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ヨーデル殿下へ
帝国とギルドのダンスパーティーの件についてはフレンから聞いた。
ギルドの事となるなら、これからの為に俺も参加するよ。正直、貴族様達との社交会はあまりノる気になれないがな。
仲間の方には俺から話しておくから、手回さなくてもいいぜ。
あと、条件…というか頼みがある。
俺のファーストダンスの相手には、フレンを希望する。頼んだぜ。
それじゃあ、また当日にな。
ユーリ・ローウェル
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長い廊下を小走りに駆けて行く少年の姿があった。いつもと違い、緑のジャケットではなく、紺の上質な布に金の糸で細かな刺繍の施されたケープを羽織ったその人は、とある部屋の前まで来て一息吐くと、軽やかな音を立てて扉をノックした。
「……どちら様でしょうか…?」
数秒待って中から聞こえてきた声音は何やら沈んでいる。その理由を重々知っている少年は苦笑を零しつつも、涼やかな声を廊下に響かせた。
「ヨーデルです。入ってもよろしいですか?」
「よ、ヨーデル殿下!?えと大丈夫で……いや、やっぱり無理…じゃなくて、……ええと…」
いつもの物腰柔らかい彼からは想像できない程の慌てっぷりに、今度こそヨーデルは笑いを堪えることができなかった。このまま入室してもいいだろうと勝手に判断させてもらうことにして、静かな動作でドアノブを回す。
中から制止を呼び掛けるフレンの言葉を振り切って、ヨーデルは足を一歩中へと踏み入れた。
「待って下さい!殿下にこんなみっともないお姿見せられません…!!」
「大丈夫ですよ、フレン。事情は知って…………」
中へと入り、後ろ手にドアを締めて前を見据えた途端、ヨーデルは言葉を無くした。目前にはよく見知っている青年の姿がある筈だったのに、そこにいたのは薄い青のドレスを身に纏った美しい女性だったからだ。否、姿形こそ美女そのものだが、彼の特長である少し癖のある金髪や海を思わせる碧眼、何より耳に心地良い声色がその人物こそフレンであることを証明している。
瞬きすら忘れて見入っていると、居心地悪そうにフレンは視線を逸らし、ヨーデルの名を呼び、控え目に咎めた。ハッと我に返るなり、目を細めヨーデルは微笑む。
「不躾を失礼しました。あまりにも美麗だったもので…」
「そんな恐れ多い…。しかもそれは女性に使うお言葉です」
「いいえ。今の貴方の姿はとても美しいですよ、フレン」
「……なんだか複雑です…」
男性特有の骨張った肩を隠すためにかけられた絹のベールが上品さをより増している。少し長めの襟足は器用に結い上げられ、見事な装飾をもった髪飾りでとめてある為、白いうなじを惜しげもなく晒していた。明るめの色彩を取り入れているにも関わらず、漂う清楚な雰囲気が好感を持てる。
フレンの姿に非常に感嘆してしまったヨーデルは何かを思案する素振りを見せた後、悪戯っ子のような笑みを作りフレンを見上げる。その笑顔が漆黒の彼に似ていて、フレンは一瞬ドキリと心臓を弾ませた。
「あと少しでパーティーが開催されます。もし宜しかったら会場までエスコートさせて下さいませんか?」
「えっ…!?」
「麗しき姫君を一人で歩かせるのは紳士の行いに反しますから」
フレンは眉尻を下げ困ったように笑った。ヨーデルの申し出は嬉しいのだが、皇帝でもある彼に連れられて隣りでも歩いた日にはあらぬ誤解を招かねない上に、周囲から注目されまくるだろう。
しかも心優しいヨーデルのことだ、御所丁寧に導いてくれることが分かりきっている。己の仕える主君であり、守るべき存在にそんなことさせられる訳がない。
「………折角ですが、お気持ちだけいただきます。私は落ち着いた頃に伺いますので…」
端から見てもはっきり分かるぐらい申し訳なさそうに謝罪するフレンを見て、ヨーデルは柔らかく笑むと肩を竦めた。
「…そう仰ると思いました。それでは私は先に向かいますが、警備があるといえど、くれぐれも一人歩きにはお気をつけて」
律義にも軽く一礼すると、ヨーデルは踵を返し扉の向こうへと消えていった。
それを見送ってしまえば、フレンは再び部屋に一人残されることになる。ちらりと時計を見やれば長針は調度、6時を指していて、時間的に考えればもう会場に向かはなくてはならない頃だ。しかし、どうしてもこの姿を公の場に晒す気になれず、ただ部屋の中をうろうろと回って何か打開策はないものかと考えてみたが、妙案など思い付きもしなかった。
迷ってても仕方がないと理解はしている。ただ、羞恥心が捨て切れないだけだ。
ふと、パーティーの始まりの鐘の音が響き渡り、フレンは顔を上げ苦い表情を作り逡巡した。もう、ああだこうだと言っている時間はなさそうだ。こうなったら腹を決めてしまおう。不本意ではあるが、ユーリの謀略に従うしかないようだ。
(大丈夫、殿下はお褒めくださったし……たぶん…)
フレンは長いスカートの裾に躓いてしまわぬよう注意を払いながら、ドアノブを回し部屋の外へと足を運ぶ。
会場の警備を中心にしているせいか、辺りを見回せば騎士団員の姿はなく、それだけが救いだった。この上、部下にまで赤恥をお披露目することなどしたくない。
「ユーリの馬鹿…、笑ったりしたら絶対殴ってやる…!」
悪態をつき半分泣きそうになりながらも、フレンは足早に皆のいる舞踏会場へと向かうのだった。
「おっせぇな…フレンのやつ」
社交界の代表なる人物の挨拶を耳に入れながらユーリは壁に背をつき、今だ姿を見せない親友への不満をぼやいた。大きなシャンデリアからくる照明の明るさに目を細め、辺りを伺うが、それらしき人物は見当たらない。
「お友達を探しているのかしら?」
突然、かけられた声にユーリは驚きに音がしそうな勢いで振り返るが、視界に入った人を見るなり肩を落とす。
「ジュディ…、頼むから気配消して近付くのはやめてくれ」
「あら、ごめんなさい。貴方がいつも以上に素敵だから見惚れちゃってたみたいね」
「そりゃどーも。…で?向こうでエステル達と一緒にいたんじゃなかったのか?」
「ええ、そうよ。ただ、少し席を外した時に面白いものを見たから知らせに来たの」
「面白いもの…?」
言われた事を鸚鵡返しに尋ねれば、ジュディスは優雅な動作で腕を組み微笑んだ。
そして、ユーリに背を向け歩き出す際に含みのある言葉を口にする。
「お姫様はそのうち来ると思うから、王子様はしっかり、ね」
「おい、どういうこと………って、行っちまったし」
溜息を零し再び壁に寄り掛かる。先程、顔を合わせたヨーデルにも似たような事を言われたことを思い出す。「見れば分かりますよ」とだけ残して去って行った為に詳しいことは聞けなかったが。
どうやら挨拶も終わったらしく、館内のざわつきがより一層大きくなる。そろそろダンスも始まるというのに一向に姿を見せないフレンに焦りと諦めが押し寄せる。
そもそも男相手に一夜限りといえど、パートナーを組んでくれと言われても困るだろうことは承知していた。だが、ユーリは初めてのパートナーにする相手はフレンが良かったのだ。それ以外など考えてもいない。
(…お前じゃなきゃ意味ねぇんだよ、馬鹿野郎)
ユーリが苛立たしげに眉を寄せ辺りを見回した時、遠くで出口の扉が開くのが見えた。それと同時にさっきまで騒がしかった館内が嘘のように静かになる。そして、今度は感嘆する者の声や値踏みするような囁きが辺りに響き渡る。
何かあったのかと思い、そちらに視線を向けた途端ユーリは驚愕した。
そこには清潔感ある水色のドレスに身を包んだ秀麗な女性が、戸惑いがちに辺りを見回し歩いている。
男性どころか女性までもを魅了してやまないその人物が誰かなんて、ユーリには考えなくても分かる事だった。例え、見た目をどんなに変えたどころで見違える訳がない。
その女性が誰かを探しているのであろうことは一目瞭然だったが、纏う高貴さや美しさに早くも目をつけたらしい男達が、是非ダンスのパートナーにと周りに群がり始める。
「貴方のような麗しい女性に会えるなんて感激です。宜しければご一緒に…」
「お一人なら、僣越ながら私めが連れ添いますよ。さぁ、お手をどうぞ」
「あの僕…いえ、私は…」
すっかり相手のペースに乗せられ困り切っているその女性は、どうしたものかと思考するが、こんなに多くの男性に囲まれた経験などない為、良い考えなど思い付く訳もなかった。既に6、7人の男が周囲にいるので強行突破も難しい。
現状に途方に暮れていると、漆黒の髪を揺らしながら自分に近付いてくる男の姿が目に入った。
「…ユーリ……」
今まで胸中を離さずにいた彼を見つけるなり、憤怒の気持ちも忘れて顔を綻ばせる。ユーリは颯爽と目の前まで来ると周りにいた男達を退け、床に膝をつき、白の手袋をはめた華奢な手をとった。
その一連の動作がいつもと違い、あまりに紳士的で目を丸くする。だが、見上げてきた双眸は、少し意地悪な色を拵える見慣れたものだった。
「麗しい姫君様、私と踊っていただけませんか?」
確信にも似た問いに、断る術などない。それを分かった上での行動に、不満を覚えなくもないが、今更詰問するのも野暮な話というもの。
せめてもの仕返しにと、こちらも悪戯ににっこりと微笑んだ。
「ええ、喜んで」
予想通りの返答に満足気に笑うと、ユーリは掴んでいた手の甲に唇を落とし、勢いよく立ち上がった。
「そうこなくっちゃな!」
呆気にとられる男達を押しやり、会場の真ん中へと手を引いていく。
やっとフレンに会えた事で、さっきまでのもやもやとした気持ちはどこかへ飛んでしまった。いつのまに自分の思考回路はこんな単純になったのだろうか。
「全く…。いつまでたっても来ねぇから待ちくたびれたぜ」
「それは…すまない。でも、こんな格好で行くなんて恥ずかしかったんだ!」
「そうかぁ?すっげぇ似合ってんのに」
「………そう言われても…微妙だ」
フレンは唇を尖らせぷいっと外方を向いてしまったが、耳まで赤くなっているところをユーリはしっかりと見てしまい、微笑ましさに頬を緩める。
普段の彼でもどんなに着飾った女性より可愛らしいと思うが、たまには服装を変えるのもいいかもしれない。新鮮だったし、何より色々な表情を見れるのは近くにいる自分だけの特権だ。
繋いだ手を強く握れば握り返してくれる温かさを感じながら、ユーリはフレンの腰に腕を回し、距離を詰め、耳元で囁いた。
「フレン、綺麗だ」
「………っ!、ユーリこそ…似合ってる…えと……、かっこいい、よ…?」
「何で疑問系なんだよ……まぁ、いいや。おら、踊んぞ。ステップ踏めんだろうな?」
「…男性側の立ち回りしか知らない」
「見た目は女なのに…しゃあねぇな。俺がリードしてやるから、お前は俺に任せてろ」
言った途端、フレンは元から大きな瞳をより見開かせ、心底驚いた表情を作った。
「ユーリ、君、踊れるのか!?」
「一応、な」
「信じられない……まさかユーリが…」
「……失礼な奴だな…。そーゆうことは見てから言えっ…と!」
「うわっ!」
ゆったりとした曲が流れ出した時を見計らい、ユーリはフレンの手を引き音楽に合わせてステップを踏む。宣言通り、女性側のステップを知らないフレンをしっかりリードしつつも、華麗に踊ってみせるユーリはいつもの粗暴な態度と違い、見るものの目を奪った。
下町でダンスを習う風習などない。だとしたらユーリは独学で覚えたのだろう。しかしその仮定にフレンは首を傾げる。ユーリには舞踊の道を進もうなどという夢もなければ、趣味もなかった筈。ならば何故?
「………約束、してたからな」
照れ臭いのか、拗ねたように投げ掛けられた言葉にフレンは瞠目する。
「覚えていたのか…?」
「ったり前だっての。」
昔、まだ小さかった時に交わした約束。幼いながらも本気だった。ユーリが応えてくれて叶えてくれるのをずっと信じて、また夢のように思っていた。
つぎはぎだらけの服だったとしても、いつもよりおしゃれをしたお姉さん達。あの頃みたいに、憧れたあの人達のように…二人で踊ろう。
大人になってからも思い出すことがあったけど、こんな昔の話を想っているなんて、きっと自分だけだと考えていたのに、まさかユーリも覚えてくれてたなんて想定もしなかったフレンは、夢心地な気分でユーリを見つめた。
鋭く輝く漆黒の瞳はあの頃とはちっとも変わらず、今でも自分を魅せてやまない。
「約束…守ってくれて、ありがとう…ユーリ」
頬を染め、嬉しそうに笑いながら礼を言うフレンに対し、ユーリは照れ隠しで聞こえないフリをした。
そんなことはお見通しのフレンは込み上げる喜びを隠すことなく表しつつ、ユーリに手を引かれるままに曲が鳴り終わり、拍手と歓声が沸き起こるまで踊り続けた。
(ファーストダンスは一番大切な人と一緒に、)(想い合う二人のダンスは永遠に!)
○おまけ○
「そういえばユーリ!君は殿下に何を頼んでるんだ!」
「は?なんのことだよ?」
「君のおかげで僕は女装する羽目になったんだ!」
「………オレ、ダンスのパートナーをフレンにしろとは言ったけど、女装させろなんて言ってねぇぜ」
「…………………え?」
「まさかお前がそんな格好してくるとは思いもしなかったし」
「じゃあ…なんで……」
「…ハメられたな、お前。まぁ、可愛いからいいんじゃねぇの?」
「よくないっ!!」
○後書き○
やたら長いくせに内容は薄くなってしまい、反省(´・_・`)
精進していかねば…!