今回は真面目に長いよ。ほんとに長いよ注意(´_ゝ`)





私が世界一安心する場所は、両親の乗る車の後部座席だと思う。

旅行やお出かけの帰りに母と父はぼそぼそと仕事の話や夕飯の話をしていて、私は後ろでうつらうつら眠りながらその話を聞いてる。そんな子ども時代だったなあ。と、最近久々に父の車に乗って思い出しました。

きっとそう思えるのは両親にすごく愛されていたからだなあと思うと、とても恵まれた子どもだったな、と。

でもそういうものを親からもらえない子どもはどうしたらいいんだろう?と思ってしまいます。そういう泣きたくなるくらい愛しい記憶を、誰からもらってこなかった人は、どうなるんだろう。




最近、遠い知り合いの女の子が妊娠しました。まだ19歳です。相手の男の子も同い年。2人は結婚して子どもを産むって言ってるんだそうです。

でも女の子は定時制高校もまだ卒業してないし、男の子に関しては学校も行ってないし仕事もしてない。新しい命が生まれることは良いことだと思います、でも私はこの状況で手放しに喜べない。

19歳って、まだまだ子どもだよ。とってもとっても子ども。自分がそうだから分かります。その年で子どもを生んで育てるって、途方もない苦労と努力がいるんじゃないかと思う。勿論同じ状況で頑張っていらっしゃる方もいるだろうけど、そんなの全員が出来ることじゃない。

今は親がいるからいいけど、その後はどうするの?親が定年退職してからは?収入は?仕事は?子育てしながら?男の子が女の子を捨てて違う女に走らないとは言えないよ。

なんかこの話を聞いて色んなことを思い出しました。まきこ先生が言ってらした日本の性教育の甘さだとか、ジェンダーフリーとか何とか言っておきながら結局苦労を丸被りするのは女性だとか。でも私が一番心配なのは、生まれてくる子どもなんだよなあ。




子どもを丸ごと受け入れるって、結構大変だと思います。自分に余裕がないと更に難しいんじゃないだろうかとも思う。私がずっと考えていることは、教師はそれが出来るのだろうか、ということです。

親の代わりにはなれないけど、それに近い存在になり得ないだろうか。私にとって幼稚園の先生は第2のお母さんみたいな存在だったから、私はそういう子どもたちの安全の基地(←エインズワース!懐かしき発達心理学)になれたらいいなあと思います。

自分の経験から言うと小学校より幼稚園の方が先生との距離が近かったと思うので、私は幼稚園の先生になりたいんです。

実は私の卒論もそういうことです。テーマとしては「幼児教育における自己肯定感の重要性」にしてますが、論じたいのは、子どもたちのこれからの人生の土台をどう築いていくか、ということで、で、で。ここで冒頭に戻るわけです。前振り長かった(笑)

私は誰かに「愛されている、受け止められている」気持ちや記憶が生きていく上での基礎になると思うからです。人は1人では生きていけないって、そういうことなんじゃないかな。とか思ったりしてます。うちの愛猫もご飯や寝床だけじゃなくて、1日に絶対1回は撫でないといけないんですよね。まあ、そういうことなんじゃないかな。




最近色んな人に色んな意見を聞いて、ちょっと自分の意見を言ってみたくて書いてみた。しかし結局何が言いたいか分からなくなりました(笑)

普段アホそうに見えるかもしれんが(いやアホだけど)結構真面目にいろいろ考えてるんだぞ!とか言ってみる。嘘じゃないもん!←ここのメイちゃんの可愛さは異常。どこのシーンか分かったら私と同類ww

そしてそろそろ大学に行かねばならん。卒論何ひとつ進んでないわろた。