この本を読んだすべての人に、いちいち『どうでしたか?!』と、訊いて回りたいくらいだ。
mixiの桐野夏生コミュで、好きな作品として『グロテスク』を挙げてる人がいたけれど、どうして好きと言えるのかと、小一時間‥‥‥‥って、今時吉野家コピペかよ!
わたしは、自分の背骨にギュンギュンとドリルで穴を開けられるようで、この本を読み切るのは、本当につらかった。
桐野夏生、あんたナニしてくれるんですか!
と、言いたい。
自分の背骨に穴を開けて、脊髄を流れる自分のブス液を見た。
ブスとは何かと言えば、自分自身への諦めと無知のことだ。
美醜は、その気になればひっくり返せる。それには強固な価値観が必要で、自分が見えていない人間、借り物の価値観しか持たない人間には、絶対に無理だ。
『グロテスク』には、ブスと呼ばれる女が2人登場する。
自分が見えないまま、死んだ和枝。
『やさしくして』と囁きながら、中国人青年と交わるシーンのせつなさ。
愛されるとはどういうことなのか、ついに知ることがなかった。
悪意が自分のポテンシャルだ、と言い切る割に、地味でしかなく、自分の小さなプライドしか守れない『ユリコの姉』。
地味すぎて、名前すら覚えてもらえない。
諦めることで、超然としたフリをしてみせるユリコの姉。
必要とされたい願望が、ねじれた挙げ句に、彼女に橋を渡らせる。
もっと手前で、上手に自分を騙すことができたはずだ。
騙す、という言葉を『魔法』と言い換えてもいい。
わたしはこの2人に自分が重なってしまったのだが、いろんな人に彼女達をどう思うかを聞いてみたい。
この本を読んでいた頃、twitter上にて、歌人の枡野浩一さんからわたしのコメントに対して、短歌のリプライ(お返事)を貰った。
>気づくとは傷つくことだ 刺青のごとく言葉を胸に刻んで
>>>
twitter枡野浩一
『グロテスク』は、まさしくわたしの刺青になったと思う。
この先、ずっと向き合っていかなくてはならないだろう。
繰り返しになるけれど、もし、これを読んだという人がいたら、ぜひとも感想を聞いてみたいです。
男女の間にも友情は湧く。湧かないと思っている人は友情をきれいなものだと思い過ぎている。
友情というのは、親密感とやきもちとエロと依存心をミキサーにかけてつくるものだ。ドロリとしていて当然だ。恋愛っぽさや、面倒さを乗り越えて、友情は続く。走り出した友情は止まらない。
山崎ナオコーラ
『カツラ美容室別室』
わたしは、友情を美しいものにしすぎているみたいだ。
もう少し、わたしの胃袋が丈夫だったなら、維持できた人間関係はいくつもあったなあ。
このアタマの痛い話はなんなんだ。 『炎の蜃気楼』か?
などとイラつきながらの前半だったけれど、読めたのは『戦国三英傑 少年時代ちょっといい話』のお陰。
我慢をすると、後半が一気におもしろくなる。うわー、ひゃー、そうなるのかー、ひえー。
三英傑・キリシタン・錬金術というトライアスロン。宇月原晴明は、最後まできっちり漕ぎ切った。
すげーどMなんだろうなあ、この人。
歴史物は、あらかじめ出てくるものはきまっている。
いつものお吸い物を、見たこともない螺鈿が散りばめられたお椀でいただいたような感じ。 具も、なんかちがーう。みたいな。アタマ悪い説明だなあ、オレ。
わたしは、信長にも秀吉にも、家康にも思い入れはないけれど、『三英傑 少年時代ちょっといい話』のくだりで、こんなんだったらいいなあ、と涙した。
そしてこれからも時々は、思い出して三人の少年の魂に思いを寄せる気がする。
少年時代ちょっといい話的部分は、『あー、ハイハイハイ。作者の思い入れキタコレ』と、適当にあしらいたくなるようなものにたまに出会うけど、宇月原晴明のは、鎮魂歌として覚えておきたい。