小説工房　春夏秋冬

窓の形に切り取られた青白い月の光が寝室の真ん中あたりの床にぺったりと張り付いていた。

ガレーラが用意してくれたこの宿舎に着いて、女部屋としてあてがわれたこの部屋に一緒に入った航海士さんは、扉を閉めるなりベッドにうつぶせに倒れ込んで寝息をたて始めた。
その後のことを覚えていないということは、私もきっと同じく。

そして仲間も私も、ようやくベッドから起きだして来られた２日目の昼間。
１階のリビングに降りると船医のチョッパーが嬉しそうに駆け寄って来てくれた。
「ロビン！もう大丈夫なのか？」
足元で目を輝かせているチョッパーにかがんで目線を合わせる。
「ええ、おかげさまで。すっかり元気よ」
「ほんとか？みんなにも言ったけど、まだ無理しちゃだめだぞ。あとで傷診てやるからな」
お礼を言うと小さなトナカイは小躍りしながら喜んで、その姿を見られただけでも生きていて良かったなんて穏やかな気持ちが沸いてくる。

起き抜けでも賑やかに勢いよく食事を平らげていく男性陣たちをコックのサンジが「まだまだあるからゆっくり食べろ」と嗜めた。「レディ達は急にはたくさん食べられないよね」と気を使って用意してくれた卵と蒸し鶏のサンドウィッチと野菜スープを口に運びながら今朝の新聞を広げる。
司法の島エニエスロビーでの一件は全て麦わら一味の企てた事件であるという内容の記事が一面を飾っていた。みんなのことも書かれていたから教えてあげようかと思って、新聞から顔を上げてやっぱりやめた。どんな言葉を使っても自分の口から語っていい内容に昇華することはできそうになかった。隣の席から私の肩に頭を寄りかけて新聞を覗き込んでいたナミが私にだけ聞こえるように小さく「まあ、だいたい想像してたけどひどい言われようね」とおどけた調子で言ってきた。

食事のあと女部屋に戻るとすぐ、航海士さんはシャワーを浴びに行くと言い。タオルと着替えを手に持って「ちょっと行ってくるね」と部屋から出て行った。

乗船中はともかく、陸に上がった時はいつも「ロビン、洗いっこしよ！」と航海士さんがお風呂に誘ってくれていたから……

だから、てっきり今も彼女が笑って誘ってくれるものだと思い込んでいた。
こんな時、私が自分からは声もかけられないことを彼女は知っている。
知っている以上、航海士さんの行動の示すものは明らかな拒絶。
航海士さんの行動は、私が航海士さんにしたことを思えば当然の報いで、報いというには甘すぎるくらい。

私は心のどこかで、航海士さんとの間にできたあの夜のしがらみが、事件の収束と共に消え去ってくれはしないかと仄かに期待していた。

でも、それは。
私自身がこの手で彼女につけてしまった爪痕から、ただ無責任に逃げようとしているだけなのだと、一人部屋を出て行った彼女の姿に思い知らされた。

それ以外の時間では航海士さんは普通に接してくれていたけど、時折の振る舞いの中になんとなくよそよそしさを感じて、気まずさを押し込めたままで迎えた夜。

お互いそれぞれのベッドに入ってしばらくの時間がたった。

全てを包んで輝かせようとする太陽の光とはちがう、明暗をきっちりと分割して物の輪郭を際立たせる月明りが窓から差し込む角度をだんだんと高くしていた。

ロビンはベッドの上でずいぶん長い時間姿勢正しい仰向けを保ったまま天井を見つめていた。

明日、航海士さんに謝ろう。
許してもらえるかはわからないけど、ちゃんと謝ろう。

でも、もし拒絶されたら……
昼間見た華奢な後姿が、その答えかもしれない……

 

少し頭を冷やそう、そう思ってベッドから身体を起こした。
音は立てなかったはずなのに、ベッド脇に脚を下したところで隣のベッドから「眠れない？」と声を掛けられた。
窓と窓の間の壁に遮られて月明りの当たらない航海士さんのベッド。声を頼りに暗がりを見つめても、彼女の姿を見ることはできなかった。
「ごめんなさい。起こしてしまったわね」
サラサラとした床板の感触を素足のつま先で感じる。
なぜか悪いことが見つかってしまったような、そんな気がして、中途半端に床から足を浮かせたまま航海士さんの言葉を待った。
「ううん、平気。起きてたの」
航海士さんがベッドの上に体を起こしたのが気配で分かった。
そして、わずかに呻く声。
こちらに聞こえないように押し殺した航海士さんの声。
心配になって、航海士さん、そう呼ぼうとしたとき。
は、と気が付いてしまった。

……ああ、なんて。
私はつくづく自分のことしか考えられない人間なんだろう。

勝手に期待して勝手に突き放されたような気持ちになっていた私。

今やっと、彼女の真意に気が付いた。

彼女は今回の戦いで受けた傷を、私には見せないつもりだ。
その傷を見せないことで、私の中の罪悪感すら救い上げようとしてくれている。

それはつまり、私には見せられないようなひどい傷だということでもあるのに。

昼間、一人部屋を出て行った航海士さんの後姿が。
今、航海士さんを隠している暗がりから伝わる気配が。
そんな想像を確信に変えていく。

どうしてそこまでしてくれるの。
どうしてそんなに優しいの。

私は『麦わらの一味』以外の人間に対しては、これからだってきっと変わらない。
必要とあれば、騙し、裏切り、この手で傷つける。
なんの躊躇もなく実行できる。
そんなろくでもない、自信ではなく確信がある。

今でも私は悪魔の子。

いきなり生まれ変わることなんてできはしない。

こんな温かい気持ちの扱い方なんてわからない。
誰とも深く関わらず、逃げ回って生き伸びてきた自分の、人間力の低さに嫌気がさす。
せめて相手が極悪人か、屈強な男なら、相手をするのはむしろ得意なのに。

でも彼女は10歳も年下の女の子。
こんなとき一体どうしたらいいのだろう。

 

今も航海士さんの気遣いに気が付いたからといって、何もできない自分がくやしい。
ただ、彼女の心遣いを無駄にしないためと信じて、何も気が付かないふりをするだけ。
「航海士さん、時間も遅いし横になっていた方がいいわ」
結局、選びに選んで口から出た言葉はそんな子供に言い聞かせるようなものだった。

ベッドに触れている指先がシーツに皺を作った。

いつもなら、誰に何と思われようと気にもならなかったのに……

どうしてうまく話そうとしてしまうのか。
どうしてこの足は彼女の元へ歩み寄れないのか。
どうして彼女を抱きしめて労わることすら躊躇しているのか。

「そうね」
航海士さんの返事を聞いてほっとして、ベッドから立ち上がる。

途端「どこにいくのっ」と航海士さんの咎めるような強い声に肩が跳ねた。
航海士さん自身も自分の言葉の鋭さに驚いたようで、なんとなく気まずい空気。
あまり間をあけても良いことはない。
「……少し、外の空気を吸いたいと思って」
そう言ってから。
それじゃあ、この部屋に居たくない。と言っているように受け取られてしまうかもしれないと気が付いた。
「あ、航…」
「ロビン」
航海士さんの方から布団を捲る音とベッドのきしむ音。
「私も一緒に行く」

 

特に行こうと決めていた場所もない。
お店も閉まっている時間だから、本当にただ歩くだけの散歩。
そこらじゅうに広がる水路が月明りを反射して、黒い水面をキラキラと輝かせながら揺れている。
過ごしやすい気候の島とはいえ、昼間と比べればさすがに気温は下がり、ベッドを抜け出た時の纏わりつくような熱はいつの間にか消えていた。

「航海士さん」
「なに」
航海士さんは宿舎を出た時からずっと、私のＴシャツの背中側の裾を握っている。
「いくら夜中でも、こんな街中にお化けなんか出ないと思うわ」
「へぇ？」
私は背中にある航海士さんの手を指で指す。航海士さんは私の指が示す方向を辿って、自分の手に目線を落とし慌てたように手を放した。
「あ、いや、これはっ」
「？」
「これは…」
航海士さんが足を止めて、つられて足を止める。

月明りの下でも鮮やかさを失わないオレンジ色の髪が彼女の動きに合わせて揺れた。
「これは……だって…」
しんとした夜の街路に航海士さんの小さな呟きが吸い込まれるように消えていく。
言葉に詰まる姿は、いつもの利発で強気な航海士さんらしくない。
どうしたのだろう、やはり傷が痛むのだろうか。
Ｔシャツから伸びる航海士さんの腕には痛々しい痣がいくつもある、彼女が隠している服の下はたぶんもっと酷い。
もう帰りましょう、そう言おうとした時。
航海士さんに飛びつかれて、私は古い建物の壁に背中を打った。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

私はロビンに抱き着いてちょうど顔の前に来た胸に顔をうずめた。
ロビンの肌から柔らかな甘い花の香りが立つ。
自分でやっておいてなんだけど息がしずらくて苦しい……
耳を付けるように横を向くとロビンの心臓の音が聞こえた。
ドクン、ドクンと脈打つ音。
ロビン、今、生きてるんだ。
鼓動が聞こえる。そんなことが、ただ本当に嬉しいと思った。

さっきはキツい聞き方してごめん、とか。
夜なんだから一人で行かないでよ、とか。

何か言おうと思ってたのにTシャツ越しに感じるロビンの体があったかくて言葉なんて飛んでしまった。
「航海士さん」
ロビンの声が頭の上から降ってくる。
「腕が、傷ついちゃうわ」
ロビンの手が私の頭を撫でた。

「航海士さん」
またロビンが私を呼ぶ、丁寧に発音する少し低いロビンの声。
ロビンの声以外は、近くの水路を流れる水の音くらいしか聞こえてこない。

あの時とは違う、静かな夜。

ロビンが消えてしまった、あのアクアラグナの夜。
この手で、ロビンを繋ぎとめられなかった嵐の夜。

そういえば、あの時とは立場が逆ね。
あの時、私を捕まえていたのはロビン。
今、ロビンを捕まえているのは私。

抱きしめる腕に力を入れると、ロビンが苦し気に短い息を吐いた。
耳をくすぐってきたその吐息の温度に肌がざわめく。
それでもロビンが抵抗しないのを良いことに、腕の中の可愛いお姉さんをいじめてみたい気持ちが沸いてくる。
「航海士さん……つらいの？」
ロビンにしては曖昧な言葉選びだと思った。
そりゃあつらいわよ。
正直、立て続けの戦闘で体はもう限界、まだ休息も安静も足りない。ロビンの背中と壁に挟んだ腕も痛い。勢い任せにぶつかったから、また新しい痣ができてしまったかもしれない。
でも今はそんなの関係ない。

「航海士さん」
困り果てたロビンの声。
視界の端に、私の体の形に沿って空中をさ迷うロビンの手が見える。
ぶつかってきたのは私なんだから、手ぐらい勝手に好きなところに置けばいいのに。
触れることを躊躇するようなその動きに、うっかり服の下の傷に触れてしまうことを避けたいのだろうと勘付いた。

……なんだばれてたのか。

ロビンがこれ以上自分を責めたりしないように、新しい一歩を踏み出してもいいと思えるように。
ロビンとの楽しい入浴タイムを我慢してまで傷を隠したというのに報われない。

こんな体の痛みなんて、ロビンが経験してきたことを想像すれば全然大したことない。

「ロビン」
「なあに」
ロビンの声が、わずかにほっとしたような空気を含んでいた。
ロビンに言いたいことは山ほどある。
でもロビンを取り戻せた以上、今思いつく言葉のほとんどは焦って投げかけるような内容でもないと思った。

でも後回しに出来ないこともある。
耳から聞こえるロビンの心音は、さっきよりも少し落ち着いてきたようだ。

「ねえ、ロビン」
「ええ、なあに」
「もうどこにも行かない？」
「行かないわ」

エニエスロビーから帰還して、ロビンは何度、一味のみんなに同じ質問をされただろうか。
それでも、何度だって確かめたい。
ロビンの口から何度だって聞きたい。

トクントクンと続くロビンの心音。
そっと頭に触れてくるロビンの手に安心を覚え、急にどろりと眠気を感じ膝が落ちそうになるのを慌てて堪えた。

「ほんとに？」
「ええ、ほんと」
「じゃあ、ロビン」
「なあに」
「航海士さんって呼ばれるのやだな」

トクン、トクン……ドクン。

あ、動揺した。

顔を上げて、ロビンを見ると目を逸らされる。
「例えばの話だけど。こんな風にどこかの島に上陸している時とかに、他にも航海士がいたりしたら誰を呼んでるのかわからないじゃない？」
「他の航海士とあなたは違うわ」
遠回しに自分が特別だと言ってもらったような気がしてつい嬉しくなってしまう。
私の変化に気が付いたのかロビンが探るように笑顔を向けてきた。
以前よりも幾分か柔らかくなったロビンの笑顔に脳が蕩けそう。
すかさず、ロビンの腕が腰のあたりにするりと回ってきた。

あ、なんか、やばい。
色んなことがどうでもよく……

「て、ごまかすなっ！」
背伸びしておでこで頭突き。
「ふぅっ！うっかり流されるところだったじゃない。さすが悪魔の子ね！」
「……痛いし。ひどいわ？航海士さん」
「私だって痛いし！あんただってひどいわよっ！」
「それは悪いことしたわ」
「ほんとよ。あと『航海士さん』じゃなくて？」
迫ると、ロビンは口をむぐむぐと動かして小さな声で何事か呟く。
「なに？聞こえない」
目を覗き込むと、ロビンは顔を赤くしてどうしたらいいのかわからないというように狼狽えた。
うわ、ロビン可愛い！！
耳まで赤くして……なんだろ、すっごく苛めたい！

ろくでもない煩悩に流されてしまおうかと思ったとき視界が遮られた。ロビンのハナの手だ。
腰に回されたロビンの両腕にきゅっと引き寄せられる。
左の耳にロビンの唇が触れ息ごと吹き込まれた。
「ナミ………ちゃん」
ばか、反則。
何てことするの、腰が砕けちゃったじゃない。
動揺と衝撃とわずかな興奮に、どっと気力を使った体はもう立っていられない。

でも。
なんか幸せだから、もういいや。

ロビンに身体を寄り掛けて目を閉じた。

「航……ナミちゃん、大丈夫？」
言いなれないロビンの口調が可愛いと思う。
「ロビン、罰よ。連れて帰って」
「罰？」
ロビンはハナの手を出して私の体を支えてくれているらしい。
「そう、罰よ」
「それは、その……大変な思いをさせたから、かしら」
「馬鹿ね、違うわよ」
「？」
「あんた、私に勝手なことして逃げたでしょ？」
片目を開けるとロビンの腕の中だった。ハナの手じゃなかったのね。
お姫様抱っこするみたいに抱えられて、ロビンの堀の深い綺麗な顔がすぐ間近にあった。
理知的で端正なその顔がみるみる複雑そうに歪んでいく。
ナミは月明りで白く光る腕を持ち上げてロビンの頭をよしよしと撫でた。

あぁ、とても頭がいいはずなのに、この人は。
きっとまた、物事を余計にややこしく考えてるんだわ。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

あの夜。

どうせ死ぬのなら、と思った。
今思えば投げやりでも、あの時はこの命に「まだ続きがある」なんて思ってもいなかったから。
死ぬ前に貴女に触れてみたくなった。
私とは正反対の太陽みたいな貴女に。
闇ばかり見つめていた私を笑って陽だまりに連れて行ってくれた貴女に。
どうせ命も夢も過去も未来も。貴女も。
全部失くしてしまうのだから……

どんな罪ですら、この命の終わりとともに贖罪されると思っていた。

何て勝手な考え。
何てひとりよがり。

それなのに、とても近い距離であまりにもまっすぐ見つめてくる瞳。逃げ出したい。

こんなときどうしたらいいの。

わからない……逃げ出したい。

それなのに……

それなのに、逃げられない。

「……航海士さん」
「ちがうでしょ？」
「……ナ、ミちゃん」
「ん」
「……」

ロビンの後ろに満月が見えている。それは幻想的に青く光るブルームーン。
こんな珍しい自然現象が見られるなんて、幸先良さそう。あとでロビンにも教えてあげたい。
聡明で物知りなロビンのことだから、なにか知識を付け加えて面白いことを教えてくれるかもしれない。
それともただ「綺麗ね」なんて言ったり……

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

 

「綺麗ね」
「え」
「あなたは綺麗だわ」
視線を戻すとロビンが今にも泣きだしそうな顔をしていて、私は反射的にロビンの顔を両手で包んだ。ロビンはその頭の中にある潤沢な語録の中から一番相応しい言葉を捜すように瞳を揺らした。

「私は、たくさん………汚れているわ」
「それにしちゃあ綺麗ね」
思ったことを単純に言葉にするとロビンの瞳が僅かに細められたので、ナミはロビンの顔に当てていた両手を引いた。
「たぶん、あなたが…想像する以上に……汚いことを。……卑劣な行為を繰り返してきたの」
「そう」
「何だって……したのよ、本当に」
「うん」
「どんなことも、したの……っ」
「うん」
「何年も……何年も、ずっと、そうして来たの」
「うん」
「だから、私は………」

涙を一粒こぼしたロビンの瞳が言葉を捜すように揺れている。
ロビンの震える唇が一生懸命伝えようとする気持ちを、一言だって聞き逃すまいと体中の神経を集中させた。
「私はこわい」
「……」
「……自分の非情さを抑えきれずに……いつかまた、あなたを傷つけてしまうかもしれないことが」
ロビンは「ごめんなさい」と言って口をつぐんだ。

「また」というのは、本題のアクアラグナの夜の事を指しているのだろう、と察しがついた。
ロビンが伝えたいことも大体わかった。

＿＿＿＿いや、やっぱりわからない。

ロビンのしてきた汚いことというのは、きっと生きるために必要に駆られてしてきたことだろうと思う。

それをしなかったらロビンはそこで死んでしまっていたかもしれないわけで。

それに、どんな残虐なことをしてきたとしても、そこにロビンの積極的な意思があったとはどうしても思えない。

どんなことがあったのか、そんなこと詳細に聞くべきじゃないってことは自分の経験からでもわかるから聞かないけど。

なんでも話せることだけが信頼の証ってわけでもないと思うし。

でも。もし、ロビンが気持ちを吐き出したいと思ったときに、それを話せる相手が自分だったら嬉しいと思う。

今、ロビンは自分で「汚い」と称する過去を少し触らせてくれた。
それは、どれほど勇気がいることか。

震えるロビンが可愛いと思う。

ロビンの零した涙はどんな宝石よりも美しいと思う。

こんなに美人で、こんなに頭が良いのに、自分から人に近づけない臆病なところが愛おしいと思う。

いつのまにか濃いブルーの瞳の奥に虚無が生まれていた。
その瞳は知ってる＿＿＿。

きっと、自分の言葉をきっかけに何かを思い出しているのだろう。

「ロビン」

呼びかけると、はっとしたように瞳に生気が戻る。

「ロビンは今どうしたいの？」

「え」

「私はロビンが戻ってきてくれて嬉しい」

言ってから、ちょっと違うなと思って言い直した。

「私はロビンのそばにいたいよ」

少し照れくさくなってロビンに笑顔を向けてごまかした。

ロビンの瞳が少しの間ぽかんとして、それから長いまつげを付けた瞼が何度か瞬く。

「……本当に？」

疑るようなロビンの口調に僅かに含まれた期待の気配。

「あたりまえでしょ。ロビンはどうしたいの？」

ロビンの瞳からまた一粒涙が落ちた。

「……そばに……いたいわ」

「だれの？」

「こう……」

「ちがうでしょ」

「……ナミちゃん、の」

私はロビンの首に腕を回してロビンの頭を胸に抱き寄せた。

「うん。よくできました」

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

「そうだ。ロビン、心配しないでも大丈夫よ」

「？」

ナミは口の両端を持ち上げ、ロビンのさらさらの黒髪の間から覗いた耳に口を寄せる。

「この間のお返しはきっちりさせてもらうから」

 

了

ガレーラ本社でのアイスバーグ市長襲撃の後。
見張りを付けられるでもなく、以外にも自由な時間を与えられた。

店主も客も不在の酒場で、カリファという市長の元秘書が淡々と海列車の発車時刻を告げてくる。

「さ、たいして時間はないけど。夜の街でも見てきたら？」

眼鏡の縁を触るのがこの女の癖なんだろうと思った。
ロビンのいる丸テーブルから二つ隣のテーブルの椅子に着いているカリファ。
左手の指先で眼鏡の位置を直しながら「この街は夜も綺麗なの」と人を測るような視線をロビンに向けてきた。

「……」
「どうしたの？もう二度と自由には歩けないのに」
「……」
「一歩もね」

何かしゃべる気にはなれない。
ロビンは丸テーブルに手をついて立ち上がった。

「あら、行くの」
「……時間には戻るわ」
「助かるわ。だって……貴女がもし、戻らなかったら」
カリファは組んでいた網タイツの脚を組み直しブロンドの髪をかき上げて気だるげにため息をついた。
「私たちの仕事が増えてしまうもの」
「……」

 

すでに政府との取引は進んでいる。今更私が逃げないことなど承知の上ということなのか。
それとも、アクアラグナが迫り来るこの水の都から逃げられる手段など無いからだろうか。

フード付きのマントをかぶり酒場を出た。
物陰に潜んで行こうかと思って、その必要がないことにすぐ気が付いた。
街中ががらんとして、人の気配がしなかった。
多くの人がすでに高台へ避難したのだろう。
僅かに残っている人もみな雨除けのためのフードをかぶっている。

鉄板が窓にはめ込まれた建物に沿って歩き。
いくつかの水たまりを避け、いくつかの角を曲がった。
そして、白い石でできた建物の角を曲がろうとした時。
何かの気配を感じて建物の影に身を潜めた。

その気配はこちらへ近づいてくる。
スピードが速い。
この角を曲がった先は水路。
相手はヤガラに乘っているのか＿＿＿。
マントから出した両腕を胸の前で交差する。
素肌の腕に落ちてきた雨が肘へと流れて地面に落ちた。
政府の人間以外の者だったら、今捕まるわけにはいかない。
その時は＿＿＿。

 

お願い、私に気付かないで……！

 

外になんて出るべきではなかった。
行き場所なんてもうないのに。

 

ふいに、メリー号の可愛らしい船首が目の前に浮かんでくる。
そして、どこまでも広く青い空と、船についてくるカモメ。
豪快に笑う船長さん、鍛錬に励む剣士さん、サービス満点のコックさん、発明に勤しむ長鼻くん、照れて踊る船医さん。
そして、太陽みたいに快活な航海士さん。

みんなから距離を取る私のそばには、いつも航海士さんが居てくれた。
それとなく与えてくれる穏やかな優しさに、いつまでも甘えていられるものなら、そうしていたかった。
自分で一味を抜けたくせに、今更。
もう一度会いたいなんてどうかしてる。

 

やはりヤガラに乘っているらしい人影は何事か騒ぎながらロビンの潜む建物に迫った。

 

「ロビーーーン！！」

 

……そんな。

嘘でしょう。

 

横を通り過ぎるヤガラの背に目を凝らした。
強くなった雨が邪魔をする。
小柄な人影。
オレンジの髪。

 

「ロビーーーン！！」

 

間違いない。

 

ヤガラの背から彼女の身柄を攫うのはそう難しいことじゃない。
強いて厄介なことがあったと言えば、雨が強く降っていたことくらい。
慌てふためく航海士さんを、路地裏に引き込んで建物の壁に押さえつけた。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

ヤガラで水路を走っていたはずなのに突然の浮遊感。
身体が凄い力で引っ張られて、勝手に水路から橋の上へ、橋から路地へ、そして建物の角をいくつか曲がり、やっと地に足がついた。
かと思えば、目の前に見覚えのある長身の女が一人現れた。

ぱっと花びらが舞う。

建物の壁から腕が何本も生え、その腕が私の体を押さえつけた。
この能力は間違いない。

「ロビン・・・っ！」

強い風がロビンのマントを翻し、長い黒髪をフードから曝け出した。
刻一刻と強まる雨風が二人に吹き付ける。

「ロビン、無事だったのね！あ、あと一味を辞めるってどういうことよ！」

ナミは混乱しつつも、ようやく会えたロビンに逸る気持ちを訴えた。

「みんな心配して探してる、一緒に帰ろうロビン！！」

辺り一帯をくまなく打ち付ける雨音。
建物を切り裂くような強風。

ほんの数歩先に佇むロビンはナミの声が聞こえているのかいないのか、ただ雨に打たれて立ち尽くしている。
ナミはロビンの様子に嫌な胸騒ぎがした。
大粒の雨にその姿すら見失いそうになる。

「聞いて！私達はロビ」
「航海士さん」
ロビンはナミの言葉を遮った。

「時間がないの。おしゃべりは無しよ」

言葉の強さとは裏腹に怯えているような足取りでロビンはナミの前まで歩み寄った。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

「ロビン、手を離してっ」
ハナの手の拘束を振り払おうと試みる。
しかし、悪魔の実の能力は少女が一人暴れたくらいでどうなるものでもなかった。
「一緒に帰ろうよ、ロビン」
数時間ぶりに近くで見たロビンの顔。
力の入った眉間、真横に引き締められた唇、危うげに曇った瞳。
いつもの余裕を滲ませたロビンの顔とは打って変わり、まるで別人のようだ。
ナミはうかつにも掛ける言葉を失ってしまった。

会うことさえできれば。
話さえできれば。
ロビンは帰ってくる。
ナミは漠然とそう思っていた。

事態の大きさを測り違えたのだろうか？
彼女の心意を読み違えたのだろうか？

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

 

「航海士さん」
ナミの顔に雨で貼り付いた髪を払い、冷えた白い頬を撫でる。
労わるようなロビンの手つきに一縷の望みを持ったナミは弾むような気持ちで顔を上げた。
「ロビ・・・」
ナミの視界でオレンジと黒が混ざる。
口の中へ押し込まれた雨の味。

きつく閉じられたロビンの瞼。
押し付けられた長身の身体。

ナミの背中に回ってきた、ロビンの腕が震えていた。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

 

……ええっと？

なんだろ？

いま、なにが起きてるんだっけ？

 

アイスバーグさんにロビンの話を聞いて、それから、ええっと。

ロビンの舌に頬の内側を舐められて思考が途切れる。
誘うように下顎の窪みをつつかれて、うっかり舌を差し出しそうになる。

 

まって、まって。ロビン。

 

じれったそうに押し付けられたロビンの身体。
服の隙間からぶわりと放たれる色香に頭がおかしくなりそう。

 

頭の中を整理したいの。
少しだけでいいから、ちょっとまってロビン。

 

顎をロビンの手でつかまれて少し強引に引き下げられた。
「ぅ、んんっ」
さっきまでの誘いは何だったのかと思うほど、あっさり舌を絡めとられる。

力の入った舌の表面をロビンの柔らかい舌が行ったり来たり。
唾液の混ざる音に体温が上がる。
何度もこすりつけられてだんだんと舌が熱く柔らかくなる。

頭が痺れる。
腰の辺りがふわふわしだす。

 

あ、これちょっとまずい。かも。

 

ロビンの身体を抱きしめたいと思った。

身体をなぞって、もっと積極的に絡み合って。
もっと深いところでロビンを感じたい。

 

なんて……

なんて、あたしはおっさんかーーーーっ！！！

「ふ、んん、ぐ、ふぐんううーーー！！」

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

口を放して目を開けると、気の強い瞳と目が合った。

怒っているか。
怯えているのか。
読み取れない。
航海士さんのことだから両方かもしれない。
どちらにしたって、もう、どこにも引き返せない。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

ただ、ぼんやりとこちらを見つめてくるロビンが何を考えているのかは分からない。
もしかしたら、まだ明らかになっていないロビンの事情があって。
それが物事を複雑に見せているだけなのかもしれない……
でも、一つだけ分かった。

今のロビンはもろいガラス細工かなんかみたい。
ほんの少しのことでも壊れそうになってる。

アイスバーグさんから聞いた話では、ロビンは『麦わら一味全員の命』と引き換えに『自分の命』を差し出したと聞いた。

 

それって、私たちが「そんなことしなくていい」って否定したら終わる話なんじゃないの？

私たちが「一緒に戦う」って言ったら、あんた帰ってこれる話なんじゃないの？

あんたが死んだらみんながハッピーだなんて、馬鹿にすんじゃないわよ。

なにが『麦わら一味全員の命』よ。あんたが居ないのに『全員』だなんて言わないでよ。

 

思うことはたくさんあるのに、そのどれもが今のロビンに掛けられる言葉じゃない気がした。

 

……もしかして。傷つけることで、私を突き放そうとしているのだろうか。

ふと、そんな考えがナミの頭をよぎった。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

肌が痛いほどざわついている。
ロビンの肩口から空を見上げた。
落ちて来そうなほど分厚い雨雲が天を覆っている。
天気はまだまだ荒れそうだ。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

せっかくロビンを見つけたのに何か考えなきゃ。
でも、昨日からいろんなことが起こりすぎててついていけない。

ロビンは他にすることがないかのようにナミの顔を何度も撫でて、再び唇を重ねてくる。

 

傷つけようとしている感じは、やっぱりしないんだけど＿＿＿。

唇を舐められた。
開けての催促。
少し迷ってから薄く開くと、花の蜜みたいな味がそろりと入ってきた。
舌の脇をくすぐられ、前歯で唇を挟まれる。
喉に入ってきた唾液を飲み込むと甘かった。
ロビンの舌が伸びてきて舌の根元の方をつつかれる。
その刺激につられて舌を浮かせるとすぐに絡めとられた。
舌を前後に動かしてこすり合わせてくる。
腰が震える。

だめだ、あたし、これ弱い。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

 

ロビンと目が合った。
無性に抱きしめたくなる。
中途半端に拒絶も許容も出来ないでいるのが辛い。

お互いに積極性を出し合ったらとんでもない高みまでいけるんじゃないか。

いや、まて。
まて、あたし。
あたしが暴走してどうするの。

肯定的でも否定的でもない態度でやんわりと受け流すことはできないだろうか。
そこまで考えて。
そういうのは、ロビンの方が得意なんだった。と気が付いた。

ナミの身体の形を確かめるようにロビンの手の平が服の上から背中をゆっくり撫でてくる。
「…ん」
肩甲骨をさぐられ、背骨をつたい、腰骨の辺りを誘うように撫でてくる。
その手は、時々いたずらに腰骨よりも下に向かうような動きを見せた。
尾てい骨の辺りをさらりと撫で、ナミがびくりと身体を震わせるのを楽しんでいるようだった。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

 

「わっ」
唐突にロビンがナミの左肩口に頭をぶつけ、そのままの勢いでナミに体を預けてきた。
後ろに壁がなかったら二人して石畳の地面に倒れてしまうところ。
「ロビン？」
ロビンはぐったりとして動かない。
ナミの背中に回した両腕だけがかろうじてＴシャツを握っていた。

ハナの手が消えてる……
そっか、ロビンは能力者だから。
こんなに雨に濡れてたら弱っちゃうよね。

いや、まって。
もしかして今はチャンス？

このままロビンを捕まえて＿＿＿。

ううん。
捕まえるってどういうことよ、ロビンは仲間なのよ。
自分の意思で帰ってこなくちゃ、きっとまた同じことの繰り返しになる。

ナミはロビンの体を支えながら、その背中で風にはためいていたフードを捕まえてロビンの頭にかぶせた。
フードも濡れてしまってはいるけど、直接雨に打たれるよりか幾分ましかもしれない。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

「ロビン」

ロビンの耳のあたりに向かって呼びかけると、ロビンが小さく、本当に小さく首を振った。
わずかなやり取りにしろ、ようやく自分の言葉にロビンが反応したことを喜ばずにはいられなかった。

「ロビン」

弾んだ声でもう一度呼ぶと、ロビンがナミの肩からゆっくりと顔を上げた。
フードで影って表情が良く見えない。

「航海士さん」

静かなロビンの声。

 

「時間よ」

 

ロビンの腕がナミの背中を滑り落ちる。
ナミは縋るようにロビンを抱きしめた。
「だめっ、いかないで！」
「……」
ロビンは自分の両腕でナミの肩を掴んで身体を引き放す。
そして再び、ハナの手を出してナミを建物の壁に押さえつけた。
「ロビン！」
「さようなら…航海士さん」
ロビンが歩き出す。

もう本当に最後＿＿＿。

そんな気配が、遠ざかっていくロビンの後ろ姿からひしひしと伝わってくる。

激しさを増した雨が数メートル先のロビンの姿をかき消す。

「ロビン！まって！行かないで！！ロビン！！」

ロビンは消え、その少し後にハナの手も消えた。

ロビン……っ！！

ナミは地面に膝をつきたい気持ちになった。

ロビンが現れてびっくりして。
ロビンに求められて戸惑って。
ロビンが居なくなって、悲しくて。
悔しいやら。
寒いやら。

頭がいいのにちょっとおかしいロビン。
不吉な発言で仲間を怖がらせるロビン。
少し遠くからみんなを見ていたロビン。
いつもどこか遠慮していたロビン。

「なによ……こんな勝手ばっかして」

喋るとロビンの味がした。

「勝手に逃げるなんて……」

二人分の熱でまだ身体が熱い。

「ふざけんじゃないわよ」

ロビンに突き放された両肩が痛い。

「私は……このくらいで諦めたりしないわよっ」

ナミはこぶしを握り締め、石畳を蹴って走り出した。

 

 

了

「ん〜っ」

横むきの体勢から、ゴロンと天井に向き直して、あくびをしながら手足をぐいっと伸ばす。

「ナミ、おはよう」

「おはよう、ロビン。いつも早い、わ……ね？？」

いつも通りの朝＿＿。

海が凪ぎで、静かすぎるくらいの天気の良い朝。

いつもナミよりも早起きなロビンが発した声は、アルトと言うには、やけに澄んでいた。

ナミが視界を遮っていた布団を取り払い、身体を起こしてロビンを見ると、部屋の真ん中のテーブルで本を広げてるロビン。

「あれ！？」

＿＿＿何。

ナミが怪訝な顔をしてみせると、ロビンは困ったような、面白いものを見たような、そんな中間の表情でナミを見つめ返してきた。

「髪切った？」

「いいえ」

「お化粧変えた？」

「いいえ」

「て、いうか。声！どうしたの？」

「朝起きたらこうなっていたの」

「ご、ごめん。あたし、寝ぼけてるのかもしれないけど変なこと聞いても良い？」

「ええ」

「本当にロビンよね？」

「ええ」

「じ、じゃあ。今いくつ？」

「……たぶん、ナミちゃんと同い年くらいかしら」

幼い顔つきのロビン。髪型も前髪をつくってた２年前までの髪型に戻ってる。

心なしか身長もだいぶ低くなってるし、肩幅も華奢になってるかも……

「……なんか、前にもこんな事あったわね」

「アインのモドモドの実の能力ね。その時は体細胞が若くなっただけで、こんなふうに見た目が顕著に変わることは無かったわね」

「冷静に分析してる場合かっ！」

昨日の夜、寝る前まではいつものロビンだったのに。

ナミがため息をつきつつロビンの側に来ると、ロビンから香ってくる花の香りがいつもより弱い気がした。

ロビンの後ろからテーブルに手をついて、久しぶりの切り揃った黒髪を一房すくって口づける。

「おはようのチューね」

「え」

ロビンがきょとんとした顔を向けてくる。
口にしてくれないのか、と無言でねだってくる。
沸き上がった熱をなんとか無視して、口の両端を上げたナミは右手でロビンの頭をポンポンと叩いた。

「立ってみて。身長どのくらい？今は私の服の方が合うでしょ？」

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

 

「調べたけど、子供に戻ってしまった原因は今のところまだ判らないんだ」

＿＿＿ごめんなロビン、もう少し辛抱してくれ。と謝る可愛いトナカイの小さな背中をロビンの手が撫でている。

「あ、それと。ロビンは今１６歳ってところだな」

「年下？へえー、ロビンて子供の頃から大人びてたのね」

「お前がガキっぽいんじゃねえか？」

ゴンッ！！

「さっすが、ロビンちゅわん。いくつになってもお美すうぃ〜！あ、呼び方はロビンちゃんがいいかな？それともナミさんとお揃いでロビンさん？」

「て〜か、健康に支障がないんなら、このままでも問題ないんじゃないのかぁ？」

「健康に支障があるかどうかはもっと良く調べてみないと分からないけど、今のところ身体に異常は見られないな」

「ロビンは特に何も感じないの？痛いとか、痒いとか」

「ええ、特に何も感じないわ」

まだ耳になれない若く澄んだ声。

「じゃ、あとやることは一つね」

「なぁに？」

「お買い物よ！」

「何を買うの？」

「服！」

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

出かける前にロビンの髪をポニーテールに結ってあげると、眼鏡が似合う優等生みたいな雰囲気になった。

知らなかった。

優等生って大人になるとあんなに色っぽくなるのねぇ……

けしからん。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

「ねえ、ナミ」

「ん？」

「もう充分買ってもらったわ」

ロビンは両手に下げた紙袋をナミに向かって少し持ち上げて見せた。

「ま〜だ！あと靴も欲しいわね」

「それは……そうね」

ロビンはナミに借りた白いパンプスに視線を落とした。

さすがに靴を借りっぱなしにはできない、と思っているようだった。

ナミはロビンの横顔をことあるごとに盗み見た。

大人ロビンの伏し目がちな感じも色っぽくていいけど、瞼がぱっちり開かれている今のロビンの顔も可愛い。

１８センチもあった身長差が、今は５センチくらいしか違わなくて、いつもより顔が見やすくていいなあ、なんて思ってしまう。

「ねえ、ロビン」

「なにかしら」

「喋り方が大人っぽすぎるから今の年齢に合わせてみて」

「ええ？」

「だってお店の人とか不思議そうな顔してみてたよ？」

「……」

「目立つの嫌でしょ？」

「……っ」

「ね、ロビン」

「…うん……わかった」

砕けた返事。

どっひゃ〜〜〜、可愛い！可愛い！

幼い声で、少し照れてるのが可愛い！！

たまらん！！

チョッパー！！

これ、あんまり頑張って治さなくてもいいかもしれないわっ！

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

夜になってもロビンは子供のままだった。

「ロビンは元に戻りたい？」

「ええ」

「こっちのロビンも可愛いのに」

若返るなんて素敵じゃない。という言葉はひとまず飲み込んだ。

「腕力がないから戦闘で不利になるし、学者としても言葉の信ぴょう性が疑われるじゃない？」

「なるほど」

「……ナミは、こっちの方がいいのかしら？」

「え、ぁ。いや、どっちのロビンも好きだけど」

「けど？」

「ちょっと新鮮でいいかな〜、なんて」

「……なるほど」

「嘘、ごめん」

「新鮮ね」

「嘘だってば〜〜」

「……でも、こんなに小さい身体だと、簡単に袋に詰められて攫われてしまうかも」

「それは困るわっ！！チョッパーに頑張ってもらって、とっとと元に戻りましょう！！」

急にキリッとしたナミの顔にロビンが噴出して、つられてナミも笑った。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

 

「ウィルス？」

ロビンはチョッパーに向かって首をかしげた。

「そうだ。グランドラインの中でも珍しい方のウイルスで、抗体からワクチンを作るのに１週間はかかる」

「じゃあ、ロビンは元に戻れるのね」

「ああ」

「良かったわ」

「良かったあ、攫われなくて」

「攫われるってなんだ？」

「あ、何でもないの！」

「ありがとう、チョッパー」

「うん、もう少しの辛抱だからなロビン」

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿


チョッパーの調べにより、ロビンの若返りの原因は特殊なウィルスであることが判明した。

内心、戻らなくてもいいんじゃないかと思う気持ちもあるっちゃ、ある。

だって、幼いロビンはほっぺなんかもぷくぷくしちゃって、すごくかわいいし。

あ、もちろん元の大人ロビンもすっごく綺麗で可愛いけど、いつかは成長して元の姿に戻れるわけなんだし。

それに、どうしてだろう＿＿＿。

大人のロビンが背負っていた儚さが、今のロビンからは感じられない。

エニエスロビーから２年以上も経って、改善されたとはいえ、ロビンはやはりみんなから少し距離を取っていて。
それが大人として自立しているからだというなら、子供の内からしっかりと、仲間と打ち解けられるように教育し直したい。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

ワクチンの調合を待つこと３日目。

あたしはロビンを連れて再び島へ上陸した。
昨日買い物をした靴屋で、山の方に小さな遺跡があると聞いたからだ。

「ナミちゃん、付いてきてくれるのはとても嬉しいけど」

「なによ」

「あの」

ロビンの顔は心なしか赤くなって、繋がれた手に目線を落とす。

「だって遺跡よ？ロビンが遺跡って言ったら、もう勝手にあちこち行っちゃうんだから。最初からこうしていないとはぐれちゃうじゃない」

「……うん」

サニー号の停泊しているこの島は、紅葉のきれいな秋の島であたしはロビンと二人、昨日買った色違いのマフラーを巻いて探索用のリュックをそれぞれ背負い山を目指した。

赤やオレンジの葉が折り重なり、かさかさと音を立てる山道をしばらく歩いていくと＿＿＿＿

「おねーちゃん達」

いかにも、ろくでもなさそうな男たちが抜き身の剣をぷらぷら見せながら、どこからともなく現れた。

山賊か＿＿＿。

太ももに仕込んだ天候棒をカチャと組み立てる。

ロビンも胸の前で両腕を交差した。

「身ぐる剥がされたくなかったら、有り金全部置いて行きな！」

「へっ、へっ、どっちのおねーちゃんも可愛いじゃねえの。ついでに、お兄さん達と遊んでくかい」

男たちの下卑た声。

ロビンがわずかに半歩下がった。

それは、無意識かもしれないけど、ロビンは私の影に入って、怖いものから隠れようとしたみたいで。

それはつまり、ロビンにとって私は『自分を守ってくれる強い人』という認識だということで！

あたしはロビンの『頼れるお姉さん』！！！

サンダーボルト・テンポ！！

＿＿＿ぎゃああああああっ

ガスト・ソード！！

＿＿＿どうわあああああっ

 

「遺跡に向かって逃げるわよ！」

「うん！」

ロビンの手を引いて走った。

 

私は急に理解したのだ。

ああ、そっか。単純な答え。

あたしは今、ロビンよりも年上だから。

だから、ロビンから儚げな雰囲気が消えたんだ。

ロビンがあたしのことを、心から頼りにしてくれているから。

どこかへ行くも行かないも、全部あたしに任せてくれているから。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

その夜、遺跡の探索で疲れたらしいロビンは早めにベッドに入って寝息を立て始めた。

ナミは部屋のテーブルで航海日誌を付けていた。

「停泊中の秋島で山賊に遭遇、戦闘後……遺跡探索でお宝回収っと」

ナミは腰を伸ばし欠伸をひとつすると、インク壺に蓋をしてテーブルから立ち上がった。

ドレッサーで化粧水をはたいているとベッドの方から声が聞こえた気がした。

「ロビン？」

小声で呼ぶと寝息らしい音が聞こえてきた。

小さな夜間照明を残してベッドに向かう。

壁側でナミの方を向いて寝ているあどけない顔。

その頬に光る涙の跡。

ロビン＿＿＿。

 

ロビンは何も言わないけど、どうしようもないから我慢しているだけで、本当は子供の身体でいるのが辛いのかもしれない。

もしかしたら、辛い過去を思い出してしまう原因になっているのかも……

まだ１６歳の身体に３０年分の記憶と経験を詰め込んで、身体が小さくなった分、心への負担が大きくなっているのかもしれない。

私はロビンの手を握った。

「元に戻るまで、あたしが絶対守るから」

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿


珍しいものを見た＿＿＿。

空は快晴。

風はそよ風。

時間はお昼ご飯とおやつの間。

 

サンジ君と食費の打ち合わせなんかをしてキッチンから出ると。

サニー号の甲板の芝生の上にコロンと転がっているロビンがいた。

目を瞑っているだけかもしれないと思って、念のため小さな声で呼んでみる。

「ロビン？」

足音を立てないようにそっと近づいて、横向きに寝ている顔を覗き込む。

揃った黒髪の前髪が流れてちらりと見える額。

ふかふかしたほっぺがほんのり赤くて。

ぷにぷにの唇が僅かに動く。

 

うひゃ〜〜〜〜〜っ

なんなのこの、殺人的可愛さはっ！！！

くるしいっ！

萌え苦しいっ！！！

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

 

さすがに気配に気が付いたのか、ロビンが「ん」と声を発して身じろぎした。

「あ、起きちゃった」

「…にゃみ？」

呂律の回らないロビンが噛んだ言葉に鼻血が出そう。

ナミは鼻を押さえながらロビンの側に座って膝をポンポンと叩いた。

「？」

なぁに、と首をかしげるロビン。

「頭乗せてロビン」

「え、でも」

ロビンは心なしか頬を染め、どうしようか悩んでいる様子。

「あたしも進路見るのに、しばらくここにいるから」

ね？、と笑いかけるとロビンは恥ずかしいのか顔を俯かせたまま寄って来て、あたしの膝に頭を乗せた。

横向きに寝ころんだロビンの頭や肩を撫でてやる。

「今日はデッキチェアじゃないのね」

「…さっきルフィが壊してしまって……、今フランキーが直してくれているわ」

「あぁ……なるほど」

 

甲板に弱くて小さなつむじ風が起こった、芝生をかき分けながらナミとロビンの方に向かってのろのろと進んでくる。

ナミは右手でロビンの背中を撫ぜながら、左手で天候棒の３本の内の１本を取り出して、そのつむじ風を拾い上げるように空へ逃がした。

「すごい……」

ロビンが感心したように呟いた。

「実は大したことない原理なのよ」

「でも、すごいわ」

「あ、ありがとう…」

なぜかロビンが急に大人に戻ったような気がして、黒髪の頭を撫でていた手を止めてロビンを見る。

やはり、ロビンは子供のままでほっとしたような、残念なような……

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

 

「なんだ、ロビン寝ちまったのか？」

後ろから声を掛けられてナミは肩越しに振り返った。

そこにはロビンを覗き込むルフィが。

「しぃっ！よく寝てるんだから」

「そっか、んじゃ俺も寝よ〜」

ロビンの隣に転がったルフィ。

「あ、いいな、お前ら俺もお昼寝したいぞ」

「俺も俺も、こう陽気が良くっちゃ眠くって」

釣りをしていたチョッパーとウソップも道具を投げ出してきて芝生に転がった。

「あ？みんなここにいんのか、じゃあ俺も」

今の今まで船首の方で昼寝していたゾロも来た。

「んナミさあぁぁん、んロビンちゅわ……」

「しぃっ！」

「おっと失礼。てか、お前らまでっ！俺もレディ達とご一緒するぜ」

サンジもくるくる回りながら芝生に寝ころんだ。

「お、なんだ、なんだ。せっかく直してきたのに用無しだったか」

船底から出てきたフランキーがデッキチェアを担いで現れた。

「しっかし、全員気持ち良さそうに寝てやがんな……何だか俺もねむ…」

 

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

気が付くと膝の上にロビンが居なかった。

あたし、あのまま寝ちゃったんだ……

辺りには、ロビン以外のクルー全員が寄り集まって眠っていた。

甲板を見回すといつものデッキチェアにロビンがいて、にこにこしながらこちらを手招きしていた。

みんなを踏まないように避けながらロビンのところへ。

「ずっと起きてたの？」

「いいえ、今さっき起きたところよ」

喋り方が大人ロビンに戻ってることに気が付いたけど直させなかった。

やっぱりロビンは見た目が子供になっても、落ち着いた喋り方が似合うと思った。

「みんな眠かったのね」

「まあ、春の気候だしね」

「ふふ」

「でも、それだけじゃないの分かる？」

ナミがロビンの顔を覗いて口の両端を持ち上げた。

「それだけじゃないって、なあに？」

「なんだと思う？」

悪戯っぽい笑顔を見せるナミにロビンは数瞬考えて。

「薬でも盛ったとか」

「なんでよっ、ばかっ！」

ロビンの頭にチョップ。

「みんなあんたと一緒に居たかったのよ」

「ぇ？」

「いつも一人で距離取ってるあんたが、あんなとこで無防備に寝てたら、そりゃあ一緒にお昼寝だってしたくなっちゃうわ」

「……」

「そういうもんなの！深く考えなくていいの！」

今度はチョップの代わりにロビンの頭をポンポンと叩き、ナミは船首に向かって歩き出した。

「どこに行くの？」

ロビンにしては珍しいセリフだし、何だかちょっとこそばゆい質問。

「進路見に行くの」

振り返って「あんたも来る？」と聞いてみる。

上下に振られた黒髪の頭に満足して、ナミはペースを落として歩きだした。

 

空は快晴。

風はそよ風

きっと、もうすぐおやつの時間。

 

横に並んだロビンの手を握った。

前方よし。

進路よし。

ロビンが元に戻るまであと2日。

このまま、無事に乗り切れますように。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

この１週間は、よく子供の頃の夢を見た。

見た目が変わっただけで、中身は大人のままでも、精神年齢が下がってしまっていたのだろうか。

酷い夢にうなされて起きた夜もあった。

きっと、ナミちゃんはそのことに気が付いていたのだろうけど、何も言わずに側にいてくれた。

本当に優しくて暖かい、太陽のような人。

私の大切な人。

 

今日は、１６歳の子供から、３０歳の大人へと戻れる日。

急に子供の身体になった時は戸惑ってしまったけれど、ナミちゃんの心遣いのおかげで、何とか乗り切ることができた。

子供に戻って戸惑う私を、気晴らしにお買い物へ連れて行ってくれた。

遺跡があると聞けば、前日から一緒に探索の計画を立て、手を引いて連れていってくれた。

山賊からあたしを格好良く守ってくれた。

遺跡でお宝を発見した時の、ナミちゃんの嬉しそうな顔が忘れられない。

それからサニー号の甲板でみんなと一緒にお昼寝もした。
安心して眠ってしまったのは、私の中の無意識が仲間への警戒を解いているからなのか。

それとも、一番近くに居てくれた彼女が繰り替えし、その温かい手で、背中や肩を擦ってくれていたからだろうか。

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

サニー号には梅雨の空気が充満していた。

空はどんよりとし、肌寒い湿気った空気。

半日もすれば晴れて、季節は夏に変わる、と優秀な航海士は予報している。

 

「これからチョッパーの治療を受けに行くのね」

「ええ」

ロビンはまだ買ったばかりの長袖の服から、大人ロビンだった時に着ていた半袖のシャツに着替えて、その上から藍色のパーカーを羽織った。

「この服」

ロビンは紙袋にすっかりまとめた服をナミに差し出した。

「サイズが合わなくなってしまうから、もしよかったらナミちゃん着ないかしら？」

「あ、いいの？着る着る」

「じゃあ、チョッパーのところに行ってくるわね」

「あたしも一緒に行ってもいいかな？」

「ええ、行きましょうか」

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

 

チョッパーの待つ医務室へ。

「チョッパー、見学しててもいい？」

「ああ、ロビンが良ければ俺は問題ないぞ」

「私はナミちゃんがいてくれる方がいいわ」

「うん、ありがと」

ロビンのパーカーを預かって、治療の邪魔にならないように部屋の端の椅子に座った。

診察台に横になったロビンの腕にゴムチューブが巻かれ、消毒液が塗られ、注射の準備が進められる。

ロビンがナミを呼んだ。

タイヤの付いたイスをごろごろ言わせて側に寄る。

「手を握っていてもらえないかしら？」

天井を向いたままそんな可愛らしいことをお願いされる。

「がってんだ」

「ふふ」

「じゃあ、そろそろ打つぞ」

あたしはチョッパーの邪魔にならない位置で、ロビンの手を握った。

ロビンも手を握り返してきた。

「すこし、ちくっとするからな」

「わかったわ」

ロビンの皮膚に注射針が刺さり、薄紫色の薬剤が投与されていく様をナミはじっと見ていた。

ロビンは終始天井を向いたままだった。

「よし、終わったぞ。このまま横になっていてくれ」

「ええ、ありがとう、チョッパー」

「お礼なんて言われても嬉しくね〜ぞ！こんにゃろが〜」

＿　＿　＿　＿　　＿　＿　＿

 

ワクチンの接種を受けてから３０分くらい経った頃だろうか、ロビンが「ん」と呻いた。

「大丈夫？ロビ……

握っていたロビンの手が、あたしの手の中で確かに大きくなった。

あたしは目を見張った。

ロビンの身体が成長していく。

肩と骨盤が張り、胸が膨らみ、手足が伸びる。

額が秀でて、顎が尖って。

最後に伸びた髪をロビンが右手でかき上げた。

診察台の上に起き上がったロビンが、自分で自分を抱きしめるようにして「痛っ」と呻く。

「どこか痛いの？今チョッパー呼んでくるっ」

立ち上がろうとしたあたしのシャツの裾をロビンが掴んだ。

「たぶん、急激に元に戻ったから。これはただの成長痛だと思うわ」

落ち着いたアルトの声。あたしを安心させてくれる大好きなロビンの声。

「ナミちゃん」

「ん、なに」

「この１週間、沢山迷惑をかけてしまったけれど。おかげさまで、とても楽しかったわ」

「ロビン……」

「ありがとう」

「ううん、あたしこそ」

「？」

「いつもどれだけロビンを頼っちゃってたのかわかって良かったわ」

「元に戻れたのだから大丈夫よ」

「ううん。あたしこの期間、ロビンが時々だけど私を頼ってくれたことがすっごく嬉しかったの！」

「ナミちゃん…」

「だから、また同じようなことがあった時、ロビンががっつり頼れるようなあたしになろうって思えたの」

「……ありがとう、ナミちゃん」

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿

 

「＿＿＿で？」

次の日、ナミは大きなベッドの上で驚愕していた。

「あら、可愛い」

「あら、じゃないわよ！可愛いのは認めるけどっ」

先に起きていたロビンは事態を把握済みなのだろう、いつもどおり部屋の真ん中の丸テーブルで本を読んでいた。

「どうして今度はあたしが小さくなってるのよーーー！！」

秋の島。

寒さもそれほど厳しくない、穏やかな日＿＿＿。

紅葉を楽しみながらロビンと二人でお買い物。

そんな安寧をぶち壊すためなのか、突如街中に海軍が現れた。


「うわ、囲まれてるっ」
買い物袋を地面に放り出して、すぐさま天候棒を組み立てる。
「どうらや、そのようね」
落ち着いたロビンの声にそちらを振り向くと、ナミが放った買い物袋を拾い上げ、自分の荷物と共にまとめて近くの植込みの縁に置いたりしている。
余裕のある行動に、同じ海賊としての格の違いを見た気がした。
「ちょっと、ロビン！もう少し慌てたりしてよっ。あたし一人だけ張り切ってるみたいで、恥ずかしいじゃないっ」
「……慌てているわ？」
「どこがっ！」
「そんなことより、航海士さん」
「航、海士って、またそんな呼び方を…」
「来るわよ」

　トレス・フルール！

＿＿＿ぎゃああああっ

身体を捩じらた海兵のひどい悲鳴がすぐ背後でした。

「集中しないと危ないわ」
「どの口が言うかっ！」
でも、助けてくれてありがとっ！
ロビンに背中を預けて海軍と向き合う。


「あたしから離れないでロビン！」
「ええ」

　サンダーボルト・テンポ！


倒れた海兵の方から手配書が、ひらり。

『悪魔の子　ニコ・ロビン』
『泥棒猫　ナミ』



「ロビンは渡さないわよっ」
「……あなたの分の手配書もあるのだし。今はあなたも狙われているのよ？」
「あ、そうか。狙われるなんて、お互い美人でつらいわね！ロビン！」
あたしの言葉にロビンは苦笑い。
空には小さな黒雲がまだ消えずに浮かんでいる。
「さっきの雷を見て、みんなが来てくれるといいんだけど」
「そうね」


　サイクロン・テンポ！
　セイスフルール・クラッチ！


風に吹き飛ばされ、身体を捻られた海兵たちが、まとめてバタバタと地面に伏した。


「ナミ！こっちよ！」
ロビンに腕を引かれ、薄くなった包囲網を走って突破する。
もちろん荷物も忘れずに。


＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿　＿



「ま、撒いたかな」
「ええ、大丈夫そう」
膝に手をついて息を整えるあたしの横で、ロビンは涼し気な顔で辺りの様子を伺っている。
「……ね、ロビン」
「なあに」
「さっき、航海士さんって呼んだじゃない？」
「そうね」
「どうして？」
「嫌だったかしら」
「嫌じゃないけど、最近は名前で呼んでくれてたから」
「……航海士さん」
「え」
「…ナミちゃん」
「なに、どうし……」
「航海士さん」
「ロビン？」
「ナミちゃん」
「？」
「どっちも好きなの」
「へ」


＿＿＿＿どっちも好き。



ふ、ふーん。

そうなんだ。

どっちも好きかぁ……

じゃあ、別に。



「ロビンの呼びたい名前で呼べばいいわ」

「ふふ、ありがとう」





了