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夏の死因 【remake edition】

 脚本用に書いたものを小説に変換。
 ……今考えても脚本向けのテーマじゃなかった。(まぁ、表現はできただろうけど、こういう流れでやる話じゃぁなかったな……)






 夏の死因


 蝉の死因は熱中症だと、先輩は笑った。
「熱中症って、あの……暑い日になるやつですか?」
「それ以外にあるのかよ」
 どうやら一般的な«熱中症»のことで正解だったらしいが、次にはどういう意味なのかが解らない。蝉とは、夏になると五月蠅い昆虫以外にはありえないだろう。尤も、熱中症も先輩の言う通り一つしかないのだが。
「あの、四十度に届くかって程の暑さの中、四六時中鳴き続けてるんだ。そりゃ死ぬだろ」
「……それは、鳴き続けられるようにできてるでしょう」
「まぁ、それもそうだな」
 あっさり、先輩は意見を反した。いつも通りの思いつきだったらしい。
 しかし、何故思いついたかは想像がつく。
「今年は、蝉が鳴きませんね」
「そんなん、七月に入った……いや、六月からだったかな? まぁどっちでも良いけどよ。そんくらいから言われてただろ」
 なんで、と言おうとして口を噤んだ。今更であるし、先輩に訊いたところで答えは出ない。代わりに、一つの質問を訊くことにした。これこそ思いつき。先輩の言葉がなければ思いつかなかったことだ。多分。
「鳴かなければ……鳴き続けなければ、蝉はもっと生きていられるんでしょうか」
「鳴かない?」
「蝉は一週間ほどで死ぬんですよね? それが鳴き続けるせいなら、鳴かなければ……一週間以上、夏を超えても、蝉は生きていけるんですかね?」
 先輩は笑った。大口を開けて、盛大に、豪快に笑った。馬鹿にしたような笑い方だった。
「それはなぁ……」
 ゆっくりと息をして、口角を釣り上げて、意地悪い顔で言う。
「鳴かない蝉なんて、死んでるのと変わらないだろ」

 蝉の鳴かない夏だった。理由は解らない。日本中から蝉の鳴き声が消えた。
 蝉が消えたわけではない。地面には相変わらず転がっていたし、蹴り飛ばせばいきなり飛び去ったりしていた。鳴き声はしなかった。
「今年は夏がなかった」
 忍の言葉に僕は振り向いた。いつも通り一一○七教室。僕に忍に莉子。昼休みだった。夏休みが終わって久しぶりに会った二人は、それぞれの夏を過ごしたらしく、日焼けしたり、髪の毛の色が変わったりしていて少しの違和感があった。
「なに? 忍が過ごしたのは«休み»だったって?」
「ちげーよ。うーん、夏らしくなかった? それも違うんだよな」
「蝉が鳴かなかったから?」
「そーかな。そのせいだろうな。この感じは」
 どんな感じだ。やたらパサパサしたクリームパンを齧る。安物だけに妙にクリーム味が強くて、くどい。
「蝉が鳴かなかっただけだろ? 夏がなかったとまではいかないだろう」
 夏らしいことが蝉の鳴き声だけと言うわけではないだろう。暑い日差し、入道雲、祭り、お盆、日焼けもしているし、そう言えば今年はゴキブリに出会わなかった。そう考えるなら夏がないのも良いのだろうか。
「だけ……ってのは違うんじゃない? 蝉が鳴かないなんて超重要な欠陥じゃないかな」
「そりゃあ、そうだけど」
「その通りだ莉子。まぁ、言うなればジグソーパズルの一ピースないって感じかな」
 ピースの欠けた部分にもよるとは思うけど……とは言えなかった。発注すればいいじゃないか、とも、当然言えなかった。
 言葉を吐く代わりに口にパンを押し込んで、僕の台詞はスキップしてもらうことにする。
「でもさ、足りない部分を補うことは出来ないの? ほかのもので夏らしさを感じる……とかさ」
 明るい茶色の髪が揺れる。一学期の終わりには肩くらいまでだった莉子の髪の毛は、今や肩甲骨程まで伸びていた。
 忍はいろはすを一口煽ってから「代用できるなら」と。
「蝉が鳴かないってことは決定的なんだ。誰でも解る事実だ。ほかのことで夏を感じることは出来るのかもしれない。でも感じるだけだ」
 頑なに夏の存在を否定する。理由は解らなかった。
 二つ目のパンを取り出す気にはならない。喉が渇いたが、生憎飲み物は買いそびれていた。汗をかいたいろはすをぼんやりと見つめた。
「それで、夏がなくって、忍はどうしたのさ」
「ん? 別に。夏がないなーって、それだけだ」
 パンを取り出した。
「なんだよ。いきなり真剣だったから、なんかあったのかと思ったわ」
「ねー。忍ってシリアスな顔出来るのね」
「普通に失礼だな」
 忍はペットボトルを一気に煽った。結露した水が一滴ズボンに落ちた。
「いや、割と本気ではあった。ただ、お前らのリアクションが薄いから話を切ったまでだ」
 取り繕う言い方も珍しい。
「あぁ、そう言えば、先輩と話した時も蝉の話だった」
「蝉の話?」
「そう。鳴かない蝉は、死んでるのと変わらない……とかなんとか」
 それだ! 忍が叫んだ。廊下からしていた足音が一瞬止む。……が、流石に部屋に這入ってくることはなかった。
「それだよ。死んでいるのと変わらない。生きていない。今年の夏は生きていなかったんだ」
「夏が、生きてない?」
 莉子が困惑の表情を浮かべる。僕も同感だった。
「生きていない。死んでいる。夏は死んだんだ」
「いや、夏は死なないだろ。普通」
「普通じゃないことなんて、もう解ってるだろ」
 六月、七月の時点で。
 夏は死んだ。蝉が鳴かなかっただけで。忍の言う一ピースが欠けただけで、死んだ、らしい。
「致命的な欠陥だったんだ。五月蠅くなくていい、なんて言っていられない、欠損だったんだよ。蝉は」
「いや、夏が死んだってのは方便でしょ? 致命的、とか……そんな擬人化して考えなくても」
「夏ちゃんが息してない……とか、そういう意味じゃないよ。秋がなくなっていってる……って話は聞くだろ?」
「うん。まぁ」
「あれは、温度変化だったり、秋固有の減少の消失。夏と冬の境目が狭まっているってことだ。それも、秋が死んできているって言えると思う」
「でも、それは存在がなくなってるんだろ?」
「いや、ピースが欠けていってるんだ。秋を構成していた、特徴の喪失は、即ち死と言えないか?」
 知らないよ。
 確かに、夏のすぐ次に冬、と言う印象は受けないこともない。でも、まだ紅葉の季節だってあるし、秋の味覚なんてのも確かにある。まだ秋は死んでいない。そんなものを、想像を引き合いに出されてもピンと来ない。
「じゃぁ例えを変えよう」
 忍は饒舌だった。
「息をしていて、心臓も動いていて、体温もある。でも絶対に起き上がらない。それは生きているか、死んでいるか」
「……話が飛び過ぎじゃない?」
「飛んじゃいないさ。だって言っただろ? 暑い日差し、入道雲、祭り、お盆、日焼けもしている……でも蝉は鳴かない」
 同じ、なのだろうか。人と夏は、同じように捉えられるものなのだろうか。
 夏は人のように死ぬのだろうか。人の生死を、夏に当てはめることはあっているのだろうか。
「同じだろ」
 はっきりと、忍は言った。

 時計を確認した莉子が、昼休みが終わるよと言った。十二時五十分。僕はパンの残りを口に詰め込んだ。咥内に張り付いてきたが、なんとか飲み込む。
「飲み物、買いに行ってくる」
「あぁ、俺も行くわ」
「じゃぁ、席取っておくね」
「頼むわ」
 校舎外にある自動販売機。お茶は売り切れていた。ペットボトルの残りは炭酸と水だけだった。缶のお茶を選ぶ。
「水で良いじゃん」
「忍がいろはす飲んでたし、僕はお茶」
「関係なくねぇか」
 関係はない。
「まぁ、お茶の気分ってことで」
 そういうことにしておいてくれ。
「……ま、そんな日もあるか」
 そうそう。
 軽快な音を立てて、缶が開いた。冷えたお茶は喉に優しくなかったが、張り付いた不快感は流された。一息に半分以上を飲み干し、口から離す。
「飲みきっていいのか?」
「授業中に飲むわけじゃないし、温くなるのもやだしね」
「……お、蝉だ」
地面に落ちた蝉は、仰向けに、足を折りたたんでいた。
「うつ伏せに落ちてるときは、生きてる、とか聞いたな」
 忍はそう言って爪先で小突いた。慌ただしく羽をばたつかせて地面を何度か転がりまわると、蝉は空へ飛び去っていった。
「……生きてたな」
 僕は答えなかった。
 ただ、静かな羽音は好ましく感じた。

 先輩は夏を死んでいると感じたのだろうか。鳴かない、死んだ蝉が彩る夏を、死んだと評するのだろうか。
 致命的な欠損を患った蝉たちは、今日も熱中症の恐怖におびえながら、息をひそめている。
 去年の蝉は生きていたのだろうか。今生きている蝉は、ただ死ぬために生きているのだろうか。
 生きるために鳴かない。鳴かないために死んでいる。どちらが正解だろう。
 疑問は尽きない。とにかく、今年の夏は暑かった。

 END

悪夢の消えた私。

こちらも、Pixivの企画参加作品ですねー。
テーマとして胡蝶の夢を扱っておりますが、全くわかりません(確定)

コンスタンツと同様、獏がモチーフであります。


悪夢を見られなくなったその末路。現実は、夢だろうか。





 この教室は死んでいる。
 九時を回ったと言うのに、だれも来ない。切れかかった蛍光灯の瞬く音だけが小さく鳴るが、それ以外に音はないのだ。席に着いているのは私だけで、生徒はおろか教師が来ることもない。
 しかし、私はこの状況でも全く狼狽えていない。ただただじぃっとこの光景を眺めて、生温い風に髪をなびかせている。
 チョークの残滓で白くぼやけた黒板。開いた窓に、薄汚れた黄色のカーテン。図ったかのように整頓された机と椅子。十センチほど開いたままの扉。学校としての日常が生々しい。
 国語の教科書とルーズリーフを取り出す。折り返しがグシャグシャになって、テープ部分にゴミがこびり付いていた。毎度気を付けようと思うのに、どうしても曲がってしまう。二枚、角の折れた紙を抜き取った。
 教科書を開く。――二百十三ページ、夏目漱石『こころ』。ページ数の問題か、下 先生と遺書のタイトルから始まっている。


『……私はこの夏あなたから二、三度手紙を受け取りました――


 『こころ』は有名な話だ。なんとなく、だれでも知っている。先生と、私と、K。その話だ。
 だが、なんの話かと問われれば途端にたどたどしくなる。現実? 恋愛? 思想? 話せないことは、分からないのと同じだ。説明出来ないとほざくふざけた奴らは、そんなことも分からないのか。
 机を眺めていく。彫刻刀で名前が彫り込まれたもの。角にプリクラの貼られたもの。リプトンのキャンペーンシールが貼られたものもある。頭の悪そうな教室だった。無機質な自分の机を見る。シャープペンで描かれた『死ネ』の文字が美しく羅列されていた。
 蛍光灯が瞬く。


――精神的に向上心のないものは馬鹿だ――


 風がさらったページを戻しながら、私は読み進めていく。時に顔を上げるが、まだ十時を回ってすらいない。ひとえに静かな教室のお蔭だろう。死んだ教室も、悪くない。一度立ち上がり、黒板に大きく≪自習≫と書いた。手に付いたチョークの感触がもどかしい。
 席に着いて見てみると、少し右肩下がりに傾いていた。なんとなく味がある。息絶えた教室の、唯一の学園性。ならば私は自習しましょう。一本だけ少し短い椅子が揺れるのを楽しみながら、教科書を捲り続けた。


――すべてを腹の中にしまっておいて下さい。』


 この教室は死んでいる。
 立ち歩く男子。気が狂った笑い声を上げる女子。口では静かにと言いつつも、諦めの色が浮かんでいる教師。これが学校だというのか。
 意味があるのかないのか分からない文字の羅列が黒板に描かれている。雑然と並ぶ机と椅子は、もはや本来の意味を成していない。机に腰かけ、椅子に足置く。だらしなく開いた窓から、温い風が入ってきてとても不快だ。汗で額に張り付いた髪を、爪で耳にかける。
 ……あぁ、悪夢だ。
 開きすらしていなかった教科書に目を落とす。教師が二百十三ページを開けと言った。開く。『こころ』。下 先生と遺書。
 教科書を閉じた。
 教師の咀嚼したものを口移しされるだなんて、勘弁してほしい。私はもう知っているのだから。
 虹色が目の前を横切った。微かな洗剤のような香りが鼻を突く。ぺたりと爆ぜた球体。教室に、メルヘンが咲いた。……いやいや、頭のなかがメルヘンなだけだ。気のふれたなにかがシャボン玉を吹いたのだった。
 教師の怒号が飛ぶ。笑い声が大きくなった。
『一度しかないんだから、好きなように生きたい』
 ほざいたのはなんだったか。だれとも知れない。チャイムが鳴り渡った。


――私は常にその人を先生と呼んでいた(夏目漱石『こころ』P6 集英社文庫)


 私[ワタクシ]の先生はどこにいるだろうか。


 陰鬱を道にしたような下校を済ませ、家に入るとぱたりとベッドに倒れこんだ。あれはなんなのだろうか。地獄は学校だと、だれかが言っていたのを思い出す。
 ピリリと携帯が鳴いた。
『お久しぶりです』
 朗とした声が響いた。懐かしい声だった。少し前に転校していった彼……あれ、名前は……あぁ、一[ニノマエ]君だ。珍しい名前なのに、何故一瞬思い出せなかったんだろう。
「久しぶり。どうしたの?」
『いえ、転校先で少しありましてね。話し相手が欲しかったんです』
「あぁ、百藤……だっけ? どうなの? 進学校って聞くけど、厳しいの?」
『そうですね。でも、結構みんな楽しんでいますよ』
「でも、勉強できる人たちなんでしょう? 良いなぁ。行きたい」
 そういうと、一君は薄く笑った。
『どこであろうと、駄目な部分はあります。目を背けた先が断崖絶壁なんてのもありますよ』
「今よりはマシよー」
 地獄……いいえ、あれは悪夢。地獄も断崖絶壁も、ありとあらゆる害悪を危機を、ありとあらゆる有害を危険を混ぜ合わせた悪夢。
「夢だったらいいのに」
『夢?』
「あぁ、こっちの話」
 そうだ。一君は夢の話、こと悪夢の話が好きなのだ。高校生ながら心理学を勉強していた彼は、夢日記であったりカウンセリングであったりが素人ながらに好きだった。しかし、素人のはずなのに妙に堂に入った立ち振る舞いは才能なのだろうか。
『悪夢も、見られないといけないものです。悪夢を見られないのも、それもまた悲劇です』
 よく分からない言葉だった。
 しかし、それ以上特に言葉を続けることなく、楽しかったですよと言って電話は切れてしまった。


 この教室は死んでいるのだろうか。
 蛍光灯が眩しいばかりに光る。いつの間に取り換えられたのだろうか。まぁ、学校であるのだから、用務員の人が気づくこともあるだろう。気にするほどのことではない。
 黒板の自習の字は、当然消されている。黒板消しは字を消したあとすら残さないほどに緑色だ。用務員さんはとても働き者なのだろう。なるほどだから、ここの机は、椅子は整頓が行き届いているのか。……しかし、その苦労も≪あれ≫らの前では無に帰すと思うと、申し訳なさがあふれる。
 黒板の上にかかる時計は十時半を示していた。十分休みだ。
 私は数学の教科書を取り出す。Uの方だ。今日は、二次関数。必死に二次関数を使う場所を記した教科書の記述には失笑が漏れるが、暇つぶしに読むには十分面白い。なるほど、しかし凄いどうでもいいな。


――f(x)=ax^2+bx+c


 文章としての乗算の表し方を知っている人はどれほどいるだろう。私はノートに式を書き込んでいく。無論それに“^”なんて必要はないけれど、しかし知らないでいる人間はどれだけいるのかは気になった。
 やはり少しだけ開いている窓から風が舞い込む。ルーズリーフが飛ばないように筆箱で押さえながらペンを走らせる。
 窓の外には桜並木。枝には若々しい葉がずらりと茂っていて、見ているだけでも涼しげだった。風にざぁと靡く。
 私は一度席を立つ。掲示板に新しいプリントが貼られていた。
『夏祭りスタッフ募集中……希望者は職員室までどうぞ』
 少しだけ興味を魅かれた。下のボックスに入れられた配布用の紙を一枚抜き取り、丁寧に二つ折りにして鞄に仕舞った。


――放物線A:f(x)=2(x-1)^2-2 B:f(x)=-(x+2)^2+4 C:f(x)=-x^2が共通して交わる点を求めよ――


 その程度のことだ。
 一君なら何秒で解くだろう。クラスの奴らなら何時間かかって解けないと言うだろう。いや、一君なら軽く笑って下らないなぁとでも言うのだろうか。
 (x,y)=(0,0)
 私は目を覚ます。


 死んだ教室。
 足りないプリントが横から周ってくる。角の折れたプリントだった。地域のボランティアを募集しているらしい。裏を見る。白紙。丁度良かった。どうせ数分後にはゴミ箱を埋めるプリントならば、仕方ない、有効活用しようではないか。
 ⇔
 ⇔
 ⇔
 以上証明終了


 この教室は死んでなどいない。
 スイッチを押せば、一瞬のフラッシュのあと教室が息を吹き返す。机は一つだけ、真ん中に鎮座していた。私はその席に座る。
 社会の教科書を取り出した。倫理。
 私は倫理があまり好きではない。倫理、と言う名を関しながら、結局は哲学だ。倫理的、倫理観。知りたいのはそれらだというのに。
「なら、お教えしましょうか」
 滑らかに開いた扉から入ってきたのは、一君だった。前と変わらぬ、葬式染みた黒い衣装に、赤い眼鏡をかけている。
「一君……?」
「えぇ。お久しぶりです」
 次は倫理であっていましたかねと呟きながら、私の隣に座る。いつの間に席が用意されていたのだろうか。
「……どう、したの?」
「なにがでしょう」
「だって、一君は転校したじゃない」
「転校はしましたが、来ないとは言っていません」
 そんな言葉遊びと言うか、上げ足を取るような台詞をためらいなく吐くのが一君だ。
「でも、学校は?」
「ちゃんと行っています」
 スクールバックから取り出した教科書は、確かに見覚えのないもので、どうやら百藤のものらしい。……何故。ページが捲られると……その中身は白紙だった。
「さて、自習しましょう。なにか聞きたいことはありますか」
「……人は、なんで人を殺しちゃいけないの?」
「別に、良いんじゃないですか? 殺しても」
「良いの?」
 意外な答え……だったのだろうか。
「殺したところで、どうせ罰を受けるのですから。殺したって構わないでしょう」
 罪には罰。罪に釣り合った罰が用意されているのだから、『受ける覚悟があるならいいのではないか』。一君はそう言いました。
「でも、それは後からの話でしょう? 悪いことだから、罰が出来た。だから、私はなんで悪いかが知りたい」
「何故悪いか、と言う言葉には、『悪いことは分かるけど、なんで悪いのか分からない』と言う意味があります。これの上げ足を取って、なんでか分からないなら悪いことだと分かってはいない、と答えるのは簡単ですね。しかし、重要なのはそこではない。あなたが『悪いこと』と認識しているその事実。そこが最も重要」
 椅子に座り、白紙の教科書を広げたまま、一君は右手の人差し指をピンと伸ばした。
「人殺しは悪いことだ。だけど、それは何故。違いますね。まず疑うべきなのは人殺しが悪いことかです」
「悪い、ことだよ。だって殺しちゃうんだよ?」
「義務教育の理由を知っていますか?」
「……ある程度の教養を身に着けるためでしょう?」
「ある程度の共通を身に着けるためです」
「共通?」
「義務教育を受けた人間の大多数は人を殺すことを悪と覚えます。それは、理由はともかく人を殺すことが悪いと教えられるからです。なんで悪いか、に目を向けさせている間に、悪の概念をスルーさせる」
 人の脳は節穴ですからね。呟きが聞こえる。
「悪の定義がそのまま人を殺してはいけない理由になるはずなのに、だれもそれに気づかない。『悪い』と言う言葉の意味が分かればそれでいいはずなのに、殺すことの悪さの理由を求めるなんて、随分遠回りですね」
 急がば回れ。一君は苦笑を浮かべている。
「……じゃぁ、一君は悪の定義が分かってるの?」
「勿論」
 自信満々な言葉。教科書は閉じられている。白紙に答えが載っているとは思えないが、成程確かに彼は彼なりの答えを持っているらしい。……私は、どうだろう。悪を知っているのだろうか。
「悪は、今あなたの見ているものだ」


 成程地獄なのだ。


 私はこの教室で生きている。
 黒板に書かれた≪永久自習≫の文字は、私に自立を促しているに違いない。私自身が励まなければ、勉学とは成り立たないものなのだろう。
「つまり、あなたが欲する限り、この教室はあなたのために生き続けるでしょう」
 一君は鐘の音と共に教室から出て行った。またそのうちふらりと遊びに、勉強をしに来るのだろう。倫理の時間か、彼の得意だった数学の時間に。
 教科書をロッカーに詰め込み、ルーズリーフも何セットか用意した。これで、なんでも勉強できるだろう。手始めに苦手な教科から……いや、得意な教科から始めて勢いをつけるのも良い。
 一度私は倫理の教科書を開いた。


――アリストテレスが――


――イエス・キリストは――


――その時仏陀が言った言葉が――


 教科書を閉じる。悪は、目の前にあるのだ。

コンスタンツの檻

pixivの企画【百怪談】参加作品を流用。


 艶のある黒髪を揺らしながら、二階堂さんは廊下を歩いていました。一年一組の教室を通り過ぎます。
「人間の魂は二十一グラムだそうですよ」
 突然そんなことを言うと、続けて言葉を紡ぎました。
「ダンカン・マクドゥーガルと言う医師の行った実験によれば、人が死んだ際に水分の減少とは別に、二十一グラム分、なんらかのものが消えていたそうです」
「それが、魂ですか?」
「かもしれないという話です」
 小さく笑い、そして保健室の前で立ち止まりました。真っ白な扉を見つめています。曇りガラスを覗きこみました。
「なかが気になるなら、入ってみますか?」
 二階堂さんは先日転校してきたのです。いろいろなところに興味を魅かれるのでしょう。
「いえ、今日は結構です」
 としかし、あっさりと窓から目を離しました。――そう言えばと、歩を進めながら口を開きます。
「怪談、でしたか? 聞かれていたのは」
「そう。どんな話でも良いんですけど、知りませんか?」
「流行っているのですか? この学園では」
「流行っている……と言うわけではないんですけど……」
 百藤学園の性。其処には、怪談が集まり、そして怪異の影が差す。噂をするから、影が差す。
「そうですねぇ」
 一年一組の教室の前で一度立ち止まり、顎に手を沿えて、何か考え込む仕草を取ります。――≪コンスタンツ湖の寓話≫――そうして、呟きました。
「知っていますか?」
「いえ……」
「ではお話ししましょう」
 二階堂さんは歩を進め始めます。
「旅人が馬に乗って、雪の降る平野を走っていました。雪は最早吹雪と呼ぶべき激しさであり、旅人も馬も限界でした。更に走り続けると、旅人は小さな灯りを見つけます。近づいてみれば、それは家の、宿の灯りでした」
 それは歌うようでした。歩き続ける様は、ミュージカルのようであり、細く、すらりとした二階堂さんは舞台俳優のようでした。
「旅人は扉を叩きます。『ここまで何とか来たのだが、この吹雪だ。一晩泊めてくれないか?』宿主は一瞬目を見開きましたが、すぐに労わるような表情に変わり『おぉ、大変だったな。早く入りなさい』と、快く迎えてくれました。旅人は裏の馬小屋に馬を留めると、宿主に続いて宿へと入りました。『しかしあんた、どっから来たんだい? 随分とボロボロだが』『北の方からだ』旅人がそう答えると、宿主は大きな声で笑いました。『おいおい、あんた、コンスタンツ湖を馬で走ってきたのかい?』振り向くと、旅人は崩れ落ち、死んでいました」
 言葉の残滓が、長い長い廊下の隅まで響きます。二階堂さんは手を後ろで組んだまま、一定のペースで歩き続けています。しかし、それぎり口を開かず、どうやら怪談はこれで終わりのようです。
「それが、二階堂さんの怪談ですか?」
 一年一組の教室を通り過ぎて、二階堂さんは保健室の扉の前で止まりました。
「面白くなかったかな?」
「いえ、面白いは面白かったのですが……怪談なのかなって」
 ≪コンスタンツ湖の寓話≫……そう二階堂さんは言いました。怪談ではないのです。
 怪異のごとく語っていましたが、結局は不思議なお話で済んでしまいます。怪談は不思議なものではありますが、不思議なものが怪談とは限りません。
「怪談ですよ」
 しかし二階堂さんは言い切りました。きっぱりとして、異論は認めない……そのような雰囲気でした。
「どうしようもなく《コレ》は怪談なのです」
「どういうことですか?」
「そうですね。旅人の死因が分かりますか?」
「死因……ですか」
「彼は≪魂≫を失って……いえ、≪魂≫が別の場所に移ってしまっていたのですよ」
 二十一グラム分ね。二階堂さんは付け足します。いたずら気な笑みを浮かべていました。
「魂が移る場所? そんな場所があるんですか?」
「夢」
「夢?」
「そう。そして、その夢を≪喰われ≫て≪魂≫を失った」
 だから死んだ。
「喰う……。夢を?」
 二階堂さんは黙って頷きました。その後、ゆっくりと視線が横へ動きました。
「知っていますか? 知らないことは夢に出ないのです」
「それは実証出来ないことでしょう」
「実証なんて、必要ありません。重要なのは知らないことは夢に出ないという、認識」
「知らないことは……夢に出ない」
 コン……と、二階堂さんが扉を叩きました。
「保健室。おそらく、知っているのは此処と教室だけなのでしょう……あることは知っているが、どこにどうあるのか知らない。『だからない』」
 声が段々と大きくなっていきます。
「誰もいない森で木が折れました。さて、その音はしたのでしょうか」
 認識論です。世界は五分前に出来ている。認識されなければ、存在しないのと同じである。
「教室で倒れ、保健室へ運ばれた……それは入学当日のことです。途中で見た教室は覚えているのかもしれませんが、中身は知らないでしょう?」
 止まることなく、二階堂さんは言葉を連ねていきます。
「だから、歩き続けている。曲がり角はない。階段もない。行き止まらない」
「じゃぁ! なんで二階堂さんは……」
「分かっていることをわざわざ確認するのは頂けない」
 突っぱねるように、強く言います。視線は曇りガラスに向いていました。
「いいえ分かりません……二階堂さんを知らないはずなのに、何故、夢に出てきているのか!」
 嘆息して、二階堂さんは顔を上げました。眼鏡の奥の瞳が、鈍く、深い色で光りました。
「知っていますか。ト書きは嘘を吐かない。小説の原則です」
 応えはありません。
「そして、夢落ちはいけない。マンガの師の鉄則です」
 応えはありません。
「嘘を吐く前に、夢に落ちる前に、終わらせましょう。今日の夢はここまでです。二度と、お会いすることもないでしょう」
 ぱちぃんと、静かに音が響きます。
 二階堂さんは白い扉の横に設置されたソファに座っていました。ソファも白く、廊下も白い。……病院のようです。たくさんの足音が響くのを、黙って聞いています。
『どうした!』
『容体が……急変……いえ、心肺が停止しました』
『なんだと!? いくらなんでも突発過ぎる。どういうことなんだ』
『おかしいんです……切れたように、いきなり、心停止して……』
 二階堂さんは立ち上がりました。艶のある黒い髪が揺れました。黒い制服は、喪服のようにも見えます。胸ポケットに挿した赤いフレームの眼鏡が、黒の中に毒々しく存在感を放っていました。
「君!」
「はい?」
 白衣の男性が、二階堂さんに声をかけました。振り向きます。男性は息を切らしていて、かなり焦っているようでした。
「君は……彼の知り合いかな?」
 彼、とは先ほど話されていた、心停止したという青年のことでしょう。二階堂さんは首を横に振りました。
「いいえ、知りません」
「そうか。これから慌ただしくなる。用がないなら、待合室に移動してくれないか?」
「いえ、用は済みましたのでこれで。失礼しました」
 一礼し、白い廊下を歩いていきます。かつん、かつんと靴音が高く鳴り響きました。
「良い夢でした」
 湖は、どこにもありはしません。

《僕と君のあれについての考察が本になった》

「それで、お前は結局何を言いたかったのか」
「なんだよ。まだ気にしてたのか。小さいな」
「本当に、殺して良いと思うんだが、どうよ」
「どうよって言われても、僕は死にたくない」
「それもそうだ。不毛な話し合いはやめだな」
「そうだよ。君の特殊な性癖については後だ」
「まるで俺が特殊な性癖持ちみたいに話すな」
「無いのかい!? いやぁ、これは驚いたよ」
「やはり俺はお前を殺すべきなのかもしれん」
「なんだよ。そう怒るな。カルシウム取れよ」
「知ってるか。カルシウムは短気に関係ない」
「そうだ。牛乳苦手なんだが他に何かない?」
「人の話を聞けっつってんだから聞けやぁ!」
「もー。煩いなぁ。解ってる。解ってるって」
「俺が悪いみたいだが、全面的にお前が悪い」
「僕は何も悪くない。気にする方が悪いんだ」
「クズみたいな論理だが、仕方ない諦めよう」
「そそ。人生諦めが肝心だよ。安西先生も言」
「ってないからな。諦めるなって言ってたわ」
「鬼の首取った様に言わなくても解ってるよ」
「悪いな。絶対解ってないと思ってたんでな」
「全く、心配性なんだね君って奴は。うぜえ」
「なんでこいつと友達なんだろうなぁ……俺」
「そりゃ僕が絵に描いた様な完璧さんだから」
「完璧にクズ野郎なのは概ね同意なんだがな」
「さっきから聞いていれば酷い事ばかり言う」
「それだけの事をしていると何故自覚しない」
「酷い事を僕がしているって? 有り得ない」
「成る程確かにクズ野郎であっているようだ」
「クズクズと連呼して、馬鹿だと思われるぜ」
「これじゃ罵倒の応酬だ。一旦切り上げよう」
「逃げるのかいこのチキンハート! 鳥頭!」
「鳥頭は別にビビりの言い換えじゃないぜ?」
「ししししししししししししし知ってるしぃ」
「文字稼ぎが露骨すぎて返事困るわ。止めろ」
「何の話だよチキンハートアンドヘッド野郎」
「もうそろそろこの不毛な会話終わらせよう」
「んだと、俺に指図するってのかこのクズが」
「止めろ。ただでさえ一人称頼りなんだから」
「でも、僕はあれの内容を思い出してないよ」
「思い出さなくても、なんとかはなるだろう」
「ふむ。しかしどうやってなんとかするんだ」
「……あー! あれね!? はいはい解った」
「なに。何が解ったんだよ。教えてくれよ!」
「いや、お前あれだって。あれ解らないの?」
「え? あ、えーあー、あれか。あれの事?」
「そうそう。ホント今まで何故解らなかった」
「全くだな。度し難い記憶力のなさに辟易だ」
「しかし、あれはあっちに無かっただろうか」
「あっち? あぁ、それか。どうだったかな」
「多分これの通りだと思う。確認してみるわ」
「うん頼む。僕その間にこっち見てくるかな」
「うーいっと。んー。多分あってるっぽいぜ」
「本当? 早いなぁ。解った。行ってくるよ」
「あいよー。それじゃ、お疲れ様ってことで」
「うん。いや。迷惑かけて悪かったね、本当」
「全くだ。こんな事二度とないと良いんだが」
「解ってるよ。それじゃ、あれ、よろしくな」
「任せておけよ。ああすりゃ良いんだろう?」
「そそ。まぁ、君なら十全に出来るよ。多分」
「多分かよ。まぁ、次は確認してから来いよ」
「そうさせて貰うよ。それじゃ、またその内」
「あぁ、なんかあったら連絡すれば良いだろ」
「だね。それじゃ…………なわけあるかぁ!」
「良いだろ。置いてけぼりエンドだってよぉ」
「そうだけど! そうかもしれないけども!」
「面倒な奴だな。だからややこしくなるんだ」
「解った。黙っていたけど、そろそろ言うよ」
「なんか突然雰囲気変わったけど、どうした」
「実は、あれについて僕は覚えているんだ!」
「うん。知ってたよ。当たり前に知ってたわ」
「えぇ!? じゃぁ今までの会話は何なんだ」
「誰が暇潰し以外でこんな不毛な会話するか」
「下衆な発言だけど、君、キャラだったか?」
「別に下衆ではないだろ。さあ、用件を言え」
「あぁ、うん。ごめん。えっと。〆切が明日」
「〆切? えーっと、何のだ。レポートか?」
「えっと、確か部紙? とか言ってた筈だよ」
「部紙……っマジか。寄りによってそれか!」
「うん。なんか、部長さんが君に伝えろって」
「本当、大事な時に限って人選ミスだぜ先輩」
「失敬だな。聞かなかった君が悪いだろう?」
「聞いたってはぐらかしただろ。変わらねぇ」
「僕の事を良く解っているんだね。流石だわ」
「……アイディアはある。後は文字数だ……」
「おいおーい。無視しないでくれよ。寂しい」
「俺はこれから仕上げるから、先に帰るわ!」
「え、おいちょっと待ってよ。……なんだよ」
「タイトルは、あれ、とかにしてやるから!」
「はいはい。精々頑張って、面白くしてくれ」

「au」「携帯」「限定の」「作品」「!」

「あ」
「ん?」
「あれだ」
「なんだよ」
「解ってよ!」
「あれで解るか」
「そこは察せよ!」
「あれ取ってくれよ」
「あん? あれって何」
「お前本当に最高だよな」
「意味解らん。ま、良いか」
「で、なんか俺に用なのか?」
「あぁ、そうだ! そうなんだ」
「一々煩いな。静かに喋ってくれ」
「あれだよ! お前に言うことは!」
「聞けよ。……まぁ、無理だろうなぁ」
「あぁ無理だ。あれを伝えない限りな!」
「だからあれって何だよ。指示語止めろや」
「何故伝わらないんだ。熱意たっぷりなのに」
「熱意で伝わるなら言葉要らないと思わない?」
「! お前天才なんじゃね? 成る程そうだ」
「解ってくれて嬉しいよ。だが今は別件だ」
「そうだそうだ。脱線させるんじゃねぇ」
「何だっけ。お前好きなだけ殴る話?」
「そんな特異な興じの話だったか?」
「あれ、違ったか。解らないなぁ」
「思い出せよ。えーと、あれ?」
「覚えてないなら無しでおk」
「そう言う訳にもいかない」
「どう言う訳か言ってみ」
「それが解らないんだ」
「お前死んじまえよ」
「酷いことを言う」
「お前が加害者」
「加害者ぁ?」
「で、用は」
「忘れた」
「死ね」
「あ」
「ん?」
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