「今夜は遅くなる…恐らく、明日の昼までは帰宅出来ないだろう…」
そう言ってルカは、宵闇の中を飛び立って行った。
なんでも“ヴァンパイア会議”なるものが遠くで開催されるらしい。
魔界でも伯爵の地位を得ているルカは、南欧の吸血鬼代表として、どうしても出席せざるをえないらしい。
「心配するな。いや、むしろ、我輩はキミの事が心配でならない…」
「大丈夫よ。ルカ♪」
軽く口付けを交わすと、ヴァージニアは微笑んだ。
「ウム。…兆しが見えている。もしかしたら、それは今晩訪れるかも知れないな…。その姿を見れないのが残念だよ…」
「兆し…?一体何のことかしら…?」
「すぐにわかるさ…。もし、例の奴らが来ても慌てないことだ。キミが負けるはずはないからな…」
その言葉を聞いて、逆に彼女は不安になってきた。
長老は、アリシア達のことを“死神”と呼んでいた。
“人外の者”とも。
一体奴らは何者なんだろうか?
人狼族に対しては、桁違いの強さを見せたヴァージニアだが、相手が得体の知れない化性ならば話は別だ。
アリシアは、あっさりと倒せた。
しかし、更に別の能力を持った敵が現れた時、彼女に太刀打ち出来るのだろうか…。
主の居ない古城の中で独り…。
そんな不安に苛まれながら、ヴァージニアは湯に浸かる。
「♪ふん、ふん…ふふん……♪」
先程の不安など、どこ吹く風と、彼女は鼻唄まじりに地下の温泉を堪能していた。
かつては毛むくじゃらだったが、生まれ変わり人も羨む美神の様になった白い肌を晒しながら、彼女は小さな窓から星空を覗く。
「…なんて綺麗なお星様…♪」
ここ数日の、血塗れの死闘の疲れがすっかり癒える心地良さだった。
不意に、自らの顔や白い裸身が湯に映り、自らの過去に思いをはせた。
(…ヴァージニア…見違えたよ!いや、顔の形は変わっていないはずだ。本当はキミは美人だったんだよ!)
あたしを愛してくれたコーネリアスは死んだ。
(怪物め!!もう、わしらの手には負えん!!)
唯一の友達だった飼い猫を殺した近所の兄妹に復讐したあたしを、化け物でも見るかの様な目で蔑んだ両親…
あなた達は、本当に娘を愛していたのですか?
不意に目頭が熱くなり、それを湯で拭った。
そんな両親も、炎の中で死んだ。
サーカス団で出会ったビアンカは、紆余曲折の末、再び親友に戻ることができた。
そして、何よりも闇の淵から自らを救い上げてくれた吸血鬼のルカ…。
彼こそが、ヴァージニアにとってかけがえのない大恩人にして運命の人だった。
(…もしかしたら、あたしは幸せ過ぎるのかも知れないね…)
「…そう。そして、幾多の犠牲の上に貴様の幸福が成り立っていることを忘れるな…」
不意に、闇の奥から声が聞こえた。
「…誰!?」
だが、ヴァージニアはその声に聞き覚えがあった。
「わたしは、魂の天秤に均等をもたらす者…」
今度は、湯の中から声が聞こえた。
「そ…その声は…」
「罪と罰を計り、罪人を懲らしめる者…」
「悪しき者の弊害に命を奪われた魂を救う者…」
その、訓辞の様な台詞とともに、目に見えぬ圧迫感が迫る。
「さあ、自らの罪を悔い改めよ。さもなくば“死”を!!」
ヴァージニアの前に現れた無数の魂…
それは、数日前に彼女が確かに惨殺したはずのアリシアだった。
「アリシア…?何故、あなたが…」
ヴァージニアが浸かる湯槽の周りには、どうやってそこに存在出来るのだろうと思うぐらいの、無数の“アリシア”が彼女を見下ろしていた。
オカッパの様な髪型、黒いサングラス。
そして、真っ赤なコートに真っ黒なシャツ。
更に拳銃を構えたアリシア達が一寸違わぬ姿で群れをなす。
「な…なんなの?あなた達は…」
「言ったろう。わたしは貴様の殺した無数の魂のために貴様を狙う死の天使!!さあ、懺悔の時間だよ…」
その、あまりの異様な光景に、さしもの女狼ヴァージニアも腰を抜かした様に硬直していた。
そして、不意に瞳を濡らす。
「そう…確かにね。あたしは自らのコンプレックスの反動で、みんなに酷いことばかりしてきたわね…」
肩を落とし、意気消沈した様な表情で、ヴァージニアは湯から上がる。
火照った裸身が闇に浮かび上がる。
そして、その場にへたり込む様に膝を付いた。
その儚げな、あまりにも殊勝な姿にアリシアは驚嘆する。
「あんたの心にも、僅かばかりの“善性”が残っていたと言うことだね…さあ、ヴァージニア…わたしを見るんだ…」
サングラスを外し、その碧眼で優しげに見詰めるアリシア達。
「ご…ごめんなさい…あたしは今まで罪もない人々を殺めてきた。すべてはあたしのエゴのために…ああ…」
裸のまま合掌し、正座の姿勢でその場に崩れ落ちるヴァージニア。
彼女の周りには、今まで殺めた魂達が集い、取り囲む。
不意に、天井から光が射し讃美歌が聞こえた気がした。
アリシアに屈し、赦しを乞うヴァージニアの周りは不思議な光体で包まれていた。
「さあ、ヴァージニアよ…貴様の罪を自らの命をもって償うがいい…」
おもむろに、アリシアはヴァージニアに拳銃を渡す。
「そのピストルで頭を撃ち抜き、自らの手で果てるがいい…。それがお前の“償い”だ…」
アリシアから渡された拳銃を不思議そうに眺めたあと、彼女はソレを自らのコメカミに当てた。
「さあ、引き金を引け…自らケリを着けるんだよ!ヴァージニア!!」
言われるがまま、ヴァージニアは引き金を引いた。
だが、そこに倒れたのはアリシアだった。
無数のアリシアのうちの一人がヴァージニアの発砲で額を撃ち抜かれて血塗れになって倒れた。
「うっ…貴様……!?…一体何を…」
裸のまま、平伏した様な姿勢だったヴァージニアの肩が微かに震える。
「ふっ…くっくっく…」
「ヴァージニア…?」
顔を上げたヴァージニアは、満面の笑みだった。
「ふっふっふっふ…あはは…ははははは…ああ、可笑しい。あたしが罪を悔い改めるだって…?」
周りを取り囲むアリシア達に動揺が走る。
「なっ…貴様……!!」
「あたしに殺された連中は…そう、弱かったから死んだ。むしろ、あたしに殺される運命だったから死んだのさ!」
「何を…!?」
「あたしは罪なんか犯しちゃいない。生きるために殺したのさ!自分が生きるために…それを、あなた如きに責められる筋合いはなくてよ…!?」
徐々に、裸体の肌に獣の様な剛毛が生え揃い、その顔も“狼”化してゆくヴァージニア。
「死神だか貧乏神だか知らないけど、あたしを裁けるものなら裁いてみるがいいさ…」
変身が終わると、そのおぞましい姿で立ち上がる。
その魔性の獣人の姿を目の当たりにしたアリシア達は、徐々に身体を退かせた。
「あ…ああ…!?…何なんだ。コイツは…!?まともな精神を持つ者なら、とっくに発狂するか自死しているはずなのに…」
「グルル…」
低い唸りを上げる“人狼”ヴァージニア。
「えげつないわねぇ…♪正義の死神だかなんだか知らないけど…やることが幼稚過ぎるんじゃなくて?」
「お、おのれぃー!?」
アリシア達が一斉に拳銃を向ける。
「ぐぉああおおおお!!」
その一瞬の隙を突いて、アリシアの群れに襲い掛かるヴァージニア。
その半数が一瞬のうちに食い散らかされた。
辺りに血煙が舞い、浴場は真っ赤な霧で染まる。
「そ…そんな…バカ…なっ…!?」
今度は背中に挿した日本刀の様なサーベルを一斉に抜くアリシア軍団。
だが、ヴァージニアの方が一瞬早く、彼女らを絡めとると即座にズタズタに切り裂いてみせた。
最後に生き残ったアリシアの一人の首筋に噛み付くと、そのまま咬み千切る。
「バカな…我々の攻撃がまったく効かないなんて…貴様は一体…」
今度は、徐々に“人間化”するヴァージニア。
息も絶え絶えのアリシアに顔を近付け、言い放った。
「あたしを敵に回すのは百億那由多ぐらい早かったんじゃなくてぇ〜?」
「なっ…何故だ…貴様には良心の呵責はないのか?精神の葛藤は?迷いはないと言うのか…!?」
「良心?呵責?そんなものが、この弱肉強食の世の中で生きていくのに何の価値が、何の意味があると言うの…?安っぽいヒューマニズムが何の役に立つの?あたしに必要なのは神でも理性でも、ましてや“慈悲”でもない…。すべては“本能”が赴くままよ…」
「…誤ったか…?この女…本物の“ケモノ”だった…のか…ぐふぁっ…」
言葉の終わらぬうちに、最後のアリシアが果てた。
その姿を冷静に見詰めるヴァージニア。
「そう。すべてがあなたの過ちだったのよ♪今更、後悔したって遅すぎる。…あたしを誰だと思ってるの…?」
アリシア達から目を背け、天空に映える満月や煌めく星々に目を向ける。
「あたしの名はヴァージニア。
人外の女狼…
あたしを邪魔する奴は、たとえ神であろうとも皆殺しにしてやるわ!!
うふふふふ……
…あはははははははははははははははははははははは!!!!!!」
満天の星空の下、狂悪なる女狼のセレナーデが響き渡っていた。
こうして、ヴァージニアは、人狼として、魔族として、また格段の進化を遂げたのである。
《完》
初掲載2010-08-27
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