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携帯で描く、僕やら私のお話。
こちらも、Pixivの企画参加作品ですねー。
テーマとして胡蝶の夢を扱っておりますが、全くわかりません(確定)
コンスタンツと同様、獏がモチーフであります。
悪夢を見られなくなったその末路。現実は、夢だろうか。
この教室は死んでいる。
九時を回ったと言うのに、だれも来ない。切れかかった蛍光灯の瞬く音だけが小さく鳴るが、それ以外に音はないのだ。席に着いているのは私だけで、生徒はおろか教師が来ることもない。
しかし、私はこの状況でも全く狼狽えていない。ただただじぃっとこの光景を眺めて、生温い風に髪をなびかせている。
チョークの残滓で白くぼやけた黒板。開いた窓に、薄汚れた黄色のカーテン。図ったかのように整頓された机と椅子。十センチほど開いたままの扉。学校としての日常が生々しい。
国語の教科書とルーズリーフを取り出す。折り返しがグシャグシャになって、テープ部分にゴミがこびり付いていた。毎度気を付けようと思うのに、どうしても曲がってしまう。二枚、角の折れた紙を抜き取った。
教科書を開く。――二百十三ページ、夏目漱石『こころ』。ページ数の問題か、下 先生と遺書のタイトルから始まっている。
『……私はこの夏あなたから二、三度手紙を受け取りました――
『こころ』は有名な話だ。なんとなく、だれでも知っている。先生と、私と、K。その話だ。
だが、なんの話かと問われれば途端にたどたどしくなる。現実? 恋愛? 思想? 話せないことは、分からないのと同じだ。説明出来ないとほざくふざけた奴らは、そんなことも分からないのか。
机を眺めていく。彫刻刀で名前が彫り込まれたもの。角にプリクラの貼られたもの。リプトンのキャンペーンシールが貼られたものもある。頭の悪そうな教室だった。無機質な自分の机を見る。シャープペンで描かれた『死ネ』の文字が美しく羅列されていた。
蛍光灯が瞬く。
――精神的に向上心のないものは馬鹿だ――
風がさらったページを戻しながら、私は読み進めていく。時に顔を上げるが、まだ十時を回ってすらいない。ひとえに静かな教室のお蔭だろう。死んだ教室も、悪くない。一度立ち上がり、黒板に大きく≪自習≫と書いた。手に付いたチョークの感触がもどかしい。
席に着いて見てみると、少し右肩下がりに傾いていた。なんとなく味がある。息絶えた教室の、唯一の学園性。ならば私は自習しましょう。一本だけ少し短い椅子が揺れるのを楽しみながら、教科書を捲り続けた。
――すべてを腹の中にしまっておいて下さい。』
この教室は死んでいる。
立ち歩く男子。気が狂った笑い声を上げる女子。口では静かにと言いつつも、諦めの色が浮かんでいる教師。これが学校だというのか。
意味があるのかないのか分からない文字の羅列が黒板に描かれている。雑然と並ぶ机と椅子は、もはや本来の意味を成していない。机に腰かけ、椅子に足置く。だらしなく開いた窓から、温い風が入ってきてとても不快だ。汗で額に張り付いた髪を、爪で耳にかける。
……あぁ、悪夢だ。
開きすらしていなかった教科書に目を落とす。教師が二百十三ページを開けと言った。開く。『こころ』。下 先生と遺書。
教科書を閉じた。
教師の咀嚼したものを口移しされるだなんて、勘弁してほしい。私はもう知っているのだから。
虹色が目の前を横切った。微かな洗剤のような香りが鼻を突く。ぺたりと爆ぜた球体。教室に、メルヘンが咲いた。……いやいや、頭のなかがメルヘンなだけだ。気のふれたなにかがシャボン玉を吹いたのだった。
教師の怒号が飛ぶ。笑い声が大きくなった。
『一度しかないんだから、好きなように生きたい』
ほざいたのはなんだったか。だれとも知れない。チャイムが鳴り渡った。
――私は常にその人を先生と呼んでいた(夏目漱石『こころ』P6 集英社文庫)
私[ワタクシ]の先生はどこにいるだろうか。
陰鬱を道にしたような下校を済ませ、家に入るとぱたりとベッドに倒れこんだ。あれはなんなのだろうか。地獄は学校だと、だれかが言っていたのを思い出す。
ピリリと携帯が鳴いた。
『お久しぶりです』
朗とした声が響いた。懐かしい声だった。少し前に転校していった彼……あれ、名前は……あぁ、一[ニノマエ]君だ。珍しい名前なのに、何故一瞬思い出せなかったんだろう。
「久しぶり。どうしたの?」
『いえ、転校先で少しありましてね。話し相手が欲しかったんです』
「あぁ、百藤……だっけ? どうなの? 進学校って聞くけど、厳しいの?」
『そうですね。でも、結構みんな楽しんでいますよ』
「でも、勉強できる人たちなんでしょう? 良いなぁ。行きたい」
そういうと、一君は薄く笑った。
『どこであろうと、駄目な部分はあります。目を背けた先が断崖絶壁なんてのもありますよ』
「今よりはマシよー」
地獄……いいえ、あれは悪夢。地獄も断崖絶壁も、ありとあらゆる害悪を危機を、ありとあらゆる有害を危険を混ぜ合わせた悪夢。
「夢だったらいいのに」
『夢?』
「あぁ、こっちの話」
そうだ。一君は夢の話、こと悪夢の話が好きなのだ。高校生ながら心理学を勉強していた彼は、夢日記であったりカウンセリングであったりが素人ながらに好きだった。しかし、素人のはずなのに妙に堂に入った立ち振る舞いは才能なのだろうか。
『悪夢も、見られないといけないものです。悪夢を見られないのも、それもまた悲劇です』
よく分からない言葉だった。
しかし、それ以上特に言葉を続けることなく、楽しかったですよと言って電話は切れてしまった。
この教室は死んでいるのだろうか。
蛍光灯が眩しいばかりに光る。いつの間に取り換えられたのだろうか。まぁ、学校であるのだから、用務員の人が気づくこともあるだろう。気にするほどのことではない。
黒板の自習の字は、当然消されている。黒板消しは字を消したあとすら残さないほどに緑色だ。用務員さんはとても働き者なのだろう。なるほどだから、ここの机は、椅子は整頓が行き届いているのか。……しかし、その苦労も≪あれ≫らの前では無に帰すと思うと、申し訳なさがあふれる。
黒板の上にかかる時計は十時半を示していた。十分休みだ。
私は数学の教科書を取り出す。Uの方だ。今日は、二次関数。必死に二次関数を使う場所を記した教科書の記述には失笑が漏れるが、暇つぶしに読むには十分面白い。なるほど、しかし凄いどうでもいいな。
――f(x)=ax^2+bx+c
文章としての乗算の表し方を知っている人はどれほどいるだろう。私はノートに式を書き込んでいく。無論それに“^”なんて必要はないけれど、しかし知らないでいる人間はどれだけいるのかは気になった。
やはり少しだけ開いている窓から風が舞い込む。ルーズリーフが飛ばないように筆箱で押さえながらペンを走らせる。
窓の外には桜並木。枝には若々しい葉がずらりと茂っていて、見ているだけでも涼しげだった。風にざぁと靡く。
私は一度席を立つ。掲示板に新しいプリントが貼られていた。
『夏祭りスタッフ募集中……希望者は職員室までどうぞ』
少しだけ興味を魅かれた。下のボックスに入れられた配布用の紙を一枚抜き取り、丁寧に二つ折りにして鞄に仕舞った。
――放物線A:f(x)=2(x-1)^2-2 B:f(x)=-(x+2)^2+4 C:f(x)=-x^2が共通して交わる点を求めよ――
その程度のことだ。
一君なら何秒で解くだろう。クラスの奴らなら何時間かかって解けないと言うだろう。いや、一君なら軽く笑って下らないなぁとでも言うのだろうか。
(x,y)=(0,0)
私は目を覚ます。
死んだ教室。
足りないプリントが横から周ってくる。角の折れたプリントだった。地域のボランティアを募集しているらしい。裏を見る。白紙。丁度良かった。どうせ数分後にはゴミ箱を埋めるプリントならば、仕方ない、有効活用しようではないか。
⇔
⇔
⇔
以上証明終了
この教室は死んでなどいない。
スイッチを押せば、一瞬のフラッシュのあと教室が息を吹き返す。机は一つだけ、真ん中に鎮座していた。私はその席に座る。
社会の教科書を取り出した。倫理。
私は倫理があまり好きではない。倫理、と言う名を関しながら、結局は哲学だ。倫理的、倫理観。知りたいのはそれらだというのに。
「なら、お教えしましょうか」
滑らかに開いた扉から入ってきたのは、一君だった。前と変わらぬ、葬式染みた黒い衣装に、赤い眼鏡をかけている。
「一君……?」
「えぇ。お久しぶりです」
次は倫理であっていましたかねと呟きながら、私の隣に座る。いつの間に席が用意されていたのだろうか。
「……どう、したの?」
「なにがでしょう」
「だって、一君は転校したじゃない」
「転校はしましたが、来ないとは言っていません」
そんな言葉遊びと言うか、上げ足を取るような台詞をためらいなく吐くのが一君だ。
「でも、学校は?」
「ちゃんと行っています」
スクールバックから取り出した教科書は、確かに見覚えのないもので、どうやら百藤のものらしい。……何故。ページが捲られると……その中身は白紙だった。
「さて、自習しましょう。なにか聞きたいことはありますか」
「……人は、なんで人を殺しちゃいけないの?」
「別に、良いんじゃないですか? 殺しても」
「良いの?」
意外な答え……だったのだろうか。
「殺したところで、どうせ罰を受けるのですから。殺したって構わないでしょう」
罪には罰。罪に釣り合った罰が用意されているのだから、『受ける覚悟があるならいいのではないか』。一君はそう言いました。
「でも、それは後からの話でしょう? 悪いことだから、罰が出来た。だから、私はなんで悪いかが知りたい」
「何故悪いか、と言う言葉には、『悪いことは分かるけど、なんで悪いのか分からない』と言う意味があります。これの上げ足を取って、なんでか分からないなら悪いことだと分かってはいない、と答えるのは簡単ですね。しかし、重要なのはそこではない。あなたが『悪いこと』と認識しているその事実。そこが最も重要」
椅子に座り、白紙の教科書を広げたまま、一君は右手の人差し指をピンと伸ばした。
「人殺しは悪いことだ。だけど、それは何故。違いますね。まず疑うべきなのは人殺しが悪いことかです」
「悪い、ことだよ。だって殺しちゃうんだよ?」
「義務教育の理由を知っていますか?」
「……ある程度の教養を身に着けるためでしょう?」
「ある程度の共通を身に着けるためです」
「共通?」
「義務教育を受けた人間の大多数は人を殺すことを悪と覚えます。それは、理由はともかく人を殺すことが悪いと教えられるからです。なんで悪いか、に目を向けさせている間に、悪の概念をスルーさせる」
人の脳は節穴ですからね。呟きが聞こえる。
「悪の定義がそのまま人を殺してはいけない理由になるはずなのに、だれもそれに気づかない。『悪い』と言う言葉の意味が分かればそれでいいはずなのに、殺すことの悪さの理由を求めるなんて、随分遠回りですね」
急がば回れ。一君は苦笑を浮かべている。
「……じゃぁ、一君は悪の定義が分かってるの?」
「勿論」
自信満々な言葉。教科書は閉じられている。白紙に答えが載っているとは思えないが、成程確かに彼は彼なりの答えを持っているらしい。……私は、どうだろう。悪を知っているのだろうか。
「悪は、今あなたの見ているものだ」
成程地獄なのだ。
私はこの教室で生きている。
黒板に書かれた≪永久自習≫の文字は、私に自立を促しているに違いない。私自身が励まなければ、勉学とは成り立たないものなのだろう。
「つまり、あなたが欲する限り、この教室はあなたのために生き続けるでしょう」
一君は鐘の音と共に教室から出て行った。またそのうちふらりと遊びに、勉強をしに来るのだろう。倫理の時間か、彼の得意だった数学の時間に。
教科書をロッカーに詰め込み、ルーズリーフも何セットか用意した。これで、なんでも勉強できるだろう。手始めに苦手な教科から……いや、得意な教科から始めて勢いをつけるのも良い。
一度私は倫理の教科書を開いた。
――アリストテレスが――
――イエス・キリストは――
――その時仏陀が言った言葉が――
教科書を閉じる。悪は、目の前にあるのだ。
pixivの企画【百怪談】参加作品を流用。
性 別 | 男性 |
年 齢 | 32 |
誕生日 | 3月23日 |
地 域 | 東京都 |
系 統 | 普通系 |
職 業 | 大学生 |
血液型 | B型 |