1ページ繰るごとに、唖然として本を伏せ、遠くを眺めてしまう。
これをギャグと読むか、ホラーと読むか。
てゆーか、女の劣等品なのかわたし‥‥‥‥‥くう。
エイミーの、日本語に対する、のっぴきならないまでの愛情を感じた。
どの作品でも、エイミーは日本語畑をほっくりほっくり返して、おいしい、香ばしい日本語をわたしたちに味わわせてくれるけれど、『無銭優雅』は手塩にかけた、という気が、すごーくする。
慈雨と栄という、能天気で人生を愉しむことに骨惜しみをしない恋人達によって、言葉がすごーくいい匂いを放つ。
まるで、おいもが蒸しあがった時みたいに。
幸せな湯気にくるまれて、ぱくっ。
うむ。 昨日の日記を蒸し返すけど、婚外恋愛って言葉は、よくない。
畑から穫れた言葉って気がしない。
(SM用語にも、そうゆうのが実はたくさんある)
栄と慈雨のカップルに、わー、うちらとおんなじだあー! と、快哉を叫ぶ読者はたくさんいたんじゃないかしらん。
わたしも、その一人。
や。もちろん、あの二人ほど、出来たカップルではないけれど。
慈雨の恋愛論に、うんうんその通りだよーと頷きつつ、ふと、ばつが悪くなる。
そりゃそうだよ、わたしはエイミーにずうっと、啓蒙されてきたようなもんなんだし。
高校時代、山田詠美の『放課後の音符』を読む友人の横顔が、とても美しく見えたので、手に取ったのがエイミーとの長いおつきあいの始まりだったのでした。
山田詠美のいない人生なんて。
twitterで、
佐藤亜紀さんに注目している。
この人、すげーかっけー!!
時々(いや、しょっちゅう)発言が難解で、自分の無知と勉強不足を恥じることになるけれど。
うう、今までなにやってきたんだ、オレ。
twitterがきっかけで、本を読んでみた(今まで知らんかったんかい!)。
『ミノタウロス』。
革命当時の、ロシアが舞台。
この本を読み始める前日に、佐藤亜紀が
『エンターテインメントという呼称にも文学という呼称にも疑問がある。この国で言う文学は芸事か説教だし、エンタメは毒にも薬にもならない読み捨て物の事だ。どちらでもない、純粋に造形性を追究したものをどう呼べばいいのやら。 』
と、ツイートしていた。
『ミノタウロス』で、伊東乾が『人間は情動のケモノだ』と言っていたのを思い出した。
読み手の感傷を徹底的にはねつけていて、浅田次郎の極北にある話だなあと、変な感心をしながら読んだ。毒にも薬にもならないかどうかはともかく、確かに浅田のおっちゃんは芸と説教の文学の代表格だ。
『ミノタウロス』は、徹底的に、不純物を取り除かなければ、容易にVシネマに流れてしまう。
感傷を与えないで、『ただ見せる』ということが、実は物凄い胆力が必要であることを知った。
一本の、長いフィルムを見ているようだった。こういう感覚は、澁澤龍彦の『エリゼベエト・バアトリ』以来。
前に読んだ時は、まだ不倫中だった。
不倫中の春名の気持ちや、ものの考え方に隅々まで共感した。ああ、わたし、ああだったなあ。
はみだす物語が好きだ。
はみ出しすぎやろ!と言うべきか。
でも、世界は物語の連続でできている。
窒息しそうだ。
『悲しみの時計少女』以来の、追いやられる感じ。って、どこに?
『猫でも男はバカかー!』
飼い猫に叫ぶサイバラ。めさめさ同感だあー。
自分はどんな女子高生だったかなあと思い出すに、虚勢を張るのに精一杯だったような気がする。
クールを気取って、突き放していた。
現実を見下して、折り合いをつけていた。
周りから見たら、滑稽だったろう。
もし、母親を殺した男子校生から自分に電話がかかってきたなら、当時のわたしはどうしただろう?
わたしは男子が怖かったので、話も聞かずにすぐに切ったか、理解者になりたいと思ったか、精一杯強がって見下してみせたか。
『リアルワールド』の母親を殺した男子校生『みみず』は、女らしさを排除している『ユウザン』をすぐに切り捨てているので、わたしもそのようにされたかもしれない。
そして、たかが愚かな殺人者。
そう見下ろして、溜飲を下げたろう。
『リアルワールド』。
自分はどうだっただろうか、わたしの周りにいた彼女達の武装の仕方はこうだったんだな、そんなことを絶えず考え続けながら読んだ。
そして、自分は不格好なやり方ながら、生々しく十代を生き延びたことを知った。