風花・2

一つ一つ、気になっていた場所を見て回る。
徐々に人が増えて来たこの街に足りないものは何か、またその優先順位とは?資源も資金も未だ潤沢とは言えない。不満の全てを一気に解消することは出来ないが、少しずつ前へ進むために今何が出来るのか、何をするべきなのか。
窓から漏れる明かりもまばらな家々の間を抜け、建築資材の積まれた一角を通り過ぎる。徐々に広がっていく開墾の様子を暫し眺め、宿屋や商店の立ち並ぶ地区をぐるりと周り、時折立ち止まって考えこむフレンの横顔を、ユーリは黙って見ていた。



「……やっと戻って来れたか……」

結局、最初にフレンが言った通り街のほぼ全地域を連れ回される羽目になったユーリが傍らの魔導器に手をつき、ぐったりとうなだれながら呟く。

「もう散歩ってレベルじゃねえだろこれ…今何時だ?」

「さあ…。でもまだ月は高いよ、夜明けまではだいぶありそうだ」

「…まさか、まだどっか行くつもりか」

「まだ行ってない場所があるだろう?」

フレンの指差す先を見て、ユーリがいよいよ嫌そうに顔を顰めた。何故ならその場所にあるのは物見櫓で、街外れにぽつりと建つそこに一体何の用があるのかと考えた時、思い付いた答が一つしかなかったからだ。

「あの場所で景色を眺めながら、少し考えをまとめたいんだ。君の意見も聞きたいし」

そう言ってにっこりと笑うフレンとは実に対照的に、ユーリは更に苦虫を噛み潰したよう顔でフレンを見る。やっぱり、と呟く声に不機嫌を隠そうともしないユーリだが、その反応も予想の範囲内だったのかフレンは一向に構う素振りを見せなかった。

「さ、行こう」

「え…あ、おい!?」

突如伸びてきたフレンの手がユーリの掌をしっかりと握り、そのまま力強く手を引いて歩き出す。転びかけたユーリが思わず声を上げるが、フレンは振り向かなかった。痛いほどの力で握られた手を見つめ、足をもつれさせながらユーリは歩く。この見回りを始める時もフレンはユーリの腕を掴んで離さず、今またその時以上の強引さで自分を連れて行こうとするフレンの真意は何なのか。
振りほどこうと思えば出来るはずだ。実際、先程はそうした。だが今はそんな気が起きない。誰かに見られたら気まずいのは、腕を『掴まれて』無理矢理歩かされているように見えたあの時よりもどちらかと言えば手を『繋いで』いる今のような気がするのに、何故――

「はあ…仕方ねえなあ…」

「何が?」

「何でもねーよ。それより、マジでこの上…って、誰かいるぞ?…フレン、もういいだろ…手」

魔導器のあるあたりからこの物見櫓まではそれほど距離がない。考え事をする間に到着した場所で上を見上げ、人影を確認したユーリは視線を戻すとフレンの隣で握られたままの手を無言で指差した。

「ああ、ごめん。大人しくついて来てくれそうになかったから」

そう言って笑うフレンの横で、漸く解放された左手をさすりながら再びユーリは櫓を見上げた。

「で、あれはどうすんだ」

「あれって…。見張りの騎士の事かい?ちょっと待っててくれ、話をしてくる」

そう言ってフレンは梯子を上って行き、てっぺんで何やら話している様子をユーリは傍らの木に寄り掛かってぼんやり眺めていた。寒いし眠たいし、正直なところもう帰って寝てしまいたい。今なら逃げることもできそうだが、何となく後が面倒そうでやめた。
程なくして騎士だけが降りて来て、ユーリの目の前を通り過ぎて行く。甲冑の下から視線を感じたような気もするが、フレンは何を言ったのか。櫓に顔を向ければ、フレンがこちらに背を向けて立っているのが見えた。

(オレが行くまで、ああやって待ってるつもりなんだろうなあ…)

はあ、と息を一つ吐き、ユーリはフレンのもとへと歩を進めた。吐き出した息は白く霞み、ユーリの耳元を流れてゆっくりと暗闇に溶けていった。



地上ではそれほど感じなかった風が、やや強く吹き付けて寒さを強調する。顔に纏わり付く髪を抑えることもせずしゃがみ込むユーリを、隣に腰を下ろしながらフレンが気遣わしげに覗き込んで声を掛けた。

「大丈夫か?さすがに少し冷えるね」

「おま…おまえなあ…!少しじゃねえよ寒いんだよ!!こんなとこいくらもいられねえぞ!?」

「大きな声を出さないでくれ、耳に響く」

「てめ…」

「大丈夫、ちゃんと防寒用にこういうものがあるんだ」

フレンが手に取って見せたのは大判で厚手の毛布だった。ここで見張りをする者のために置いてあるらしかったが、どう見てもそれは一枚しかない。たった一枚の毛布を使って二人で暖を取るにはどうするか…あまり深く考えなくてもわかる。ユーリは自らの膝を抱え込んだまま、じっとりした眼差しをフレンに向けた。

「…一応聞くが、それって普通は一人で使うんだよな?」

「まあ、そういう場合が殆どだろうね。同時に何人もここに立つこともそうないだろうし」

「で、おまえはそれをどうする気だ」

「こうするしかないんじゃないかな」

フレンは毛布を広げると、自分とユーリの身体を包んで端を手繰り寄せた。しかし、肩当てが邪魔をして長さが足りず、前を閉じることができない。するとフレンは肩当てと篭手を外し、それらを背後に置くと改めて毛布を自分達の身体に巻き付けた。今度はなんとか長さも足りそうだが、それでも端同士を合わせるのにはぎりぎり、といったところだ。

「ユーリ」

「…なんだ」

「もっとこっちに寄ってくれないかな」

「……………」

「ユーリ、聞こえてるか?」

「………聞こえてる」

フレンが一連の動作を行っている間、ユーリはひたすらその場でじっとしていた。寒くて動きたくないというのはもちろんだったが、何といっても今の自分達の状況を客観的に見つめるのが辛い。
つまり、『何が嬉しくてこいつと二人っきりでこんなことを』と頭の中でずっと考えていたわけで、隣で自分を見るフレンが恐らく最初からこうするつもりだったのだろうというのも微妙に腹立たしくもあり…。
口を開くのも面倒で黙っていると、不意にフレンが毛布を外して翻した。冷たい風が何倍にも増して感じられ、思わず声が漏れた。

「っ寒…!」

ユーリが顔を上げた直後、視界が何かに覆われて真っ暗になる。驚く間もないまま、続けざまに肩を強く引き寄せられてユーリは櫓の床に後ろ手をついた。

「うわっ!…おいフレン、いい加減にしろよ!」

ユーリが顔を上げると同時に頭から被せられた毛布がばさりとめくれ、すぐ目の前にフレンの顔が現れた。

(ち、近……)

暗闇でもはっきりと、その碧がわかるほど間近に迫った瞳にユーリが怯んだ隙に、フレンはユーリの肩を抱いたまま毛布を強く引いて二人の身体に巻き付けた。更に密着することになった体勢に、せめてもの抵抗なのかユーリはフレンから顔を遠ざけようと必死だ。

「…首、痛くないかい」

「おまえがもう少しあっちに行けば解決することなんだがな」

「これ以上離れたら毛布が足りない。それに、これなら暖かいだろ?」

「これ以上も何もくっつきすぎだろ!?身動き取れねえじゃねーか!!」

「こんなところで何をする気か知らないけど、動く必要なんかないだろう。座って話がしたいだけなのに」

「そうじゃなくて…!!…はぁ…もういいから、せめて腕どけろ」

居心地悪そうにもぞもぞと身体を揺するユーリを横目に、フレンは小さく笑う。腕を離すつもりはないが、少しだけ力を緩めた。引き寄せられてやや不自然だった体勢が落ち着かなかったのだろう、その場で座り直したユーリだったが特にそれ以上は動きがなく、毛布に顔を半分埋めてむっつりと眼前の景色を眺めていた。


―――――
続く

風花・1

ED後・互いの距離感についてあれこれな二人のお話。どちらかと言うとフレン寄りの視点です。




訪問者は、いつも突然やってくる。
約束が欲しいと思わなくもないが、最近ではあまり気にならなくなっていた。彼を縛ることはできない。自分もまた、常に一処に留まっているというわけでもない。拠点があってもそこにいるとは限らない、それはお互いがそうだった。
頼りない約束を心待ちにするのは不毛だ。それならば、『そのうち会えるだろう』程度に考えていたほうがいい。そのほうが、偶然会えた時の喜びも増すというものだ。

もっとも、こんなふうに思えるようになったのはつい最近のこと、なのだが。




「ふう…」

書類を繰る指を止め、フレンは軽く息をついた。
ここ、オルニオンの地を訪れるのも何度目のことだろう。定期的に街の様子を見に来ているが、その度に整っていく町並みや活気づく人々を見るのはとても嬉しかった。世間ではこの街がここまで発展したのはフレンのおかげだと言う者もいるが、そうではないことは誰よりもフレン自身がよく理解している。本当のことを言いたくても言えないので、忌憚のない褒め言葉にもいつも曖昧に笑い返すことしかできなかった。もし本当のことを言ったら、次に会った時に『彼』がどれだけ不機嫌そうに自分を見ることか。想像はあまりに容易で、フレンは頭に思い描いたその顔に思わず苦笑した。
 
天井を仰ぎ、目を閉じて伸びをする。
普段、執務をしている城に比べて薄暗い部屋の中で、長時間細かい文字を追っていたのでさすがに目が疲れた。今は城の自室にも照光魔導器はないが、それでもここよりは明かりの数が多い。もう少し明るければと思うのは正直な気持ちだが、贅沢は言っていられない。今までが恵まれていたのだと思うと同時に、貧しかった頃を思い出せば比べようもなく生活は楽になっている。そもそも自分達が暮らしていた下町には魔導器がなかったし、それが当然だと思っていた。

「どっちにしても、慣れの問題なんだろうけどな…」

天井を見つめたまま独りごちて再び息を吐く。そうして暫しの間、薄暗い部屋の中でぼんやりと木目を数えていた。だらしない、と叱る者は誰もいない。ひとしきり寛いで、フレンは再び書類の束に目を落とした。
 
書類の様式は一つではなく、内容は様々だった。駐屯している騎士の勤務記録に収支報告、住民から寄せられた要望や苦情。騎士団の関係者が作成したものも、そうでないものも全てまとめて見せてくれ、とフレンが言った時、管理担当の騎士は複雑な顔をした。

『騎士団長閣下が目を通す必要のないものも多いかと存じますが…』

構わないからと言うと、騎士は渋々といった様子で書類を取りに行った。戻って来た時も相変わらず表情は冴えない。
 
(見せたくないのはこの街の現状か、それとも自分達の至らなさか。それとも…)

フレンの頭の中であまりよくない考えが巡り、つい目つきが厳しくなる。しかし、それに気付いた騎士が書類を手渡しながら申し訳なさそうにフレンに言った言葉は意外なものだった。

『とんでもない量でしょう?捨てるに捨てられなくて色々と取っておいたら、この有り様でして』

改めて見ると確かに相当量の紙の山だった。随分かさばっているな、と思って適当に数枚をめくってみると、明らかに子供の字で書かれた手紙らしきものが目に入った。よく見れば上から半分ほどは正式な書類というわけではなさそうで、紙の質も大きさもばらばらだ。折りたたんであったものを重ねているからこの厚みか、と納得はしたが、それにしても多い。

『良い話ばかりではありません。ですが、帝都に比べて我々と住民の距離は近い。そのため、直接そのような手紙を渡されることが多いのです』

そう話す騎士の表情はどことなく嬉しそうで、フレンは先程までの考えを頭の中から追い出した。
騎士は単純に、量のことだけを言っているのだろう。自分に知られたくないことがあるとか、そういうことではないらしい。確かに全てに目を通すのは骨が折れそうだが、むしろこういったことこそフレンが最も知りたいと思っていることだ。城でも同様のことは言っているが、果たして全てが自分の元に届いているのかと考えると疑問が残ると言わざるを得ない。かと言ってそれを担当の者に伝えるのもどうか。部下を信じ切れない自分が情けなくもあり、現状を変えていくのは容易ではないと歯がゆい思いをすることもある。だからせめて、まだ出来たばかりのこの新しい街のことは少しでも多く知っておきたかった。

資料を持ってくるよう頼んだ騎士が渋い顔をした時、フレンは『ここもまだまだだな』と思った。だが、どうやらその考えは捨ててしまってもよさそうだ。少なくとも、彼のような者が住民との橋渡しをしてくれているのなら大丈夫だ、と。受け取った書類に目を通すのは確かに大変だったが、心は満たされていた。ここで知り得た声は、少なからず帝都や他の街にも当てはまるだろう。

(…来てよかった。ここには、僕が知らなければならなかったことがたくさんある)
 
ひと通り全てを読み、気付いたことを簡単にまとめてフレンは再び伸びをした。大きく吸い込んだ空気が思いの外冷たくて、鼻の奥がほんの少しだけ痛んだ。
仕事を始めたのは軽めの夕食を終えた後だったが、ふと時計を見れば既に時刻は真夜中近い。道理で冷えるはずだ、と思いながら立ち上がると造り付けの小さな暖炉に薪をくべ、火をつけた。
オルニオンは比較的温暖な気候で帝都からの移住を勧めるのに何の問題もないと思っているが、両側を山に挟まれた盆地であるからか時折強い風が吹き降ろすことがあり、そんな日はぐっと気温が下がる。積もるほどではないが雪も降るし、そういえば昼間に小雪がちらついていたことを思い出していた。

「雪…また降ってるのかな」

そう呟いて窓を見るが外は暗く、雪が降っているかどうかはわからない。このまま寝てしまうか、それとも少し街の様子を見て来ようか。暫しの逡巡の後、フレンは後者を選択した。住人の『声』を知った今、今までとは違うものが見えるかもしれない、と思ったのだ。日中は何かと用事もあるし、外を歩いていると声を掛けられることが多くて実はゆっくりと辺りの様子を見ることができていない。改めてそういう日を設けようと思いつつ、フレンの足は既にドアの方へと向いていた。


外は思った以上の寒さだった。
雪は降っていなかったが、吹く風の冷たさが頬に刺さる。部屋に篭りきりでややぼやけた頭をすっきりさせるのに丁度いいと強がってみても身体が小さく震えて、フレンは苦笑した。
さて、どこから見て来ようか…と視線を巡らせて、目についたものがあった。街の中央にある結界魔導器だ。もう役目を果たさないそれは、かつて自分達がこの街を建設する以前にもここに人々の営みがあったことを示していた。紆余曲折を経て今では街のシンボルになっていて、ここでこの魔導器を見る度に様々なことを思い出さずにはいられない。そばまで近づいて見上げ、そのまま静かに目を閉じれば、瞼の裏に皆で街を創りあげて行った時の様子が浮かんだ。

「みんなで…いや、僕は…」

自分は何もしていない。
しかしそう言えば『彼』は笑いながら決まってこう言った。そんなことはない、もっと胸を張れーーと。その言葉を、何度そのまま返したことだろう。そしてその度、最初に自分が言った言葉を『彼』が繰り返す。堂々巡りのやり取りを途中で終わらせてしまうのはいつだってフレンではなく、言いたいことを最後まで言えたことはなかった。

「…ユーリ」

久しく会っていない友の名を呟いて視線を落とす。
最後に会ったのはいつだったか…随分前のような気もするし、そうでもないような気もする。人づてに名前を耳にすることはあったが、あの旅以降ユーリと会ったのはほんの数回だった。偶然の出会いばかりでゆっくり話す暇もなく、改めて約束をしようとしてもはぐらかされた。ギルドという生き方を選んだユーリを信じてはいても、それでも不安や心配は拭い切れない。初めのうちは特にそうだった。最近になってやっと、ユーリが今どこで何をしているのかと考えることが少なくなったぐらいだ。
ユーリが…というより、彼のギルドの評判が耳に届けば安心する。もしそれが悪い方向の話であるなら、その時こそ彼に会いに行くべきなのだろうが。

「そんなことにはならないと思っているよ。…そうだろう、ユーリ」

やや俯き気味で呟いた時、背後の気配に気付いてフレンは顔を上げた。振り返らず、真っ直ぐ目の前の魔導器を見つめたままの口元が緩み、笑みが溢れる。

「…ユーリ」

もう一度その名前を口にし、フレンはゆっくりと振り返った。遮るもののほとんどない視界に映るのは満点の星を散りばめた漆黒の夜空。その星空を背にし、少し距離をおいて立つ人影の表情ははっきりとは見えない。しかしフレンにはユーリがどんな顔をしているのかわかってしまう。気配の中にほんの僅かな緊張を残し、小さくユーリが息を吐く。きっと、眉間に皺を寄せ、咎めるような眼差しで見ているに違いない。
何故なら―――

「こ…」
「こんな時間にどうした?ユーリ」

「…おまえな…」

今度こそ大きな溜め息を吐くとユーリが大股でフレンの前へと歩み寄る。その表情はまさしくフレンが想像していた通りで、更に付け加えるとややふて腐れ気味だ、先に声を掛けようとして邪魔されたことに対してなのだろう。

「それはオレの台詞だ。何やってんだ、一人で」

「ユーリこそ、いつここへ?来ているなんて知らなかった。顔ぐらい見せに来てくれてもいいんじゃないか?」

「今回は個人的な用なんだよ。こっち着いた時はもう日も暮れかかって腹も減ってたし、そもそもオレもおまえがいるって知らなかったしな」

「個人的な…」

「そこまで詮索される筋合いはねえぞ」

「…そうだね。それで、君は何をしにこんな時間にここにいるんだい?」

「単なる酔い覚ましだよ、久しぶりに会う相手だったんでつい飲み過ぎちまってさ。それで散歩でもしようかと思っ…なんだ、その顔…」

「僕の顔がどうかしたかい」

「……」

久しぶりに会うのは自分も同じだ。それに、今まで偶然どこかで出会った時にゆっくり酒を酌み交わしたことはない。今日ここにいることを知らなかったのはお互い様で、ユーリも自分もそれぞれ別に目的があってのことで、ユーリには先約があって…

わかっていても、少し寂しかった。それが顔に出てしまったのかもしれない。黙ってこちらを見ているユーリに、自分とは約束すらしないのに…と言いかけ、なんとかその言葉を飲み込む。
わかっている。ユーリはそういう性格だ。
個人的な用事とはなんなのだろう。何か頼みごとでもされたのだろうか。わざわざオルニオンまでその相手に会いに来て、そのついでにこんな夜更けまで飲んでいたなんて、ユーリにしては珍しいような気がする。そんなに親しい知り合いがこの街にいただろうか…。
考えれば考えるほど『用事』とやらが気になって来たが、詮索するなと釘を刺された手前何も聞けない。

「おい…」

黙り込む自分に向けられたユーリの声が苛立ちを含むのに気付き、フレンはひとまず先ほどまでの考えを忘れることにした。何より、せっかくこうして会えたのだ。ならもっと時間は有効に使いたい。

「ごめん、なんでもないんだ。会えて嬉しいよ、ユーリ」

「適当に散歩でもしてから寝るかと思って外に出たら、おまえがここにいるのが見えたんだよ。…こんな時間に一人で何やってんのかと思って様子見に来ただけだ」

最初に言いかけたのを遮られたのがよほどすっきりしなかったのか、わざわざ説明するユーリの仏頂面にフレンはつい吹き出してしまう。ユーリがますます不機嫌そうに唇を尖らせるとフレンは顎に手を当てて何かを考えるような素振りを見せたが、すぐに顔を上げた。

「…いやな顔だな」

「随分な言い草だね」

「他に表現のしようがないんだからしょうがねえだろ。…何企んでる?」

「企んでるなんて大げさな。ただ、そんなに僕のことを心配してくれるのなら見回りのお供をお願いしようかなと思って」

口を開きかけたユーリの手を素早く掴むとフレンが笑いながら言った。

「一人なのが心配なんだろう?なら一緒に行こう。君がいてくれれば心強いのは確かだしね」

「は?冗談じゃねえ。様子見に来ただけだっつったろ。なんでおまえの仕事に付き合わされなきゃならねえんだ…離せよ」

掴まれた腕を振り払おうとしたユーリだったが、一瞬驚きの表情を見せ半歩下がった。腕に感じる力が僅かに増し、思わずフレンを見返してしまう。フレンは柔らかな笑みを浮かべているが、何故かユーリは言葉に詰まって動けなかった。

「な…んだよ」

「仕事じゃないよ、寝る前に外の空気を吸いたくて。ついでに辺りを見て回ろうかと思ってたんだ。君も散歩のつもりで出て来たんだろ?丁度いいじゃないか」

「いや、酔いなら覚めた。冷え込んできたし、宿に戻って寝…」

「いいから。ほらユーリ、行こう」

「ちょ、おい…!!」

ぐい、と腕を引かれてたたらを踏むユーリを少しだけ振り返ったフレンだったが、すぐに前を向いてそのまま歩き出した。背後でユーリが何やらぶつぶつ言っているが、聞こえないフリをしてそのまま歩を進める。が、いくらもいかないうちにユーリが踏み止まって無言の抵抗をしたので仕方なしに振り返ると、ユーリは大げさに息を吐いて言った。

「…付き合ってやるから、手ぇ離せ」

「離したら逃げられそうだから」

「あのな…いくら夜中でも誰かに見られる可能性がないわけじゃないだろ!そんなのはごめんだ、何言われるかわかったもんじゃねえ」

「…例えば?」

「おまえがオレの腕引っ張って歩いてたら、オレが何かやったみたいじゃねえか。説明すんのが面倒くせぇ」

フレンがユーリの腕から手を離した。というより、ユーリが再び腕を振り払おうとしてフレンも今度はそれに逆らわなかった、といった感じだった。ユーリの正面に向き直ったフレンが首を傾げる。

「最初から本当のことを言えばいいだけじゃないか」

「だからそれがめんどくさいだって…もういいからさっさと行こうぜ」

そう言ってユーリが早足でフレンの横を通り過ぎて行く。振り返りもせずさっさと先をゆくユーリの後を追って、フレンも歩き始めた。
何はともあれ、ユーリを道連れにするという『企み』はひとまず成功した。久しぶりの再会に積もる話があるのは当然なのに、なかなか簡単にはいかなくなったな、とフレンは思う。現在の互いの立ち位置のせいなのか、ユーリが自分と積極的に関わろうとしていないとは感じていた。仕方がないと理解しているつもりでも、やはり少し寂しい。
だから引き留めた。
今を逃したら、今度はいつ会えるかわからない。人の目は宵闇が隠してくれる。またとない機会だと思った。

何を話そうか。
何を聞こうか。

街の様子を見るという当初の目的も忘れてはいない。それもユーリがいれば、きっと自分には気付かないものに気付かせてくれるだろう。

「どこから見て行こうか…」

「決めてないのか?」

独り言のつもりの呟きはユーリにも聞こえたようで、足を止めて振り向いたユーリはやや呆れ気味だ。

「特にここ、っていう場所があるわけじゃないんだ。とりあえず一通り全て、かな」

「マジで?朝までかかりそうだな…オレ、明日は早いんだけど」

「僕だってそうさ。外で夜を明かすつもりはないし、君が文句を言わずについて来てくれたら大丈夫なんじゃないかな」

「無理矢理付き合わせといてそれかよ!?そもそも、仕事でもないならなんだって見回りなんか…」

「歩きながら説明するよ。じゃあ…まずは最近住人が増えてきた地区に行こう」

「はいはい…もう好きにしてくれ」

投げやりに言いながらも大人しく後について来るユーリに笑いかけ、フレンは街の一角へと向かうことにした。


―――――
続く

専用ポケット

フレユリ・学パロ。ほのぼのいちゃいちゃしてるだけです。







「遅い…!!」

 一緒に帰ろうと言ったのはフレンだった。

今日はそれほど時間のかかる仕事はないからとユーリを引き留め、待っていてくれと言うから大人しく教室で待っていたのだ。
 なのに時計の針はもう既に5時を回り、暗くなった校庭に照明が入って部活に励む生徒が少なくなっても、まだフレンは戻ってこない。いつしか窓の外に人影もなくなり、急激に寒さが増して来た。今から生徒会室に行くのも億劫だし、何よりも自分がフレンと一緒に帰りたくて迎えに行ったように思われるのは癪だ。
 もう少しだけ、と思ううち更に時間が過ぎて行き、校舎内に残っているのは自分だけなんじゃないかと思うほどの静けさに耐えられなくなって、ユーリは席を立った。がたがたと音を立てる椅子にすら苛つき、荒い手つきで椅子に掛けていたブルゾンと鞄を掴んで教室を出たところで校内を見回っていた教師と鉢合わせした。理由なく教室内に残っている生徒を帰宅させ、鍵を締めるために来たその教師はユーリを一瞥すると無言で扉を締め、そのまま立ち去って行く。教師の背中を眺めつつ生徒会のことを聞けばよかったかと一瞬だけ思ったものの、ユーリは踵を返すとそのまま昇降口に向かって歩き出した。
 
 もしかしたらフレンが追ってくるかもしれない、そう思いほんの少しだけ歩調を緩めながら。


「…着いちまったし」

 下駄箱の前でぼそりと呟いて後ろを振り返る。真っ暗な廊下の先に人影もなく、冷たい風が吹き抜けてユーリは身体を縮こませた。
 さんざん待ちはしたものの、それでも勝手に帰ったと後から文句を言われたらたまったものではない。メールぐらい入れるかと携帯を取り出して画面を見るが、フレンからの着信はなかった。考えてみれば当然だ、マナーモードにしてはいるがバイブレーションは切っていない。着信があれば気付いているはずだった。何かトラブルでもあって連絡する暇すらないのかとは思っても、いまいち釈然としない。とにかく自分からアクションを起こすのが嫌で、半ばヤケになりながらいつもはズボンの後ろポケットに入れる携帯を鞄にしまい込んで靴を履き替えた。
 
 もしフレンから着信があっても、取ってやる気が失せていた。
 
 

「さむ…」

 本当は外に出たくなかったが、入り口の鍵を掛けられてしまうと教員用の玄関まで行かなくてはならない。仕方なく校舎外に足を踏み出した瞬間に冷たい風に吹かれ、鞄を脇に抱えて両手をブルゾンのポケットに突っ込んで歩く。
 寒いなら手袋をしろとフレンには言われるが、例えば自販機で飲み物を買うにしても小銭は取り出しにくいし、いちいち外すのが面倒だった。そのうち片方無くして結局素手で過ごすことになりそうだ、と自分でも思う。だから手袋は持っていないが、今日はやけに寒さが身にしみる。薄手のものを探してみるか…?などと思いながら校門までやってきてユーリはふと足を止めた。
 
 あと少し。もうちょっとだけ待ってやろう。
 
 門柱に寄り掛かって暗い空を見上げ、フレンが自分を追いかけて来たら何を言ってやろうかと考えを巡らせる。どうしても一緒に帰りたいとか、そんなつもりはない。ただ無駄にさせられた時間のぶんの文句は言いたいし、既にそれだけでは済まないほど腹が立っているのも事実だし、何か奢らせるぐらいしないと気が済まないし、このまま帰ったら明日顔を合わせづらいし……
 あれこれ考える全てが言い訳じみていてなんだか虚しくなった。結局のところ、フレンと帰るつもりでいた気持ちの行き場がなくてもやもやしている自分自身に気付いただけで、そう思ったら急激に恥ずかしさが込み上げた。

「はああ……。何やってんだオレは…」

 もう帰ろう。
 のろのろと身体を伸ばし、校舎に背を向けたその瞬間のことだった。

「ユーリ!!」

「…げ…」

 振り返らずともわかる声の主が駆け寄ってくる。砂利を弾く靴音が真後ろで止まって漸くユーリが振り向くと、フレンが両膝に手をついてぜいぜいと肩で息をしていた。

「ご、ごめ…!まさかいるとは、思わなく、て…!!」

「どういう意味だよ、それ」

「いや、今日はほんと、に、すぐ終わる作業だけだったんだ…けど、」

「いいからちょっと落ち着けよ…」

 背筋を伸ばしてフレンが大きく深呼吸をした。大した距離でもないのにどれだけ全力疾走したんだ、と呆れてしまう。

「こんなに遅くなる予定じゃなかったんだ。ちょっと途中で色々…。メールしようと思って無理やり休憩を入れたんだけど、その…充電が切れてて」

「…なるほど?」

「ついさっき終わって、でももうさすがに待ってないだろうと思って…。そうしたらユーリがいるのが見えたから」

「そんで慌てて走って来たのか?ごくろーさん。つかよくオレだってわかったな…真っ暗じゃねえかもう」

「ああ、それならほら」

 フレンが指差す少し先には街頭がある。だが今自分達が立っている場所からは離れているし、それで顔が判別できたとは思えない。怪訝そうに首を捻るユーリだったが、フレンはにっこりと笑って言った。

「ちょうど君が門から離れて、あの光が逆光になって影が照らされて。それでユーリだってわかったんだ」

「ほんとかあ?影でわかったとか…なんか…」

「?」

 笑顔のフレンをまじまじと見つめ、ユーリは言葉を詰まらせた。
 待ちぼうけを食わされた怒りはとっくになくなっている。フレンのあまりに必死な様子が実は嬉しかった、なんて絶対に言ってやるつもりはないし悟られるわけにもいかない。ましてやこの暗い中、僅かな明かりに映しだされたシルエットで自分のことを見分けるなんてどれだけだ、と思うと恥ずかしさも手伝ってうまい言葉が出てこず、口をついて出たのは――

「気持ち悪ぃ」

 …の一言だった。
 ひどいな、とむくれるフレンにくるりと背を向け、ユーリは大きく伸びをした。寒さで固まった身体を引っ張りあげるように、夜空に向けて思い切り腕を突き出す。何故だか口元がにやつくのを抑えらず、そのままの姿勢で顔だけを下向けて必死で笑いを押し殺していると、隣にやって来てユーリを覗きこんだフレンが不思議そうな顔をした。

「…何してるんだ」

「別に。このくそ寒い中で誰かさんにさんざん待たされたせいで体が冷えてさ。あー関節バキバキ言ってら…しっかしマジで寒いな…」

 羽織っただけのブルゾンの前から入り込んだ風が身体を冷やし、ユーリは震えながら自分の腕を抱く。冷たくなった手を再びポケットに入れようとした時、横からフレンに手首を掴まれた。

「…何」

 ユーリが胸のあたりで握られた手首とフレンの顔とを交互に見つめる。
 フレンは黙ってユーリを見つめ返し、もう一方の手も取って自分の両手ですっぽりと包むと呆気に取られるユーリをよそに、申し訳なさそうに視線を落とし自分の手元を見た。ぎゅ、と力強く包み込まれた手から伝わるフレンの体温はゆっくりとユーリの身体に染み込んで全身を熱くするような、そんな錯覚さえ覚える。
 辺りは暗く、周囲に人影もない。が、誰にも見られないなんて保証もないこんな状況で、普段のユーリならすぐさまフレンの手を振りほどいただろう。だがフレンの温もりがあまりに心地よくて、そのタイミングを逸してしまったのだ。
 寒い中、待ちくたびれたせいで投げやり気味な思考は細かいことを考えるのを放棄して、ユーリはフレンに手を握られるままその場を動けずにいた。

「ユーリ、本当にごめん」

「は?…あ、ああ」

 一瞬何について謝られたかわからずに呆けたユーリを見るフレンの瞳は優しく、ますます体温が上昇するのを感じてユーリはフレンから視線を外した。

 暗くてよかった。
 きっと、顔も耳も赤い…。

 フレンの掌が優しくユーリの手を撫でた。

「…少しは暖かくなったかい?」

「あー…まあ…って、いつまで握ってんだ?もういいから離せよ」

「まだ指先が冷たいよ」

 そう言うと、フレンは握った手元に顔を近付けて息を吹き掛けた。暖かな吐息が指先を白く包み、緩やかに流れて消えてゆく…。

「どう?暖かい?」

「だから、もういいって…!」

 少し名残惜しくはあったが、いつまでもこんな場所で手を握りあっていたくはない。恥ずかしさをごまかすように振りほどいた指先から熱が逃げてしまう前に、ユーリはその手を自分のポケットへと――

「ちょっ…おい!?」

 ――入れる直前、ぱし、と乾いた音がして、ユーリの左手首をフレンが掴む。そのままフレンはコートの右ポケットにユーリと自分の手を押し込むと、内側で握り直した。

「おまえなあ…」

「一度やってみたかったんだ、これ。…こんな機会、なかなかない気がして」

 ポケットの中で、ユーリが二、三度もそもそと軽く握られただけの指先を迷わせる。隣で嬉しそうに口元を綻ばすフレンの様子に、いろいろなことがどうでもよくなった。

「…たまにはいいか」

 ため息混じりで呟くと、許可は貰ったと言わんばかりにフレンがしっかりと指を絡めて来る。

「調子乗んなよ?そこの角までだかんな」

 そのまま歩き出したフレンに釘を刺し、ユーリも並んで歩く。
 全く、こんな気分は珍しい。普段なら絶対にこのような状況を許しはしないのに…。

「…今日が寒くて、よかった」

 フレンが笑う。

「冗談じゃねえ。人のこと散々待たしといてそれか?」

「ちゃんと謝ったじゃないか」

「反省してないだろ」

「心外だな、してるよ」

「してない。…これはもう飲み物奢ってもらうぐらいじゃ収まんねーな」

「ほどほどで頼むよ…バイト代、まだなんだ」



 手を離すと決めたあの角まで、あともう少し。

 踏み出す一歩が鈍りがちなのは何を奢らそうかと考えながら歩いているからだ、とユーリは胸の中で言い訳をする。
 隣でフレンが笑ったことには気付かないフリをして、絡み合う暖かな指にほんの少しだけ力を込めた。
▼追記

哀歓(※リクエスト・ユーリ女体化)

リクエストで、「揺れる、壊れる」のフレン視点。ユーリ女体化で裏ですので閲覧にはご注意下さい!





物心つく前は良かった。
何でも一緒に出来たんだ。

早くに両親を亡くして、二人寄り添って生きて来た。誰よりも近くて、大切に思っていた。今だってその気持ちに変わりはない。

凍える夜は同じベッドの中で抱き合って眠り、真夏の陽射しの下で水浴びをした後に何のてらいもなく服を脱ぎ捨てて笑った。

…いつからだろう、それが『当たり前』に出来なくなったのは。
彼女が自分とは『違う』のだと理解してから、僕の中で様々なものが少しずつ変化していった。


成長しても変わらない口調や態度に苛ついた。
思春期を迎えても、彼女の僕への接し方はあの頃のまま。……いや、僕だけに対してじゃない。だから余計に辛かった。
寒いと言っては身体を擦り寄せ、暑いと言ってはその白い肌を晒す。生まれ持った正義感でろくでもない奴に突っ掛かっていく彼女を制しながら、どれほど僕が神経を擦り減らしていたのかなんて、きっと理解していなかったんだろう。

耐えられなかった。

だらしない格好をするなとか、もっと女の子らしくしたらどうかとか。事あるごとに繰り返す僕に、ユーリが疎ましそうな顔を向ける。言えば言うほど、彼女は頑ななまでにその態度を変えようとはせず、苛立ちは募るばかりだった。

本当はそんな事どうでもいい。

ただ、僕以外の誰かが―――僕しか知り得なかった彼女を見て、触れるのが堪らなく嫌だったんだ。彼女自身のためなんかじゃない。僕のつまらない独占欲で、ただ彼女を縛りつけようと必死になっていた。


ひとつ、またひとつ

月日が流れる毎に美しくなるユーリの傍に居ながら、僕の中で抑え難い衝動は激しさを増していった。

いつか、共に騎士になろうと約束を交わした。子供の頃から続けている鍛練は決して無駄なものではなくて、僕もユーリも同年代の友人の中では体力や腕力がついているほうだったと思う。特に、ユーリはそうだっただろう。だって、剣を手に取ろうなんて女の子は他にいなかったんだから。

それでも、広がるばかりの僕との『差』はどうしようもない。当然だけど単純な筋力や体力では僕のほうが上で、いつの頃からか僕はユーリとの剣の鍛練に本気を出せなくなった。
手を抜くな、と怒るユーリに、抜いてない、と答える。嘘じゃない。手を抜いてるんじゃなくて、加減してるんだ。
もし、本気で打ち込んだ時に彼女がそれを受けきれなかったらとか…受けたとしても、怪我をさせるかもしれない。こういう事に怪我はつきものだとわかっていても、それでも嫌だったんだ。

…当たり前、だろう…?


騎士団に入団してからも、ユーリと僕の『差』は埋まらない。男女で違う訓練内容があったとしても、ユーリは僕と同じメニューをこなしていた。よくついてきているとは思ったよ。それでという訳じゃないだろうけど、細身の身体に似合わず食事の量も多かった。周りが呆れるぐらいにね。

なのに、なかなか筋肉がつかないと悔しがるユーリに僕はこう言った。


「ユーリは女の子なんだから、仕方ないよ」


…仕方ないじゃないか。他に言い方があるなら教えて欲しい。
確かに、体格のいい女性だっているさ。僕らよりずっと腕が立つ女性騎士だって勿論いる。
でも…技術は努力次第でなんとかなっても、持って生まれた骨格なんてどうしようもない。ユーリは筋肉が付きにくい体質なのかもしれないけど、とにかく彼女は身体を苛めるような鍛練を繰り返した。

無駄だとは言わない。でも、無茶だ。わかってるよ、僕に負けたくないんだろう?でも無理なんだ。

無理なんだよ

だから僕は言うんだ


「ユーリは女の子なのに…」


ああ、どうしてそんなに辛そうな顔をするんだ?
差別してるつもりなんかない。でも事実なんだ、仕方ないじゃないか…!
僕と張り合おうとしなくていい、そんなつまらないことで怪我をしてほしくないんだ。
子供の頃から僕には君だけが特別なんだよ。他の奴らと一緒になんて、できる筈がない。
力で敵わないのが悔しいと言うユーリを諭すように、僕は繰り返す。


「それは男女の性差なんだから仕方ないだろう?」


仕方ない。どうやったって、僕と君は同じにはなれないんだ。無茶をしたからって、男になれるわけじゃない。そんな、魔法のようなことが起きたりはしないんだ。
どうして、わかってくれないんだ…!

もどかしい思いに耐え兼ね、つい口調も荒くなる。そんな僕を、ユーリも同じ言葉で責め立てる。何故、どうしてわかってくれないんだ、と。
負けたくない、諦めたくないと繰り返す彼女に、苛立った。


「…僕のせいなのか?」


違う?何が違うんだ。僕は君と同じではいられない。そんな僕と自分を比べて、自分自身を理解しようとしていないんじゃないか。
僕と対等な友人でいたいってどういう事なんだ?
ユーリ、僕は……


「僕は、君を友人だと思いたくない」


もう、ずいぶん前から君は僕にとってただの友人なんかじゃないんだ。もっと、もっとその先に―――

心と身体がシンクロして一歩を踏み出したその瞬間、ユーリが叫んだ。もう出ていけ、と。


…どこまでもわかってもらえない。
なら、わからせるしかない。僕らは違うという事を。僕の気持ちを。
全てを…。


ユーリの手首を掴んで引き寄せ、腕の中に閉じ込めて唇を奪う。暴れる彼女を殊更に強く抱き、背けられた顎を無理矢理こちらに向かせて何度も口づけた。
拒絶の言葉を吐かれる度、それを封じ込めるように、何度も…。


触れたくて仕方なかった唇をゆっくり確かめる余裕もないまま、ユーリの身体をベッドへ押し付けて衣服を剥ぎ取るようにして脱がせると、白い肌と豊かな胸が露になる。自分の上着も脱ぎ捨てて肌を重ねたら、その熱さに背筋がぞくりと震えるのを感じた。

激しく抵抗するユーリに手を焼きながらも、掌に感じる柔らかさにある種の感動すら覚える。柔らかな胸が僕の指の動きに合わせて形を変える様に見入っていたら、ユーリが苦しそうに呻いた。
ああ…ごめん、つい力が入った。痛くするつもりはなかったんだ。

ふと見れば、ユーリはその綺麗な瞳いっぱいに涙を溜めて僕を睨みつけていた。
溢れた涙が一筋、ユーリの頬を伝い流れ落ちていく。
ああ…ごめん、ごめんね。泣かせるつもりなんてなかったのに。
涙を拭ってあげたくても両手が塞がっていたから、僕は唇を寄せてそれを舐め取った。恐怖と拒絶の色を滲ませた小さな悲鳴が聞こえて、胸がぎりぎりと締め付けられるようだった。

お願いだ、僕の気持ちを理解してほしい。


「好きなんだ……ユーリ」


僕の言葉が届いているのかいないのか、ユーリからは何の言葉も返ってこない。…いや、言葉ならさっきからずっと、僕の心に突き刺さりっぱなしだ。

いやだ、やめろ

そればかりを、何度も…。
…僕の中で、少しずつ思考がマヒしていく。僕は、ユーリをどうしたい?本当はどうしてほしいんだ?

傷付けたくない、でも欲しい。身体も、心も、全て、全て―――

抵抗を続けるユーリを見るのが辛い。でも、その姿を見ても彼女に触れるのをやめようとは思わない。それどころかますます彼女を手に入れてしまいたくてどうしようもなくなる始末だ。

…どうしようも、ないんだ。

無駄な肉など全く付いていない、引き締まった肢体を撫でながら少しずつ僕の手はユーリの身体を滑り落ちていく。脚は固く閉じられていたけど、少し力を入れたらあっさりと開いた。僕を見上げるユーリの顔色がいっそう白さを増した気がする一方、そんな彼女を見る僕の内側の熱は高まり続けていて、自分のことながら密かに驚いていた。

どうしてだろう…。

でも、もう考える余裕がない。もっとユーリに触れたい。

ひとつに、なりたい。

割り開いた脚の間に手を伸ばし、指先が柔らかい場所にへ届いたその時、ユーリが今まで聞いた事のない悲痛な叫び声を上げた。

…ああ、なんだか僕も悲しくなってきたよ。
それに――

もっと先へと進もうとして、僕は突然の痛みに一瞬息を詰まらせた。ユーリが僕の髪を掴むと同時に、膝で脇腹を蹴り上げたんだ。
本当に…こんな抵抗の仕方をする女の子なんて、そうそういるもんじゃないね。

理解してもらえないもどかしさは、悲しみから苛立ちへ、そして怒りへと変わる。力ずくでも手に入れてしまおう、と思った。言うことを聞かせるには、それしかない。最初からわかっていたじゃないか。だから無理矢理こんなことをしてるんだ。今更、何を躊躇する?

髪を掴むユーリの、その手首を掴み返して引き剥がす。反射的に振り上げられたもう一方の腕を受け止め、頭上にまとめてシーツに縫い付ける。行儀の悪い膝の裏に手を回して押し上げると、ユーリが息を呑んで僅かに動きを止めた。

広げた脚の間に自分の腰を押し付けて体重をかけたら、それだけでもうユーリは身動きが取れなくなる。

…ほら、こんなにも僕と君は違うんだ。

相変わらず鋭い目つきでユーリは僕を見ていた。
悔しくて怖くてたまらないだろうに、それでも尚これほど強い光を放つ瞳が、なんだか少し疎ましい。
諦めが悪いのは長所でもあり短所でもあるね?
今は…もうちょっと、おとなしくしててくれると嬉しい。…好きに暴れさせるつもりは、もうないけど。


強引に侵入したその場所の熱さが、僕の理性をどろどろに溶かしてどこかへ流し去ってしまうかのようだった。

傷付けたくなかった。怖い思いも、痛い思いも、できればさせたくなかった。だけど仕方ない。ユーリが、もっと聞き分けがよければ良かったんだ。そうすれば、ユーリも僕も、きっとこんなに苦しまなくて済む筈なのに。

ユーリの口から溢れ出すのは、拒絶と絶望混じりの苦しそうな息遣いだけ。辛そうに眉を歪め、形の良い唇を噛み締めて耐える姿に僕は言い知れない興奮を覚えて、行為に没頭しながらただその姿を見下ろしていた。

繋がる部分は、目眩がするほどの快楽を与えてくれる。

涙に濡れるユーリの頬に何度も口づけを落とし、汗ばむ身体を掻き抱く。流れ落ちる長い髪を指に絡ませては滑らかな感触に恍惚とした。

ユーリの唇から漏れる声が少しずつ儚いものになり、部屋に響く僕らの息遣いの隙間を粘ついた水音が埋める。徐々に激しく大きくなる音に、僕の頭から自制や加減といった言葉は掻き消されて、もう何も抑えることができなかった。

ユーリ、僕を見て。
もっと僕を感じて。
そして僕を求めて。


可哀相に、辛かっただろう。
でも、大丈夫だから。無理をする必要なんてないんだ。これからも、僕がずっと傍にいる。


「君は女の子なんだ。僕が守ってあげる…」



君を誰にも傷付けさせはしない。だから君は、何も憂えることはないんだよ。

安心して、僕だけにそのすがたを見せてくれれば、それだけで僕は―――





ーーーーー
終わり
▼追記

きみのことば

現パロ・ユーリが喋れない設定のお話。詳細は追記にて




『今日の晩飯、どうする?』


キッチンに立つユーリの指が形作る『言葉』に、フレンは少し考える素振りを見せた。冷蔵庫の扉を開け、取り出した食材を見てユーリがやや呆れたような顔をする。フレンは鶏肉のパックを手にしていた。昨日は豚の生姜焼き、その前はハンバーグ…。献立を思い出して思わずため息が出た。

(肉ばっか…)

「ユーリ?」

『たまには肉以外が食いたい』

不満顔でそう応えるユーリにフレンは苦笑した。


ユーリは喋ることが出来ない。

聴覚に異常はないが、声を発することは不可能だった。
生まれつきのものだから、本人も周りもそれが当たり前になっている。

手話でコミュニケーションを取る以外に、ユーリは相手の唇を読み取ることもできた。会話相手がユーリの手話を理解することは必要だが、必ずしも手話で返す必要はない。フレンは普段、ユーリに対してほとんど手話で会話することはなかった。ユーリがそう望んだからだ。
ユーリはフレンの声を聴きたがった。話すことが出来ないと耳も不自由だと思われがちだが、そうではないのだから、と。

だから、フレンは努めてユーリと『普通に』会話をする。ただ、ユーリが自分の言葉を読み取りやすいよう、他の誰かと話す時よりほんの少しだけゆっくりと。フレン自身、もう意識すらしていないことだったが。

『他になにかないの』

ユーリの訴えにフレンはもう一度冷蔵庫を覗いたが、あいにくとメインにできそうな食材はない。

「ごめんユーリ、今日はこれでお願いしてもいいかな…。明日、買い物に行こう」

『今日も、だろ』

「今度はユーリの好きなものでいいから」

『こないだ買い物行った時もそう言った』

「そうだったっけ」

『そうだ』

唇を尖らせるユーリには悪いと思いながら、フレンは笑いを抑えきれない。
かわいい、と言えばますます不機嫌を募らせるのはわかっていたから、言葉にするかわりに軽くその唇に口付けた。

『…なに?』

「デザートはプリンがいいな」

『自分で作れば』

突然のキスにもユーリは眉一つ動かさない。慣れっこなのだ。すっかり日常に馴染んだ行為とはいえ、少しつまらないと感じることだってある。
そういう時、フレンはわざと声に出さずにユーリにメッセージを送る。
ゆっくり、ゆっくりと。ひとつひとつを確かめるように、唇を動かすのだ。


『す き だ か ら』


キスでは動かなかった眉をぴくりと上げ、ユーリがフレンを見た。正確には、フレンの口元を。

『ユーリの作るご飯が、好きだから』

唇を見つめる薄紫の瞳が、ほんの少し落胆の色を見せた…気が、した。


『どうしたの?』 

声に出さずに唇で問いかければ、

『普通に喋れよ』  

ひらひらと舞うように指先が応える


『読み取ってよ』

『なにを』


つんと尖ったままのユーリの唇がたまらなく愛しくて、もう一度フレンはそこへ自分の唇を重ね合わせて、


「好きだよ、ユーリ」


離れ際に告げられた言葉は何度も聴いたことがある筈なのに、どうしてこんなにも心をざわつかせるのか。
微かな朱に彩られた頬を隠すようにユーリが顔を伏せた。


「どうしたの?」 

声に出して優しく問いかければ、

『なんでもない』 

迷うように頼りなく指先が応えた


他愛のないやり取りを何度も繰り返し、想いを確かめ合う日々が幸せだと思った。
▼追記
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