祖父が他界して、
早2年が経ちました。
三回忌の供養は近い親族だけで行ったので、
お葬式や一周忌に比べると少し寂しい気がしました。
それでも我が家に人が集まって、
家族が揃って、
笑い声が重なって。
きっとおじいちゃんも喜んでいる、と勝手に思いました。
供養をすることは、
ご先祖からの願いに応えるということだと、お坊さんが言ってました。
亡くなった故人は、
きっと、
私たちに少なからず願いを込めているんですね。
祖母をよろしく頼む、だとか、
健康で、幸せに暮らしてほしいだとか。
立派になってほしいだとか。
素敵な人と結婚して、
元気な赤ちゃんを産んでほしいだとか。
私は、自分が良ければいいし、好きなことをして、それが私の人生だ、といつも思っていました。
だけどここにいることは、
私よりずっと先に生まれた人たちがいるからで、
その人たちに生かされている、ということを忘れたらいけないな、と改めて思ったのです。
これは故人に限らず、両親からの願いも同じですね。
祖父の為に、なんて、
恩着せがましいことはしたくないけど、
最低限、願いに応えられるような人間になりたい。
実家に帰る度に、
何かが少しずつ変化して、
時の流れを感じました。
道路が新しくなって、
いろんな道が繋がって便利になったり、
新しいお店が出来ていたり、なくなってたり。
従兄が婚約して、
彼女を連れて法事に来てくれたり。
なんとなく過ぎる月日も、
日々変化しているのだ、と気づかされました。
東京に出たって何も変わらない私は、
なんだか恥ずかしくなった。
私なんて…
と思うことをやめたい。
例えそれに値するものが何もなくても。
颯爽と、清らかに。
胸を張って生きたい。
そうして気持ちがあとから付いてきてくれたらいいと思う。
何を恐れているの?
傷つくこと
傷つけること
そして、
こんなわたしのこと本気で愛してくれる人なんかいない、と
思った自分に酷く納得して悲しくなった。
そんなもんだきっとわたしの人生。