スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

山陰の麒麟児

話題:歴史


今月最後の記事はくどいが歴史記事で締めよう。


私は普段から歴史好きを自称しているのだが、少し改めてた方が良いのかも知れない。
これほどの人物を今日まで知らなかったのたから…。


タイトルで全てを解った人間も多いだろう。そう、山中鹿介幸盛。
楠木正成以上と讃えられる戦国武将である。
尼子家再興に生涯を尽くす正に忠義の猛将である。


「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ

と月に誓った話は戦前の教科書に採用されていたそうだ。
彼を讃える書籍など数々あるが、あの勝海舟をして、
「ここ数百年の史上に徴するも、本統の逆舞台に臨んで、従容として事を処理したる者は殆ど皆無だ。先づ有るというならば、山中鹿介と大石良雄であろう」

と言わせました。


尼子軍が毛利に敗れ、大将尼子勝久の助命が適わぬと解った時は、

「 このたびは殿の命を救うため再三にわたって申し立てしましたが、元春・隆景は承知しませんでした。この上は、力なく武運も尽きたと思って御自害ください。自分もお供するのは当然ですが、特に敵の吉川元春は憎い仇なので、偽って降参し近くに寄ったとき刺し違え、当家多年の鬱憤を晴らすつもりです。命を惜しみ不義の降人と思われるのは口惜しいですが、すぐに三途の川で追いつき、その時こそ忠義に嘘偽りのないことをお示しします」
と語ったと言われております。
それに対し勝久は
「自分は、普通なら法衣を纏い抖藪行脚(とそうあんぎゃ)をして生涯を終える身なのに、一時的とはいえ尼子家の大将として数万の軍勢を率いることができた。わずかな期間であったが良い夢を見させてもらった。今ここに自害するに及んで何の恨みがあるだろうか。ましてや、自分が死ぬことで部下の命が助かるならば、むしろ大将としては幸いなことだ。また、元春と刺し違えて仇をとることはたいへん立派なことだが、元春は智勇に優れておりそのような機会は訪れないだろう。それよりは、生き長がらえ、別の尼子庶子を探し出し、その者を大将として助け、尼子の再興を目指して欲しい」

このように応えたと言われています。



鹿介の母親も大変賢い方のようで、自らは慎ましく暮らしながらも、鹿介の友人達には食事や衣類を振る舞います。後年、その幼なじみが鹿介に力を貸すのです。
また、手柄は一人占めするな!仲間は大切にしろと教え、鹿介は生涯守ったと言われている。



これほど武士道を体現した人物も珍しい。非常に私が痺れる人物だ。


ただ、これだけの物語が有りながら、大河ドラマになっていないのだろうか?
かなり受け入れられる話だとは思うのだが…

盗人猛々しいとは正にこの事!


話題:隣国・韓国




韓国の大田(テジョン)地方裁判所は25日、長崎県対馬市の寺院から昨年10月に盗まれて韓国で見つかった仏像について、韓国政府が日本に勝手に引き渡すことを禁じる決定を出した。日本政府は外交ルートを通じて返還要請をしており、韓国政府の対応によっては外交問題になる可能性がある。




またこんな話が出てきましたね。

14世紀に不当に韓国から日本に持ち出された物と主張してるらしいです。

14世紀の韓国と言ったら、木を円形に加工する事が出来ず、水車も作れなかったんですよね。
それなのに、あれだけの仏像が作れたなんて…信じられる訳ないです。


大体、条約違反だし…話にならんですね。
前の記事へ 次の記事へ