コンコンと扉がノックされる音で目が覚めた。部屋の外から「サーニャ、起きてる〜?」と声が聞こえる。ハルトマン中尉の声だ。「はい」と返事を返すと扉が少し開いてハルトマンが顔を覗かせた。サーニャが目を擦りながらベットの上に身体を起こしているのを見て「起こしちゃったかな」と苦笑いする。部屋に入ってもいいかと聞かれてサーニャはコクリと頷いた。一見、接点の無いように見える二人だがハルトマンとサーニャは意外とよく話をする仲だ。よく話をするといっても話をするのはハルトマンで、サーニャは相槌を打ったり、聞かれたことに答えたりしているだけのことが多かった。
「あの・・・どうしたんですか?」
「ん〜?たまたま部屋の前を通りかかったからさ。さーにゃん起きてたらサウナにでも一緒に行こうかなって思ってね。」
 ハルトマンがあまりサウナを得意としないことをサーニャは知っていた、今の発言でハルトマンが自分を心配して様子を見に来てくれたのだとサーニャは気付く。
「あの、ハルトマンさん。」
「なんだい?」
「その・・いつも、・・・ありがとうございます。」
「あははっ!どうしたの急に?」
 ハルトマンは明るく笑って見せたが、サーニャは口を閉ざして俯いてしまう。
「なにかあったの?」
 サーニャに並んでベッドに腰を下ろすと、ハルトマンは落ち着いた口調で問いかけた。
 ベッドがギシッと軋んだ音を立てる。
 サーニャは黙ったまま俯き続けている。ハルトマンはサーニャの言葉の先を促すことはせずに、身体の後ろについた両手に体重を預けて、ベッド脇に垂らした脚をぷらぷらと揺らした。視線はサーニャではなく部屋の中に向けられている。
 しばらくの沈黙の後、サーニャが小さな声で話し出した。
「わたしは、助けてもらってばかりなんです。」
「そう?」
「…ハルトマンさんにも、エイラにも…いつも助けてもらっているのに、わたしは…」
 そう言ってサーニャは再び俯き、黙り込んでしまった。ハルトマンは揺らしていた足を止めて、サーニャの顔を覗きこんだ、ふわりと頬を擽ってきた柔らかな銀髪の間に、今にも零れそうなほど涙を溜めた翡翠色の瞳を見つける。
「サーァーニャ!」
 間延びした呼び方をしながらハルトマンはサーニャに抱きついて、そのままの勢いでベットへサーニャを押し倒した。突然の出来事にサーニャから「きゃ」と短い悲鳴が上がる。
 ベッドのスプリングが弾んで、ギシギシと悲鳴を上げる。
 サーニャの顔の両脇に手をついて距離をとったハルトマンは、いつもの幼い顔つきとは違って、大人びた表情をしていた。サーニャは一瞬、ハルトマンが知らない人のように思えて、その顔から目が離せなくなる。
 数秒、薄い青の視線と翡翠の視線が絡み合う。
「サーニャがさ。嬉しいとね、わたしも嬉しいから、それでいいんだよ。」
「・・・」
「だから、そんなこと考えなくて大丈夫だよ。」
「・・・でも」
 サーニャの横に転がったハルトマンは両腕を回して、ほぼ平らな自分の胸にサーニャの頭を抱えた。
「サーニャはエイラが嬉しいと、自分も嬉しくなるでしょ?」
「…はい。」
「ね?エイラだってそうだよ。サーニャが大切だから、サーニャの力になりたいんだ。」
「…」
「もちろん、サーニャの気持ちも嬉しいよ」
 サーニャの柔らかな銀髪を左の掌で撫でてやりながら、小さな子供を相手に、童話を聞かせているかのような穏やかな口調で、ハルトマンは言葉を紡いでいく。
「それにね。サーニャだってちゃんと助けてくれているよ。」
「・・・・」
「エイラもわたしも、みんなもね。サーニャの歌もピアノも好きなんだ。」
「でも「おなじだよ」
 それは、ハルトマンさんやエイラのしてくれていることとは違う、と言おうとしたサーニャの言葉を、ハルトマンが珍しく少し強引に遮った。
「おなじなんだよ。」
 ハルトマンは呟くかのようにもう一度繰り返すと、仰向けに転がった。
「なんだか眠たくなっちゃった。」
「え?」
「一緒に寝ようよ、サーニャ」
「あ、あの・・訓練があるんじゃ・・・」
 そう、夜間哨戒明けのサーニャには就寝時間でも、ハルトマンは午前の訓練に参加していなければいけない時間だった。サーニャの問いかけに「う〜ん」と唸って、ハルトマンはまた転がってサーニャに向き直った。その表情はまるで、悪戯を思いついた子供のようだとサーニャは思った。
「もともと寝坊して遅刻してたんだ、今頃トゥルーデがカンカンになってる。だから、ここで匿ってよサーニャ」
 ハルトマンの無邪気な笑顔につられてサーニャも微笑んだ。「起きたら、サウナに行こ〜よ」と言い終わると同時くらいに、ハルトマンは小さく寝息を立て始めた。そんな様子に、「もう寝ちゃった・・・」とサーニャはあっけに取られたが、サーニャはベッドに起き上がると、足元の方に畳んであった毛布を引き上げてハルトマンの身体を包んだ。
 サーニャは考える、ハルトマンが言っていることは、少し変ではなかっただろうか?
 そもそも、今朝はエイラを除く全員がブリーフィングに参加していたのだ、当然ハルトマンもその場に居た。坂本さんは病院へ行って、ミーナ体長は司令室で仕事。午前の訓練に参加するのはバルクホルンさん、シャーリーさん、ルッキーニちゃん、ペリーヌさん、リーネさん、芳佳ちゃん、それからハルトマンさん。でも、ハルトマンさんはここへ来た。心配してきてくれたことは嬉しいけれど、一体どうやって一緒に居たはずのバルクホルンさんを掻い潜ってここへ来たのだろう・・・?あの軍紀には厳しいバルクホルンさんのこと、目の前にいる遅刻、寝坊の常習者のハルトマンさんをみすみす見逃したりするだろうか?
 
 窓からサラサラとした風がふわりと入り込み、眠るハルトマンの前髪を攫う。ぴょこんと跳ねてしまった柔らかな金髪が、あどけない寝顔をよりいっそう無防備に見せた。
 天使のような寝顔とは、こうゆう風な顔のことを言うのだろうとサーニャは思った。こうしていると、人の寝顔をじっくり見たことなどなかったことに気づく。夜間哨戒から帰ってきたとき、いつもエイラの寝顔を見るけど、じっと見つめたことはなかった。なんせ、わたしは寝ぼけているし、そうでないときでも寝ぼけたフリをしていなければならないのだ、そうしなければエイラのベッドで眠る理由がなくなってしまう。
 サーニャは悩んだ。果たして、寝ぼけている人は、先にベッドで眠る人の顔をじっくり見たりするものだろうか・・・、ううん、やっぱりそれは無い。と、結論はすぐに出た。だって、ホントに寝ぼけてエイラのベッドに潜り込んだ時も、目が覚めて初めてエイラのベッドだ。と、認識するのだ。例え無意識に眠るエイラの顔を見つめたところで覚えていないんじゃ意味がない。
 サーニャは小さく息をつくと「寝ボケと寝顔」について考えるのをやめた。さっきから考え事ばかりしているなと思う、ころんと仰向けにベッドに転がり、段々と重くなってきた瞼を閉じた。隣りに感じる、ハルトマンの穏かな気配に、不思議な安心感をサーニャは感じていた。エイラが倒れてから、一人で眠ることが淋しくて、中々寝付けなかったベッド。空いていたスペースを久しぶりに埋めたのは、エイラではなかったけれど・・・。
 もしかしたら、ハルトマンさんは只一緒に眠るために、ここまで来てくれたのだろうかと思い至って、サーニャはハルトマンの方を向くようにシーツの上を転がった。
 考えすぎだろうか、でも、、この人ならありえるかもしれない。いつも、いつも掴みどころが無く、それでいて人への気配りを怠らない人。他人から一歩引いたようなスタンスは、エイラと少し似ていると思う。
「ありがとうございます、ハルトマンさん」
 掠れて消えそうな小さな声で、サーニャはすやすやと眠るハルトマンにお礼を言う。

 しばらくして、ぱっちりと目を開いた金髪の天使は、横で丸まって眠るお姫様を確認した。ハルトマンは自分に掛けられていた毛布を、そっとサーニャに掛けてやる。
「・・・・・・おやすみ、サーニャ」
 ハルトマンは眠ってなどいなかった。サーニャが思ったとおり、ハルトマンは只サーニャと一緒に眠りに来たのだ。しかし、少し語弊がある。正しくは、サーニャを寝かしつける役に選ばれたのだ。
 

続きを読む