2009-9-16 01:02
4の続きです^^
1はこちらからドウゾ♪
「結果からみれば、同じことです」
「え……」
「殺された側からすれば、故意であろうと偶然であろうと、違いはありません」
「っ」
「彼らからすれば、あなたは自分を殺した者に過ぎないのです」
対面の存在が、言葉を失くすのが分かった。
当然だ。
玄奘の物言いは、悟浄の考えを真っ向から打ち砕くものだからである。
何を思っていようとも、刃を受けた者からすれば、そこに差異などあるはずがない。
死へと突き落とした者であることに、変わりはないのだから。
思い悩むこと自体、殺戮者の利己による傲慢な姿勢だ。
けれど。
「けれど、苦悩しなくなっては、いけないのだとも思います」
「玄奘、様?」
「結果論からすれば同じであったとしても、刃に込められた想いはまるで違うのでしょう。誠心誠意、敵の命と向かい合った末のことと、偶然の産物ではまったく別のものです」
それが何だと言われてしまえば、それまでのこと。
先に述べた通り、相手を死に至らしめたことに違いはない。
だが、結果論だけで済ませてはならないのだ。
玄奘も、悟浄も、人間だ。
本能を第一にする妖怪でも、合理的な仙でもない。
持て余すほどの感情を有する、人間なのだ。
その人間が、感情で物事を捉えなくなっては、ならないのである。
感傷は傲慢だと告げた口ではあったけれど、玄奘の本心がどこにあるかは明らかだった。
「悟浄、悩んで下さい。悔やんで下さい。そうして、前に進む力にかえればいいのです」
「俺、は……」
「同じ過ちは、二度と起こさない。それが、あなたという人間なのでしょう?」
怠慢だと言うのなら、もう二度と驕らなければいい。
罪だと感じるのなら、もう二度とやらなければいい。
とても難しいけれど、悟浄に出来ないわけがない。
重苦しい自己嫌悪に苛まれ、油断した己を叱責しても、最後には心に刻み顔を上げられさえすれば、問題などないのだ。
*続く。