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意守丹田

【生命力、免疫力を早く確実に身につけよう!】


 「体感テクニック」の練習を疎かにしてはいけない。
 〔意守丹田〕を感覚として体感出来ること、感覚を作り出せるようになることが、気功においては最重要な課題として位置づけられるからだ。

 〔意守丹田〕を早く確実に身につけられる技、それが〔体感テクニック〕なのだ。
 中でも〔体感ワープ〕は欠かせない練習である。
 息を吸って胸の中を感じ、吐いて丹田を体感する練習だ。

 掌を当てたままでの体感ワープ、気のボールを当てた形での〔体感ワープ〕、両手を降ろした状態での〔体感ワープ〕と順に練習を深めていけば良いだろう。


 生命力、免疫力、即ち丹田力を高めるための技である〔意守丹田〕を早く確実に身につけていこうではないか!



ameblo.jp


#健康 #自律神経 #免疫力 #癒やし #リラックス #脱力 #気功 #養生 #呼吸法

和気信一郎(養生気功研究所)
09019816957
kikounonakama@yahoo.co.jp

タイトルなし

【命のパワーを高める技、それが養生気功だ!】


 あなたは自分の命のパワーを高める技を持っているか?

 体が疲れた時、消耗した時、それを乗り越えていく技を持っているか?

 頭が痛い時、肩が凝った時、腰が痛い時、体内の気を巡らせて、患部(症状)の邪気を洗い流す技を持っているか?

 空や大地や樹木から生命の根源的なパワーを戴き、自分のパワーを補充する技を持っているか?

 脊椎(背骨)の緊張をほぐして自律神経の働きを調える技を持っているか?

 自分の心の縛りを解き放ち、天地いっぱいに満ちあふれている気と溶け合う技を持っているか?


 まだまだあるが、書けばキリがない。

 養生気功は自分の体と心の状態を自分で調え、普通の状態に戻し、更に平均的なラインより向上させていく技なのである。

 スポーツをするにしろ、舞やダンスなどの芸術活動をするにしろ、或いは仕事や試験に立ち向かっていくにしろ、養生気功で培われた技は、あなたの基本のところを〔やわらかくしなやかに〕してくれる筈だ。


 不安におののき、焦り、動揺する暇があったら、そんなことの全てを解決してくれる養生気功を身につけてほしいものである。 

●養生気功アドバイザー養成講座(2021年一月〜三月)
*A→毎週月曜午後1時〜3時
*B→毎週金曜午前10時〜12時
*名鉄カルチャースクール()神宮前パレマルシェ6階
0526832323


●気功の学校
 〜基礎から応用までを学ぶワークショップ
*第二第四土曜午後1時半〜3時半
*名古屋市市政資料館(市役所東、ウイル愛知の北隣)
*体験→二千円
*参加費(会員)→参加のたびに五枚五千円のチケット一枚
09019816957

和気信一郎(養生気功研究所)
09019816957
kikounonakama@yahoo.co.jp

より早く到達するために

【より早く到達するために】

(一)
 気功をするということは、健康の回復、維持、増進を図ることだ。
 そのために大切なキーワード、それはα波と副交感神経と体性感覚、そして、脳からのフィードバックである。

 中でも〔脳からのフィードバック〕の能力を身につけることは決定的に重要な課題なのだ。

 僕たちは日常生活での体を使った動き、即ち、筋肉を使った手足の運動などの殆どは無意識に行なっている。
 よし、足を出すぞ!と思い、意志を持って歩いている訳ではない。
 茶碗や箸をもつ手の動きも、コーヒーカップを口に運ぶのも、強い意志などは要らない。
 その殆どの体の動きは脳が記憶し、無意識的に動いているのだ。

 この体の動きと同じくらいに、コーヒーを飲むという思いが出るだけで、独りでに手が動き、コーヒーカップを口に運ぶように、ちょっとした思いを体の中に持つだけで、体内をゆるめ、温かくし、その感覚が体感できるようになることなのだ。
 その為には体性感覚の開発が不可欠になる。


(二)
 桑田真澄さんが巨人軍のコーチのような役割をもつ任務に就いた。
 彼は、これまでの練習法を高めた科学的な練習法を取り入れるらしい。
 理論化の桑田君らしい話だ。
 彼の目標は、より早く最高点(一流)に到達するための技術を伝えることらしいのだ。
 この「より早く身につける」という点においては僕の思いも同じである。
 如何に早く、この脳からのフィードバックによって自分を気功状態であるα波と副交感神経優位にし、園体内の状態を体感するというための技を身につけて欲しいし、その技を伝えたいのだ。
 そして、僕はいま、そのための技の開発に挑んでいるノだ。

 テーマは、「如何に早く体性感覚を開発するか」である。

只管に

【ただ楽しむことが気功の極意だ】


 気功は、ただ只管(ひたすら)に楽しめばいい。

 気功には競技も資格も認定制度もない。
 従って、気功の技(功法)を覚える必要もないし、強くなる必要も上手くなる必要もないのだ。
 だから、ただ只管に楽しめばいい。

 ヨガも同じかも知れないが、ただ自分の体と心に向き合い、その固まった体と心を、ギザギザになっている体と心をやわらかく滑らかにしていき、その感覚の心地よさに没頭して楽しめばいいのだ。

 気功を始める動機は様々だ。

 肉体的な様々な病や精神的な様々な状態を改善したいという人もいるだろう。
 自分のしている肉体的なパフォーマンスの質を高めたいという人もいるだろう。
 健康寿命を延ばすための健康管理として取り組んでいる人もいるだろう。

 しかし、そんな目的や目標を考えて気功をする必要はないのだ。

 何故なら、ただ只管に気功を楽しむことによって、独りでに、自然に、いつの間にか、その自分の目的は達成されているからだ。

 腹を決めて気功を楽しむ、ただ只管に楽しむ、これが気功を人生の友とする極意である。

模造品から本物へ

【また、立ちすくんでしまった】


 僕の気功観や気功に対する考え方について、根本から問い直してみなければならない。

 これまでの気功観や気功に対する考え方が間違っていたという訳では無い。

 ただ、やはり、僕の中心にある思いをオブラートで包んでいたような気がするのだ。

 オブラートというのは主に世間体や見栄のことだ。

 人の目を気にし、善く思われたい、尊敬されたいという思いがあり、それが僕の文章を作り上げていたように思う。

 これまでの気功論や気功観が間違っていたという訳ではないが、そういうオブラートで包まれた気功観や気功に対する考え方は、本物ではなく、模造品である。

 本当に思っていること、考えていることを、世間体や見栄から離れた、飾りっ気のない原石から光を放っていくような言葉で文字を綴っていかねば、本当の意味での「和気の気功論、気功観」にはならないだろう。

 また、立ちすくんでしまったではないか。
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