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模造品から本物へ

【また、立ちすくんでしまった】


 僕の気功観や気功に対する考え方について、根本から問い直してみなければならない。

 これまでの気功観や気功に対する考え方が間違っていたという訳では無い。

 ただ、やはり、僕の中心にある思いをオブラートで包んでいたような気がするのだ。

 オブラートというのは主に世間体や見栄のことだ。

 人の目を気にし、善く思われたい、尊敬されたいという思いがあり、それが僕の文章を作り上げていたように思う。

 これまでの気功論や気功観が間違っていたという訳ではないが、そういうオブラートで包まれた気功観や気功に対する考え方は、本物ではなく、模造品である。

 本当に思っていること、考えていることを、世間体や見栄から離れた、飾りっ気のない原石から光を放っていくような言葉で文字を綴っていかねば、本当の意味での「和気の気功論、気功観」にはならないだろう。

 また、立ちすくんでしまったではないか。

気功と薬膳

【気功と薬膳】

 気功は東洋医学の一翼を担っているが、この東洋医学の底辺に流れている考え方は、それが〔気の医学である〕ということである。
 病は気の乱れによって生じ、気の乱れを改善していくことが治療の目的なのだ。

 この〔気の医学〕を〔専門家による治療〕と〔健康づくり〕の二つに分けてみる。
 二階建ての建物を描いてみると、一階が〔健康づくりのフロアで、二階が〔専門家による治療のフロア〕である。
 二階には幾つかの部屋があり、それぞれの専門家が待機していて、私たちは二階に上がっていって専門家に見立ててもらうか施術を行なってもらうのだ。
 〔漢方〕、〔鍼〕、〔灸〕、〔按摩〕、〔外気治療〕などである。
 一階には〔運動〕、〔食事〕、〔呼吸〕などの部屋があり、私たちはそこで健康づくりを行なうのだ。
 更に、よく見ると、建物の下には土台を兼ねた地下室がある。
 そして其処には、この建物全体を支える大事な部屋があり、それは心の安定や気力という〔精神をコントロールする部屋〕であった。
 地下にある〔精神のコントロール〕が不安定になれば、一階の〔健康づくり〕のフロアも崩れるし、一階の〔健康づくり〕がうまく働いていなければ二階の〔専門家による治療〕も効果が出ないだろう。

 そして、私たちが問題にしている〔気功〕は、地下の〔精神のコントロール〕や一階の〔運動〕、〔呼吸〕に関与し、そこから〔外気治療〕の専門家も生まれてくるだろう。
 外気治療はともかく、〔健康づくり〕という視点で見れば、〔食事〕以外の総ては〔気功〕として一括りにしてもよいだろう。
 〔食事〕も東洋医学、気の医学の視点でみれば〔薬膳〕として理解できる訳で、そういう風に理解すれば、東洋医学、気の医学としての健康法は〔気功〕と〔薬膳〕の二つから成り立っていると言えるのである。

タイトルなし

【】

 気功は東洋医学の一翼を担っているが、この東洋医学の底辺に流れている考え方は、それが〔気の医学である〕という点である。
 病は気の乱れによって生じ、気の乱れを改善していくのが治療の目的であるということなのだ。


 この〔気の医学〕を〔専門家による治療〕と〔健康づくり〕の二つに分けてみる。
 二階建ての建物を描いてみると、一階が〔自健康づくりのフロアで、二階が〔専門家による治療のフロア〕である。
 二階に幾つかの部屋にはそれぞれの専門家が待機していて、私たちは二階に上がっていって専門家に見立ててもらうか施術を行なってもらうのだ。
 〔漢方〕、〔薬膳〕〔鍼〕、〔灸〕、〔按摩〕、〔外気治療〕などである。
 一階には〔運動〕、〔食事〕、〔呼吸〕などの部屋があり、私たちはそこで健康づくりを行なっている。
 更に、よく見ると、建物の下には土台を兼ねた地下室があった。
 そして其処には、この建物全体を支える大事な部屋があり、それは心の安定や気力という精神をコントロールする部屋だ。
 地下にある〔精神のコントロール〕が不安定になれば、一階の〔健康づくり〕のフロアも崩れるし、一階の〔健康づくり療〕がうまく働いていなければ二階の〔専門家による治療〕もうまくは効果が出ないだろう。

 そして、私たちが問題にしている〔気功〕は、地下の〔精神のコントロール〕や一階の〔運動〕、〔呼吸〕に関与し、そこから〔外気治療〕の専門家も生まれてくる。
 外気治療はともかく、〔健康づくり〕という視点で見れば、〔食事〕以外の総ては〔気功〕として一括りにしてもよいだろう。
 〔食事〕も東洋医学、気の医学の視点でみれば〔薬膳〕として理解できる訳で、そういう風に理解すれば、東洋医学、気の医学としての健康法は〔気功〕と〔薬膳〕の二つから成り立っていると言えるのだ。
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