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雪風の風車

九作目

『雪風の風車』

風車の回る、この田舎の景色が嫌いだと、彼女は言った。僕はその意見に肯定も否定も出来ず、曖昧に頷くだけだった。
冬も半ばを過ぎ、雪の降り積もった風景は、逆にこざっぱりした印象を与える。冬独特の、鼻の奥を刺激する寒さに指先が震えた。
放課後、生徒は殆ど帰宅し恐らく学校にいるのは僕と彼女だけだろう。僕らは冬季祭の纏めをしていた。うちの中学の連中は妙な所で規則正しいので、居残りで纏め等と面倒事を進んでやってくれる人は全くと言って良い程いない。その点彼女は例外中の例外と言える。
「と言うか、実際、受験に響くからだろうけどね」
「高校受験でそんなに気張る必要あるのかよ」
「出てく奴なんかは気張る必要がありそうだよね」
「出てく奴いるのか」
「私とか」
「……へ、へぇ」
動揺した。
少なからず、僕は驚いて、困惑していたのだ。
「ピーターはどうなの?」
「ピーターは止めて欲しいなぁ」
「そう?私は良いあだ名だと思うけど」
困った事に、そう言われると良く思えてしまうから彼女との会話は苦手なのだ。病気の如く、その症状は悪化の一途を辿っている。
あぁ、青春っぽくて嫌だなぁ。そう言うのは似合わないんだ。
「まぁ、今までのあだ名の中じゃ捻った方だからね。中学に上がっただけはあるよ」
「じゃぁ、後二ヶ月はピーターのままっぽいね」
「そーだね」
購入物のレシートをノートに張り付ける。取り敢えず纏めるだけで良いから楽――あれーこれ500円オーバーしてねー……?
「で、ピーターはどうするの?」
「僕は地元のだよ」
「つまんねー」
僕の顔を見ず、手元のファイルを眺めながら、彼女は言った。口元には苦笑が浮かんでいる。
ほっとけ、と僕は返し、ノートのレシートを一枚丸めてポケットに仕舞った。悪め。悪だよ。顔を上げた彼女と、眼で会話する。
「ピーターはさ、好きな人とかいないの?」
「ブフォッ!!」
「なんだいるのか」
「――うわー、そう言うのをいきなり聞く女子とか引くわー」
「ピーターは意識的に話を逸らすのが得意だね」
話を逸らすのは嫌な様なので、僕は視線を逸らし、窓の向こうを眺めた。雪が降ってはいるが、まだ景色が霞む程ではない。遠くで回る風車が、ヒュンヒュンと風を切っていた。
「――好きな――ね」
沈黙を、僕は破る。
「僕は特定の人を好きになったりしないよ。幼稚園の頃から、好き嫌いしない偉い子で通してきたからね」
「戯れ言だね」
彼女も同じ様に外を眺めたが、風車が眼に映ったからか、すぐに手元に視線を戻してしまった。一瞬、彼女の眼に映った色を、僕は見逃せなかった。――でも、その時には何色なのか解らなかった。
「僕はさ、変わりたくないんだ」
もう作業は終わりかけていた。彼女の手元にある紙に、先生のサインを貰えば終了。
「町が変わるのが嫌だ。周りが変わるのが嫌だ。友人が変わるのが嫌だ。僕が変わるのは、嫌悪に値する。だから、僕は誰も好きになりたくないし、町を出ようとも思わない」
「それで、満足なの?」
「満足な訳は無いさ。ただね、詩織さん。君が考えているより、異常な恐がりは存在するんだよ。依存のあまり幻覚を見たり、逃避のあまり遊離人格を作ったり、動揺のあまり感情を殺したり、切望のあまり性別が逆転したり、ね。僕はそう言う部類の人間なんだよ」
ネバーランドは子供しかいられない。大人になったら、殺されてしまう。だから、僕は変わりたくないのだ。
だから、僕は絶対に彼女に思いを伝えたりしないし、そもそも釣り合ったりなどしないだろう。
「……」
彼女は無言だった。
僕は眼を瞑り、一度深呼吸してから開いた。資料をカバンに仕舞い、向かい合わせていた机を直す。
「もうすぐ最終下校時刻を過ぎちゃうよ。雪だし、帰ろう」
「うん」
その時に彼女が僕を見た眼は、風車を見た色と一緒……それは憐れみだった。
「まぁ、詩織さんは外では絶対モテるだろうなぁ。悪い奴に引っかかりそー」
「今モテないみたいじゃん」
軽口一つで繋がる関係。それが、僕と彼女の関係だ。きっと高校に入ったら途切れるだろう。僕は予感していた。……多分、彼女は外に出た後今までの繋がりを清算する。解っていたから、僕は携帯を取り出し、彼女にメールアドレスを聞いた。
「名前、ピーターで良い?」
「『音葉[ピーター]』とかにしてよ。本名忘れられそうじゃん」
くだらない会話をして、僕らは別れて、結局その後、特に接点はなかった。そして、何もないまま中学を卒業して、彼女は町を出ていった。
その時、彼女は番号やメアドを変えたらしく、知り合い達は連絡が取れなくなったと言っていた。
どうやら彼女は本当に清算したらしい。
この寒々した町を、学校を、友人を、全てを。
しかし、僕の携帯には知らないメールアドレスからのメールが届いている。メールアドレスと番号だけが入った、寂しいメール。
「詩織さんも、結構エゴイストだよねぇ」
僕はメールを送る。
「今日も風車は回ってる」

詩音

前に書いた小説をリメイクしてみました。

話題:自作小説


八作目

『詩音』


「人間を二度殺す事は可能だろうか」
暮れなずむ放課後の教室。僕がいきなり発した言葉に、彼女は顔をしかめた。
「とうとう脳に来たか」
「強ち否定出来ないね」
自嘲気味に口が回る。こう言う時だけ僕は饒舌だ。
答えを期待していない質問だったにも関わらず、――そうだな。強いて言うなら――と、彼女は言葉を紡ぎ始めた。
「君は出来るが死んだ人間には出来ない。君は二人殺せば良いが、死んだらそこで終わりだ」
言葉遊びじゃないか。そうだね。などと、気持ちの籠もらないやりとりを経て、また彼女は口を開く。
「まぁ、実際、普通不可能なんだ。私が思い付く裏技は、今の二回殺人を起こすのと、後、『もう一つ』だけだ」
「もう一つ、あるのか」
身を乗り出すように立ち上がると、椅子が倒れてけたたましく鳴った。だが、僕は気にしない。揺れた影は一つで、心が揺れたのも僕だけだ。
「精神と肉体、心と体を切り離して考えるんだ。精神的に封殺し、最後に肉体を殺す」
眼を見開いていたと思う。確信出来ないくらい、僕は今自分の事などどうでもよくなっていた。目線の先には、実に穏やかな彼女の顔が揺れる。いや、揺れているのは僕の眼かも、心かもしれない。
「あー、でもねぇ」
としかし、すぐに彼女は真面目な顔を崩した。
「判断出来ないんだわ。精神的に生きてるか死んでるかなんて、解らないだろう?」
「……は」
「解らない。解るはずもないんだ。だって他人だし」
掌を返す。ぴったりの言葉だ。
「考えられない状態、とかじゃないか?」
「だから、考えられるかられないか、なんて、判断出来ないだろ?」
ぐ、と喉の奥で呻きに近い音が鳴った。気がした。しかし、すぐに思考回路を巡らせ、なんとか意見を絞り出していく。端から勝てる気はしないけれども。
「薬漬けにするとか、レイプとか、精神を壊す方法なら幾らでもありそうじゃないか」
「薬、レイプ。まぁ、傍目には、ね」
やれやれと、溜息を吐く振りをして、彼女は心情を表現する。物憂げな表情がとても魅力的だが、言ってる言葉はあまり聞きたくなかった。
「まー、手っ取り早いのはホルマリン漬けだろうね。ある意味薬漬け。肉体的に死んでないが、精神は死んでいる」
巨大な容器に彼女が浮かんでいる様が思い浮かんだ。なかなか悪くない。
「そんな所かな」
腰掛けていた机から立ち上がり、窓際へ向かう。そのまま彼女は開け放たれた窓の枠にひょいと腰掛けた。怖くないんだろうか。
「精神の話はしたし、次は肉体を殺す方法でも考えようか」
「『寿命』『刺殺』『絞殺』『毒殺』『中毒死』『焼死』『水死』『溺死』『餓死』『壊死』『圧死』『轢死』『銃殺』『斬殺』『撲殺』『殴殺』『ショック死』『出血死』『失血死』『縊死』『転落死』『滑落死』『凍死』『熱死』『横死』『墜死』『爆死』『病死』『渇死』『斃死』――ざっと思い付くのはこれくらいかな。他だと、『悶死』だとか『腹上死』なんてのがある」
呆れ果てた顔で、彼女は僕を見た。言いたいことは解る。解ってしまう。仕方が、ないだろ。
「いつも考えてたんだろ?」
「あぁ」
「なのにどーしてだろうね」
「さぁね」

「どうして私を殺し切れなかったの?」

教室に伸びる影は一つ。眩しい夕日が、彼女の後ろから僕を照らす。西日の部屋は良くないんじゃなかったか――なんて、下らない事が頭をよぎった。
「本番しかなかったからね」
眼を閉じたのは、眩しいからか。解らない。
「因みに私はどうやって死んだの?」
窓から空中に躍り出た彼女は、ふよふよと浮かび上がって、僕の目線と同じ高さを漂う。下から見上げたらさぞ絶景だろう――下らない。
「『毒死』だよ」
僕が答えると、彼女は頬をひきつらせた。どうやらご所望の死に方ではなかったらしい。
「傍目には『腹上死』だけど」
「死にたいわ。寧ろ恥ずかしくて死ぬ」
「死んでるけどね」
頭を抱えている。どうやら本気で恥ずかしい様だ。一応女の子だしなぁ。
――で。
一通り身悶え終わった彼女が口を開く。
「それで、私が現れちゃったから、二度殺そうとしたわけか」
「――そうだよ」
「どうやって?」
「さぁ」
お互いに溜息を吐く。だが、彼女は振りだ。死んだ人間は息を吐いたりしない。
僕は何気なく携帯を取り出し、カメラを彼女に向けた。
「事務所とーしてー」
「あいあむ所長ー」
ガシャ――と、実に携帯カメラらしい音がして、鮮やかな夕日の写真が撮れた。携帯を閉じる。
「詩織」
「何?音哉」
「今から、君を殺す」
「そっか」
彼女の声が聞こえた瞬間、
僕は、
窓枠に、
足を掛け、
夕日に向け、


――飛び込んだ


伸ばした手の先が、彼女の首に触れた気がした。

今日も朝が来るから

七作目

『今日も朝が来るから』

傷を舐め合う人を友達と言うなら、僕は友達が少ない。と言うかいない。気付いてないだけかもしれないけど、希望的観測はあまり堅実的とは言えないと教わったようなないような感じなので、いないの三文字で結論付ける事に、僕は何ら問題も感じなかった。
傷跡が余りにも大きすぎて、でも僕の舌は小さいから友達百人出来た所で彼らは僕の傷を舐めるだけで生涯を終えてしまう気が無きにしも非ず。だから僕は人の傷を舐めないし、僕の傷は癒えない。言えない。時として、傷を舐め合う事が最も効果的に傷を直す瞬間があるが、恐らくそれは僕の様に人恋しい未練たらたらな人間が、あたかも自分には沢山友達が居て僕を支えてくれていると錯覚出来るからだと、僕は思っている。傷口に舌を突っ込んで、塞がりかけた薄い皮膚を突き破って、沸き上がる血をコクと飲み込んでいく。飲み込んだ血を自分の糧にして、傷を防ぐ為の杖にして。僕は、ザラリとした舌の感覚と、ゾワリと冷えていく感覚に陶酔して、血が抜けていく感覚に溺れていく。
そう言うのを、友情と言うなら、僕は是非とも人間を止めたい所存だ。吸血鬼になったら立場逆になるだけな気がしたが。物理的な意味を纏う行為に、僕は些かも興奮しないから、実にどうでもよかった。
胸元に走る、一筋の傷口からタラタラと零れ続ける血が、僕の思考を赤く染めていく。白球を血で染め上げる様な感覚を、僕は体のどこかで常に感じていた。でもそれは痛覚に作用するのではなく、視覚と聴覚に訴え続けている。目を逸らしても赤が見えるし、耳を塞いでも流れる音も零れる音も響いてくる。血が緩やかに球面を流れ、下にポツ、ポツと赤い染みを作っていく。しかしそれも最初だけで、染みとして血を受け入れ切れなくなった地面が、血を吐き出しながら血溜まりを作り出していた。
僕に出来る事と言えば、血溜まりが広がらない様に、這い蹲って血を舐めとるくらいしかない。滑つく液体、赤い液体を胃の中に収めていく。今どれだけの血が外に出て、内側に還っているんだろうか。舐めとってもその分血は床を濡らしていく。不毛過ぎる。
僕の一生に傷を舐め合う人間なんていなくて、仕方ないから溢れ出る血を飲み込んでいく、そんなもんだろう。
傷は一向に癒えない。でも傷に舌は届かないのだから、仕方ない。痛みなんて、感じなければないのと一緒なのだから。
夢から醒めた。と言うには些か絶望感が漂い過ぎている。
目からは涙がこぼれまくってるし、口の端からは噛み千切ったのか血が流れ、頬と、髪の一部と、枕をメインに寝具一帯を赤に染めていた。怒られるのは目に見えていたが、しかし寝ている間に噛み千切った事を怒られて、如何にして反省しようかなどと言う事に頭が回りだしたので、僕は正常だった。いつも通りを正常とするならば。
口の中で固まりつつあった固形と液体の中間の様な何かを燕下し、血はどうしようもないから放置。取り敢えず涙だけ拭う。その時見えた爪先に、赤と白っぽい何かが見えた。皮膚だった。不届き物な指先が何をしたかは解りきっていたので、僕は溜息一つで全てを纏めることにして、まずは階下に降りる。洗面台に向かい、状況を改めて把握。口端から漏れていた血は固まり、耳まで一直線――とは行かず、何筋かに分かれて顔を汚していた。それはお湯で濡らしたタオルで拭き取り、問題は首筋だ。
縦横無尽を人体で表現するなら、これを見せればオーケーだろうと言った具合に、蚯蚓腫れと切り傷と擦り傷が走り、血が流れ出て寝間着代わりのTシャツをセルフ染色していた。赤一択な辺り、世の中の厳しさを感じさせる。
僕はそれを脱ぎ捨て、ゴミ箱に投げ捨てた。
折角直りつつあった傷を、瘡蓋を剥がしたり更に広げたり、新しく作ったりと実に想像意欲旺盛な若者に育ってしまった様だ。惜しむらくは無意識じゃないと意欲的じゃないと言う辺り。しかし、無意識ならば意欲ってのもないはずだから、これは矛盾して、つまり無意識を意識的に作り出しているから意欲が存在して……無駄に哲学的な事をするのは無理があると悟った。
頬と同じ様に濡らしたタオルで、固まった血だけ拭い取る。繊維が傷口に入って凄く痛かったが、僕の存在ほどじゃないから問題ない。
鼻血を止める程度の気軽さで使ったタオルは、表面を赤く染めて白と赤の大胆な色づかいに生まれ変わっていた。ファッションセンスは皆無なので、今一良し悪しが解らない。やはりどうでもよかった。
そろそろ本格的に首にコルセットを検討しても良いなと、ゆうに百回を越える決心を今胸に刻んで、爪を突き刺して物理的な痛みで忘れないようにして、僕は居間で首に包帯を巻いて、服を着て、さて、学校に行こう。

最近の若者は切れやすいと言う考察

六作目


『最近の若者は切れやすいと言う考察』

例えば、もし俺があと少し気が長かったら。例えば、もし俺が多少は落ち着いていたら。例えば、もし俺が少しでもあいつの事を考えていたら。
少々、状況は変わっていたかもしれない。
いや、考えてみれば、状況が揃いすぎていた様に思う。机の上に置いてあったカッターも、筆箱が近くに置いてあり、ペンや消しゴム、定規に方眼紙まであった。今まさに紙を切っていましたよ。そう言わんばかりに、だ。
そして、こいつの立っていた位置。
右手、あいつの利き手側にカッターの置かれた机があり、かつ一歩踏み出さねばカッターを取れない位置にいた。用意していたのではなく、その場にあった物を取ってしまった。と、とれなくもない。殺意の否定、だろうか。
そこまで考えてから、俺はカッターを落とした。正確には滑り落ちた、だろうか。汗と血が混じり、滑る。気持ちの悪い感覚だ。
どうして、こいつは倒れているんだろう。どうして、床が赤く染まっているんだろう。どうして、俺は生きているんだろう。
些細な口論だった筈だ。
古風にも手紙で呼び出された俺は、いつも通りヘラヘラと教室に向かった。
扉を開けて、教室に入る。あいつは教室の大体真ん中に立っていた。
「よお」
俺が片手を上げながら言っても、あいつは無視した。カチンと来たのを俺は覚えている。
「おいおーい。何無視っちゃってんですかー?」
足を投げ出すように近付く。その眼の端に、作業途中らしき机が映り、真面目だねぇなどと思いながらあいつの前に立った。
「でぇ?今日は何の用だよ」
「……」
「何なんだよ。俺だって暇じゃねーんだけど」
「止めてくれよ」
ボソと、あいつは呟いた。
「暇じゃないのは僕だってそうだ!お前なんかに付き合ってる暇はないんだよ!僕にもう構わないでくれよ!」
叫びだしたあいつに、俺は数歩下がった。いや、正確に言おう。三歩だ。三歩下がって、俺とあいつと机の距離は大体同じになった。
「……はっ。はっはは!何だよ。たかがんな事言いに呼んだのかよ。バッカじゃねーか?何で俺に言うんだよ。お前弄ってる奴全員に言えよー?解りますー?」
「だか……」
「あー、わりわり。チキンなお前じゃ、みんなにゆーなんて無理だよなー。わりいわりぃ、そんな事も気付かなくて」
「そう言うのがうぜぇんだよ」
タンと、踏み切る音がした。次の瞬間、眼にカッターを握るあいつが右手を突き出すのが映った。
とっさに真上から真下に降り下ろされた手が、奇跡的にカッターに直撃し、突き出された手を弾き落とす。カラカラと、カッターの滑る音が響き、二人の時間が止まった。
「は――」
先に動いたのはあいつだった。
だが、密着し過ぎていた所為でその動きが俺に当たり、鈍った――代わりに、俺が動く。
屈んでいたあいつの顔に膝蹴りを入れ、弾き飛ばす。しかし、鼻を押さえながらもあいつはカッターに手を伸ばした。

――俺が掴んでいたカッターに

「あ――」
固定されていた刃物に飛び込んだあいつは、鼻の痛みからかよろけ、胸で刃物を……
「おい、どうするんだよこれ」
どうしようもない。それは理解していた。だが、頭が追いつかない。
殺そうとした奴が死んで、殺されそうな奴が生き残った。


と言う夢を見たんだ


「良いなぁ――そう言うの」
生温かった血が冷めていく。現実的な現象が、俺の何かを冷やしていく。
床に落ちたカッターが映る。
薄い血はもう固まり始めていた。いや、それだけ時間が経ってるのか。
拾う。握る。痛い。
嘘です。痛くないです。
俺はいつも痛くなかった。
たまには、痛いのも良いんだろうか。

ヒヤリと、金属の感触が背を冷やした。

私の望まない結末

五作目

『私の望まない結末』


「君はさ」
屋上の鍵を手に入れる、なんて小説や漫画の中の話だと信じていたが、今私の手の中にある冷たい金属は確かな存在感を放っていた。
「縛られてるとか思ったことある?」
「――特には」
「そりゃぁ重畳」
ダッフルコートのポケットに手を突っ込む先輩は、にぃと笑ってそう言った。重畳……良いとかそう言う意味だろうか。それとも別の意味なのか。私には掴めなかった。
先輩と私は部活の先輩と後輩の関係で、しかし部活がなければ成り立たなかったであろう組み合わせだ。先輩は生徒会長で、私はクラスで全く目立たない空気キャラ。一体どんな組み合わせだ。
「俺はさ、何かに縛られてる感じがするんだよ」
「会長って、肩書きですか?」
私がそう言うと、先輩は口端を持ち上げて皮肉っぽく笑った。どんな笑い方も似合う。
「まぁ、それに限った事じゃぁないかな」
屋外なだけあって、風が強い。私の短い、女らしくない髪が靡く。スカートとソックスの隙間、素足の部分に風が当たって、私は軽く身震いした。
「まぁ、学生なんてみんな縛られてると思うよ。俺は。……いや、学生に限った話じゃないか」
そう言いながら先輩はポケットから手を引き抜く。その手には、何か黒いものが握られていた。
グリップと弾装と銃口。所謂リボルバーと呼ばれる代物だった。
ゾクリと、戦慄が走る。一瞬、その腕が水平に持ち上がり、リボルバーが私を撃ち抜くヴィジョンが見えた気がした。
「――先輩、何を?」
「あ、あぁごめんごめん。これは玩具だよ」
言われてよく見れば、何となく軽そうな感じもするし、縁の作りも黄色いプラスティックで安っぽい。
「何です?それ」
「玩具だよ」
スィと腕を上に上げ、トリガーを引くと、パァァンと乾いた音が鳴り響いた。――そう言えば、私はこの音の残滓を聞いたことがある気がする。体育祭の途中だ。
競争のスタートに使うピストルは、パンと乾いた短い音で、鳴ってすぐ消える様な音。だが、一度だけ、その音が重なった瞬間があった……気がした。
その日私は校舎に潜り込み、屋上のドアの前で読書をしていた。時たま聞こえてくる銃声と歓声を、鬱陶しく感じながら。
その時、歓声が全て止まった気がした。
――位置に着いて。
アナウンスが響く。
よぉい……知らず、私は呟いていた。
『《パ、パンァァァン》』
フライングかと、私は思った。だが、歓声は鳴り止まない。次いでアナウンスが一着や二着の生徒の名を読み上げた。
気の所為だったのだろうか。
「まぁ、良いか」
私は結局読書に戻った。
「――先輩は、体育祭でもそれを撃ちましたか?」
一瞬、先輩は眼を見開いて――しかし、すぐにいつもの緩やかな笑みに戻る。
「耳が良いんだね」
「いえ、体育祭の時、私は扉の前にいたんですよ」
「――それは、迂闊だったな」
「先輩は……先輩は、此処で何をしていたんですか?」
先輩は眼を細めた。
いつもの笑みとは違う、冷たい表情。
「それは――」
先の様に腕が持ち上がっていく。銃口は私に向き、そして――通り過ぎた。
カチャ……銃口がこめかみに押し当てられた。まるで、推理物の犯人が、最後の最後で自害する為の様に。
「せ、せんぱっ!」
思わず私は一歩踏み出した。しかし、それに構わず先輩は引き金を引く。
乾いた銃声が鳴り響いた。
弾は出ない。ただ、けたたましく音が鳴るだけだ。……それでも、私は本当に先輩が死んでしまうんじゃないかと思った。
「俺はもう、何回も死んでる」
ダラリと下げた手から、銃が滑り落ちた。銃声なんかより、更に軽々しい音を立てて、銃がコンクリートにぶつかる。
「何度も死んで、でもやっぱり縛られてるんだ。――俺は、逃げたいんだよ」
にへ……と、先輩は力無く笑った。だが、この笑みは似合わないなと、私は思う。先輩にこんな笑みは似合わない。
「死ねませんよ。そんな玩具じゃ」
「そうだよな。逃げたい、逃げたいって良いながら、逃げるのから逃げてたんだよ。俺は」
解ってたよ。先輩はそう言った。
「君は……、俺を殺せるかい?」
銃が入っていたのとは逆のポケットから手を引き抜く。小さな、刃渡り5cm位の、チャチなナイフ。チャチだが、刃はきちんと入っている様だ。
「……5cmだ。この刃は5cm。心臓を突けば、死ぬんじゃないかな」
パチンと刃を仕舞い、先輩はナイフを滑らせた。私の爪先にナイフが当たる。
「もう一度聞きたい。君は、縛られてるって思った事はある?」
ゾクと、私の背に嫌な物が走った。屈んでナイフを拾う。小さくも、そこそこの重量を感じさせた。
「――何で、私なんです?」
「俺、小説とか好きでさ」
言葉を紡ぐ。だが、何となくペラッちぃ気がした。
「死ぬなら、好きな人に殺されたいんだよ」
「告白ですか」
「告白だね」
パチリと刃がロックされ、私はグリップを握り込む。
「私も好きでした」
でした。でした。でした。
ゆっくりと、歩み寄る。触れられる距離。
ナイフの先を胸に当て、少し力を込めた。コートの布を裂いて、静かにナイフが沈み込む。
「――ありがとう」
先輩はそう確かに言った。
「なーんちゃって」
私は無事に三年に進級した。その後、先輩の名が新聞の一画賑わす事もないので、先輩は先輩なりに生きているんだろう。
ガチャンと、屋上に繋がる扉が開いた。1年前と変わらぬ、軽いのか重いのか解らない半端な重量感を味わいつつ、私はコンクリートに足をつけた。
「……あるかな……」
端に置かれたバケツの中、裏返され、雨に濡れないようにされた内側。教師にも見つからず、未だそこには玩具と本物が隠されていた。
「杜撰だなぁ、管理」
ナイフをポケットに仕舞い、銃を手に取る。ナイフの切っ先に数mmだけ付着した赤が、あの日を思い起こす。
「……ごめんなさい」
皮膚を少し、薄皮よりは厚く貫いた所で、私はナイフを落とした。
カシャと金属質な音が鳴る。
片目からは、知らず涙が流れていた。
「好きな人を……殺せるわけないじゃないですか……」
ズル……と、先輩に寄りかかるように私は崩れ落ちた。先輩の顔は見えない。
「俺こそ、ごめん」
不意に支えが消える。前に倒れそうになって、急いで手をついた。
――バタン
鉄扉の閉まる音が、鳴り響いた。
「勝手な先輩だったなぁ」
銃をクルクル回しながら、私は振り返る。今思えば、先輩は私を好きなんかじゃなかったんだろう。先輩には、死ぬ度胸も、好きな人に殺される度胸も無かった――と思ってる。
「ま、良いか」
銃をこめかみに向ける。
「あー、受験めんでーー」
カシンとへたれた音が鳴った。
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