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キャナル感染(うつ)る 4

 ところがキッチンに入ると、そこにはいくつもの鍋や、ラップをかけた皿が並べられており、なかには実に美味しそうな料理たちがはいっている。ケインはこの状況が理解できないでしばらくのあいだ茫然としていた。キャナルが作ったのだろうか。いや、そんなこといままで一度もなかった。だいたい彼女は自分の治療にかかりっきりだったろうから、こんな手のこんだ料理を作れたはずがない。では、誰かからの差し入れか?いや、それもないだろう。このソードブレイカーのなかに、自分たち以外の人間がそう簡単に入ってこられるはずがない。だいたい彼にはキャナルよりほかに、今、親しく付き合ってる者などいないはずだった。
「…ん?」
 ここでケインは額に手をあてた。なにかとても大切な事を忘れている気がしてならない。彼はそれがなにだかを思いだそうとやっきになる。しかし、まったく記憶がでてこない。確かになにかを忘れている気がする。だが、ダメなのだ。彼はいよいよ慎重に自分の記憶を点検しはじめた。
 そのとき彼は、自分の記憶がほとんどないことに気がついた。彼は顔色をサッと変える。おかしい、さっきまでキャナルと普通に話をしていたではないか。彼はあたりをぐるりと見渡す。このキッチンは知っている。それから通路に飛び出す。彼はそこで胸を鈍く脈打たせた。わからないのだ。ここがソードブレイカーのなかだということはわかるのだが、いま自分がそのどこにいるのか、この通路が一体どこに通じているのか、皆目わからなくなってしまった。
 ケインの眉間に神経質なしわが寄った。そして突然檻に閉じ込められた野生獣じみた様子であたりをうかがいだした。耳を澄まし、前と後ろ、どちらに進むべきか考えているようだ。すると、まったくだしぬけに、彼の背後の壁がシュンッという音をたてて開いた。反射的にケインは三メートル離れた反対側の壁へ飛び退る。みるとそこには金髪碧眼の若い女性が立っていた。
「ケイン?」
女性がいった。ケインはいぶかしそうに彼女のことを眺める。だが、彼女のほうは突然顔を喜びで輝かせると彼のほうにかけよってきた。
「目が覚めたのね、ケイン!もう歩いて平気なの?!大丈夫、どこも痛くない?」
彼は自分に抱きつかんばかりの彼女にギョッとしたが、そこから敵意がなにも感じとれなかったので抵抗はしなかった。
「…あんたは、誰だ?」
女性がその言葉に動きをとめた。
「え?」
「…誰だ、どうして、ここにいる?」
「どうしたのよ、ケイン…」
しかし彼女は、彼の表情が真剣であり、その瞳には恐怖すら浮かんでいるのをみて、怖くなってそっと彼から離れた。

****
ケイン、記憶の一部を喪失中。金髪の女性はミリィです。

キャナル感染(うつ)る 3

「…ケイン、気持はわかるけど、そんなに焦ってもしかたないわよ。あなたはまだ若いんだし。時間は十分にあるわ。今回のことでもわかったでしょう?単なるパワーだけじゃダメなの…もっと精神的な部分も培っていかないと…」
「じゃあ座禅をしてから滝にでも打たれてくるよ…!」
「ケイン!」
ケインが、二度目のため息をついた。それからつぶやくようにいう。
「…ごめんな、キャナル」
「ううん…いいけど…」
ふたりのあいだに沈黙が流れた。そして、どちらからとなく笑みがこぼれる。ケインは唇をゆがめて苦笑し、キャナルはクスクスと笑いだした。
「死にかけたってのに、欲張りすぎだな、オレも」
頭に手をあて、ケインがいう。
「そうよ…生きててくれただけ、めっけもんだったんだから」
キャナルが、あーあ、と声をだしてようやく笑うのをやめた。
「わかったよ…今日は一日大人しくする」
「ん、そうしてくださいな」
笑顔でキャナルはそういうと、つけっぱなしだったパソコンに向かい、カタカタとキィを叩きだした。
「じゃ、自分の部屋に帰るわ」
「うん、あ、そうだ…」
「なに?」
「…夕食は六時からだから。今日はなんだかサプライズがあるらしいわよ」
キャナルはパソコンから目を離さずにケインにそういった。
「…お?おお…」
ケインはちょっと不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。キャナルがパソコン画面に没頭しだしたので、彼は黙ったそのまま部屋を出た。
 宇宙は闇だ。たとえそこに幾百万もの星が輝いていようとも、地球を照らす太陽のように素晴らしい光をくれる天体のそばにいなければ、自分の指先すらみることができないだろう。そんな環境にも関わらず、まるで快適なオフィスのなかにいるように過ごせるのはすべてこのソードブレイカーの卓越した設備のおかげであった。照明に関していえば、船内の天井にはパネル状の照明器具が張り巡らされ、それが自然な明るさを生みだしている。
 ソードブレイカー内の生活環境レベルは非常に高く、いまゆったりとした足どりで通路をゆくケインの姿をみていれば、この船が現在複雑に絡み合った磁場のなかを超高速で進んでいるなどとは思えないであろう。
 ケインはまっすぐ自分の部屋に戻ろうとしていたが、やはりさっきのキャナルの言葉が気になって、通路を右に折れるとキッチンのある方へ向かっていった。この船はもちろん、調理室も完備されていた。だがそうはいっても、立体映像ゆえ食事を摂取する機能が備わっていないキャナルと、トレーニングと仕事に明け暮れているケインの二人だけの生活では料理をするという機会はまずほとんどなく、この調理室は宝の持ち腐れとなっていたのである。

「キャナル感染(うつ)る」 2

「……オレ……」

「あなたはいまヒーリング治療を受けていたの。ね、身体が軽くなったと思わない?」

彼はいま、治療用の真っ白い簡易服を着こんでいた。それは、まるでシーツを身にまとっているようにみえる。その白い麻布のなかからケインの腕がにょっきりと伸び出しているのだが、彼はその右腕を振ってみた。それから今度は床の上にしっかりと立ち、屈伸をしてみる。ついでその場で飛び跳ねてみた。身体に羽が生えたように軽く感じる。彼は面白くなって何度も飛んだ。キャナルはその様子を安堵の表情を浮かべながら見守るが、その視線はパソコン画面にも鋭く向かっていた。

 ケインは気力の充実した身体に満足して笑みを浮かべた。そして、自分にあのような悲しみを与えたものがなんだったのか、それをすっかり忘れてしまった。自分が泣き叫びながら目を覚ましたことはわかっているのだが、一体、なにに恐怖を感じたのか、それがどうしても思い出せない。まるで人が、今朝みた夢を昼頃まで覚えていられないように。そして、強いて思いだそうとすれば、夢のほうでそれを拒むかのように逃げ去ってしまう、そんな状態とよく似ていた。

 「はい、ケイン、あとこれを飲んで」

キャナルがケインに可愛いクマのイラストがプリントされたコップを差し出した。もう一方の手には錠剤が入った瓶をもっている。

「あれ?これは…」

ケインがキャナルの持つ瓶をみつめた。

「今回、ちょっと出血が多かったから、集中治療室にいるあいだに血が減ってしまったのよ。治療中も補ってはいたんだけど、肝臓の方にも鉄を貯めておいてほしいから、これからしばらくこれを飲んで」

「ん」

薄紫のタブレットを手のひらにのせてもらうとケインはそれを飲み下した。そしてコップをキャナルに返すと、

「じゃあ、オレは日課があるからいくな」

と、いって部屋を出て行こうとした。                      

「ちょっと!日課ってまさかトレーニングのこと?!」

キャナルが慌ててケインを追いかける。そして彼の前にでた。

「ダメよダメ!いまさっき目が覚めたばかりなのよ。すぐに身体を使うのはやめて。今日は一日大人しくしていること。わかった?!」

キャナルはケインの腕をつかんだ。ケインはキャナルをみつめかえす。そして、尋ねた。

「オレ、今度は何日眠っていた?」

「…五日間…」

「それだけ休みゃあ、十分だ。逆に身体がなまっちまうよ」

「ケ〜イン!」

「だって…」

ケインはキャナルの表情をみて言葉を切る。それからため息をついた。

「キャナル感染(うつ)る」 1

「気分はどう、ケイン?」

意識の底から少女の声が聞こえてくる。その声はうつろで、まるで水底からのぼってきた泡のように彼の耳にあたった。彼の筋肉は完全に弛緩し、自分の指先がどこにあるのかさえもわからない。肉体はとうに形というものをもたず、気体が拡散するように消え去ってしまったような気がする。なんという安らぎ、なんという解放感。ケインは今、どんなに目を凝らしても、青く続く空間しかみえないところにいた。死とはこういったものではないだろうか。少女の声さえ聞こえてこなければ、彼はおのずと無に帰したろう。

だが、彼の肉体は本当になくなったわけではない。それは、ソードブレイカーに設置されている特殊医療室のベッドの上に固定されているのだ。そして、彼の横にぴったりとついているキャナルによってコントロールされていた。

ケインは身体のあちこちにコードをつけられていて、それらから得た情報をキャナルがパソコンで処理していた。キャナルは画面をくいいるようにみつめ、画面左上にカーソルを合わせると、ある数値を入力した。すると、ケインの肉体に変化が起こる。彼の雪花石膏のようだった顔に再び血が通いだした。

外側からみただけでは、横たわっている彼の姿にさほどの変化はみられないが、パソコン画面上の数値の変化は激しい。特にさきほどまで一定のリズムを刻んでいた心電図が乱れ始めたが、それ以上に不安定に動きだしたのは脳波のほうだった。キャナルが入力したコマンドによって、ケインの生理的機能がいっせいに蘇ったのである。

この時、ケインの意識のなかではどのような変化が起こっていただろう。彼は、徐々に肉体の感覚が戻ってくるのを感じる。身体の芯のほうに重みが生まれる。彼はこの重みが頼もしいと思う。だが、それは徐々に疎ましいくらいの重さに変わってゆく。彼はそれを受け入れがたいほど重く苦しいものだと感じだす。彼の胸が裂かれたような悲しみと痛みを感じる。彼は自分がゆさぶられているのを知る。

「ケイン、ケイン!」

開かれた瞳から涙がこぼれ落ちた。ケインは泣き声をあげながらベッドの上でもがく。キャナルは彼を抱きしめ、言葉をかけ続けた。

「ケイン、大丈夫よ。もう大丈夫だから…!」

彼のこわばっていた身体から力が抜けた。嗚咽をもらしながら彼は大人しくなる。そして、キャナル…とかすれた声で彼女の名を口にした。

「キャナル感染(うつ)る」 はじめに

ロスユニの二次短編。連載ものです。
キャナルがコンピューターウイルスになって相手のプログラムのなかに入り込むという設定に惹かれて書いてみました。

・あらすじ・
 ミリィがケイン達と出会い、ソードブレイカーに居候するようになって約二週間。ミリィにとってケインとキャナルの関係やその目的はまだ謎に包まれているが、それでもトラコンの仕事を手伝うようになった。
しばらくして出かけて行ったケインが重傷を負って帰ってくる。
 回復したところで星間警察のレイルから依頼がはいり、三人はある企業の秘密文書を抜き出すことに。無事、キャナルウイルスを相手側に送り込み情報を盗み出すことに成功。報酬をもらい新たなトラコンの仕事を探して動きだすところでこの話は終わる。

・カテゴリーは「キャナル感染(うつ)る」でまとめています。

・二次故、自己流の解釈になってしまう部分が多々あると思います。なにかありましたらお気軽にご指摘ください。

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