話題:突発的文章・物語・詩


つまるところ、あの工場は何だったのだろう。毎年、夏が訪れる度にそんな事を考えてしまう。

あれは忘れもしない大学に入って最初の夏休み。サークルのOBである石松さんの紹介でアルバイトをする事になった。そのバイト先が“あの工場”という訳だ。

「割りのいいバイトがあるんだけどやらない?」それが誘い文句だった。はっきり言って怪しい。胡散臭い。「仕事の内容は口外出来ない事になってるんで言えないけど、軽作業だし危険はないから大丈夫。ちなみに日給は3万円」。仕事内容が不明なのは気になるが貧乏学生にとって日給3万は魅力的な数字だ。加えて18才の夏は怖いもの知らずの季節でもある。私は石松先輩の誘いに乗る事にした。

実際、先輩の言うように仕事自体は極めて単純で覚えるのに時間は掛からなかった。ベルトコンベアに乗って運ばれて来るバナナの房から最も良さげな1本を選んでそれを足元の段ボール箱に入った様々なタイプの大量の靴下に詰め、詰め終わったものを空のベルトコンベアに乗せる。それが作業内容のすべてである。そこにどんな意味があるのかは解らない。一度だけ工場長に訊ねた事があったが、途端、工場長は顔を真っ青にして「い、い、今のは、き、き、聞かなかった事にするから、き、君もに、に、 二度とそ、そ、そんな事を言わないように」と迫ってきたので私も「は、は、はい。わ、わ、判りました」、その動揺っぷりにそれ以上の質問はさすがに憚(はばか)られた。

おまけに壁には

【Don,t think! feel! 】
考えるな!感じろ!

と大きく書かれたプレートが掲げられ
ている。作業の意味など考えるな。そう釘を刺しているのだろう。確かブルース・リーの有名な言葉だったと思うが、どうもこの場合は使い方が間違っているように思える。そしてプレートはもう1枚あって、そこには【BAKA工場】と書かれていた。勿論意味は判らない。 

さて、肝心の作業は3人1組で行う決まりになっていて、私はチューさんとロクさんという共に七十過ぎの老人男性2人と組む事になった。バナナ選抜係のチューさんがバナナの傷み具合やらスイートスポットをチェックして合格した物を中央に立つ私に渡す。同様に靴下選抜係のロクさんは靴下に穴が空いていないか等を確認し合格した靴下を私に渡す。最後に私が受け取ったバナナを靴下に詰めて空のベルトコンベアに乗せる。以上が作業の手順である。猿でも出来そうな単純作業だ。

基本、仕事中の私語は禁止されていたが同じ組の仲間に限ってはある程度黙認されていた。単調な作業が延々続くので、話でもしていないと脳みそが退化して先祖返りする恐れがあるのだ。それを避ける為の暗黙の了解なのだろう。それでも、働いている人間は皆心なしか猿に似ている気がする。夏休みが終わったら猿になっていた、では困るので、脳が退化しないよう意識的に会話する事にした。

年齢差のせいもあってか当初はぎこちない会話が続いたが、そうは言っても人と人、しかも話す言葉が共に日本語となれば打ち解けるのに時間は掛からない。いつしか世代間ギャップを超え、それなりに話も弾むようになっていた。そんなこんなで8月も終わりに近づいた或る日の昼休み、日給3万は破格だという話をしていると、チューさんが『3万と言えばさ、昔、3億円事件ってあっただろ?』と言い出した。

あの有名な3億円事件の事だろうか、と思って訊ねると『そう、それ。あの事件ってさ、警察がやっきになって捜査したのに、結局犯人は不明で時効になっちゃったろ。白昼堂々の犯行でそれなりに証拠も残ってたのに何で未解決になったのか、その理由解る?』と返してきた。『犯人が狡猾だったんじゃないの?若しくは警察の関係者で上から圧力掛かって踏み込んだ捜査が出来なくなったとか』とゼンさんが答える。しかし、チューさんはチッチッと人差し指を顔の前で軽く横に振ると『いや、そうじゃないんだな。捜査の根本が間違ってたと俺は思ってるのよ』。そして声を少しひそめて『
あんたらは信用出来そうだから話すけど……ここだけの話にしてくれよ』と続けた。私たちは『勿論』と頷いた。

『そもそも……そもそもだよ、 “犯人は人間だ”と決めつけて捜査にあたった、それがそもそもの間違いだったの。いくら調べても犯人に辿り着けないわけだ。そもそも前提からして違ってたんだから。そもそもね。うん、そもそもだ』熱がこもると“そもそも”を連発するのがチューさんの癖である。

『そんな馬鹿な』笑いながら私は言った。てっきり冗談だと思ったのだ。

するとチューさんは少し怒ったような、それでいて少し寂しげな表情をみせたのだった。そして、『いや、色々と独自の情報もあってさ 、それを様々な角度から考えると、どうしてもそういう結論にならざるを得ないよ』と言ったのだった。

『人間じゃないなら何なのさ?』不敵な笑みを浮かべながらゼンさんが訊く。

チューさんは、待ってました、とばかりに手を打って答えた。『よくぞ訊いてくれました!導き出される答えはただ1つ。犯人は猿!いわゆるひとつのモンキーさね』

私とゼンさんは思わず顔を見合せていた。本来なら笑うところだ。が、どうやらチューさんは大真面目に言っているらしい。ここで無下に否定するのは大人気ないだろう。

『……猿ですか。思ってもみませんでした』私は言った。嘘ではない。犯人が猿だ、などと考えた事は本当に一度も無い。『ああ、確かに。考えてみりゃ、猿じゃないって証明するのは無理かもな』ゼンさんが上手く話に乗ってくれたお陰でチューさんも満足し、話は終わった。

午後の作業が始まってすぐ、チューさんがトイレに立つと、それを見計らったようにゼンさんが寄って来て『言っとくけど、犯人は猿じゃないよ』と笑いながら言った。言われる迄もない。私は頷きながら相づちを打った。

『だって、犯人は俺だもの』

……はい?予想だにしない台詞がゼンさんの口から飛び出した。

『お兄さんは口が固そうだから白状するけど、3億円事件の真犯人、実は
俺なのよ』

……何ですと?

『真犯人の俺が言うんだから間違いないよ。犯人は猿じゃない』ゼンさんは力強く言った。

これはきっとゼンさん流のジョークに違いない。そう考えた私は漫才師よろしく『そんな馬鹿な』と軽くツッコミを入れた。そして二人で笑ってこの漫才は終わり……となる予定だったが私の予想は呆気なく裏切られた。

『いや、本当にあの事件の真犯人は俺なんだよ』ゼンさんは大真面目な顔でそう言うと、先程のチューさんと同じく何とも言えない寂しげな表情を見せたのだった。

『その3億円って今どうなってるんですか?』『そっくりそのまま実家に置いてあるよ』『えっ、まったく使ってないんですか?』『使ったら絶対そこからバレて捕まっちゃうって。だから1円足りとも使っちゃないね 。こう見えても俺は慎重派なんだ』『じゃあ、このバイトも?』『そう。まさか3億円持ってるヤツが工場で靴下にバナナ詰めてるとは誰も思わないだろ。ほとぼりが冷めたら君たちにアイスでも奢ってやるから楽しみにしといてくれ。まあ、兎に角だ、今の話はチューさんには内緒な。犯人が猿じないと判ると傷つけちゃうからさ』

そう言いながら、ゼンさんが私の肩をポンポンと軽く叩く。それとほぼ同時に、チューさんがトイレから戻ってきた。
その後は黙々と作業が続き、3億円事件が話題に上る事はなかった。

それから間もなく夏休みは終わり、私の工場でのアルバイトも終了した。

あれから数十年。あの工場を訪れた事は一度もない。というより、訪れたくても場所が判らないのである。それは変なのでは?読者諸氏はそう思われるかも知れない。しかし実際そうなのだ。私鉄なんじゃもんじゃ線の馬鹿(うましか)プラーザ前駅に朝9時に集合すると、そこに幌つきのトラックがやって来て私たちアルバイトを荷台に乗せ、あの工場へと運んで行く。それが送迎システムだ。帰りはその逆。荷台からは外の景色がまったく見えないので工場への道順がまるで判らないのである。

トラックに乗っている時間は小一時間ぐらいか。工場の門をくぐって直ぐ降ろされるのだが、見える景色は360°すべて山である。馬鹿プラーザ駅から車で約1時間、四方を山に囲まれた場所。それだけ判っていれば容易に辿り着けそうに思えるが、さにあらず。何十回、車を走らせても工場のある場所に辿り着く事は出来なかった。Gグルや国土地理院の地図を見てもそれらしき場所は見つからない。それならばと、[工場 靴下 バナナ詰める]等のワードで検索をかけてみたが全くヒットしなかった。

あの工場はいったい何だったのだろう。夏が来れば思い出す、遥かな尾瀬と靴下バナナ工場。チューさんとゼンさんは元気だろうか。年齢を考えれば存命である可能性が低いのは判っている。しかし、もしかしたら、あの工場は時空を超えた所に存在しているかも知れないではないか。それならば、あの二人が今でも達者に働いている可能性は十分あると思う。チューさんは犯人=猿説を唱え続け、ゼンさんはほとぼりが冷めるのを待っている。……ほとぼりはとっくに冷めているような気がしないでもないが、かなりの慎重派なのだろう。

もし、もう一度あの工場に行く事が出来て、チューさんとゼンさんに会えたとしたら、私には謝らなければならない事が一つある。チューさんが犯人=猿説を披露した時とゼンさんが犯人=俺説を披露した時、私は思わず『そんな馬鹿な』と言ってしまった。そして、その時二人はとても寂しそうな顔をした。自説を否定されたから寂しげな表情を見せた。ずっとそう思っていた。しかし、ある時、そうではない事に気づいた。

あの時、私が真に言うべき言葉は『そんな馬鹿な!』ではなく『そんなバナナ!』だったのではないか?

こんなに絶好の[そんなバナナ]ポイントは他にない。どう考えてもあそこは『そんなバナナ!』と言うべきだった。当然、チューさんもゼンさんもそれを期待していたに違いない。だからあんなに寂しそうな顔をしたのだ。私はツッコミ方を間違えた。もう一度二人に会えたら、期待を裏切った事を丁重に詫び、改めてツッコミ直したい。その為にも私はあの工場を探し続けようと思っている……。


〜おしまひ〜。

あ、そうそう。チューさんによると【BAKA工場】はバナナ・アンド・クツシタ・アソシエーションの略ではないか、との事。ああ、なるほど。と一旦は納得しかけたが、そうなると“クツシタ”だけ日本語である理由が判らない。“クツシタ”ではなく“ソックス”とすべきだろう。が、そこはそれ、やはりそれも……

【Don,t think! feel! 】
考えるな!感じろ!

なのかも知れなかった。


〜おしまひ〜。