『毒』

誰もいないホームは怖い程寒々しく、冬の太陽も早々に諦めたのか雲の裏に隠れていた。鈍い灰に覆われた空は、午後辺りから雪が降り出しそうで、僕はそれを見上げて少し憂鬱になった。
口端の揺れる紫煙が、通り過ぎる電車が巻き起こした風に煽られて僕の顔に掛かる。少し噎せて、僕は煙草を一度口から離した。
慣れない事はするもんじゃないな。
塾の職員室からくすねた煙草なので、銘柄もなにもあったもんじゃないが、煙を味わってみるために僕はもう一度口にくわえた。
「――志望校を変える?」
帰り支度をしていると、塾長は僕に言った。
安全圏内の大学を目指し、確実性を重視して大学選びをしていた僕は、その中で気に入った一つを目指していた。だが、どうやら塾的には行ける所まで行って頂きたいらしい。
「何故ですか」
「君の実力なら、もうワンランク……いや、ツーランク上も狙えると、私は思うんだ」
自信満々に紡ぐのは、今までの経験からか、それとも僕のためか。僕には分からない。ただ脂ぎった髪の毛が実に気持ち悪かった。
「僕は、今の志望校を気に入っていますし、行けるのと行くのは違います」
そう断り、一応一礼。また支度に戻る。塾長は落胆した風もなく、次の獲物を確認するためか、手帳を取り出した。
進学塾の名は伊達じゃないな……。コートを椅子の背から取って羽織りながら、僕はぼんやり思った。
「――グフッ」
そんな回想を、喉に突き刺さる煙が終わらせる。さっきのように煙草を口から離し、咳き込んだ。
「ゴホォ!ゴホ……あぁ……」
垂れ下がった手から、煙草がこぼれる。足でもみ消す前に、やってきた電車の風に煽られて、木っ端の如く飛んでいってしまった。
バラバラと乗客が降りていく。その中に知った顔を見つけるが、それは僕を見留めると素早く眼を逸らした。
コートのポケットに手を突っ込む。指先が煙草の箱に当たった。――いらないな。やっぱり。
電車に乗り込まない僕を訝しむ目線を幾つか感じたが、ドアが閉じ、電車が走り出すと、結局何も残らなかった。
箱を掴みだし、目線を落とす。青い箱――それだけ確認して、まだ半分残っているソレを握りつぶして捨てた。
「――毒は吸うもんじゃぁないな」
ぼんやり呟いてから、僕は改札へ向かった。