この本を読んだすべての人に、いちいち『どうでしたか?!』と、訊いて回りたいくらいだ。

mixiの桐野夏生コミュで、好きな作品として『グロテスク』を挙げてる人がいたけれど、どうして好きと言えるのかと、小一時間‥‥‥‥って、今時吉野家コピペかよ!


わたしは、自分の背骨にギュンギュンとドリルで穴を開けられるようで、この本を読み切るのは、本当につらかった。


桐野夏生、あんたナニしてくれるんですか!
と、言いたい。


自分の背骨に穴を開けて、脊髄を流れる自分のブス液を見た。

ブスとは何かと言えば、自分自身への諦めと無知のことだ。
美醜は、その気になればひっくり返せる。それには強固な価値観が必要で、自分が見えていない人間、借り物の価値観しか持たない人間には、絶対に無理だ。


『グロテスク』には、ブスと呼ばれる女が2人登場する。

自分が見えないまま、死んだ和枝。
『やさしくして』と囁きながら、中国人青年と交わるシーンのせつなさ。
愛されるとはどういうことなのか、ついに知ることがなかった。

悪意が自分のポテンシャルだ、と言い切る割に、地味でしかなく、自分の小さなプライドしか守れない『ユリコの姉』。
地味すぎて、名前すら覚えてもらえない。
諦めることで、超然としたフリをしてみせるユリコの姉。
必要とされたい願望が、ねじれた挙げ句に、彼女に橋を渡らせる。
もっと手前で、上手に自分を騙すことができたはずだ。
騙す、という言葉を『魔法』と言い換えてもいい。


わたしはこの2人に自分が重なってしまったのだが、いろんな人に彼女達をどう思うかを聞いてみたい。


この本を読んでいた頃、twitter上にて、歌人の枡野浩一さんからわたしのコメントに対して、短歌のリプライ(お返事)を貰った。


>気づくとは傷つくことだ 刺青のごとく言葉を胸に刻んで

>>>twitter枡野浩一


『グロテスク』は、まさしくわたしの刺青になったと思う。
この先、ずっと向き合っていかなくてはならないだろう。

繰り返しになるけれど、もし、これを読んだという人がいたら、ぜひとも感想を聞いてみたいです。