ただ一人のためだけに・9

続きです






フレンが死にそうな顔をしていた。


別に腹が痛いわけでもなければ、重大なミスを犯したわけでもない。
いや、ミスはしてんのか。そのせいで恥をかかされてんだからな、フレンもオレも。フレンの場合は間接的に、ではあるが。


「だから言っただろ、おまえの精神的ダメージなんざ考慮しねえ、って」

「…そうなんだけど…」

「つまりあれだ、おまえがしっかりしてなかったせいで、天然陛下も余計な面倒しょい込んだってことなんだろうな。…おまえ、そういう奴らの動きとか、全然知らなかったのか?」

「…恥ずかしながら、そうだね」

「マジでしっかりしてくれよ…」


まあ、簡単な書類仕事すらちゃんと出来てなかったんだ。身の回りの事を気にする余裕なんか、無かったのかもしれない。
…んだが、正直これはどうなんだ。

ヨーデルやらにあれこれ言われるだけなら構わない…フレンは構うんだろうが、オレにとってはそんな事はどうでもいい。
でも、下手すりゃ命に関わるような事にこうまで無防備になられたんじゃ、はっきり言って堪ったもんじゃない。

もしかしたら、ヨーデルは最初からこっちの心配してたんじゃないのか。
フレンがヨーデルのお気に入りだって事は、城の人間なら大体知ってる。別に贔屓でも何でもない、フレンはそれだけの信頼を得るだけの働きをしてきた。

だが、それが気に入らない連中だっている。今回フレンをどうこうしようと思ってるのだって、十中八九そういう奴らだろう。

フレンがこのザマだから、先に手を打ったんだろうか。…にしては、ヨーデル本人にも言ったが普通に護衛の依頼すりゃいいんじゃないかと思うんだが。
あまり城に来たくないのは確かだが、ちゃんと事実を説明してくれれば話は別だ。

それに、オレにはどうにもヨーデルの態度が気に入らなかった。


「…おい、フレン。それで、さっきのヨーデルの話なんだが」

「陛下、だろ、ユーリ」

「余裕あんなおまえ……んな事どうでもいいんだよ」

「…さっきの陛下の話がどうかしたかい?」

「なんていうか…緊張感なさすぎじゃねえか?ほんとにおまえの命を狙うような奴らがウロウロしてるなら、いくらなんでもまずはおまえに言うだろ」

「まあ…確かに」

「その上でまだおまえが使い物にならないようだったら、もっと普通に身辺警護させようとするんじゃねえのか」

「…自分で言うのも何だけど、そういう状態の僕を人目に晒したくなかったとか」

「…自分で言ってて悲しくなってこねえか?」

「だからそう言っただろ!?」


自覚あるのか。つかあったのか。
まあ、確かに一理ある。どうやってごまかしてたんだか知らないが、あんな呆けた状態の騎士団長なんて、威厳のかけらもない。できればあまり他のやつらには知られたくなかっただろう。


「理由については推測でしかねえけど、他に頼める奴がいないからってオレなんだったら、こんな格好する意味、全くねえよな。まだ女騎士の格好のほうがマシだぜ」

ひらひらのスカートとエプロンをつまみながら言うと、フレンが僅かに顔を赤らめた。

「僕はどっちでも構わないんだけど」

「……おまえな……」

「まあ冗談はともかく、普段の君のままだったら、こうやってずっと僕の部屋にいる、ってわけにはいかないからじゃないかな…」

フレンが苦笑した。

「…そうか?今だって見つかるなだの何だの言われてるんだぜ。わざわざこんな格好しないほうが、堂々と出入り出来るじゃねえか」

「だからこそ、だよ。普通に君のところに護衛を依頼するなら、来るのは君だけじゃないだろう」

「そりゃまあ、ジュディやカロルもいたほうが心強いよな。見張りも交代ですればいいんだし」

「それに、君が来てくれた時点で陛下なら他にも護衛の騎士を配備する事をお考えになる筈だ」


…それは何か、オレに会えば通常運転に戻るから、とでも言いたいのかこいつは。そしたら他の奴に見せてもいいってか。

何か、段々と腹が立って来た。
フレンだけにじゃない、自分自身にもだ。
…そんなにオレがフレンに会わなかったのがマズいのか?
確かに、会いに行くと言ったものの、それを避け続けたのはオレだ。悪いとは思ってる。でもそのせいでフレンが駄目になるって言うなら、オレって一体何なんだ?

親友という立場から一歩どころじゃなく踏み込んだせいで、フレンのオレに対する執着が異常なまでに強くなってる気がする。そりゃあもう、予想の遥か右斜め上を爆走中だ。

オレはこんなフレンを求めてない。…何か違う。

事ある毎にオレのせいにもされるのは確かに頭に来るし、そんなの知るか、とも思うんだが……やっぱりオレのせいなのか、と思う事もある。


「ユーリ?どうしたんだ?何か…」

「…あのさ」

「何?」


たった三ヶ月でこんな事になるんだったら、本当にそれ以上会えなかったらこいつはどうするのか。…どうなるのか。
前にも聞いたが、そもそもその時、フレンは『今度は三ヶ月もたない』とか言いやがったし…。



「おまえ、オレがいなくなったらどうする?」


フレンの顔色が変わった。

「…どういう意味だい」

「そのまんまだよ。たった三ヶ月会わなかっただけで間抜けな姿晒しやがって、情けないったらねえぜ」

「それは…言い訳もできないけど…でも君だって会いに行く、と言ったきり、全然来てくれなかったじゃないか!」

「だからだよ!もしオレが何かの理由で、おまえに会う事が出来なくなったらどうする気だ!?おまえ、何の為にここまで来たんだよ!!」

「ここまで、って…」

「騎士団のトップに決まってんだろ」


フレンが押し黙る。


「それにな、おまえオレをどうしたいんだ?」

「また…質問の意味がよく分からないよ」

オレはひとつ、溜め息を吐いた。この際だからはっきり言っとくか。


「会えなかったら駄目とか、監禁でもする気か?元々おまえとオレは別々のことをやってんだろうが。だから上手く行ってることだってある。そんな事も忘れたのか?」

「か、監禁とかさすがにそれは…でも、もうちょっと」

「うるせえよ。はっきり言わせてもらう。今のおまえ、最悪だ。恋人どころか、ダチすらやめたくなるわ」

「な……」


「おまえの重荷になるのも御免だ」


フレンが息を呑む小さな音が聞こえた。


…そうだ。オレはこれが嫌で仕方ないんだ。
オレのせい、って言うならここだ。フレンがオレなんかに執着するせいで評価を落とすぐらいなら、こんな関係にならないほうが良かった。
本気でそう思う。

…重い、ってのとは少し違うが、こういう事だ。
まだ一緒に旅をする前、フレンは一人でしっかりやってたじゃないか。

嫌だった。
オレのせいで、フレンが駄目になるのが。


「え…と、ユーリ…その」

「…普通だったら、ここは『別れよう』とか言うところか?」

「ちょっ……!!冗談でもやめてくれ!!」

「あながち冗談でもねえぞ、逆だったらどうなんだよ、おまえは」

「…逆?」

自分のせいで、ギルドも何もかもほったらかして生ける屍みたいになったオレを見たいか、と言ってやると、フレンは微妙な表情をした。


「あまり見たくはないね。…なんとなく想像は出来るんだけど」

「てめえ……本気で別れるぞ!?もう二度と来ないがそれでいいんだな!?」

「ご、ごめん!本当に、頼むからそういう事は言わないでくれ!!…確かに、僕のせいでユーリがそんなふうになるのは嫌だ」

「だろ?だったらもっとしゃきっとしろよ!二度とそんなザマ晒すなよ!あと、オレのせいだとか言うのもやめろ」

「それは……う、わ、わかった」


話が逸れた気もするが、とりあえずこの三日をどうにか乗り切るしかない。
オレはヨーデルの話を思い出しながら、ある可能性をフレンに話した。

「今回、ヨーデルの態度がひっかかる、って言ったよな」

「だから呼び捨て…もういい。で、何がそんなに気になるんだ」

「何度も言うが、緊張感ないんだよ。別に、命がどうとかいう話じゃないんじゃねえか、と思ってさ」

「議会の邪魔がしたいだけならそうなんだろうな。最悪、足止め出来ればいい訳だ」

「だろ?それに、ヨーデルのほうじゃ大体の目星がついてるみてえだし。要は証拠が欲しいんだろ、雇い主を失脚させる為のさ。…おまえら、ほんっとやる事変わらねえよな」


普通に捕まえる理由がないとか、きっちり証拠固めてぐうの音も出ないようにしたいとか、分からないでもない。でもそれにオレを巻き込むな。しかも毎回奇抜というか奇妙というか、無駄に手の込んだことしやがって。

そう言ったら、フレンがまた苦笑した。…何なんだ、さっきから。

「それじゃあユーリ、普通に頼んだらずっと僕の傍で騎士団の仕事を手伝ってくれるのかい?」

「んな訳ねえだろ」

「…即答だね。でもそうなんだろうな。だから僕も陛下も、無理を言ってでも君がこうして来てくれる方法を考えないといけないんだ」

「それと女の格好することに何の繋がりがあるってんだよ」

くどいようだが、普通に依頼されれば…まあ、今なら受けてやらないでもない。だがずっと、ってのは無理に決まってるし、何より周りの目が痛い。

「…だろう?君は不本意かもしれないけど、正体を隠してくれたほうがおおっぴらに城の中を動けるじゃないか」

「メイドの格好じゃ、行けるとこも限られてんだけど」

「今回はあまり目立つな、って事なんじゃないかな。他の人に紛れてれば、『わざわざ』君がここにいる、って知られずに済むんだし」

「……なんか納得行かねえんだけど……」

「特別な役割を与えたら、別に部屋を用意する必要があるだろう?いつ行ってもそこに君がいないんじゃ、不自然じゃないか」

「だからってな……はぁ、もういいわ。キリがねえし、今回はあと三日、我慢してやるよ」

ソファーに踏ん反り返って背もたれに頭を投げ出したら、フレンがオレの顔を上から覗き込んで来た。

…あんまり驚かなくなってきたな。多少は慣れたんだろうか。それがいいのか悪いのかわからないが。


「…今回『は』?次を期待していいのかな」


すっかりいつもの調子に戻ったようなフレンに呆れながら、オレは当然の答えを口にした。


「次なんかねえよ」

「…そうなの?」

更に下りて来た顔が近すぎて、息がかかるのがくすぐったい。


「だっておまえ、もう大丈夫なんだろ?オレが呼ばれる理由、ないからな。…あと、自重しろって言われたの、もう忘れたのかよ」


皇帝命令なんだから離れろ、と言ったら渋々ながらも顔を上げたフレンだったが、まあ不満げに頬を膨らませている。

「…なんだか、僕ばかり必死みたいで面白くないな」

「オレはこんぐらいでいいんだよ。あんまり相手を拘束する奴は嫌われるぜ?男でも女でもな」


頭上から大袈裟な溜め息が降って来たが、オレは無視を決め込んだ。
ほだされるとロクなことがない。


「とにかく、わざわざ教えてやったからには普段から気をつけといてくれよ。あと、今からでもいいからちょっとぐらい心当たり探っとけ」

「分かったよ……そういえばユーリ、何故陛下は僕に話を聞かせまいとしたんだろう?特に問題があるような話でもなさそうだけど」

ほんの少しだけ考えて、オレはフレンにこう言った。

「……ヨーデルの口から直接、自分の無能っぷりを聞きたかったのか?」


まだ、間接的にオレから聞くほうがマシなんじゃないか。だからヨーデルもそこまで口止めしなかったんじゃないかと思ってるんだが。

「……そう、なのかな……」

「知りたきゃ直接聞けよ」

「…いや…まあ…どうせ聞いたからには陛下に確認したい事もあるし、そのついでにでも機会があれば…」


無理して聞く必要ないと思うんだが。自分で自分の傷口に塩を塗り込む結果にしかならない気がする。

そう言ってやったんだが、フレンの奴は一言、オレに向かってこう言った。


「君が陛下と、僕の何について話したのかが気になるんだ」



…相変わらずだな…。

やっぱり今後の事が不安で、オレは何とも言えない脱力感を味わっていた。



ーーーーー
続く

ただ一人のためだけに・8

続きです






フレンの出ていった部屋の中で、オレはヨーデルに促されるままソファーに座った。
ちなみにここは謁見の間の隣にある控え室みたいなもんだがそこらの高級宿なんかよりよっぽど広く、設えも上等だ。
城の中だし主に貴族の連中が使うんだから当然なんだろうが、どうにも慣れないな、こういうのは。
…ま、今さらだけどさ。

ヨーデルは立ったまま、窓辺から外を眺めている。
…あ、溜め息なんか吐きやがって…ったく、わざとらしいんだよ。


「話があんならさっさとしてくれよ、あまり長くなるとフレンに感づかれるぜ」

ヨーデルがゆっくりとこちらを振り返った。

「そうですね……」

そうしてヨーデルが話し始めた内容に、正直オレは驚きを通り越してうんざりすることとなった。




世の中から魔導器が消え、ヨーデルが皇帝になり、フレンが騎士団長になった。

当時の状況だとか事情を知ってる奴は数少ないが、いずれも組織のトップを張る奴ばかりだ。星蝕み問題解決後の混乱が最小限に抑えられたのも、こいつらのおかげだと思ってる。

オレ?何もしてねえよ。オレの言う事なんか誰も信じねえって。
ギルドとして、出来る事を地道にやるしかない。なんだか最近、なんでも屋みたいになってる気もするが…まだ仕事を選べる状況でもないしな。

だからってわけじゃないが、オレは以前にもこの城で住み込みの仕事をした。

最終的にちょっとした騒動になって、それがほぼ片付いたところまではオレ自身も関わってる。だがその後の事は何も知らない。特に何か問題があったようにも聞かないが…あったとしても言わないかもな、フレンなら。

で、その後何だかんだあってフレンと会わなかったせいでオレは今こんな事をさせられてるんだが、その間のフレンの様子を聞いて不安になった事が幾つもある。

そしてどうやら、そのうちの一つが今、現実に面倒を引き起こしているらしい。



「……つまり、フレンの作ったテキトーな書類に手間掛けさせられた連中が、新法案成立の反対派になってる、と」

「その通りです」

「自業自得じゃねえの?」

「半分はあなたのせいなのでは?」

「何でだよ!?言っとくけどな、こ…恋人、なのに放ったらかしたのが悪いとか、いい加減理由にすんのやめてくれ!!」

世の中には、逢いたくたって逢えない状況の奴らだっている。それに、それほど深刻な状況じゃなくても頻繁に逢うことの出来ない場合だってあるだろう。
そういう奴らが皆、腑抜けて全く仕事が出来ないとか、そんな訳あるかってんだ。
…多少の支障は出るかも知れないが。

でもそんなのは本人の問題だ。フレンもそれなりにヨーデルからは何か言われたんだろうが、これ以上オレがフレンのミスの尻拭いをしてやる必要なんかないだろ?

充分有り得ねえ事を引き受けてやってんだ、それこそ政治の話なんか知ったこっちゃない。それをどうにかするのがフレンの仕事だし、さすがにそんな事はあいつだって分かってる筈だ。
オレだって、ギルドのゴタゴタをフレンに解決させようなんて思わない。

…荷は重いかもしれないが、それがフレンの選んだ道なんだからな。


オレの話にヨーデルはいちいち頷いていたが、少しだけ表情を引き締めて話を再開した。


「何も、フレンの仕事を直接手伝って頂く必要はありませんよ。あなたがフレンの傍にいてくれるだけでいいんです」

「…どういう事だ」

「私もまだまだ若輩者です。全ての反対派を押さえられるわけではありません」

「あんたは全面的にフレンの味方なのか?…それもどうなんだ、って感じだけどな」

「個人的な感情だけで動いている訳ではありませんよ。ただ、フレンのやっている事は間違っていない、と思うだけです」

「…ふうん?」


フレンが騎士団に残ったのは、法を正して世の中の理不尽を無くす為だ。フレンが何か間違ってるとはオレも思ってないが…

「反対派の連中の動きと、オレがここにいる事とどれだけの関わりがあるんだ?」

前回はまだ、オレは一応騎士として仕事をしていた。だからある程度自由に動くこともできたし、そもそもフレンの知り合いという触れ込みだったからオレがフレンと一緒にいても不自然ではない。

が、今回は違う。
部屋の外に出る事もあるし、特に人目につくなと言われている訳でもないが、基本的にはフレンの部屋での仕事しかない。唯一制限があるとすれば、勤務時間外にフレンの部屋への出入りを見付かるな、という事だった。…さすがに部屋に泊まり込んでるのを知られたらマズい、って事か?

今までフレンの、っていうか部屋の世話を担当していた使用人連中がどういう説明を受けてるんだか知らないが、そいつらが部屋に来る事もない。
よくよく考えると、ほんとこいつ、オレに何させたいんだ?

ああもう…マジで面倒臭い。

「いい加減、要点言えよ。ぐだぐだ余計な話ししてっと、肝心なところ聞き逃すかもしれねえぞ」

「…つまりですね、あなたがいれば、フレンは本来以上の力を発揮してくれるのです」

「……………は?」

「あなたがいない間、それはもう酷い状態で」

「しつっけえな!!それに何だよオレがいない間って!!オレは別にここに住んでる訳じゃねえぞ!?」

「いっそ住んでみませんか」

「断る!!さっさと続きを話せ!!」

「今回、どうしても通したい法案がいくつかあります。議決の為の審議と投票が行われるのが、あなたへの依頼の最終日です。それまであなたにはフレンの傍にいて欲しいのです」

「…具体的な理由は」

「フレンに頑張ってもらう為…怖い顔をしないで下さい、本当の事なんですから。」

思い切り睨みつけてやっても、ヨーデルは笑顔を崩さない。こいつなら、反対派の貴族とも充分やり合う事ができそうなもんだ。
まあ、こいつ一人で何でもかんでも勝手にやったらそれは独裁になっちまうが。

「反対派は、フレンが『何故』かミスばかりするようになった隙を突くつもりのようです。この機に乗じて法案を否決に持ち込み、代わりに自分達の希望を通したいのですよ」

「だからってなあ、今回はともかく毎回こんなんじゃあんただって困るだろ?しっかりしろって言ってやってくれよ」

そりゃ、契約期間中はちゃんとここにいてやるが、そもそも部屋で寝泊まりする必要ないだろ、って事をオレは言いたいんだ。

「それは勿論ですが。…フレンが『何故か』立ち直ったので、反対派の方々は随分と焦っているようです」

「…………へえ」

「どこやらのならず者を雇ったとか、雇わないとか。そういった話を耳にしましたので」

「あのなあ……」

「ご理解頂けましたか?」


にっこりと爽やかな笑みの裏で何を考えているのかわからないヨーデルに、とりあえず一言だけ言ってやった。


「護衛が欲しけりゃ普通に依頼しろ!!」



…全く。
フレンといいヨーデルといい、どうしてこう、ついでにあれこれ解決しようとするんだ。しかもオレを使って。
出入りを見られるなってのはフレンが使用人を部屋に連れ込んでるとか噂が立たないようにってのもあるだろうが、こういう事か。

どう、って、オレがいるのがバレたら警戒するだろ、『ならず者』とやらが。
普通は警戒させて襲撃を未然に防ぐもんだが、こいつらの場合『わざと襲撃させて捕まえて一網打尽』を狙ってるからタチが悪い。

最初から言わないのは、実際どうなるかわからない時点で先に計画立てるからだな。相手が動いて初めて事情を知らされるほうの身にもなれっての。

読みが外れて何もなけりゃなかったで……どうする気なんだろう。まさかまた、何か理由付けて呼ばれるのか?

…それは嫌だ。

今回も目星は付いてるみたいだし、だったら依頼期間中は仕方ない、護衛って事でフレンの部屋にいるしかないのか……。
襲ってこない、というのは少し考えにくい。目的の日がはっきりしてるからな。それまでに何か動きがある可能性は高い。

それにしても……

「なあ、これってフレンには黙っておくのか?」

自分で言うのも何だが、あいつはオレに危害が及ぶのを嫌う。
…の割に無茶な依頼しやがるが…

今回の事も、ちゃんと話したほうがいいんじゃないか。そうすればあいつも普段から警戒できる。一人の時に襲われる可能性なら、部屋よりむしろ外のほうが高い。
オレは保険みたいなもんだ。

「…話したほうがいいと思いますか?」

「別に問題ないと思うけど?」

「自分のふがいなさが問題を引き起こして、今またあなたを巻き込んでいる、と説明するんですか?」

「勝手に巻き込んだのはそっちだろ!?遊んでんのかてめえ!!」

「そんな、まさか。うまく説明出来そうでしたら、その辺りはお任せしますよ」

ヨーデルは、話を合わせるぐらいはする、と言う。
…何だ、この緊張感のなさは。まだ何か裏があんのか。
だがヨーデルは『話は以上だ』と言って、フレンを一旦部屋に呼び戻した。


「ああフレン、すみませんでした」

「いえ…」

フレンはちらりとオレを見た後、ヨーデルに向き直ると姿勢を正して次の言葉を待っている。


「ユーリさんですが、これまで通りフレンの部屋で寝食を共にして頂けるそうですよ」

「何だその言い方!?…だいたい、はっきり返事した覚えもないんだけど?」

「よろしいんでしょう?」

「…ユーリ」

フレンの視線には、何故オレの気が変わったのかを訝しむものが含まれている。…適当な理由でごまかせる感じじゃないんだが。

「……まあとりあえずは。あと三日間だけだからな」

「そういう事ですので。良かったですね、フレン」

「は…はあ。ありがとうございます」

「では、お話はこれで。二人共、仕事に戻って頂けますか?」

「わかりました」

「……はいよ」

立ち上がったオレがフレンの後に付いて部屋を出ようとした時、背後からヨーデルに声を掛けられオレ達は揃って振り返った。

「ユーリさん」

「何だよ?」

「よろしくお願い致します」

「…分かってるよ」

フレンが黙ってこちらを見ている。そのフレンにもヨーデルは笑顔を向けた。

「フレン」

「何でしょうか、陛下」

フレンの返しにすぐには答えずにこにこしているヨーデルに、フレンがもう一度おずおずと尋ねる。

「あの…陛下?何か私に」

「フレン」

「は、はい?」


「自重しなさい」


笑顔のままでそれだけ言うと、ヨーデルはお付きの騎士を従えてオレ達よりも先にさっさと戻って行ってしまった。その後ろ姿を見送るオレの隣で、フレンはまた固まっていた。





「ユーリ、陛下とどんな話をしたんだ」

フレンの部屋に戻るなり、オレは質問責めにあっていた。当然といえば当然だ。


「何故いきなり気が変わったんだ?何か交換条件でも」

「あのなあ、それを話したらおまえをわざわざ閉め出した意味、全くないだろ」

「…本当に、何か僕に言いたくない事があるのか」


「言いたくないっつーか…」

言いづらい、と言ったほうが合ってる気がする。
それに、オレ自身今ひとつ納得行かない部分もあって上手く説明できる自信がない。

フレンがまた、怒ってるんだか泣きそうなんだか分からない表情でじっとオレを見つめている。こいつはこんなにメンタルが弱かったか?

…オレのせいとか言われたら堪んねえんだけど。


「ユーリ」

「あ?何だよ」

「頼むから、事情を説明してくれ。君がいてくれるのは嬉しいけど、これじゃなんだか落ち着かない」

「オレは毎晩落ち着かない思いをしてるんだが」

「し…仕方ないだろ!すぐ傍に君がいるのに…!」

顔を赤くして視線を逸らす姿に、なんとも言えない気分になる。『いるのに』の続きを考えるとそれだけでまた溜め息が出そうだ。



「…分かったよ、話す。その代わり、おまえの精神的ダメージなんかは考慮しねえからな」

「は?精神的…?な、何の事?」

「聞けば分かる。聞きたいって言ったの、おまえだからな」



後から突っ込まれるのも面倒だし、絶対話したほうがお互い楽に決まってる。


……こいつも一回ぐらい、後から好き勝手言われる気分を味わえばいいんだよな。


ーーーーー
続く

ただ一人のためだけに・7

『四日目・実家に帰らせていただきます?』






「…通いにして欲しい?」


思い切り怪訝そうな表情を浮かべて聞き返すヨーデルに、オレは力一杯頷いた。



城に来て…というか、連れて来られて早や五日目。
既に契約期間はそろそろ半分、折り返し地点だ。
正確に言えば最初の一日は契約期間外なので、『仕事』としては今日で四日目だ。だから折り返し、って訳だな。

で、オレはどうしてもヨーデルに言ってやりたい事があり、会わせてもらえるようフレンに頼んでいた。いくら顔見知りとは言え、さすがに皇帝陛下のところに一人で出向くわけにはいかないだろ。
それもまあ、この格好でなけりゃまだ、オレに好意的な奴が取り次いでくれたかもしれないが。一介のメイドがほいほい会わせてもらえる筈もない。

……自分で言ってて嫌になってきたな……一介の『メイド』、って…。

まあともかく。

こんなナリでフレンの世話を焼いてやってるオレだが、もちろん好きで着てるわけじゃない。
勤務時間が終わればいつもの服に着替えてるんだが、その途端フレンがベタベタ引っ付いて来るもんだから、正直うんざりしていた。


今回の依頼、依頼主はヨーデルってことになるんだろうが、直接的な『雇い主』はフレンだ。つまりオレはフレン専属の使用人として身の回りの世話やら仕事の手伝いやらをしている。
オレに対する仕事内容の指示が大雑把過ぎて困る…というより、何をするにもいちいち確認しなきゃならないんで最初は面倒で仕方なかったが、それなりに慣れては来た。

たまにフレンが独自の解釈で勝手な事をオレにやらせようとしたりするが、それにはある意味この仕事を依頼したヨーデルの、フレンに対する憐れみみたいなものが含まれている。オレに放ったらかされたフレンに、ある程度好きにさせてやりたいとか、そんなところか。
…オレの意思とか都合なんかは全く斟酌されてないあたり、非常に納得いかないものはあるが。
だからあまり細かい仕事内容が書いてないんだな、ヨーデルからの指示書きには。フレンの受け取り方次第で、何でそんな事まで…ってのもまああったりなかったりだ。

これだけ見るとヨーデルがフレンを大層気の毒に思ってるみたいだが、実はそればっかりじゃない。

ヨーデルはフレンに対しても条件を付けていた。それは普通に考えればごく当たり前のことなんだが、この依頼内容の性質と、オレとフレンの関係…フレンがオレをどう思っているか、という事を考えた場合、その事を知るヨーデルがなんでわざわざ、と言わざるを得ないもので。

いわく、『使用人には一切手を触れるな』というもので、実際フレンはこれに不満たらたらだった。

フレンが言うには『嫌がらせ』らしいんだな、ヨーデルからフレンへの。
三ヶ月間、フレンの仕事の不手際で色々と迷惑被った仕返し、といったところか?
…わざわざ『恋人』を呼び寄せて身近に置くようにしてやっといて『触るな』とか、悪趣味な気もしないでもないが…。オレは別に構わない。つか、むしろありがたい。

が、それでもフレンはあの手この手でなんとかしてオレに触れたがる。仕事の初日にはいきなりキスしてきやがった。『手』は触れてないとか言うが、拡大解釈にも程がある。
しかもその後、いつもの服を取り戻して仕事が終わってから着替えたら、またいきなり抱きつかれたもんだから堪らない。

いい加減我慢ならないんで、こうして直訴に来た、というわけだ。


「通い…というのは、どういった意味でしょうか」

「どうもこうもねえ。こいつの部屋で寝泊まりするのは疲れる。それだけだ」

ヨーデルの隣に立つフレンが、むっとしたような顔でオレを見ている。
そもそも、オレがヨーデルに会わせろと言った時からフレンの野郎はご機嫌斜めだ。…まあ、大体想像ついてたんだと思うが。

「疲れるというのはまた、何故ですか?」

「…あんた、さっきから聞き返してばかりだな」

いちいち言いたくないからぼかしてるんだが、絶対分かってて聞いてるな、こいつ。

「仕事が終わればあとはプライベートな時間です。しかもフレンと共に過ごす時間が、何故疲れるのか私にはわかりません」

「そのプライベートな時間を、一人でゆっくり過ごしたい、って言ってんだよオレは。城の使用人全員が住み込んでるわけじゃねえだろ。下町から通うんでも何の問題もないと思うんだけど?」

「それではフレンが気の毒ではありませんか」

「………なんで」

「愛する人には、常に傍にいて欲しいものでしょう」

にっこりと笑って言うヨーデルだが、オレは何とも嫌な感じがしていた。もしかしてこいつ、フレンの解釈に問題ないとか思ってるんじゃないか。


仕事を終えた途端、フレンがオレに触れてくる理由。それは、『勤務時間外は使用人じゃないから』というこれまた勝手な解釈によるものだった。

その理屈で言ったら、フレンだって時間外や休日は『騎士団長』じゃない、って事になる。立場が変わるわけじゃないんだし、そんなもん通る筈もない。
オレの場合はそこまで真剣に気にするものでもないが、『依頼』の内容的にはオレは契約期間中はフレンの使用人、という立場だ。
勤務時間外だろうがなんだろうが、契約内容は適用されるもんだと思ってる。

そう言って、オレはフレンを見た。

「…だから、触るな、っつってんのにこいつがベタベタしやがるから落ち着かないったらねえ。ゆっくり眠れもしないし、だから通いにしてくれ、って言ってんだよ」

そうですか、と言ってヨーデルもフレンを見る。

「…フレン、少しは控えないと嫌われますよ」

「へ、陛下!?ぼ…私は、別に何も……!!」

フレンは顔を真っ赤にして慌てているが、なんつうか…今さらな気もするな。
確かに『何も』してはないんだが、する気はあるんだからな、こいつ。

…ただの触れ合いだったら、オレだって嫌じゃない。
フレンに抱き締められて髪を撫でられるのは、むしろ心地好くて好きなくらいだ。

だが、それだけで済みそうにないから困る。
フレンの寝室にあるベッドは一つ。かなり広くてデカいベッドだから、オレとフレンが二人一緒に寝るのに問題はないが、ガキの頃ならともかく今となっては逆に照れ臭い。…オレは。
一緒に寝るなんて選択肢はそもそも存在しない。

だからソファーで寝るんだがフレンはそれにも反対で、毎晩どっちがどこで寝るかの攻防戦だ。
押し切られてベッドで寝た事もあるが、今のところ勝率はオレのが上だ。
ところが、朝目が覚めたらフレンが一緒にソファーで寝てたり、オレがベッドに引っ張り込まれたりしててあまり意味がない。不自然な体勢で寝たせいで身体が痛かったりでろくな事はないし、何て言うか……ずっと寝顔を見られてるってのが、毎回恥ずかしくて仕方ないんだ。
…いつもフレンのほうが、先に起きてるんだよ。


「確かに何もしてねえけど、触るな、ってルールの定義が曖昧すぎる。手じゃなきゃいいとか、時間外ならいいとか、屁理屈も大概にしろって話だ。あんた、その辺りどう思ってんだよ?…そもそも、傍にいろだ何だ言うんなら、なんだってわざわざ嫌がらせみたいな条件付けてんだ」

「嫌がらせ、ですか?触るななんて言って、やはりユーリさんもフレンに触れて欲しいんですね。…そんな素直じゃないところもまた、魅力の一つで」

「オレじゃねえ!!フレンに対して、って事だ!!」

「なんだ、そうなんですか。それはまあ、お察しの通りです。味を占められても困りますし、多少は我慢してもらわないと」

「……陛下……」

「…最高の主君だな」

マジもんの嫌がらせか。
少しだけ同情するな、フレンにも。

「で?解釈についてはどうなんだ」

「まあ…そういった解釈も出来ますが。…フレン」

名前を呼ばれたフレンが姿勢を正す。…心なしか落ち着かない様子に見えるのは何故だろう。

「何でしょうか、陛下」

「現在、様々な法の見直しや新規法案の成立に向けて、日々議会は紛糾しています」

「…はい」

新規法案、ねえ。…まあアレだけじゃねえんだろうけど。

「ここでしっかりと内容を吟味していかなければ、法の抜け道を見つけて悪事を働こうとする輩は減りませんね」

「は、はあ」

「……抜け道、な……」

「ですが、フレンならそのような心配は無用ですね。重箱の隅をつつき倒すかのような細やかさで、一分の隙もない草案を纏めてくれると信じていますよ」

「…お、恐れ多いお言葉、有難うございます…」

「『簡素化』した作業指示書の『アラ探し』に比べたら途方もなく大変な作業だと思いますが、頑張って下さい」

フレンが硬直する。

…なんだ、天然陛下も予想してなかったのか、これ。そこまで深く考えてなかった、のほうが正しいか?……本気の本気だったんだな、嫌がらせ……。
フレンは硬直したままだ。面倒なのでそのまま話を続ける事にした。


「…で、その重箱の隅をつつき倒すかのようなアラ探しの結果、何度も言うようにオレとしてはいまいち落ち着かない、って事だ。だから通いにしてもらいたいんだよ」

「ベッドをもう一つご用意いたしましょうか」

「いらねえよ!あと三日しかいないオレの為にわざわざそんなもん用意する必要ねえって」

「あと三日しかいないなら、もう少し我慢してみませんか」

「あのな…。我慢って何だ。だったらせめて隣の部屋で寝かせてくれ」

フレンの寝室で寝泊まりする、ってのも仕事の条件の一つだ。オレはこれも嫌がらせに入ってるんじゃないかと思ってる。

ヨーデルが小さく溜め息を吐いた。


「フレン」

「あ、は、はい!!」

「すみませんが、暫く席を外してもらえませんか」

「…陛下?」

「私がユーリさんを説得します。あなたがいると、ユーリさんも言いにくい事があるかもしれませんし」

フレンがどことなく不安そうな視線をオレに投げて寄越す。
だが、オレもヨーデルの真意がよく分からない。別にフレンに聞かれて困る事なんかないが……

聞かれて困る、か。…なるほど。


「…フレン、皇帝陛下の命令が聞けねえのか?」

「ユーリ…本当に、僕に聞かれたくない話、なのか…?」

「さあな」

「………」

もう一度ヨーデルが言う。

「フレン、お願いします。…大丈夫、必ず住み込みのまま働いてもらうようにしますから」

「あのなー…」

「……分かりました。ユーリ、くれぐれも失礼のないように」

今までのやり取り見といて何言ってんだか。

フレンは一礼して部屋を出て行った。恐らく扉のすぐ外で待機してるんだろう。




「…さて、聞かれて困る話、ってのは何なんだ?」

「さすが、察しが良いですね」


笑顔のヨーデルを横目に、オレはわざとらしく肩を落として息を吐いてみせた。

何だよもう……
あまり面倒臭い話じゃなきゃいいんだがな。
▼追記

ただ一人のためだけに・6

続きです。







『一日目・その2 ご奉仕します?』






すっかり陽も落ちた頃、やっと書類整理が終わった。
…今日のぶんは。

どんだけ不適切な書類を出したんだか知らないが、なんせ三ヶ月ぶんだ。全部が全部じゃないにしろ、相当な数には違いない。

そういや、『最初はまだマシだった』って言ってたな。空白に落書きしてあるぐらいだった…っても、『ぐらい』じゃ済まないんだと思うが。消したからって通るもんじゃないだろ。
それが段々と酷くなって、サインが全部オレの名前になって……。

これ、改めて考えなくてもとんでもない事なんじゃないか。
オレとフレンの関係…別に、その…恋人とかいう事じゃなくて、友人だってのを知ってる奴はまあ、それなりにこの城の中にもいる。
だが、それを良く思わない奴は少なくない筈だ。特に、オレに対して悪感情を持ってる奴らは多いだろう。
そういう奴らがあのふざけた書類を目にした可能性があるかもしれないと思うと、ぞっとする。別にオレの事はいいんだが、フレンがどう思われたんだか。

フレンは常々、オレに『周りに与える影響力を自覚しろ』だなんだと言うが、そりゃこっちの台詞だ。影響力ってんなら遥かにフレンのほうが大きい。
なのにたった三ヶ月会わないぐらいでこうも……


「………はぁ……」

思わず溜め息が漏れる。
大丈夫なのか、この先。

「ユーリ?…疲れたかい?」

「……色々と」

「ユーリには向いてない仕事だから、仕方ないかな。でも助かったよ、ありがとう」

「どーいたしまして……」

「??」

実はおまえにも向いてないんじゃねーの、という言葉が喉元に引っ掛かってたが、我慢した。そんな事言ったら、どうせまた『半分はユーリのせい』とか言われんだ。
…こいつ、どれくらいだったらオレに会わなくても大丈夫なんだろう。何か気になるな。


「なあ、フレン」

「何だい」

「おまえが正気を保ってられる期間を教えろ」

「………ごめん、質問の意味が全く分からない」

「これからは、禁断症状が出る寸前に会いに来てやるから」

「……………」

質問の意味を理解したらしいフレンが、ぐったりした様子で机に体を投げ出し、頬杖をついてオレを睨む。

「…それは、ギリギリまで来ないって事かな」

「三ヶ月毎に拉致られてこんな格好させられたんじゃ、オレだってたまんねーよ。とりあえず、その前に顔出すくらいしとかねえとまた、何を言われるか…」

「とてもじゃないけど、次は三ヶ月もたないな」

「…だったらどれぐらいなんだ」

「さあ。そんなの僕にだって分からない。それに、仮に期間とやらがはっきりしてるんだったら、その間は来ないつもりなのか?なら尚更教えられないよ」

ふい、と顔を逸らす様子はまるで子供みたいだが、はっきり言って全く可愛くない。
半分冗談だったんだが、ますます不安になるな、これは。


「…とにかく、こんなのは二度と御免だからな」

そう言うとフレンはこちらを見て何か言いたそうな顔をしたが、諦めたように一つ息を吐くと書類を手にして立ち上がった。

「…陛下にお会いして来る。色々とお詫び申し上げなければならないし」

「オレは?まだ勤務時間とやらは残ってるみてえだけど」

「嫌がってた割には随分とやる気だね」

…なんかごく最近、同じような事を誰かに言われたな。こいつらオレを何だと思ってんだ。

「『依頼』なんだから手ぇ抜く訳にも行かねえだろ、信用にも関わるしな。適当な仕事して変な報告されたらうちの首領が泣いちまうよ」

「……君って、妙なところで義理堅いよね」

「妙とは何だ、失礼だな。この格好さえどうにかしてくれりゃ、もっと働いてやってもいいぜ?」

「却下。それじゃ何の意味もない」

「笑顔で言い切ってんじゃねえよ…。で?次は何すりゃいいんだ」

「そうだね……」

フレンは顎に手を当てて少しだけ考える素振りをしたが、顔を上げると殊更爽やかな笑顔で言った。


「お風呂の準備、しておいてくれるかな」


「………………」

「ユーリ?」

「…分かった」


フレンが出て行った後、オレは言い知れない不安に襲われていた。

…何だ、あの笑顔。

他意はないんだろうと思いたいが、一応用心しとくか?向こうからはオレに触れないわけだし……って別に一緒に入るとかねえよな、さすがに。
いや別に一緒に入っても問題はない…のか?


……何でオレ、こんな事気にしなきゃなんねえんだ……








一応の準備は終わらせた。

っても、普段がどうなのか分からないから適当にやっただけだ。
普通に湯舟や床を洗って湯を張って脱衣所にタオル用意したぐらいだな。洗う必要ないんじゃないかってぐらい綺麗な風呂場だし、時間もかかってない。

…普通にこの風呂場、箒星のオレの部屋より広いんだぜ。騎士団長ともなるとさすがの厚待遇だ。
私室内に風呂があるのはまあ、安全面から考えてもそうおかしな事でもないが。
入浴中ってのは人間が最も無防備になる瞬間の一つだ。






「だから…さっさと入って来いって」

「…………」

「そんな目で見るな!!」


案の定というか何というか、オレは一緒に入れと言い出したフレンと睨み合っていた。


「完全に仕事外だろうが、そんなの!!」

「身の回りの世話、って書いてあったし、これも立派な仕事だと思うけど」

「じゃあ聞くが、おまえ普段から使用人を風呂に付き合わせてんのかよ」

「いいや。そんな事したらセクハラどころの騒ぎじゃないよ」

「…………」

「旅をしていた時だって、一緒に入ったりしたじゃないか」

「…ごく、たまにな。それに他の奴らだっていただろ」

普通の宿でそんな事はしないが、ユウマンジュなんかは特別な場所だ。だからみんなで入ったりもしたが、今は明らかにそういう状況とは異なる。…色々な意味で。
するとオレの様子を見てフレンがわざとらしく手を打って頷いた。


「ああ…そうか」

「…何だよ」

「ユーリ、何か変な想像したんだろう」

「は?」

「別に、服を脱ぐ必要はないよ。僕、そんな事は一言も言ってないよね」

「……………」

「背中を流すぐらいしてくれてもいいんじゃないかな、とは思ったけど」

それもどうなんだ。
服着たままだったらいいとか、そういう問題じゃないと思うのはオレだけか?
黙るオレに構わずフレンは更に続ける。

「それに、せっかくメイドさんの格好してるんだから少しぐらいそれっぽい事をして欲しいし」

「…何だ、『それっぽい事』って…」

「ご主人様、お背中お流しします、とか……うわっ!?」

「さっさと入って来やがれ!!」


机に置いてあった本を適当に掴んで投げつけると、仕方ないといった感じでやっとフレンは風呂場に向かった。

…面倒見きれねえ。
だけど実際、フレンが風呂に入ってる間、することもないしな…。


やがて聞こえてきたシャワーの音に、オレは少しだけ考える。
そうだな…背中ぐらい流してやるか。
久々に思いっきり、な。







「フレン、入るぜ!!」

「へ……っ?あ、な、何だ!?」

風呂場の扉を勢い良く開けて中に入ると、シャワーを浴びていたフレンが振り返る。さすがに驚いたのか素っ頓狂な声を上げたが、オレの姿を見ると何とも微妙な表情になる。

…が、それはオレも同じだった。


「ユーリ、何だいその格好…」

「…おまえこそ」

フレンの腰には、しっかりとバスタオルが巻かれていた。腰から膝まで、ぴったり覆われている。

…自室の風呂場だぞ?しかもシャワー浴びてる最中まで、って…どんだけだよ。


「なんでタオル巻いてんだよ。健康法かなんかか」

「そんな訳ないだろ。用心の為というか…もう癖みたいなものだよ」

「…ちゃんと洗ってんのか?」

「当たり前だろ!?出る直前にきちんと流してるよ!!」

「ふーん…。大変なんだな、騎士団長ってのは」

「君こそ何なんだ、それは…」

オレは別に、妙な格好してるつもりはない。
長い袖を二の腕の中程までたくし上げ、長いスカートとエプロンをまとめて右の腰辺りで結んでるだけだ。鬱陶しいタイツは脱いでるが。


「だって濡れるだろ?」

「…そんな中途半端な格好で仁王立ちしないでくれないか」

「中途半端の意味が良く分からねえが、別におまえを喜ばしたい訳じゃねえしな。まあ背中ぐらい流してやるからさっさと座れよ」

側にあった椅子を足で押してやると、フレンはあからさまに嫌そうな顔をした。


「…もうちょっとこう、何か…」

「ゴシュジンサマー、お背中流しましょーかー」

「……うん……」

もういいや、と言ってフレンがオレに背を向けて椅子に座る。

「…前から気になってたんだが」

「うん?」

「おまえ、そういうマニアックな知識はどっから仕入れてんだ」

「ま…マニアック?」

「メイドがどうとかご主人様がどうとかさあ。…パティの水着の時も思ったけどな」

「理解できるんだったら君だって同類だろ!?」

「…まあいいけどな。どうでも」

だったら聞くな、とぶつぶつ言うフレンの後ろに膝立ちになって、オレはもう一度袖を捲り直した。







「い、いたたた!ユーリ、痛いって!!」

「うるせえなあ、ちょっと黙れよ」

「ちょ…っ、いい加減に……!」

「おっと、手ぇ出すなよ?」

力一杯フレンの背中を擦りながら、振り返ろうとしたフレンの肩を押して無理矢理前を向かせる。
フレンがオレに『手を触れる』のは契約違反だからな。
悔しそうな顔してまあ…


「ユーリ…何の嫌がらせだい?」

「嫌がらせっつうか、仕返し?」

「…何の」

「作んなくていいメシを作らされたり、触んなってのにズルされたり、こんな格好で無理矢理働かされたり、諸々引っ括めてだ…よ!!」

「いっ……!!」


わざと乱暴に擦り上げてやってから、湯をかけて流すと背中が少し赤くなっていた。

「ほら、終わったぜ!」

最後に一つ、ばちんと叩いてやると、フレンは大袈裟に前につんのめった。

「いっ…たあ…!」

「何だよ泣いてんのか?情けねえなあ騎士団長様ー?」

「うるさい!!」

「はは。ついでに頭も洗ってやろうか?」

「…遠慮しておくよ」

「そういや、ガキの時はたまに洗ってやったよなあ」

ふとそんな事を思い出して口にしたら、フレンが驚いたような顔で振り返った。


「どうした?」

「いや…。君のほうからそういう話を振るのは珍しいな、と思って」

「そうか?…ま、たまにはな」


こんな格好じゃなけりゃ、もっと素直に昔話もできるんだけどな。
そう言ったらフレンもさすがに苦笑していた。





「ユーリ、明日は普通に一緒に入るかい?」

「遠慮する」

「なんだ…」



いい年した野郎が、同じ男と風呂に入りたがるなってんだよ。

オレは、これぐらいでちょうどいい。あんまりべったりなのは面倒なんだ。


…フレンもそう思ってくれたらいいんだがなあ…

無理かな、やっぱり。



ーーーーー
続く
▼追記

ただ一人のためだけに・5

『一日目・書類整理…?』






「ユーリ」

…フレンが呼んでる。

「ユーリ、そろそろ起きなよ」

「………」

「ご主人様より寝坊のメイドさんっていうのは問題なんじゃないかな」

「誰が誰のご主人様だ!!!」

…あー…身体中、痛ぇ…


「誰が、って…。僕が、君の、に決まってるだろ」

涼しい顔でオレを見下ろして言うフレンは、すでに見慣れた甲冑姿に着替えている。
オレはというと…まだ素っ裸、だ。

今日から一週間、オレはフレンの仕事の手伝いをしなけりゃならない。メイドの格好で。冗談だったら良かったんだがな、どうやらマジらしいんだこれが。

昨日はとりあえず説明だけ、って事らしかったが、それすらオレは知らされてなかった。またその説明ってのが細かいんだか大雑把なんだか…まだよく分からない事も多い。
まあその辺りは仕事しながら確認するとして、今回オレがこんな事をするハメになる依頼をしたヨーデルは、フレンの『使用人』に対する対応にも一つ条件を付けた。

それが、『使用人』には一切、手を触れるな、ってやつだった。

この場合の使用人っていうのは、当然オレの事だ。
ヨーデルがオレの身を案じて…というより、フレンに対する嫌がらせというか、何というか。そういう意味合いのほうが強いような気がする。
大体、オレの心配するならこんな事やらせないだろ。

で、まあ…仏心を出しちまったんだな、オレは。
昨日のうちに好きなだけ触れとは言ったが、触るだけで済む筈もない。結局、気が付けばフレンのベッドに寝かされていて、フレン本人はソファに寝たらしい。
…あのソファ、寝室じゃなくて隣の部屋にあった気がするんだが…。一人で引っ張って来たのか?…まさかな。深く考えるのはよそう。

それにしても怠い。
仕事どころか起きるのも億劫だ。

「…ユーリ、いつまでそうしてるつもりなんだ?」

「誰のせいだと思ってんだ。仕事に支障が出そうだよ、ったく…」

「それは悪かったね。でも今日は書類整理ぐらいだから、大丈夫だろ。僕は隣で準備してるから、早く着替えて来てくれ」

フレンが部屋を出て行ってから、オレは思い切り息を吐いてベッドに突っ伏した。

着替え、か…。
視界の端に綺麗に畳まれたメイド服が映って、オレはまた大きな溜め息を吐いていた。







「…仕事を始めるのはいいが、朝メシもなし?」

着替えてフレンの前にやって来たオレだったが、まさかフレンだって食事もしないで一日中働いてる訳じゃないだろう。普段どうしてるのか知らないが、今この部屋には何も用意されてないし、誰かが運んで来るんだろうか。

…ん?誰か…って、まさか…

「それこそ、普段は使用人の誰かが持って来てくれるんだけど」

「…持って来いってんなら持って来てやるが、オレが城の中をウロついて大丈夫なんだな?」

「大丈夫なんじゃないか、あまり目立たなければ…って、無理かな」

「…………」

どうしろと。
目立つ、の意味をどう取ればいいのか悩むところだが、デカくて見慣れない奴がいる、ぐらいには思われるかもしれない。
だが、仕事の中には食事の世話とか身の回りの世話とかいうのもあった。そんなの、部屋に篭りっぱなしで出来る筈もない。

「ってか、今度こそ知り合いに会ったらどうすりゃいいんだよ…」

「大丈夫だよ、この前だって何だかんだでバレなかったんだし」

「おまえ、完全に他人事だと思ってるだろ。答えに全く誠意が感じられねえぞ」

「誠意?それは僕じゃなくて、ユーリが僕に示すものだろう?」

またしても『三ヶ月放ったらかしたくせに』とか言い出したフレンを無視しつつ、どうしたもんかと考える。
だが、普段は誰かが持って来るのにそれがないって事は、オレがやれって事なんだろうとしか思えないし、服と刀も取り戻しておきたい。

…行くしかないんだろうなあ、やっぱり。


「しょうがねえな…。食堂行って何か見繕って来るか」

「じゃあ、僕はその間に少しでも仕事を進めておくかな」

「全部やってくれても構わねえぞ」

「冗談。君の分の作業はちゃんと残しておいてあげるよ」

「……もうオレの名前なんか書くなよ」

それには答えず、笑顔で行ってらっしゃいと言うフレンに見送られて、オレはとりあえず食堂に向かう事にした。
…見送るのと見送られるの、逆じゃないか?





なるべく人目に付かないようにと思うものの、城内の廊下というのはあまり遮蔽物がない。昨日も言ったと思うが、こそこそしてるほうが逆に目立つ。
正体のほうはともかく、なんか言われたらヨーデルかフレンの名前、出してやる。それぐらいしたってバチは当たんねえだろ。
途中で何人かとすれ違いはしたが、適当にやり過ごした。




食堂にやって来て、辺りを見回してみる。誰もいないのは今がちょうど朝食と昼食の間で、大体の城の奴は職務中だからなんだろう。
とは言え、別に出入り自体は自由だ。誰か来ないうちに用事を済ますべく厨房に向かうが、中は綺麗に片付けてあった。
昼食の仕込みはしてあるみたいだが、それを拝借するのは気が引ける。

…となると、使えそうなもので適当に食事を用意して、片付けまでして帰らなきゃならねえのか?それってメイドのやる事じゃねえよな。

「ああもう、面倒臭えな…!!」

とにかくさっさと終わらすしかない。
もういっぺん、ちゃんと仕事の内容を確認しないとえらい事になりそうだと思いつつ、オレは腕捲りして料理に取り掛かった。



そうして出来上がった料理を乗せたワゴンを押してフレンの部屋に戻る途中でソディアに出会った。昨日は結局、いきなり追い出されたっきりだったな。
オレの姿を認めると盛大に眉を顰める。…何だよこの反応。オレ、ちゃんと仕事してるよな。

「…何をしているんですか」

「何って、見りゃ分かんだろ。メシの準備して来たんだけど」

顎でワゴンを指すと、ソディアは呆れたように溜め息を吐いた。

「何なんだ、その態度…これも仕事なんだろ?」

「あなたが作る必要はありません。団長のぶんのお食事は、きちんと用意されていました」

「…そうなのか?」

「ええ。いつまで経っても取りに来ないので、様子を見に来たんです」

聞けば、フレンはいつももっと早くに起きて朝食を摂るらしい。確かに今はその時間よりはだいぶ遅いが、だったら最初に言っとけってんだよ。

「明日からはきちんと取りに来て下さい」

「へいへい。ま、オレとしてもそっちのほうが助かるしな」

「…………」

「どうした?」

「…嫌がってた割に、随分と献身的ですね。まさか手料理とは…」

「…しなくていいならそれにこした事はねえんだけど」

「はっ、どうだか」

「…………」

…何だかな。あからさまな敵愾心ってよりは半分ヤケになってるような気もするが。そんなに嫌なら反対すりゃいいのに。…無理か、あの腹黒陛下が相手じゃ。

「とにかく、いちいちあなたが食事を作らなくて結構です」

「………だったら予定表っつうか、あいつのタイムスケジュールみたいなのはねえのかよ。オレだって困ってんだぜ、細かい事は何も分からねえし」

「昨日、あの後説明するつもりだったんです!!それが、その……!」

ソディアが顔を赤くして俯く。
…何を想像したのか、考えたくもねえな…。
それ以上会話するのも面倒だったのでさっさと切り上げ、今日の予定を確認する。明日からは毎朝、朝食を取りに来る時に確認しろ、だとさ。ついでにオレの服と刀の話をすると、こっちは後で届けてくれるらしい。ま、ひと安心ってところか。
勤務時間とやらも聞いたし、さっさと戻っ……

「ひとつ、お聞きしたいんですが」

「何だよ」

「…今日はどちらから来られたんですか」

「は?あの後フレンの部屋に泊まってそのまま…」

「ななな何ですって!!?」

「うおっ!?」

「……ふ、ふふ。さすが…堂々としたものですね……」


…こいつの事は、誰が『正気』に戻してやるんだろうな…。

すると俯いていたソディアが勢い良く顔を上げ、オレを睨みつけて言い放った。

「それで勝ったと思うなよ、ユーリ・ローウェル!!!」

「…頼むから、デカい声でフルネームを言わないでくれるか」

勝ったも何も…。
それより、もしかしてこいつ、ヨーデルの手紙の内容までは知らないのか?

「仕方ねえだろ、そういう指示なんだから」

「嘘をつくな!!」

「そう思うんなら天然陛下に確認しろよ!オレは通いでも構わねえんだけど」

「はっ、どうだか」

「…………………」

今度こそ面倒臭くなって、オレはその場を後にしてフレンの部屋へと戻ったのだった。





「……ってわけでさ、もう勘弁しろって話だよ」

「なんだ、残念だな。しばらく君の手料理が食べられると思ってたのに」

「ふざけんな。マジでそんなの、メイドの仕事じゃねえよ。つか、おまえ気付いてただろ」

「メイドの前に恋人だろう?だったらいいじゃないか」

「…あのなぁ…」

遅めの朝食兼昼食を食べながら、オレはソディアに聞いた事をフレンに話していた。戻るのに少々時間を食ったせいで、フレンは既に今日の書類仕事の半分程を終えていた。
自分のぶんは、だが。
オレは判を押すだけでいいらしいが、それはしっかり残してある。

「やらなくていい事までやってやったんだから、そっちも片付けといてくれりゃいいじゃねえか」

「それこそ君の『仕事』だろ。半分は君のせいなんだから」

「おまえが言うんじゃねえよ!…また上乗せだな、報酬」

「たった一回ぶんの食事で?いつの間にか、随分とお金に汚いギルドになったんだね、君のところは」

「………やっぱいいわ」

「そう?じゃあこれは寝坊した代わりという事で受け取っておこうかな」

「それこそ半分おまえのせいだろ!?」

嫌になるほどきらきらした笑顔を向けられて、もう文句を言うのもやめた。

どうも最近、口でもこいつに勝てなくなってる気がする…。



メシを食ってからは、ひたすら書類仕事だった。
時々休憩はするが、こういう事務仕事みたいなのはつくづくオレの性に合ってないな。先にフレンがサインを済ませた書類にオレが判を押す間にも、フレンは次々と新しい書類の処理を終えていく。あれでしっかり内容は頭に入ってるんだろうし、その辺り本当に優秀な奴だとは思う。

オレはと言えば、初めこそ内容にも目を通してみたものの、案件の前後関係が全く分からない為に意味が理解できないものばかりだったのですぐに興味をなくした。
言っとくが、『内容が』理解出来なかった訳じゃないからな。

「……ふぁ」

噛み殺しきれず欠伸が漏れる。当然フレンはそれに気付き、呆れたような眼差しをオレに向けた。

「…職務怠慢なんじゃないか」

「そりゃおまえだろ。つまんねえ内容ばっかなんだ、仕方ねえだろうが」

するとフレンが書類の山から一枚抜き出し、オレに渡した。

「それの内容なら興味湧かないか?」

「あん?………」


それは、ある法律を改正、または新たに制定する為の草案のようなものだった。
オレは、無言で判を押すとそれを処理済みの山に無造作に重ねた。

「ユーリ?」

「仮に『それ』が通ったとしても、オレには関係ない」

「……そう?僕には関係あるんだけどな」

「なん…」

「少しぐらい、希望を持ってもいいだろう?」


そう言って立ち上がったフレンはオレの横に来ると両手を腰にやって、見上げるオレに素早くキスをした。
驚いて突き飛ばすと、おどけたように手を上げる。

「ちょっ…何してんだてめえ!触んなって書いてあっただろ!?」

「触ってないよ。…『手』は、ね」

「ふっ……ざけんな!!」



こんな危険な奴に、法律に関する事を任せていいものやら、甚だ不安になって来る。
さっきの書類も…きっと、無理矢理通すに違いない。
オレがそれを受けるかどうかは全く別だってのに、馬鹿な話だ。
まあ、それが通って喜ぶ奴は他にもいるんだろうが…。


内容?
同性婚を認める為の改正案だとさ。


……関係ないよ、オレには。

フレンは笑ってるが、オレはどうにもすっきりしなかった。



ーーーーー
続く
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