【静観塾/その3】
●思考の脳と体性感覚の違い
「暑いーっ、暑いーっ!」
猛暑日になりそうな勢いの日射しの中、夏南と娃の二人が息を切らして愚庵にやってきた。
庵に腰を下ろした二人に、私は井戸水で冷やしたキュウリに少し甘めの味噌を添えて、
「丸かじりでどうぞ」
と言って差し出した。
「お祀りの屋台で見たことある!」
娃が言った。
二人はキュウリを手に取り、先に味噌をつけてガブリッと口にした。
「美味しいー!」
夏南が言う。
「何だかキャンプみたい!」
と、娃が続く。
「さて、あなた方がスワイショウをしていて、掌や指がぽかーと温かくなる時、あなた方の脳はどんな風に働いていますか?」
キャンプ騒ぎが一段落し、私たちは静観塾を始めた。
(二)
「脳ですかー?」
娃が上目遣いに天井に目をやった。
そして、しばらくして、
「何も考えていないと思います。」
と応えた。
「昨日の先生の話よ。」
と、夏南が言い、言葉を続けた。
「何も考えていない。
ただぼーっとしてるのよね。
でも、掌の温かさは感じている。
つまり、掌の温かさを感じる脳は働いているってことなのよね。」
「そうなんですよ。
脳は使っていないのに、掌の温かさを感じる脳は働いているんです。
それを生理学的に説明してみて下さいな、夏南さん。」
「えっ、わたし?」
「そうですよ。
わかるでしょう?」
私が言うと、夏南は言葉を選び選び語り始めた。
(三)
「えー、まずですねー、スワイショウをしながら揺れている腕の付け根の揺れだけに心を向けます。
それは、体性感覚の中の一つである運動の感覚、中でも受動的に動かされている運動の感覚だけを感じている。
すると、普段使っている動物性機能として働いている五感や思考などに使われている脳の働きが薄れていく。
それで脳波がα波に移っていく。
すると、自律神経も副交感神経の側に変化していき、掌や指の毛細血管が広がり、それまで以上に血液が来て、皮膚の温度が高くなる。
その皮膚の温度が上がったのを、これもまた体性感覚の一つである皮膚を感じる感覚で体感する。
つまり、目は開いているのに意識的には何も観ていないし、思考の脳も使ってはいないのに、体性感覚だけは働いている。
と、こんな感じでいいですか?」
「夏南、素晴らしい!」
そう言って娃は夏南に向かって手を叩いた。
「よく理解されていますね。」
私も夏南に向かって手を叩いた。
夏南はほっと肩を落とし、ふーと軽く息を吐いた。
「五感や思考に用いられている脳の働きを無くして、体の状態を体感する体性感覚だけを働かせるというこの脳の使い方によって丹田を体感するのが意守丹田で、あなた方が求めている〔丹田を感じたい〕という願いが叶えられるんですよ。」
私が言うと、娃が怪訝そうな顔を私に向けた。
「では、掌は感じられるのに、丹田はどうして感じられないのかなぁ?」
「そう、そこが問題で、私の今のテーマであり、あなた方の実践課題なんですよね。」
私の言葉に、二人は沈黙してしまったのであった。