ぅあああぁぁっ──!!」
溜まっていた何かを吐き出すように、ぶつけるように大声で泣いた。
もう強がらなくてもいいのだろうか。
もう独りじゃないのだろうか。
ぐるぐると何度も同じことが頭を巡っていくが、どれ一つとして言葉にすることはできない。
だけど、フレンはそれを尋ねるでも咎めるでもなく、ただユーリの背中を擦っていた。
大丈夫だよ、もう独りじゃないよ、
ユーリの側にいるから……。
「あの後、結局みんなして風邪ひいて寝込んだんだよね」
昔を懐かしみ、思い出すフレンの表情は優しく清らかだった。今も変わらないそれが、ユーリは嬉しく思う。
その後、ひとしきり泣いたユーリはフレンとライナに連れられ、孤児院へと入った。
生活的にも厳しい中、一人でも子供が増えるというのは非常に辛かったにも関わらず、ライナは笑顔で迎えた。
理由は至って単純。
『一人でも多くの生命を助けたいから。』
その為になら、どんな困難をも乗り越えてみせる。
その一途な想いは、今のユーリとフレンの生き様にしっかりと反映していた。
「いや〜青年にも熱い時があったのねぇ」
「あー…マジで恥ずかしい過去だ…」
「なんで?僕は昔のユーリも、今のユーリも好きだよ?」
いきなりの爆弾発言に一同は黙り込む。否、何も言えなくなった。
投下した本人がまったくの自覚無しだということに、ユーリは頭を抱えたくなる。
だが、これも彼の魅力なのだろう。それこそ、昔から変わらない輝き。
フレンの持つ、見返りもなしに何をも愛し、慈しむ心があったからこそ、ユーリはあの時、あの瞬間にもう一度誰かを信じてみようと思えたのだ。
「お前には勝てねーな…ほんと」
ユーリの溜息混じりのぼやきは、随分穏やかな音をもってその場に溶けた。
宣言通り、あれからずっとフレンはユーリの側にいた。寄り添うように、支えるように、愛おしむように。
対してユーリも、その気持ちを無駄にせず、自分からも余り有る愛情を注いでいた。
端からは、親のいない者通しの傷の舐め合いに見えたかもしれない。だが、確かにそこには信頼という絆が存在していたし、親愛というもので固く結ばれていたのだ。
だからこそ、二人なら大丈夫と、自信をもって言えるのかもしれない。
「今度、ライナ先生に会いに行こうか」
「おっ、それいいな」
「僕も行きたい!」
「私もユーリとフレンの先生見たいです!」
「そんな魅力的な女性ならおっさんも見たいわ〜」
「なら、今からでも皆さんで行きませんか?」
ヨーデルの提案に反対する者はいなかった。
善は急げとばかりに皆が準備を始め、支度をする。お土産を買って行こうだの、協力を申し出ようだのと、自らのことのように楽しんでいる様子に、ユーリとフレンは人知れず微笑み合った。
「なんだか凄く嬉しいね、ユーリ」
「だな。フレンとオレの…家族のためなんだぜ」
「なら…ユーリ、僕たちの家へ帰ろう?」
満面の笑みを浮かべてフレンは手を伸ばす。
ユーリはその手を躊躇うことなく、握り締めた。
大事なその手の温もりを感じる。
守っていくだけの力がある今だからこそ言える。
(例えちっぽけな存在だったとしても、)
(永遠に君だけを想う)
◯後書き◯
ユリフレの昔話の捏造であり妄想でありの小説でした。
んもう、gdgd☆←えー
いや、ただユーリとフレンの出会いが書きたかったんですよ。あの年齢まで一緒にいるならそれなりの出会いであり、誓いでありがあったんだろうなぁ…と思いまして。
そして、自分の心の赴くままに書いたら何やらエラいことになりました(笑)
補足ですが、ライナ先生というのは孤児院の院長さんです。
とにかくやったら長い文章であるにも関わらず、ここまでお付き合いしてくださった方、ありがとうございました!