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燭台切光忠、見てきました。
燭台切光忠とは、
織田信長→豊臣秀吉→伊達政宗→徳川頼房(光圀とも)と伝わってきたといわれる刀です。
ただし、織田信長が所持してた、という噂(逸話)はあっても資料はないのでこの説は否定されています。
そんな貴重な刀が!
なんと茨城県水戸市で公開されるというのです!
というわけで行ってきました。
朝、そんなに早くはない電車で行ったんですが水戸駅に着いたのはミュージアムが開くずっと前で。
とりあえず徒歩でミュージアムで行ってみることにしました。
結論から言いますと、徒歩はやめてください。
今の時期、暑いです。しっかりと日差しを遮り水分を取るならまだ大丈夫かもしれませんが、遠いのでお勧めしません。
徒歩で、千波湖沿いに偕楽園駅方面に歩きました。
偕楽園まで来て、ミュージアムへの行き方がよくわからなくなり(偕楽園内を突っ切ってよいものか悩んだ結果)偕楽園を案内してくださる方に聞くことにしました。
「じゃあ時間あるから偕楽園見ていくか?」
と。時間ぎりぎりまで偕楽園を案内してもらいました!
偕楽園と言えば日本三大名園のひとつで、梅の名所として有名です。
今は梅は終わってしまったのですが、梅は花だけでなく木も素晴らしいです。ごつごつしてて、面白い。
まあ花の時期に見に行くのが一番かもしれませんが。夏は暑いですし。
偕楽園の歴史を教えてもらいつつ、ミュージアムに。
ミュージアムに着くと既に女の人がいっぱいいました。
ミュージアムショップと入口受付が同じ場所で、人手も足りないようで大変そうでした。
人が多い時は数分待つ場合があるも知れないです。
中では、メモを取っている人、燭台切以外に興味はないようで他の展示の前で雑談してる人…それぞれでした。ここはあくまで博物館ですので、くだらない話がしたいだけの人は外でお願いします。
展示物についてメモは取りましたが、展示内容については実際に見に行って確認するのが良いかと思います。
9代斉昭が牛乳で作ったお酒を飲んでいた、とか興味ないでしょうし…。私はこの話と、日本で最初にラーメンを食べたのは水戸黄門(光圀)、伊達政宗がずんだを作った、という逸話と合わせて
「燭台切光忠ってグルメなんだな」
を思いました。
展示のしかたが面白いものが多くて、大きな博物館より展示は少なくとも迫力はありました。目の高さで見られるものが多くて展示が近く感じました。
燭台切光忠ですが、
周りをぐるっと人が囲っていて見れない!お昼時は人が減るので独り占めできるかもしれないですが開園してすぐは人が多かったです。
家康が関ヶ原で佩刀していた児手柏という太刀もあったのですがそちらはほとんどの人が見向きもせず…大きい刀なので見応えはあるんですが…見てあげてください…。
燭台切光忠に関する武庫刀纂について。
当時の光忠は乱れ紋というか、細かい波紋があったようです。
長 二尺二寸三厘
元 九分九厘
横手下 七分三厘
厚 二分二厘
反 五分
燭台切ではないほかの光忠の記事には折紙が付いていたようで金子十五枚とか書かれていたように思いますが、燭台切光忠は折紙つきではないようです。なのでその刀の当時の価値がイマイチわからない…。
刀の状態はあまりよくないかもしれません。
真っ黒です。
刀の…峰側、というか…しのぎの部分?にスーッと切っ先からずっとくぼみが入ってました。
展示の方法が、児手柏は刃を下にした太刀の展示方法でしたが、
燭台切光忠は刃が上。つまり打刀のような展示になってました。
ミュージアムには一応コインロッカーがありました。大きいものは入れられないかもしれませんが…。
徳川ミュージアムは以上です。
時間があれば、偕楽園や常盤神社にも寄ってみてください。
偕楽園の陰の方は涼しいですよ。陽は梅がいっぱいありますが暑いです。
偕楽園内部の好文亭は、「うちの本丸こんな風ならいいのに」って感じがします。眺めがいい。
常盤神社は両刃の太刀「勝手丸」が有ります。
本当に両方に刃が…。
ぜひ、茨城にお越しください!