あの日もこんな夜だった。
あの人が雪の中、ずぶ濡れで倒れていた日を思い出す。
純白のコートを纏い青白い肌で白い息を吐く。
何もかもが“白”で形容された女性だった。
俺は彼女を近くの教会に運び込んだ。
何故って?
俺にはこの界隈で知っている場所と言えば“此処”しかないから。
白い礼服を着た、白い髭を生やした白髪の老人が出て来た。
またもや“白”に纏わる。
どうやら今日は“白”に縁がある様だ。
白い神父は、俺の顔と気を失った娘を見ると怪訝な顔をしたが、すぐに暖かい部屋に移され食事を出してくれた。
ひどく居心地が悪い。
俺の性分と言うか、生い立ちが“教会”と言う場所を嫌う。
恐らく世界で1番嫌いな場所だろう。
俺は娘を神父に預け、すぐに消えることにした。
数日後、神父から俺宛てに連絡が入った。
よく俺の居場所が分かったもんだ。
これも“神の奇蹟”って奴か?
娘の名前と、住所が分かったそうだ。
娘の名前はマリア。
マリア・メタネーロと言うらしい。
教会にマリアとは…
随分と大層だな、まったく。
何でも某企業の会長の孫娘らしいが、この数日行方不明になっていたんだと。
「家出娘か…」
神父が言うには、教会にいつまでも預かっておけないからしばらく俺のアパートに置いてくれないかと?
冗談じゃない。
俺は、こんな我が儘そうなお嬢さんに関わってるほど暇じゃないんでね。
「父は、わたしのことなんてどうだっていいんです。会長の孫、社長の娘が家出して行方不明になったからと大騒ぎしたら会社の名前に傷がつくから…」
元気になったマリアが、ウチにやって来た。
気を失ってる時には判らなかったが、かなりの美人だ。気丈で目力が強い。 白い肌と黒い髪のコントラストが強烈だった。
俺は、一目惚れしてしまっていた。
実は、俺は某国の秘密諜報員……
シークレット・エージェント。
つまりは“スパイ”だ。
幼い頃より、戦闘と隠密活動、社会生活に無理なく溶け込む為の訓練を受けてきた。
だから、人の倍は仕事はするし、人当たりもお世辞も上手くなっていた。
人並み以上の格闘術を得ているから喧嘩をしてもまず負ける気がしない。
そんな硬派な俺だったが、一つだけ会得していないものがあった。
“恋”だ。
恋愛だけは、訓練では学べない。
マリアは、それを俺に教えてくれた女性だった。
彼女も、俺の思いを受け止めてくれた。
しばらくは二人だけの幸せな日々が続いた。
しかし、やはり別れの日はやって来る。
ある日、アパートの前に黒い車と黒い服の男達が数人迎えに来ると、無理矢理マリアを引き離して行った。
マリアは泣いていた。
彼女が居なくなった部屋で俺も号泣した。
数ヶ月もすると仕事に没頭し、ようやくマリアを忘れかけていた。
その日はまた雪だった。
マリアと出会った日のように……
いつもはあまり用のない郵便箱に一通の手紙があった。
マリアからだった。彼女は妊娠していたらしい。
もちろん俺の子供だ。
産まれてくる赤ちゃんに名前を付けて欲しいと書いてあった。
俺と一般人との間の子供なんて……
目の前が真っ暗になった。
父親の素性を知った時、マリアはどう思うだろうか……?
きっとその子供だって酷い目に遭うはずだ。
だが、子供は可愛い。
俺が命名する事にした。
でも、必ず危害があるからもう二度と会わないと約束して。
頬に雪が当たる。
それが、まるで俺の涙に思えた。
子供は女の子らしい。
そこで、俺は“白い日”にちなんでこう名付けた。イタリア語で『白』を表す
『ビアンカ』と。
【完】
初掲載2009-08-02