話題:創作小説
電脳化が進んだ世界というのは便利だ。
コンピュータと変わらない脳は、かつて多くの人が望んだ願いを容易く叶える事が出来る…そう思っていた。
どうしても消したい記憶があった。
棘になり、自身の心に突き刺さったままのそれを忘れてしまえるよう色々と試行錯誤してみたが、生身の脳をナノマシンで強化しただけの脳は、特定の記憶のみを消去出来る程、単純なものではなかった。
となれば自分の脳にアクセスしてどうこうするよりも、そうプログラムしたデータを送ってしまった方が容易いのではないだろうか。
そう考え至った僕は早速、プログラムを構築すると自身の脳へと組み込んだ。
これで嫌な事も忘れてしまえるだろう。
気持ちを一新し、新たな日々を送れる事を願い、その作業を“実行”した。
だが、特定の記憶の消去を願って行ったそれは失敗した。
それも単なるプログラムが発動しないというような、動作不良等で説明出来るようなものではなかった。
どういう訳か僕自身が人から忘れられてしまったり、存在を認識されなくなってしまったのだ。
どうやら電脳に組み込んだプログラムが、原因は分からないが他人の電脳にまで作用しているらしい。
その証拠に、電脳化していない人が多い高齢者からは僕の記憶や存在が消去される事はなかった。とはいえ、人口の大多数が電脳化している世代の為、このまま放置する訳にもいかないのだが。
そのプログラムの効果が現れるタイミングは人によって様々だった。
初めから認識出来ない人も居れば、話している途中に僕に関する記憶が無くなったのか急によそよそしい態度を取られたり、突然、僕の存在を認識出来なくなり目の前に居るにも関わらず存在しないものとされた。
家族や友人、恋人のような付き合いが長い人間や親密な間柄の人間はすぐにそうはならなかったが、それも最早、時間の問題だった。
僕はそれぞれに事情を話し、忘れないでほしいと伝えたが、忘れるものかと頷いてくれた人達は次々と僕を忘れ、僕の存在を認識出来なくなってしまった。
勿論、手を拱いてそれを見ていたわけではないが解析が進まず、どの箇所のエラーでこのような事態になっているのかもはっきりと分からない状態のまま、書き換えてしまったプログラムを修復するのにはどうしても時間が掛かる。
そうこうしている内に、最後まで忘れずにいてくれた恋人にも僕に関する記憶の欠如や時折、目の前に居るのに認識出来ない等の症状が現れるようになった。
彼女は大丈夫だと云って僕を忘れてしまわないように色々と工夫し、記憶に留めようとしてくれたが全くの無駄だった。
日を追う毎に虫食いの様に記憶を無くし、最終的に僕に関する記憶を完全に失うと、それと同時に僕の存在を認識出来なくなった。
『行かないで』
そんな僕の声は届く事無く、彼女は目の前から去っていった。
遂に一人ぼっちになってしまった。
たった一つの記憶を消したいが為に作ったプログラムが、僕自身の存在を消してしまうとは何という皮肉だろう。
プログラムの修復にはまだまだ時間が掛かりそうだ。