「キャナル感染(うつ)る」 1

「気分はどう、ケイン?」

意識の底から少女の声が聞こえてくる。その声はうつろで、まるで水底からのぼってきた泡のように彼の耳にあたった。彼の筋肉は完全に弛緩し、自分の指先がどこにあるのかさえもわからない。肉体はとうに形というものをもたず、気体が拡散するように消え去ってしまったような気がする。なんという安らぎ、なんという解放感。ケインは今、どんなに目を凝らしても、青く続く空間しかみえないところにいた。死とはこういったものではないだろうか。少女の声さえ聞こえてこなければ、彼はおのずと無に帰したろう。

だが、彼の肉体は本当になくなったわけではない。それは、ソードブレイカーに設置されている特殊医療室のベッドの上に固定されているのだ。そして、彼の横にぴったりとついているキャナルによってコントロールされていた。

ケインは身体のあちこちにコードをつけられていて、それらから得た情報をキャナルがパソコンで処理していた。キャナルは画面をくいいるようにみつめ、画面左上にカーソルを合わせると、ある数値を入力した。すると、ケインの肉体に変化が起こる。彼の雪花石膏のようだった顔に再び血が通いだした。

外側からみただけでは、横たわっている彼の姿にさほどの変化はみられないが、パソコン画面上の数値の変化は激しい。特にさきほどまで一定のリズムを刻んでいた心電図が乱れ始めたが、それ以上に不安定に動きだしたのは脳波のほうだった。キャナルが入力したコマンドによって、ケインの生理的機能がいっせいに蘇ったのである。

この時、ケインの意識のなかではどのような変化が起こっていただろう。彼は、徐々に肉体の感覚が戻ってくるのを感じる。身体の芯のほうに重みが生まれる。彼はこの重みが頼もしいと思う。だが、それは徐々に疎ましいくらいの重さに変わってゆく。彼はそれを受け入れがたいほど重く苦しいものだと感じだす。彼の胸が裂かれたような悲しみと痛みを感じる。彼は自分がゆさぶられているのを知る。

「ケイン、ケイン!」

開かれた瞳から涙がこぼれ落ちた。ケインは泣き声をあげながらベッドの上でもがく。キャナルは彼を抱きしめ、言葉をかけ続けた。

「ケイン、大丈夫よ。もう大丈夫だから…!」

彼のこわばっていた身体から力が抜けた。嗚咽をもらしながら彼は大人しくなる。そして、キャナル…とかすれた声で彼女の名を口にした。