−−−・・・俺は死に急ぎ野郎が嫌いだ・・・−−−
ジャンが廊下を歩いていると、窓枠に腰を掛けているエレンが見えた。
あいつ、あんな所で何やってんだ?
「おい、エレン」
不思議に思ったジャンが呼び掛けると。
「はい!うわっ、と!」
「危ねぇ!」
びくり、肩を震わせて、勢い良く振り向いたエレンが窓枠から落ちそうになっていて、慌てて、ジャンは駆け寄る。
「危なかった・・・」
「何やってんだよ、お前・・・また掃除か?」
エレンの口にマスクがしてあり、呆れたようにジャンが言う。
「仕方無いだろ。兵長の命令なんだから」
またリヴァイ兵長かよ・・・本当、こいつ、リヴァイ兵長が好きだな。
意味も無い苛立ちが、ジャンに募る。
だけれど、それを表立って表す程、子供ではない。
「そうかよ」
結果、ぶっきらぼうに返答するものの、そんなジャンが気にならないエレンは。
「それよりも、お前、靴に土とか付けてないよな!?」
「は?」
「やっぱり!落としてから来いよ!また拭き直さなきゃいけないだろ!」
「知らねぇよ!うるせぇな!」
「兵長に、また叱られる・・・」
がっくりと肩を落とすエレンに、頭を、がしがしと掻きながら、ジャンは舌打ちを零す。
「・・・悪かった」
苛立ちは更に募るものの、目の前で、明らかに落胆する姿を見せられれば、それ以上、言い返す事も出来ず、謝るしか無い。
そんなジャンに、エレンは。
「・・・ジャンが素直だと、怖いな」
「どういう意味だ」
「あ〜、今日は良い天気だな」
「誤魔化すんじゃねぇよ」
「違うって。ほら、見てみろよ」
空を指差しながら、顔を上げて、眩しそうに目を細める。
そんなエレンの目線を追って、ジャンも空を見上げて。
「・・・本当だな」
独り言のように、声を漏らす。
「だよな〜。こんなに穏やかだと、巨人の存在なんて嘘みたいだよな」
「何、言ってんだ。お前」
「本当、嘘だったら良いのにな。巨人の存在も・・・俺が、巨人になる事も」
「エレン?」
空を見上げたままの表情でエレンは、ぽつり、呟いた。
いつにもなく、弱気なエレンに、ジャンが不思議そうな視線を送ると。
「なぁんてな。・・・何だよ、ジャン。面白い顔して」
空から、顔をジャンに向けたエレンが笑う。
「お前・・・」
「おっ。馬が寄ってきた」
ジャンが言いかけた言葉を遮るように、エレンは馬の存在を告げる。
ジャンは言葉の続きを言おうとしたものの、もう、自分では無く、馬を眺めているエレンに、中途半端な気持ちを抱えながらも、伝えようとした事を、そっと、胸に仕舞った。
「おら、よっと」
そんな自身の感情を振り切るかのように、ジャンはエレンの隣に腰掛ける。
「何だよ」
「お〜、よしよし」
口を覆っているマスクを下げながら、いきなり隣に来たジャンを、戸惑うようにエレンは見つめる。
エレンの視線に気付きながらも、先程の仕返しとばかりに、エレンの問いには答えず、馬の頭を撫でた。
「狭いって」
「見ろよ、エレン。馬は純粋だからな。俺が優しい男だって、わかるんだな」
「はあ?」
「お前は素直で可愛いな」
「・・・・・・」
呆れたような表情を左半身に感じながら、馬を撫でる位置を変えた時、ふとエレンとジャンの肩と腕が触れた。
その感覚にドキリとして、ジャンは腕を降ろした。
触れそうで触れない距離。
後、少し動かせば、指と指が重なるのに、ジャンの手は、強張ったまま動かせない。
何だよ、この感覚はっ。
くそっ、何で動かねぇんだ。
ジャンが、自身の感情に戸惑っていると、不意にエレンが動いた。
「あっ!俺、こんな事してる場合じゃなかった!兵長が来る前に、掃除しないと!」
エレンは窓枠から軽々と飛び降りて、床を綺麗にしようと、モップを手に取る。
先程まで感じていた体温が急に消え、ジャンの横を柔らかな風が、ふわり、通り過ぎる。
こいつは、いつも・・・−−−
「ははっ」
淋しいような、切ないような、寒いような。
自分自身の感情に、渇いた笑いが漏れる。
「何、笑ってんだよ。気持ち悪いなっ」
俺の気も知らねぇで・・・−−−。
そんなジャンの気持ちなど、気付かないエレンは、ジャンの方を見る事は無い。
ジャンもエレンを振り返る事は無い。
「何でもねぇよ」
そう答えた後、ジャンは窓枠から外に降りた。
「あっ、おい!手伝えよ」
「じゃあな。掃除、頑張れよ」
「おいって!ジャン!!」
エレンを、そのまま見る事も無く、ジャンは片手を、ひらひらと軽く振って歩いていく。
−−−やっぱり・・・俺は、死に急ぎ野郎が嫌いだ・・・−−−
妙に残る左半身の熱を感じながら、ジャンは、ぐっと手を握り締め、今、自分が向かわなくてはならない場所に、進んでいった−−−