名前のない本 制作裏話

10月下旬頃。暖かい陽光が降り注ぐ学園の中庭で、なつきと舞衣は昼食の弁当を広げていた。
「なあ、舞衣」
「んー?」
「来月、楯の誕生日だろう?」
「よく知ってるわね」
「たまたま小耳に挟んでな。で、なにあげるんだ?」
「それ悩んでるところなのよね
「そうか」
「……なつきも他人事じゃないんじゃない?」
「なにがだ?」
「会長さんの誕生日。12月でしょ?」
「よく知ってるな」
「まあ、毎年毎年その日になるとプレゼント持った取り巻きに囲まれてるの見てたからねぇ」
「なるほど」
「で?」
「で、って?」
「会長さんには何あげるか決まってるの?」
「いや、それがまだ何も思いつかなくてだな」
「まあ、なつきがあげたものなら何でも喜んでくれそうよね。会長さん」
「……ん」
「私はまあ、ありきたりだけど手編みのマフラーとかにしようかなぁ」
「お前は器用だからいいな」
「なつきも何か手作りのものにしたら?会長さん、お金で買えるものは取り巻きの子達からたっくさんもらうでしょ?」
「ぐ、やはりそう思うか。でもな……」
「うん?」
「私は料理も編み物も出来ないし、そもそも器用じゃないんだ」
「そっか」

−−−−−−

数日後。
「舞衣、すまないが。寮のお前の部屋使わせてくれないか?」
「いいけど。会長さんと喧嘩でもしたの?」
「いや、この前話しただろ?誕生日プレゼントのこと」
「ああ、うん」
「私も手作りのもの作ることにしたんだが、こっそり作業できる場所がなくてな」
「なるほどね。了解」
「静留には、しばらく補習で遅くなると言ってあるから口裏あわせてくれ」
「はいはい」
「すまないな」
「いいよ、親友の頼みだもん」
「あ、ありがとう」
「それで?何作るの?」
「わ、わらわないか?」
「笑わないよ」
「……本だ。手作りの、絵本」
「え!凄くいいじゃん!」
「ほ、ほんとか?」
「うん!でも、本って作るの大変そうだね」
「一応、ストーリーは思いついてるんだ」
「そっか。絶対会長さん喜んでくれると思うから頑張ってね!あ、でも、本物の課題はどうするの?」
「それは休みの日に何とかする」

−−−−−−

11月半ば。
「できた!」
「ほんと!?すごいじゃん、なつき!」
「うーん、でも、絵の具の塗り方が雑だなぁ。装丁ももうちょっと綺麗にしたい」
「そう?」
「やっぱり作り直す!もう少し、場所貸してくれ」
「はいはい」

−−−−−−

12月19日
「できた!!」
「もう夕方だよ、なつき。会長さん待ってるんじゃない?」
「ああ。すぐ行く!ありがとな、舞衣!」
「はいはい。いってらっしゃい」
舞衣は画材や色紙が散らばる床を見て「やれやれ」と片付けを始めた。

−−−−−−

後日。
「で?会長さんには無事渡せたの?」
「ああ。おかげさまで」
「喜んでくれた?」
「うん。大事にするって言ってくれた」
「それなら頑張った甲斐があったね」
「ああ。舞衣もありがとう」
「どういたしまして」

【名前のない本】藤乃静留生誕祭2023

何度も最高気温を更新した夏が過ぎ、枯れ葉が舞い散る季節になった。最近なつきは忙しいらしい。祀りのせいで部屋を失ったなつきは、静留の寮の部屋に身を寄せていた。これまでHIMEという運命に翻弄された分のツケが回ってきたのか、なつきは学校では残って補修を受け、休みの日は朝から晩まで自室に篭って課題をこなしている。
「勉強教えましょか?」
「いや、いい。分からないことがあるわけじゃないんだ。ただ、量が多くてな」
せっかく想いが通じ合ったというのに、なかなか一緒に過ごせない。静留はそれでも「行ってらっしゃい」と「おかえりなさい」を言い合えるだけで嬉しかった。
そんな日々が続いて、季節はあっという間に師走になった。
「なつき、明日の休みに大掃除済ませときたいんやけど」
「ああ、手伝う」
「他んとこはいいとして、なつきん部屋は暫く入ってへんし、やりごたえありそうやな」
「わ、私の部屋は自分でやる!」
「一人でできるん?」
「できる!だから絶対入るなよ!」

−−−−−−

今日もなつきは学校で補習だと言っていた。それで、帰ってきてもいつも通り部屋に籠るのだろう。今日は、今日だけは、一緒に過ごしたかったけど、忙しくしているなつきは今日が何の日かなんてすっかり忘れているだろう。
すっかり陽が落ち、暗くなった窓の外を見ながら静留はため息をついた。いつもより少し贅沢に作った夕飯はもう間もなく冷めてしまう。
「なつきが頑張ってはるのに、構って欲しいなんて。うちは困った女やなぁ」
夕飯にラップをかけておこうと立ち上がった時だった。玄関から鍵を回す音がして、なつきが帰って来た。走ってきたのか、肩で息を切らしている。
「た、ただいま!」
「おかえりなさい。えらい急いでたみたいやな。どうしたん?」
「どうしたもこうしたも」
「?」
なつきは手早く着ていたコートとマフラーを取ると床に放った。
「もう、なつき。ちゃんとハンガーにかけな」
「後でいい」
なつきはキッチンに行き、手洗いとうがいをした。それから、リビングのテーブルについた。
「今日はお前の誕生日だろ」
「!、覚えててくれはったん?」
「忘れてると思ってたのか」
「やって、ずっと忙しそうにしてはったから」
「あ、ああ。それは、後で話す」
「?」
「なんだ。私の好物ばっかりだな」
テーブルに所狭しと置かれた料理を見て、なつきは感嘆のため息をついた。
「お前の誕生日なんだぞ」
「……そやけど、なつきに喜んで欲しかったんどす」
「そっか。嬉しい」
「うちも」
「静留。その、誕生日おめでとう」
「おおきに」
頬を染めながら、伝えられた「おめでとう」は静留の心を満たしてくれた。最近、すれ違いばかりだった二人はお互いのことを沢山話し合った。
「なつき、爪に色着いとるよ」
「ん?ああ、本当だ」
「補習で絵の具でも使ったん?」
「これはな……」
なつきは鞄を手繰り寄せて、その中から赤い封筒を取り出した。少し厚みのある封筒には「Happy birthday」と書かれた金のシールと小さなリボンが貼られていた。
「ん」
「え、うちに?」
「ああ、誕生日プレゼントだ」
「うれし。開けてもええの?」
「うん、あ、いや。やっぱり後にしてくれ」
「ほな、後でじっくり見させてもらいます」
「ん」

−−−−−−

シャワーの音がする。なつきが珍しく鼻歌を歌っているのが聞こえてきた。食器の後片付けを終えた静留は、なつきが寄越した「プレゼント」を開けてみた。
それは本だった。しかも、どう見ても手作りだ。厚紙を色紙と絵の具で装飾してある。表紙には犬と兎の絵が描かれていた。
「かわええなぁ」
題名の無い本を開く。

−−−−−−

ずっと一人だった。
それでいいと思っていた。
心が辛い時も、苦しい時も、頼れる誰かは居なかった。

ある時、兎が現れた。
鋭い牙で脅しても、兎は何度も現れた。
研いだ爪先を見て、兎は悲しそうに笑った。

何度突き放しても、兎はどんどん近づいてきて、やがて、犬は兎が来るのを待つ様になった。

あるとき、兎は「好き」と言った。
こんな争いばかりでボロボロの自分に向かって。
犬はそれを撥ねつけた。
信じられるものか、お前は嘘つきだ。
うさぎはいつもの様に笑った。

次の日から兎は犬のところへ来なくなった。
ついに、自分に飽きたのか。そう思ったけれど、心の中では兎を待っていた。また笑ってくれることを、自分を「好き」と言ってくれることを願っていた。

犬は初めて自分から兎に会いに行った。兎は家で病に倒れていた。犬は驚いて、慌てて薬草を取りに行った。兎は薬草を食べて、だんだんと元気になっていった。
なぜ自分なんかに会いにきてくれたのかと兎は犬に聞いた。
犬は、兎が笑うと嬉しいこと、好きだと言ってくれて心が癒されたことを話した。
犬と兎はそれからずっと寄り添って暮らした。

「ずっとずっと二人でいよう」

−−−−−−

手書きのイラストと文字で描かれた絵本を閉じて、静留はじわりと目に浮かんだ涙を拭った。ペタペタと音がして、なつきがタオルで頭を拭きながらリビングにやってきた。
「これ、作るの大変やったんちゃう?」
「ん、まあ、何度かやり直したからな」
「ほんまにおおきに。一生大切にします」
「本当は何か別の物をいろいろ考えたんだけどな」
静留は絵本を胸に抱いて首を振った。
「これ以上に良いものなんてあらしません」
「……そうか、気に入ってくれたなら良かった」
なつきがソファにいる静留のそばに立った。屈んで静留に顔を近づける。静留も応えた。視線を絡めて触れ合う唇。

「ずっとずっと二人でいよう」


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一人より二人 R15

「静留?」
がちゃ、とリビングの扉を開けて、すぐにノックしなかったことを後悔した。
ソファの上に身を沈めて、浴衣を乱し、自らの体を嬲っていた手を止めて、ショックを受けた様な顔でこちらを見た静留と目があった。
熱った顔の静留が何をしていたか、分からないほど鈍感じゃ無い。
「な、なつき」
中心に差し込まれていた指を慌てた様に引き抜いた。くちゃ、と粘液の音がした。なつきは知らず、ごくりと生唾を飲んだ。
さっきまで寝室で散々静留に可愛がられた身体は、静留の痴態を前に簡単に熱を持った。
後ろ手に扉を閉めた。
「……静留」
「あ、や、これは」
裸足の足でまっすぐに静留の元へ向かう。静留から濃い女の匂いが香った。静留が隠そうとした右手を捕まえて、顔の前に持ってきた。指先が濡れている。
「な、つき」
「どうして?」
舌を出して、粘液を舐めた。初めて味わった静留の味は甘かった。
「……っ」
「なんで、一人でしてたんだ?」
そう聞いたけれど、理由なんてどうでもよかった。熱い息を吐く。自分を見上げる静留を今すぐにでも欲しかった。
「かんに……」
悪い事を見られたと思っているのだろう。尻すぼみな言葉がなつきの耳に届いた。
「謝るのは私の方だ」
静留に抱かれて、いつもそのまま眠りについていた。静留はいつも、その間に、こうして自分を慰めていたのだろう。
掴み上げた右手にキスをして、ソファに膝をかけ、静留の身体にのし掛かった。
「抱かせてくれ」
静留はしばらく固まっていたが、突然何かを理解したようにふっと微笑んだ。
「なつきは優しいなぁ、おおきに。でも無理せんでええよ。うちはあんたにそう言ってもらえるだけで本当に嬉しいさかい」
「無理なんかしていない!私は本当にお前を…...」
その目に情欲の色が見えた気がして静留は戸惑った。
静留が困った様な顔で見上げてくる。普段は私を抱くくせに、いざ交代しようとすると、何故そんなに躊躇するのか。
「抱く言うても、やり方、わからんやろ?」
そんな言葉が飛んできた。
「お前がしてくれた様にする」
「でも」
「なんだ」
「あんな……うち、あんたみたいに綺麗やないよ?」
「いや、静留は綺麗だ」
真っ直ぐな目でなつきが見つめてくる。
「綺麗じゃありません」
「綺麗だ」
「ちゃいます」
「...強情だな。私が綺麗だと言ったら綺麗なんだ」
ジャイ◯ンか、というツッコミが喉元まで出かかって止まる。代わりに笑いが込み上げてきた。
なつきも思わず頬を緩める。
「なあ、もう大人しく私を受け入れろ」
くすくす笑いながら、静留をそっとソファに押す。
「かなんなぁ、なつきには」
静留が仕方ないとでも言うように、くしゃりと笑った。なつきの手が静留の浴衣の腰帯に触れた。
「む」
「なん?」
「なんでややこしい結び方してるんだ」
「そこからなん?ほら、こうやって解くんよ」
「あ、ああ、すまない」
なつきの視界に静留の裸体が広がった。見事な肢体にごくりと喉が鳴る。
「嫌なことしたら言ってくれ」
「……なつきの好きにしてええよ」
「そんなこと言うと止まらなくなるぞ」
「ええよ」
慈愛の篭った声が耳に届く。優しくしたい、でも乱したい。めちゃくちゃにしてしまいたい。腹の底から湧き上がった欲望をぶつける様に静留に顔を寄せた。

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桜の花舞い散る頃

うちが抱きついた時。あるいは、好意の言葉を投げかけた時。困ったように笑うその顔を見て思う。
ごめんな。
「好きやなんて言うてごめんな」
誰よりも優しいあの子の瞳が、酷く傷ついたように揺れた。

「そんなこと、謝るな」
小さな声が静留の耳に届く。なつきは困った様に眉根を寄せて、静留を見た。
「やかて、あんた困っとるやない」
「そ、それは、お前が急に抱きついてくるから……」
「急やなかったらいいん?」
「……」
ほら、まただ。また、この子を悲しませてる。うちはひどい親友や。

−−−−−−

「うちが風華学園を卒業したら、なつきも寮出て一緒に暮らさへん?」
いつものように戯れついてきた静留がそんな事を言った。
「学校も分かれて、住むとこも離れたら、なつき、うちん事忘れてまうやろ?」
「忘れるわけないだろう」
「一緒に暮らして欲しいんや」
「……」
ほら、また優しい瞳が揺れてる。うちがほんまに唯の親友だったら「うん」と言ってくれるのだろうか。
「……冗談や」
「え」
「冗談やて」
抱きついていた体を離して「ほなな」と言って別れた。身体中がなつきの体温を覚えているうちに一人になりたかった。
なつきは言った。
「お前が好きだ」と。親友として。
「お前と同じ気持ちは持てない」とも言った。あんなにはっきりと。
今のあの子にとって、うちは何やろか?
親友やろか?
それとも、唯のしつこい女だろうか。

−−−−−−

裸の枝に新緑が芽生える季節になった。静留は学校の敷地をどこへ行くともなく歩いていた。早々に大学進学を決めた静留にとって、残りの授業なんて出ようが出まいが同じことだ。広い学園の中を歩いているうちに、花園に出た。
ああ、ここで、あの子に会うたんや。
時を戻せたなら、あの時に戻りたい。
純粋にあの子に恋した自分に。
汚い自分をあの子に知られる前に。
一陣の風が吹いた。まだ花の季節ではないから、あの時の様に花びらが舞い散ることはなかった。
静留は再び歩き出した。
昇降口の近くまで来て、そこにある学生専用の掲示板に目が止まった。
「同居人募集」「ルームメイトになりませんか」などと書かれた紙が重なる様に貼られていた。春が近づくと毎年見ていた光景だ。静留はその前を通り過ぎて、くるりと歩く向きを変え、もう一度掲示板の前に来た。
備え付けられている、紙とペンを取った。

−−−−−−

終業の時報が鳴って昼休み、なつきは席を立った。隣のクラスの舞衣と合流すると、いつもの中庭に陣取った。
暖かい陽光が2人を包んだ。
「ねえ、なつき。あの噂聞いた?」
「噂?」
「会長さんがルーメイト募集してるって」
「え」
「掲示板が凄いことになってるらしいよ」

放課後。なつきが昇降口へ行くと掲示板の前に人だかりが出来ていた。
もしやと思い、人垣をかき分けて掲示板を確認する。一枚の紙に書かれた綺麗な字は静留の物だとすぐに分かった。
「〇〇付近で同居できる方を探しています。ご連絡はこの掲示板で。藤乃静留」
その紙にはすでに隙間がないほど、名前と連絡先が書き込まれていた。書き遅れた者達が、新しい紙を追加してどんどんと名前を書き込んでいく。女子だけでなく男子まで参加して、まるで祭りの様な騒ぎだ。なつきはあっけに取られた。
あいつ!
なつきはその足で生徒会室に向かった。

−−−−−−

いつの間にか走っていた。
ガラ!
「静留!」
「なつき。どないしたん、そんなに慌てて」
静留は持っていた湯呑みを置いた。
「あの、掲示板の」
「ああ、あれでっか」
「どういうつもりだっ」
「どうって、同居人の募集しとるんどす」
何でもないことのように静留は言った。
「でも」
「なん?」
でも、お前は私と暮らしたいと言ったじゃないか!
喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。
自分はそれに何も答えていないことを今更ながらに思い出した。
「卒業して、大学行って、新しい一歩ってことや」
静留が湯呑みに視線を落とした。
「誰でもよかったのか?」
「誰でもなんて思ってへんよ。ちゃあんと連絡とってええ人探します」
「でも……っ」
「なつき、さっきから何言うとるん」
「……」
「うちが誰と住もうが、あんたに関係あらへんやろ」
「!」
開け放たれた窓から乾いた風が吹き込む。
なつきはぎりっと奥歯を噛んだ。
「邪魔したな」
なつきは生徒会室を出て行った。
静留は足音が消えるのを待ってから深くため息をついた。
「関係、あらへん、か」
ひどい言葉だと思う。けど、いつかは2人の間で交わされるであろう言葉だ。どちらが先に言い出すか、ただそれだけだ。

−−−−−−

掲示板に書き込みしてから数日後。そこを訪れると七夕の短冊かと思うほどの量の名前と連絡先が書かれた紙の束が貼られていた。ゆうに100名は超えるであろう。
「これ全部に返信するんか」
骨が折れるなぁと思いつつ、静留はそれらを回収した。
階段を登る時、紙の束から紙片がひらりと落ちた。それを目で追いかけると誰かがそれを拾い上げた。なつきがそこに居た。
「なつき」
「もう、決めたのか?」
「なにを?」
「誰と住むのか」
「これからや」
「大変だな」
「思ったよりたくさん反応くれはったからね」
「大変ついでで悪いんだが」
「なん?」
「これも追加してくれ」
なつきはノートの切れ端を寄越してきた。なつきの名前と電話番号が書かれていた。
「……どういうつもりなん?」
「私は……」
「……」
「お前と住めないとは言ってない。ただ、いつもお前は早いんだ」
「はやい?」
「ついこの間、お前のことが一番大事だと気がついたばかりで。その、友情と恋愛の線引きもまだ私にはできない」
「でも、あんた言うたやない。うちと同じ気持ちは持てないて」
「そ、それは!あの時点ではそうだったってことだ!その先があるなんて考えてもなかったんだ」
ドクンドクンと心臓が早鐘を打つ。落ち着けと言い聞かせても、なつきの前ではどうにもうまく誤魔化せない。
「うちは、今でも変わらずあんたが好きなんよ」
語尾が震えた。見つめてくる翠色が優しげに揺れる。
「私もお前が好きだ」
「でも、それは」
「ああ、そうだ。まだどういう好きか決められない」
「……」
「お前が同居人募集してるって聞いて、お前の一番近くが私じゃないって思ったら嫌だったんだ」
「……」
「今は、それじゃだめか?」
足が震えた。階段に立っていられなくてストンと腰を下ろした。連絡先の束が色とりどりに散っていく。じわりと視界が滲んだ。
「なつきは、いけずや」
「そうだな」
「うちが断れんことわかっとるやない」
「泣くなよ、静留」
なつきが静留の横に座った。
「う、うちは、なつきが、好きや」
「うん」
「やから、一緒にいて」
「うん」
「うちん事、好きになって」
「……時間をくれ」
「……」
「お前、泣き落としはずるいぞ」
「……ふふ。だめどすか」
「だめどす」
2人は立ち上がって、散らばった紙をかき集めた。
「これ、返事の連絡するの手伝う」
「なんていうん?」
「同居人の玖我です、かな?」
「……部屋探さなきゃなあ」
「そうだな」
2人は手を繋いで階段を登った。


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転校生

教室の窓際、一番後ろの席でなつきはぼんやりと中庭を見下ろしていた。
担任が教室に入ってくる音がした。
「転入生を紹介するぞ」
そう言った担任の声がなつきの耳を右から左に抜けていった。
「入ってきなさい」
おお!と歓声が上がった。「可愛い」「綺麗」と声がして、なつきはようやく転入生に目をやった。薄茶色の長い髪をした女生徒は、確かに整った顔立ちをしていた。
「藤乃静留言います。よろしゅうお頼申します」
流暢な京都弁に教室が沸いた。
「席はあそこだ」
担任が指差したのは、なつきの前の空き席だった。足音のしない綺麗な歩き方で、なつきの前の席まで来た転入生は、なつきの視線に気がつくとにっこり綺麗に笑んで見せた。
「よろしゅう」
「ん、ああ」
美人の転入生は人当たり良く、学業も出来た事もあり、たちまち学校内で有名人になった。休み時間には他のクラスのやつらだけでなく、上級生や下級生まで、静留を一目見ようと教室に押しかけた。

静留を中心に人だかりができているのを横目で見ながら、なつきは席を立った。昼休みはいつも一人で屋上に行く。おにぎりとお茶が入ったビニール袋を片手に下げて、いつもの階段を登った。鉄の扉を押すと、錆びた音を立てて扉が開く。少し冷たい秋風がなつきの黒い髪をさらった。もう少し寒くなったら屋上で過ごすのは厳しいな。どこで暇を潰そうか。そんなことを考えながらおにぎりを頬張る。鳩が一羽、バサバサと羽根を鳴らしてなつきの傍に舞い降りてきた。どうやら、こいつの目当てはおにぎりらしい。
「そんな目で見てもやらんぞ」
その時だった。ぎい、と扉が開いて噂の転入生が屋上に出てきた。きょろきょろと周囲を見回した静留はなつきを見つけると歩み寄ってきた。
「玖我さん、ここにおったんやね」
「なんか用か」
「用っていうか。いつも一人でどこに行かはるんかなって思ってたから」
「ふぅん」
「寂しくないん?」
「一人がか?楽でいい」
「そおなんや」
静留はその日から、昼休みになると取り巻きの目を盗んでは屋上に来る様になった。
「うちな、小さい頃から引っ越しばっかやって友達もいーひん」
「ふうん」
屋上に寝っ転がったなつきの顔を、静留が覗き込んだ。少し寂しげな静留の眼は綺麗な紅い色をしていた。
「玖我さんが友達んなってくれはったら嬉しいなぁ」
「取り巻きならいっぱいいるだろ」
「……ああいうんは、なんか違ごぅて」
「ふぅん」
「なあ、うちと友達なってくれはる?」
「考えとく」
「いけずやなぁ」
毎日、静留は自分の家のことや、今までどんなところに行ったのかとかの話をしてきた。私はそれに「ふうん」と返していた。
静留は私の気の無い返事にもめげずに、笑って話しかけてきた。いつしか、二人でいる時間を心地いいと感じる様になっていた。

その日は雪がちらほらと降っていた。私の前の席のあいつは今日は休みの様だ。教室で窓から外を見ていた私の耳に、信じられない言葉が入ってきた。
「急な話だが、藤乃は転校することになった」
担任が止めるのも聞かず、私は走り出していた。いつだか静留が言っていた住所を一生懸命思い出して、そのあたりを探し回った。ある角を曲がったところで、大きな引っ越しトラックが停まっているのを見つけた。そこに静留はいた。
「静留!」
「え、玖我さん?」
静留は驚いた様に目を大きくした。走って上がった息を整えながら、私は静留に詰め寄った。
「なんで引っ越すこと教えてくれなかったんだ!」
「……言うても、仕方ないことやもん」
静留は悲しそうに目を潤ませた。
「私は!」
「?」
「お前のこと、友達だと思ってる」
「!……おおきに、玖我さん」
「なつきって呼べ」
「……なつき、堪忍な」
トラックのエンジンがかかる。ああ、さよならなんだ。そう思うと、もっと一緒にいたい気持ちが溢れてきた。
「なあ、私たち。大人になったらずっと一緒にいられないかな」
「!」
「静留がいなくなるのは嫌だ」
「……うちも、なつきと離れるのはいやや」
「手紙書くから」
「うん、うちも」
「電話もする」
「うん」
「だから、私を忘れないでくれ」
「うちのことも、忘れないでいてくれはるん?」
「当たり前だろ」
トラックは走り出した。静留を乗せて。車が見えなくなるまで手を振った。
いつか、いつか大人になったら、ずっとずっと一緒にいよう。

重い瞼を開くと、こちらを覗き込む静留がいた。
「よう寝てはったね」
そう言って、髪を撫でてくれる。その手を捕まえた。
「子供の頃って、どうしようもないことって多かったよな」
「どうしたん?急に」
握った手を引き寄せ、腰に腕を回すと、静留は大人しく腕の中に収まった。
「静留が引っ越して行った時の夢みてた」
「そうなん」
「悲しかった」
静留が腕の中で動いて、目線を合わせてきた。綺麗な緋色が真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
「もうどこにも行かへんよ」
「ああ」
「なつきも、うちのそばにいてくれはる?」
「当たり前だろ」
もう離れない。もう離さない。
外は暖かい春の風が吹いていた。


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