闇を切り裂くドラゴン。
ビアンカと7人の騎士達は、それぞれ2人ずつ馬の様に龍に乗っていた。
ビアンカとシーラ、ルカとヴァージニア、ガイウスとブルートゥース、そして、ロッソとマルコシアス…といった具合に。
「うっ…!?…こ、これは…!?」
ルカが、突然、頭を抱えてうずくまる。
後ろに乗るヴァージニアが顔を覗き込んだ。
「どうしたの?ルカ…また、例の“予知”?」
「そうらしい。…これは、しかし…」
「一体、何が見えたの!?」
一路、魔王の潜む魔界に進む一行だったが、一向に攻撃らしい攻撃にも遭わずに不審に思っていたところだった。
「大丈夫ですか!?ルカさん…」
先頭に進むビアンカも、ルカを心配して振り返る。
「ああ…我輩は大丈夫だ…ビアンカ…」
「はい…?」
「ケインと言う男を覚えているか…?」
「ケイン…!?」
唐突にルカの口から、その名が出ていぶかしむビアンカ。
「ケインは、わたしの幼なじみです。何故、ルカさんが知っているんですか…?」
「若くして命を落としたな…?」
「はい…わたしが暴漢に襲われた時にナイフで刺されて…それが元で…」
「…そうか…」
それきり、ルカは黙り込んでしまう。
ビアンカも、不思議に思いながらもそれ以上は聞かなかった。
すると、その時…
「ビアンカ、危ない!?」
マルコシアスとロッソの乗るドラゴンが、ビアンカ達の横に並走しようとした時、ビアンカの目の前に巨大な壁が出現した。
いや、壁ではなく…それは巨大な掌だった。
「え…!?」
あまりに突然の事に、ビアンカ達は避ける間もなく、その“掌”に激突した。
咄嗟に、手を差し出すマルコシアス。
シーラもジャンプして、ロッソの肩に捕まった。
「大丈夫か!?」
ロッソが叫ぶ。
ビアンカは、マルコシアスに抱え上げられていた。
「怪我はないか!?ビアンカ…」
「あ…ありがとう…」
マルコのドレッドヘアが頬に触れる。
間近で見るマルコの顔は、やはり自分に似ていると、改めて思ったビアンカだった。
そして、男性にしては綺麗過ぎるとも。
「…しっかり捕まってるんだ…」
「はいっ…」
「ルカ!?あれはなんだ!?魔王の迎撃にしては様子がおかしいが…」
ロッソが自らの羽根で羽ばたきながら、ルカの竜馬に近づいた。
「違う!ロッソ、あれは…少なくとも、魔王ウインドウの襲撃ではない…」
「だったらなんだ!?」
「もう一人の魔王…」
「なんだって…?」
ルカは、ガイウスやマルコシアス達にも振り返り、宣う。
「聞いた事があるだろう。真の魔王ヤルダバオトの伝説を…」
「ウインドウと戦って敗れたと聞いたが…」
ビアンカを抱えながら、マルコシアスが応えた。
「そう。闇の勢力の派閥争いで彼らは相討ちになった…」
「相討ちだと!?」
ロッソが、尚も問いかける。
「ヤルダバオトは敗れてはいなかったのだ」
突如、闇が晴れる。
ビアンカやルカ達は、いつの間にか壮麗な宮殿の中にいた。
「こ…これは!?」
そして、そこに並ぶ数千の魔界の戦士達…
それぞれが華美な鎧兜に身を固め、悪魔的な紋様を司りながらも邪悪な印象はなく、むしろ強力無比な荘厳な軍隊に見えた。
「魔王軍か!?」
「いや…確かに魔王には違いないが、正確には違うな…」
また、ルカが謎めいた言葉を発した。
「ようこそ。魔界へ」
親衛隊の並ぶ階段の、更に上段。
そこには、豪奢な玉座があった。
そして、そこに鎮座するは魔王その人。
しかし、ルカやロッソ達が戦う為に探していた魔王ウインドウではなく、別の姿が見えた。
「うっ…あれは…やはり」
魔王は立ち上がり、おもむろに階段を降りる。
真っ白い甲冑に身を包み、黒いマントを翻すその姿は、一見普通の人間の青年に見えた。
その姿を一目見て、ビアンカは愕然とした。
「あ…ああ…」
「俺が魔王ヤルダバオトだ…よく来てくれた…お前達を待っていた」
茶色い髪を靡かせた青年の瞳の色も茶…
爽やかな笑顔で、彼らを出迎えるとひざまづいた。
「ケイン!?…何故、ケインがこんな所に居るの!?」
ビアンカは叫ぶ。
そう。今、彼らの目前にいる“魔王”と名乗る男は、ビアンカの幼なじみのケインにそっくりだったのだ。
「ビアンカ…また会えたな…」
「やっぱり、ケインなの!?…でも、どうして!?」
「話せば長くなる。俺は元々魔王ヤルダバオトだった。魂が地上に飛ばされた時に、人間ケインとして生誕し、人間として生きていただけだ」
「ウインドウはどうした?」
ルカが訊ねる。それは、ビアンカ以下、ここに集う騎士達すべての疑問だった。
自分達は、決死の覚悟で魔王と対する為に魔界に降りた。
しかし、その魔界には当のウインドウは居らず、別の魔王が君臨しているではないか。
これは、一体何を意味するのか…
「ウインドウなら、俺がすでに追放した。奴は別の次元に逃げ込んだよ…」
「なんだって!?」
ヤルダバオトと名乗る男は、皮肉な笑みを浮かべながらルカに近付いてきた。
「ルカだな…?ご苦労だった。もはや仕事は終わった。ゆっくりと休むがいい…」
蒼白の顔を、さらに白くさせ、愕然とするルカ。あまりのことに言葉も出ない。
「一体どういうことだ…」
ルカの代わりにロッソが尋ねた。
「人間ケインは地上で死んだが、魂は魔界に戻り、かえってヤルダバオトとして覚醒するのが早まったと言うことだ。そして、俺はウインドウの様に地上を狙う事はしない。お前達の役目は終わった…」
「そんな…では、我々は一体何の為に…!?」
「ベルフェゴールの事は、よく知っている…本来ならウインドウなどではなく、我が右腕となって戦ってもらいたかった…」
「我が兄をご存知か…」
そこへ、ひょろりとした体つきの長身で漆黒の悪魔が現れた。
「マラコーダ。彼らを奥の間に案内しろ…」
マラコーダと呼ばれた悪魔は、かしずくと騎士団の前に平伏する。
「こちらへ…」
ルカら、7人の騎士がマラコーダに従おうとするが、ビアンカだけはいつまでもヤルダバオトを見詰めていた。
「ケイン…」
「ビアンカ…」
両者の距離が縮まる。
ケインは、微笑みを浮かべ、ビアンカの肩に手を掛けた。
「どうだ?ここに住む気はないか?俺と一緒に…」
「ケイン…あんたも魔族だったなんて…しかも魔王だなんて…」
「ああ、お前と一緒だな…」
マラコーダに案内され、別の間に去り行く騎士達のうち、マルコシアスだけがケインとビアンカの姿を見詰めていた。
「新しき魔王よ…」
「ん?…お前は…」
マルコシアスは、ひざまづくと言った。
「私は、ビアンカの父ベルフェゴールの親友だったマルコシアスです…」
「ほう…」
「ビアンカは地上に帰ります。説得は無駄だと思いますが?」
「なに?」
「マルコ…!?」
ケインは、ビアンカを見詰め返した。
「ビアンカ…地上に帰りたいのか?お前を弾き出す、あの世界に…」
その言葉を聞き、かつてケインとともに過ごした学生時代やイジメ。
母やケインを失った後の迫害、フリークス・サーカスでの虐待を思い出していた。
そして、ミカエラと出逢ってからの逃亡と殺戮の繰り返し。
地上に、自分の居場所など、無いのかも知れない。
むしろ、ケインとともに此処で暮らした方が幸せなのかも知れない。
醜いアヒルの子は、ようやく自分の、本当の世界に帰れたのかも…。
しかし、何か釈然としなかった。
彼女が迷っていると、後ろからマルコシアスの毅然たる声が響いた。
「ビアンカよ。俺と一緒に地上へ帰ろう。俺は、君の父親に頼まれたのだよ。自分の居ない世界で娘を守ってくれと…それに、地上には君を待っている人間達がたくさんいるだろう…?」
その言葉を聞いて、改めて思い出した。
(そうだ。自分には待っている人がいる…)
ミカエラや、アンジェラ達の姿が目蓋に浮かんだ。
「ケイン…」
「ビアンカ…どうする?」
迷いを振り切る様な笑顔で、ビアンカはケインにハグした。
「ケイン…あんたのことは大好きだけど、地上にはわたしを待っている人がいる…」
「ビアンカ…」
「ありがとう。さようなら…」
2人は、あの日の様に、再び口づけを交わした。
そのまま、背を向けるビアンカの瞳は真っ赤に腫れて、ほとばしる涙が止めどなく溢れていた。
ケインは、無言のままその姿を見送っていた。
「幸せにな…」
マルコシアスが近付く。
「ビアンカ…」
「近寄らないで…あなたに促されたからではないわ。…これが、わたしの“選択”よ」
涙を拭い、ルカやヴァージニア、ロッソ達の居る間に赴く。
そして、彼らを促した。
「さあ、ルカ。帰りましょう…?わたし達を待つ地上の世界へ」
わたしはビアンカ。
これで、わたしと魔界を繋ぐ縁は、全てが絶たれた。
もう、わたしを縛り付ける因縁や血縁からも解き放たれる。
今、閉ざされた時が終わる…
すべてが変わる。
*エピローグ*
「…だから申し上げたのです。人間やビアンカなど忘れて、貴女は貴女の幸せだけを願っていれば、こんな事には…ヴァージニア様……」
パン=デミックは岩場に腰掛け主人を待っていた。
“狼の穴”と呼ばれる洞窟の前で、数人の仲間とともに。
「……本当にこんな場所で“再誕”は行われるのでしょうか…?」
ヤギそっくりの姿で、怯える様な瞳で周囲を見詰めるパン=デミック。
「…来るさ」
不意に、ルカが現れた。
喪服の如き、全身を漆黒で包んだ男が洞窟の前で佇む。
おもむろにデミックの横の岩場に座り、顔の前で手を組むと、ひたすら“闇”を見詰めた。
「…彼女は“2度目の死”によって、魔族として更に強力になって甦る…」
次第に、森の生き物達が彼らを取り囲む様にに集う。
月明かりの下、梟や狼、爬虫類や小さな蟲達が、彼女を悼む様に集まってきた。
「ル……」
闇の奥から声が聞こえた気がした。
「……ん?」
「……ルカ…」
静かに立ち上がるルカとパン=デミック。
「……おお…」
見れば、盛り上がって丘の様になり、月光がスポットライトの様に照らす岩場に次第に“人形”が固まりつつあった。
真っ白い裸形の女体が月明かりに照らされた。
それは、月の女神アルテミスを彷彿させた。
「……ヴァージニア…また、会えたな…」
歓喜の涙を流すルカとパン=デミック。
「ヴァージニア様…」
眩いばかりの白い肌を晒した彼女は、ルビーの如き紅い瞳を開いた。
「ただいま…ルカ……」
《第3部/闇の国のビアンカ》ー完結ー
初掲載2010-02-21
第4部に続く!!