寝言 (エイラーニャ)

拍手にあげていたSSです。




「エイラ」
 部屋を出ようとした瞬間、ベッドで眠りについているはずのサーニャに呼び止められた。
「サーニャ?」
 ドアノブに掛けた手を止めて、振り返る。
「起こしちゃったカ?」
 言いながらベッドへ寄ると、スゥスゥと寝息が聞こえた。
「アレ…?」
 俯せで向こう側に顔を向けて眠るサーニャに起きている様子はない。
 サーニャの真っ白い華奢な肩がはだけているのを見付けて、そっとタオルケットを掛け直す。

 呼ばれた気がしたんだけどナ。
 
 エイラはポリポリと頭をかく。
 昨夜は夜中に雨が降ったみたいダ。みたい、というのは、夜間哨戒から帰ってきたサーニャがいつもどうりわたしのベッドにダイブしてきた時、その身体が冷たくて、驚いて起きタ。床に脱ぎ散らかされた制服も、しっとりと濡れていたから雨が降ったんダナって、そう思ったんダ。
 サーニャが寒そうに震えてた、だから…サーニャの制服をハンガーに掛けてベッドに戻った時に、寝惚けているフリをしてサーニャを抱き締めて眠ったんだ。
「…エイ…ラ」
 サーニャの声に、はっとする。
 サーニャの顔を覗き込むと瞼は閉じたまま唇だけムニムニと動かしている。
「…うぇ?」
 も、もしかして寝言なのカナ?

 サーニャの夢の中にわたしもいるのカ?
 夢の中でわたしを呼んでくれたの…カ?

「・・・」
 エイラはカアッと顔が熱くなるのを自覚しながら、ヘナヘナとへたり込んだ。

 どうしよう…嬉しすぎル!!

「エイラ…」
 再び名前が紡がれた。
 耳からふわりと、快感に似た感覚が入り込む。

 いつもの落ち着いた態度も、サーニャの前では保つことが出来ない。
 エイラは両手で顔を覆った。
「サーニャ」
 小声で呟く。
「…エイラ…」
 応えるように、再びサーニャの声がエイラを呼んだ。
「っ」
 エイラはゾクリと背中を這い上がる感覚を短く息を吐き出して耐える。
「エイラ?」
 アレ…、随分はっきりした寝言ダナ。
「?」
 エイラが顔を上げるとサーニャがエイラの顔を覗くようにベッドから身を乗り出していた。
「サササササーニャ!?」
 身体を仰け反らせて驚くエイラの顔を、サーニャはまじまじと眺めて、そして、ほっとしたように笑う。
「エイラ、泣いてるのかと思ったわ」
 サーニャはベッドに戻るとコロンとこちら向きに転がった。眠そうに瞼を擦る。
「い、いつから起きてたんだ?」
「いつからって、そんなに前からそうしてたの?エイラ」
「えっ、ち違っ」
 エイラは慌てて立ち上がり「あ、朝御飯食べてくる!」と言ってバタバタと部屋を出ていった。
 サーニャは勢いよく開かれた割には、静かに閉められた扉に、またひとつエイラの優しさを貰った気がして心が暖まる思いがした。

 さっきまで見ていた夢の中でも、エイラに抱きしめられて眠っていた。
 エイラの腕に抱えられて、何度もエイラの名前を呼んだ。
 きっと夜間哨戒の時に雨に降られて寒かったから、あんな夢を見たんだわ。

 でも、とサーニャは思う。
 もし、本当にエイラが抱き締めて眠ってくれたら…
 サーニャはカアッと顔が熱くなるのを自覚しながら、タオルケットを頭までかぶる。
「はぁ」
 サーニャはトクンと心臓がを跳ねるのを感じた。
 仰向けに寝直して眼を閉じる。

 もう眠らなきゃ。

 エイラが朝御飯を終えたら、またこの部屋にタオルケットを掛け直しに来てくれる。わたしの髪に触れて、寝癖を撫で付けて、「サーニャ」とあの優しい声で囁いてくれる。
「エイラ…」
 部屋に自分の呟きが転がる。

 大丈夫…、寂しくない。

 エイラが居てくれる。
 エイラが手を引いてくれる。
 エイラが守ってくれる。
 エイラが___

 ・・・だめ、眠らなくちゃ。

 
 いつか…、

 トロリと拡がってきた眠気に身を任せながらサーニャは思う。

 いつか、わたしもエイラに頼ってもらえるように…

教えてEMT!U(エイラーニャ)

まえがき

以前書いた「教えてEMT!」の続編(?)です。



「はぁ・・・」
 自室の窓からアドリア海を眺めていた少女は、本日何度目かも分からない溜息を零した。
 まるで彫刻のような端正な顔立ちに、陽光に輝く白い肌、春の空を思わせる空色の軍服を纏った少女の名は、エイラ・イルマタル・ユーティライネン。階級は中尉。

 エイラは悩んでいた。それは今日だけでなく、ここ何日か、ずーっと悩んでいることだ。
「・・・サーニャ」
 溜息交じりの、それはそれは小さな声でエイラは悩みの原因を呟いた。そしてまた海を眺める。
 その姿は、さながら海に恋でもしているかのようだ。
「ん・・エ、イラ・・?」
 名前を呼ばれて部屋の中へと振り返る。
「起こしちゃったナ。ごめん、サーニャ。」
「ううん・・・大丈夫よ、エイラ」
 サーニャと呼ばれた少女は、部屋の隅にある二段ベットの下の段で、もぞもぞと身動ぎして身体を起こす。目を擦りながらエイラの方に顔を向けたサーニャは、窓から差し込む朝日の強さに目を細めた。

 サーニャ・V・リトビャク中尉。ナイトウィッチの彼女は明るい時間が苦手だ。
 
 サーニャは昨夜の哨戒任務中にネウロイと遭遇、エイラ達昼間組も緊急出動した。出現したネウロイは中型クラス2体に小型機が4体。サーニャのフリーガーハマーは装填弾数9発、一撃の火力は大きくも、小回りの効く小型のネウロイ相手には相性が悪い。

 ネウロイの反応を捉えた時点で、基地へ報告を済ませてある。
「すぐにみんなが向かうわ。サーニャさんはなるべく単機での戦闘は避けて、ネウロイの動きを報告するように。もしも戦闘になった場合には無理はせずに深追いはしないこと。いいわね?」
 そう言って通信を閉じたミーナの命令に従って、雲に隠れながら広域探査能力でネウロイの様子を伺っていた。
 しかし幸か不幸か、基地よりそれほど遠くは無い場所での遭遇であった事、最終防衛ラインを前に、サーニャはネウロイへの単機攻撃を決心する。

 サーニャは目を閉じた。両側頭部にある緋色の魔導針が輝きを増す。
 
 みんなもストライカーでこの空へと向かってきている。そう確信すると、サーニャは目を開き、フリーガーハマーの安全装置を親指の爪で跳ね上げた。

 雲の中からネウロイの集団の左側後方に飛び出す。1発目で中型クラスの左翼部分と見られる場所をもぎ取った。直ぐに2発目を放ったが小型機1体がロケット弾の前に飛び出して自爆防御。その爆風を避けつつ、ストライカーに魔力を込めて、急上昇をかけた。そのあとをすぐさま、3体の小型機が螺旋状に回転しながら追ってくる。
 いつもとなりに居る彼女はこうゆうパターンで、急降下しながらすれ違いざまに敵を撃ち落としていく戦法が得意だったが、あれは彼女の固有魔法である未来予知の能力と、卓越した飛行センスがそれを可能にしていた。誰でもできることではないし、できたとしてもすれ違いざまにロケット弾を打ち込んだら爆風でこちらも巻き込まれてしまう。
 サーニャはフリーガーハマーを肩に担ぎなおすと、上昇から急降下の体勢へと移る。一瞬の停滞時間、シールドを展開すると同時に、小型機から一斉に赤い閃光が放たれた。2発目までのビームをシールドで受けて、3発目は急降下をしながら軌道をひねってかわした。そのまま落ちるに任せて、小型機3体の間をすり抜ける。中型ネウロイは2体とも街に向かって前進している。その上方から、先ほど左翼を奪ったネウロイ目掛けて2発連射した。丁度、鯨のような形をしたネウロイの頭部分に命中。むき出しになった真紅のコアに2発目が着弾した。ガラスの破片のようなネウロイの欠片が白く発光しながら漆黒の海に降り注ぐ。サーニャはその光の向こうを悠然と沿岸へ向けて前進し続ける残り1体のネウロイを確認した。、サーニャの固有魔法は、頭上から3体の小型機が迫り来る反応を捕らえている。ハマーの残弾は5発。小型機3体を相手するには分が悪いが、なんとかやり過ごしつつ、中型ネウロイにロケット砲を打ち込みたい___。

 サーニャが孤軍奮闘する間、基地の滑走路から出撃した隊員達は、海とも空とも区別の付かない暗闇にロケット弾の爆発による発光を肉眼で確認した。
「やはりすでに戦闘を始めているようだな。」
 そう呟いたのは、使い魔であるジャーマンポインターの尻尾を靡かせ、編隊の先頭を飛ぶバルクホルン大尉。
 ドドンッとハマーの発射音が空気を震わせ、続いてゴゴォンッと重い着弾音。その発射音に向けてだろう、ネウロイの赤いビームが放たれ交差する。
「どうやら、サーニャは雲の中だなっ」
 赤いジャケットに豊満な身体を詰め込んだシャーリーが、前方の大きな雲に目を凝らしながらインカムに叫ぶ。ネウロイのビームはその雲の中に向かって集中していた。
「うじゅっ!ねー、ねー!あれっ」
 編隊の後方を飛んでいるルッキーニ少尉が、指をさす。サーニャが居るであろう雲の横っ腹から、中型のネウロイがずんぐりとした姿を現した。
「アレを止めるぞ!ハルトマン!それから、リーネと宮藤は私と一緒に来いっ」
 インカムにバルクホルンの声が響く。
「残りの者は、そのままサーニャと合流!」
 言い残し、ひたすら前進を続ける中型ネウロイに向かって急旋回。編隊を離れたバルクホルンの後に続いて、ハルトマン、リーネ、そして宮藤も続いた。
「分厚い雲ですわね。」
 そう呟いたペリーヌの固有魔法は雷撃。こういった天気の良くない時こそ、本来の力が発揮できる場面ではあるが、敵機どころか味方の位置さえ雲に隠れて分からない状況では、安易に能力を使えない。
「どこにいるんですのっ!サーニャさんっ」
 インカムに向かって呼びかけてみる、がサーニャの応答は無い。
「こっちダ!」
 エイラが叫んで雲の下に潜り込むように降下する。彼女の固有魔法である未来予知が何かを捕らえたのだ。一瞬遅れて仲間達もエイラの後を追った。
 エイラ達が雲の下側に入ったのとほぼ同時、 漆黒の機体が、彼女の固有魔法である魔導針、その翡翠色を伴い、真っ暗な雲から飛び出してきた。サーニャはなんとも良いタイミングで、絶好の場所に到着した仲間達の姿を見て少し驚いた表情を見せたが、その中にエイラの姿を認めると、雲から飛び出してきたままの速度で一直線にエイラの元へと飛んだ。
「エイラッ!」
「サーニャ!」
 どちらが先に名前を呼んだだろうか。二つの機体は急接近する、が、そのままお互いに構うことなくすれ違う。エイラはMG42を前方の雲に向かって構えていた。すぐに、サーニャが飛び出してきたところから、2機の小型ネウロイが飛び出してきた。
「サーニャになにすんダ!」
 ダダダッと、一連射。ネウロイの軌道を先読みして放った弾は先に飛んできた1機に命中。着弾の衝撃により空中で急停止した1機目に続く2機目が衝突。小型ネウロイ2機分の残骸が白い光となって海へと降り注ぐ。
 丁度、インカムから中型ネウロイを仕留めたと連絡が入ったのもその時だった。



 食堂に向かって石造りの廊下を歩く。
「・・・はぁ」
「どうかした?」
「どわっ!」
 声に振り返ると、ハルトマン中尉の顔が間近にあった。
「あ、そんな驚き方ヒドいな。サーニャに言っちゃうぞ〜」
「な、なんでサーニャが出てくるんダヨ。」
「エイラと言えばサーニャだよ?サーニャと言えばエイラじゃない。」
 知らなかったの?とでも言いたげに、怪訝な表情で宣言してくるハルトマン。
「べっ、別にわたしはサーニャのことを・・・」
 そんな目で見てナイゾ!と言おうとして、エイラははたと気付く。

『そうだ、中尉は「あの事」を知っているんだ』と。

「ちゅっ、中尉!」
「なに?」
 自分を追い越し、先に食堂に向かおうとするハルトマンを呼び止めた。
 もしかすると、わたしはこの時、結構必死な顔をしていたんじゃないカ?と後で思う。
「ちょっと、相談に乗ってくれナイカ?」
「相談?」
 振り返ったハルトマンはキョトンとしてエイラを見つめた。
 ハルトマンは考える、果たしてこれまでエイラがわたしに相談など持ち掛けた事があっただろうか。

 廊下の窓から朝より大分柔らかくなった陽光が、目の前の少女を照らしている。自分より6センチも背が高い分、長い肢体。白磁の肌には青空色の軍服も良く似合う。背に流されたストレートの銀髪も艶やかで、普段の飄々とした態度に隠された彼女の無垢な純真さを現しているように感じる。

 洗練された容姿。天才的な飛行センス。希少な未来予知の力。

「ダイヤのエースか。」
「なんだヨ。急に。」
「こっちの話!それより相談て何だっけ?」
「あ、それはダナ・・・」
 急にもじもじとしだしたエイラは、言い出しにくそうな顔で頭を掻く。
「あぁ、サーニャの事だよね?」
「ま、まだ何も言って無イゾ!」
 何も言わなくたって分かるとハルトマンは思った。
「でも、サーニャの事なんでしょ?」
「う、うぅ・・・そう、ダ。」
「それで、ここじゃ話せないんでしょ?」
「そ、そうだナ・・・」
 エイラはハルトマンの言うことの的中率に驚きつつ、自分はそんなに判り易いのかと、内心少し落ち込んだ。そんなエイラの心を知ってか知らずか、ハルトマンは更にエイラを追い詰める。
「じゃあ、ご飯食べたらわたしの部屋においでよ。」
「あぁ、わか・・・って!中尉達の部屋にか!?」
 エイラは以前、たまたま開いていた扉から「魔窟」と名高いハルトマンの部屋を見たことがあった。

 あの惨劇の中に自ら飛び込む奴の気が知れない!

「わ、わたしの「駄目に決まってるじゃない。サーニャが寝てるんだから。」
 自分の部屋に来てくれと言おうとしたエイラの言葉を、ハルトマンの声が軽快に横切った。
「で、でも大尉に迷惑じゃナイカ?」
 何とか「魔窟」入らなくても済む方法を模索するエイラの目の前で、小さな手が「チッチッ」と人差し指を振る。
「今日はトゥルーデは坂本少佐と視察で戻らないよ。」
「じ、じゃぁ。どこか別な場所で・・・」
「誰かに聞かれてもいいならいいけど?」
「だ、だめダ!」
「あのさ、わたしの部屋のこと気にしてるの?」
「ソソソッ、ソウユーワケジャ!」
「大丈夫!最近片付けたからばっかりだから。」
「え?そうナノカ?」
「まぁね。やるときはやるよ」
 ハルトマンは薄い胸板を「えっへん」とばかりにエイラに張って見せた。

 バルクホルン大尉に言われてようやく片付けたのだろうか?
 いや待てヨ?中尉は悪戯好きだしナ、行ってみたら実は片付けていませんでした〜。魔窟にドーン!!
ナンテコトモ・・・。

「サーニャが片付けるの手伝ってくれたんだよ。」
「サーニャが?」

 サーニャが何で中尉の部屋を掃除したんだ?

 急にぽかんとしたエイラの顔がおかしくて、ハルトマンは遠慮なく噴出した。

「サーニャの相談に乗ったからお礼にって。」
「お礼に・・・サーニャが・・・相談・・・?」

 ぶつぶつとハルトマンの言葉を繰り返したエイラは数秒の沈黙の後、カッと目を見開いた。突然正面に立っていたハルトマンとの距離を詰めると、細い両肩を両手でガシッ!!と捕まえる。
「なななんっ!」
「は?」
 ハルトマンは急に近距離に迫ったエイラの顔に驚きもせず「どうしたの?」と聞き返した。
「サササササッ!」
「ちょっと、落ち着いてよエイラ。」
「い、いつ?いつの事ナンダ?」
 やっと、まともな言葉を口にしたと思ったら、その脈略のない質問にハルトマンは眉を寄せる。
「いつって?」
 エイラは自分を落ち着かせるように、下を向いて何度か深呼吸した。
「サーニャが・・・相談しに来た日のことダ、中尉」
「ああ。うんとねー、確か2週間前だったよ?」
「2、週、間!!!」
 今の会話の何がそんなにショックであったのだろうか。
 エイラはガクッと床に左膝をついた。両手はハルトマンの肩から腕を滑り落ち、力無く、たどり着いたハルトマンの小さな両手を握った。


 え、何この状況?


 ハルトマンは、自分にかしずく様に落ち込んでいる、北欧産美少女(サーニャじゃない方)のつむじを見つめた。両脇に下ろしていた手は今や、縋る様に握られて、身動きが取れない。

『・・・・・・だめ!誰か助けて!!』

 ハルトマンは心の中で叫んだが、聞こえないので当然誰も現れない。
 
『こんな状況なのに!エイラがこんなに落ち込んでるのに!!』

 奥歯を噛み、唇を引き締める。

『笑っちゃいそう!!』

 エイラのオーバーリアクションに噴出しそうになったハルトマン。しかし、理由は分からないが目の前でひどく落ち込んでいる仲間に対して、笑うというのは人として駄目だろうと思い、腹筋にありったけの力を込める。

「中尉」

『だめっ!今話しかけないで!!』

「サーニャは、その・・・中尉に、どんな事を相談しに来たんダ?」

『無理!喋れない!!』

 エイラはじっと動かずにハルトマンの答えを待った。しかし、ハルトマンは何も答えない。答えられないと言った方が正しいだろう。エイラは相手が黙り込んでしまったのを不思議に思う。そして、ハルトマンの手が、自分の手をギュウッと握り返してきていることに気付いた。

「・・・そっか」

『なんだって!?』

「そうだナ。人に相談された内容なんて、軽々しく話せないヨナ・・・」

『話を進めちゃってる!!』

「ありがとう、中尉。」

『お礼言われちゃったっ!?』

 ハルトマンの我慢は限界に近い。顔は熱が上り、瞳は涙を湛え、噛み締めた唇は今にも血が滲みそうだった。

『もう、限界っ!!』

 ハルトマンが引き攣りそうな腹筋を開放しようとした瞬間。


 基地に警報が鳴り響いた、続く放送でネウロイの出現が知らされる。


「またか!昨夜来たばっかダゾッ!!」

 エイラは立ち上がると、身を翻してストライカーユニットがある格納庫へと走り出した。

「中尉も早ク!」

「おっけー!」
 警報のお陰で、おかしな笑いの衝動が過ぎ去ってくれたことに、ハルトマンは安堵した。

 そして、隣には先程までの情けない姿など微塵も残さない、凛々しい顔つきの「ダイヤのエース」が、並んで走っている。
「・・・・」
「なぁ、中尉。」
 結構な全力疾走中でも、息も乱さず話しかけてきた彼女の身体には、すでに使い魔の耳と尻尾が出現していた。
「なに?」
「こんな時に、なんだけどサ」
「?」
「わたしが相談したいのも2週間前の事なんダ。」
「そっか」
「サーニャの事、聞いて悪かったと思っテル。」
「そんなことは、もういいよ」
「帰ったら相談するから聞いてくれルカ?」
「・・・もちろん」
 二人同時に格納庫へ飛び込んだのに、銀髪を閃かせて彼女は一足先に空へ舞った。単に、わたしのユニットがエイラのユニットより奥に置いてあるってだけなんだけど。裸足がユニットに吸い込まれる、魔力の開放とユニットによる魔力の上昇で一瞬の高揚感。愛機BF109K-4が思ったとおりに出力を上げて、わたしを空中へと押し上げる。先に飛び立った仲間の元に向かう途中、使い魔の力で強化された視力が目の端に何かを捕らえた。
 それは基地の2階部分、おそらく自室であろう、その窓からこちらを見上げる儚げな少女の姿だった。
 こちら・・・、正しくは、よく晴れたこの青空に、溶け込みそうな軍服の彼女を見つめているのだろう。

 すぐに、視線を空へと戻し上昇を続ける。まだネウロイは視認できない。

 ハルトマンは分かっていた。さっき、エイラが相談の約束を、何故こんな敵の迫る中で取り付けたのか。
 要するに、お互いに必ず帰るという約束だ。
 ここが戦場である以上、いつ誰が、あの空から落ちてしまってもおかしくない。

 洗練された容姿。天才的な飛行センス。希少な未来予知の力。
 仲間を想う気持ち。そして、無事を祈る少女。

「苦手だなぁ、こうゆうの」

 心配されるより、する側でありたい。
 帰る約束なんて、わざわざしなくっても、わたしは必ず生きて帰る。でも___

「頑張るのは性に合わないんだよね」

 まぁ、なんにしても。今日のところは早く帰れるように努力してみよう。

 だって、エイラがわたしに相談したいんだってさ。

 そんなの、面白いことになるに決まってるじゃない!!

 了

 
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教えてEMT!(エイラーニャ)

 東と北の間、空のだいぶ低い位置に、満月が浮かんでいるのを、ハルトマンは自室の窓から確認した。それは、黄や白や、ましてや銀でもなく、一瞬ぎょっとしてしまうほどの、巨大で鮮やかなオレンジ。
「おいしそー」
 窓枠から身を乗り出して、月に向かって右手を伸ばしたハルトマンは、その突き出した小さな手の平をギュッと握り締めた。もちろん、月を掴める筈は無い。目の前で開いた手の平には、やはり何も無かったが、ハルトマンは満足げに笑みを浮かべた。
「さて、どうしよっかな〜」
 月に興味が無くなったのか金髪の天使は、両手を頭の後ろで組むと、窓に背を向けて、自分のベッドへと歩き出す。
 同室で、軍紀に厳しいバルクホルン大尉が、部屋を調度二分するように設置した、通称「ジークフリード線」をひょいと跨ぐ。501の仲間たちから「魔窟」と称される自陣へと足を踏み入れた。
「とりあえず、場所開けとこっと」
 足の踏み場も無いほど、私物やゴミの積み重なった床を、慣れた様子で歩く。ベッドまで辿り着いて、その上に敷いてある毛布を、「それっ」と掛け声を掛けてベットから引き剥がした。毛布の上にも山と乗せられていた服や本が、バサバサっと音を立ててどこかへ飛んでいく。
「うん。良し!」
「何が『良し!』だっ!ハルトマン!!」
「わっ!びっくりしたーっ」
 よく知った怒鳴り声に振り返れば、眉間に深く皺を寄せたバルクホルン大尉が、わなわなと肩を震わせて仁王立ちしていた。そういえば、部屋の扉を開けっ放しにしてたかも。
「なに怒ってるの?」
「あれだ!」
 バルクホルンの剣幕に、ハルトマンは動じた風もなく、いささか面倒臭そうだ。
「ジークフリード線を越えるなと、あれほど言っておいただろうっ!!」
 びしっとバルクホルンの指が、勢い良く部屋の真ん中辺りの床を指し示す。そこには、いかにも脱いでそのままと言った感じの半分裏返った服や、空になったお菓子袋のゴミなどが散乱していた。それは多分、ベッドから毛布を取ったときに、飛んでいった物たちだろう。
「ああ、なんだ」
「なんだ、じゃないだろう!大体、お前はいつもいつも!」
「ごめん、ごめん。すぐに片付けるから。」
 長いお説教が始まりそうな気がして、ハルトマンは仕方ないなぁと言った様子ではあったものの、指摘されたゴミ達を拾っては、それらを自陣へポイポイと投げ込んだ。
「・・・やけに素直じゃないか、ハルトマン」
 てっきり「気づいたんならトゥルーデが片付けてよ」とか、「めんどくさいな〜」とか返されると身構えていたバルクホルンは、ハルトマンの大人しさに、いささか拍子抜けした。
「今日はお客さんが来るんだよ」
「なっ、なに!?」
「なに驚いてるのさ。」
 自分でなくとも、驚くだろう。とバルクホルンは思った。

 ハルトマンの言っている、客と言うのが誰だか知らん。だが、この魔の領域に、自ら足を踏み入れようというのか・・・っ!

 バルクホルンは、ゴクリと喉を鳴らして、改めて部屋の中を見渡した。きちんと整頓され、定期的に掃除を行っている自分の陣地。

 うむ。

 満足げに頷いて、今度は反対側の魔窟に視線を移す。

 うぷ。

「もぅ、なに一人で百面相してんの?」
 ハルトマンの放った、最後の私物が放物線を描いて、魔窟へと帰っていく。
「何だか、気分が悪くてな・・・」
「食べすぎだよ」
「そんなわけあるか!もういいっ、今夜は客が来るんだろうっ?」
「うん」
「わたしはミーナの部屋に行っているから、この部屋は好きにしろ」
「えっ!いいの?」
 思ってもみなかったバルクホルンの申し出に、ハルトマンは素直に喜んだ。


「それで、相談ってなんだい?」
 結局、バルクホルンの陣地で客を迎えることにしたハルトマンは、約束の時間通りに部屋を訪れたサーニャに、そう切り出した。
「…、エイラの事です」
 テーブルの向かい側に着いた、グレイの髪をした儚げな少女は、ハルトマンが予想していた通りの名前を挙げた。
「エイラと喧嘩でもしちゃったの?」
「…」
 サーニャは否定の意味で首を振る。
「う〜ん?じゃあ…」
 ハルトマンはまるでクイズの答えでも探すかのように、あれこれと思い付いた事を口に出してみる。しかし、サーニャの返事は全てNO。仕方ないと、サーニャに回答を求める。
 相当、言い出しにくい事なのだろうか。サーニャは顔を俯かせて、時々ハルトマンと目線を合わせては、再び俯くを繰り返す。ハルトマンは、話の続きを急かすわけでも無く、テーブルに左手で頬杖をついた。そして、サーニャと目があっては微笑んで、目があっては微笑む。
 その光景は端から見れば、少し奇妙な光景で、二人にとっては、いつもの事だった。
「・・・エイラは、その・・」
「うん?」
「その・・」
「うん」
 見られてたら余計話し辛いかな。ハルトマンは窓の方へと視線を移した。数十分前に、この手に掴んだオレンジは、今はその色を白銀に変えて、だいぶ高度を上げていた。
 こんなに、いい月の夜なら、夜間哨戒もきっと楽しいよね・・・。そういえば、今夜の哨戒って、誰だったっけ?さーにゃんはここに居るから他の誰かなのは確かなんだけど、?
「今日のミーティングにも遅刻しちゃったからなぁ」
「え?」
「ぁ、ごめん、ごめん!こっちの話。」
「?」
「それで、エイラがどうしたんだい?」
 北欧出身の特徴でもある白い肌。同じ色をしたその頬を僅かに染めたサーニャは、綺麗な翡翠色の瞳を揺らめかせた。
「エイラは・・・その、女の子に・・・興味があるのかなって・・思って。・・・えっと」
「興味って?どんな?」
「好き・・とか・・その・・・」
 言いながらサーニャは段々と俯きを深くして「恋愛対象として・・・見ているのかなって・・・」と言い終わる頃には、テーブルに額をくっ付けていた。
「・・・なるほど」
 一瞬、泣いているのかと思って、グレイの髪に手を伸ばす。ヨシヨシと撫でてやる。
「サーニャはどうして、そう思ったの?」
「女の子に・・・触ってるところを、よく見るんです。」
「う〜ん。確かによく触ってるよね。」
「・・・」
「・・・じゃあさ。エイラが女の子が好きだと仮定したとして、どうしてサーニャは悩んでいるの?」
「・・・」
 ハルトマンはサーニャの頭を撫でていた手を止める。
「エイラと友達やめたいとか?」
 途端、サーニャが勢いよく頭を上げた。
「違います!!」
 思ったより大きな声が出てしまったんだろうか?サーニャはびっくりしたように、両手で自分の口を塞いだ。
「あははっ!さーにゃん真っ赤だよ?」
 ハルトマンは、さもおかしいと言うように笑う。
「笑い事じゃありませんっ」
 大きな声を出して、肩の力が抜けたのか、サーニャは本題を切り出した。
「エイラは、わたしには触らないんです。」
「あ、あ〜・・。そうなの?」
 コクリと小さく頷いたサーニャ。ハルトマンは内心「そりゃそうだ」と思っていた。なにせ、エイラはサーニャの事が好きなのだ。好きで好きで、逆に何もアプローチ出来なくなるほどに。
「エイラは、その・・・嫌いなの、かなって」
「なにがだい?」
 サーニャはキュッと下唇を噛んだ。その仕草が、子供っぽくて、ハルトマンは自分の中の保護欲が疼くのを感じた。
「わたしの・・ことです。」

 ・・・・・・・・・ぶはっ!!

 ハルトマンは椅子から勢い良く床にダイブすると、そこを転げまわった。
「あはっ!あはははっ、駄目!」
 サーニャはあっけに取られてハルトマンを見ていた。わたしは、そんなにおかしな事を言っただろうか?ハルトマンは涙を浮かべて笑っている、一瞬前まで泣きたかったのは自分の方だったはずなのに。

「はぁ、はぁ・・・おなか痛い。」
 ようやく笑いの収まったハルトマンは、目尻に溜まった涙を拭きつつ、椅子に座りなおした。
「エイラが、さーにゃんを嫌いなはず無いじゃない。」
「・・・」
「要するに、さーにゃんはエイラに触って欲しいってこと?」
「違いますっ」
 今度は、普通の大きさの声で言えたとサーニャは内心ほっとする。
「違うの?」
 サーニャは肝心なことをハルトマンに話していなかったことに今更気づいた。もしかしたら、無意識に避けていたのかもしれない。
「あの、ハルトマンさん」
「なんだい?」
「わたし、エイラが好き・・・なん、で、す・・」
 言いながら段々と頬を赤く染めて、最後の方の言葉はすっかり萎んでしまった。

 ハルトマンは、目を見開いた。今、目の前で、僅かに肩を震わせるこの北欧産の美少女は、その形の整った唇で何と言ったのだろうか?

 エイラが好き。
 エイラが好き?
 エイラが好き!!

「よぉっし!協力するよ!!サーニャッ!!」
 確実に、数秒意識を遠くに飛ばしていたハルトマンは、突然立ち上がると、ガッシ!とサーニャの両手を取った。サーニャはハルトマンのよく分からない勢いに押されて、コクコクと首を縦に振った。


 ハルトマンは、バルクホルンのベッドにサーニャを誘う。並んでベッドに転がると、タオルケットを頭から被った。
「やっぱり、女の子同士の恋バナって言ったら、こうじゃない?」
 サーニャは、恋の話自体が初めてのことで、ハルトマンの言っていることはよく分からなかったが、とりあえずコクンと頷く。部屋の照明はついているので、タオルケットの中でもハルトマンの顔はよく見えた。
「まずは、告白しなくちゃね」
「まず、告白・・・」
 サーニャは、ハルトマンの言葉を繰り返して、ポッと頬を染めた。
 ハルトマンは考える。エイラからの告白を待つよりも、サーニャからの告白を促すほうが、絶対に展開は速いはず・・・。
「それから、告白するシチュエーションだね。」
「シチュエーション?」
「そう。これ大事だよ?」
 特に、エイラに関しては、場の雰囲気に呑まれやすいところがある。と、ハルトマンは分析していた。
 しかし、サーニャの告白を受けたとしても、ヘタレなエイラのことだから、何も答えられずに逃げ出すかもしれない。スムーズに事を運ぶには、エイラの一切の逃げ場を無くしておく必要がある。
「ちなみに、サーニャはエイラと一緒に寝てるんだよね?」
「えっ!?」
 どうしてそれを、とでも言いたげなサーニャのリアクション。エイラのベッドで、一緒に寝ているなんて、誰にも言った事は無いのに。
「あれ?違った?」
「・・・ちがわない・・・です。」
 なんで、知っているんだろう?サーニャは、恥ずかしさで両手を顔に当てた。
「じゃあ、時間と場所はそれにしよう」
「・・・それ?」
「うん。時間はなるべく早めの朝が良いと思うんだよね。」
「朝だと、エイラまだ寝てるんじゃ・・・」
「それでいいんだよ、さーにゃん」
 ハルトマンは顔でにっこりと、心の中でにやりと笑った。
「ところで、エイラが他の女の子に触るの気になるんだよね?」
「え・・はい」
「それでサーニャは、自分にも触って欲しいと思ってるんだよね?」
「はい・・え?」
「さっき、サーニャ言ってたじゃない。『エイラは、わたしには触らないんです』って」
「・・・はい。」
「つまり、エイラがサーニャに触れば、エイラはサーニャを好きってことになるんだよ。」
 そういう話だっただろうか?・・・何だか少し違う気がするとサーニャは思ったが、ハルトマンは自信満々と言った風で話を進めていく。
 サーニャは段々よく分からなくなってきた。
 ともかく、いつも困ったときには、適切なアドバイスをくれるハルトマンが、協力すると言ってくれたのだ。ここは、ハルトマンの言うことに従ってみようと、サーニャは決めた。
「じゃあ、段取りはこうね。」
 ハルトマンは腕を伸ばして、ベッドサイドのキャビネットから、紙とペンを取り出した。もちろん、その紙とペンはバルクホルンの私物であるが、ハルトマンに躊躇という概念は無かった。その紙に、ハルトマンが書き出した内容は以下の通りだ。

@まずはサーニャの告白から
Aエイラの確保は必須だよ
B積極的にアプローチを
Cエイラに「好き」と言わせよう
DCを証明してもらおう

「・・・?」
「ちゃんと細かく教えるからね♪さーにゃん」

 だいぶ夜も更けてきた。天高く上った白銀の満月は、すでに部屋の窓枠から飛び出し、星々を引き連れ、夜空に燦然と輝いている。

「まず@、サーニャの告白なんだけど、台詞は・・・そうだなぁ。」
「台詞・・・、普通じゃ駄目なんですか?」
「普通って?」
「その・・・普通に・・」
「もうっ、さーにゃん!普通ってだけじゃ分からないよ〜。一回、わたしをエイラだと思って言ってみてくれない?」
「えっ」
「ほら、恥ずかしがってないでさ。練習だと思って!」
「で、でも」
「告白は一回しか出来ないんだよ?本番噛んじゃったりしたら嫌でしょ?」
 サーニャは一瞬、エイラにちゃんと告白できなくて、走って逃げ出す自分を想像した。そんなの、嫌。サーニャはハルトマンの言葉にコクリと頷いた。
「じゃあ、どうぞ?」
 サーニャは真っ赤にした顔を、何とかハルトマンに向けると、緊張と恥ずかしさで震える唇を懸命に動かした。
「エ、エイラ。あの・・」
「なんだい?」
「わ、わたし・・その」
「うんうん」
「エイラの事が・・・・えっと」
「ふむふむ」
「す・・す・・すす」
「すす?」
「す、す」
「す?」
「す・・き」
 言い終わると同時に、両手で顔を覆ってしまうサーニャ。そして、心のニヤニヤが顔にも出てしまっているハルトマン。二人はお互いに違う意味で、しばらくの間身悶えた。

サ  恥ずかしい!はずかしいっ!ハズカシイッ!

ハ  さーにゃん可愛いっ!さーにゃんかわいいっ!さーにゃんカ〜ワイイッ!

 ハルトマンの提案で、告白はエイラを起こすのと同時に行うことに決まった。告白も出来て、エイラを起こすことも出来て一石二鳥だよと、半ば強引にハルトマンがメモの@の横に○を付けた。

「じゃあ、A。ええっと、エイラの確保についてだね。」
「あの、どうして確保が必要なんですか?」
「エイラが逃げ・・、コホン。寝ぼけてどこかに行っちゃったら困るからだよ。」
「エイラは、その・・寝起きはいい方だと・・思います。」
「やだな〜、サーニャってば!確保するのは、あくまで万が一の為だよ?」
「万が一・・・」
「そうそう」
 ここからが、楽しいところだと、ハルトマンは心が沸き立つ思いがしていた。
「ところで、さーにゃん?エイラは今のさーにゃんみたく、ベッドに寝ている訳なんだけど・・・」
「?」
 ハルトマンはにっこりと、サーニャに微笑む、その天使のような微笑にサーニャはなぜか、どきんと胸が鳴った。その隙を突かれる。一瞬の浮遊感の後、うつぶせの体制から、視界が180度入れ替わる。ギシギシッとベッドが悲鳴を上げ、「ぇ」と小さな声を漏らした頃には、サーニャの身体はハルトマンに組み敷かれていた。
「つまり、エイラをこうすれば良いんじゃない?」
 シーツの上で万歳をするような態勢のまま、あっけに取られて、目を丸くしているいるサーニャの、顔の両脇に手を着いたハルトマンは、いかにも楽しそうな表情を浮かべていた。
「あ、あの・・??」
「そして、B。」
 サーニャを完全無視。天使と同じ姿をした、黒い悪魔がそこには居た。
「まずは、キスかな?」
「!!」
 顔をグイッと近づけられて、サーニャは驚いて横を向いた。
「やだな。ホントにはしないよ?あくまで予行演習なんだから」
 そう言いつつも、そっと距離を詰めて来るハルトマン。思わず肩を押し返そうとして、サーニャは腕が動かせないことに気がついた。ハルトマンの両手がそれぞれ、サーニャの両肘を押さえている。「ん」と力を込めても、びくとも動かせない。
 サーニャのふわふわのグレイの髪の中から、ちらりと覗く耳を見つけると、ハルトマンはそこに「ふっ」と息を吹きかけた。
「っ!」
 組み敷いた少女の、華奢な身体が震える様に、ハルトマンは小さく「くす」と笑う。まるで獲物を見つけた獣の如く、口から赤い舌を覗かせると、自分の唇をぺろりと舐めた。
「怖がらないで、サーニャ。」
 ハルトマンは優しげな声で囁いた。サーニャは事態の変化についていけずに、身体を強張らせることしか出来ないでいる。

 そんな、サーニャに悪魔が囁きかけた。

「エイラに・・・触れてみたいと思わない?」

「!」


 ・・・・エイラに、触れる?わたしが・・・?


 エイラに触れて欲しいと願うばかりで、そんな事、考えたことも無かった。


「サーニャ、目を閉じて?」
「え?」
「いいから、目を閉じて。」
「・・・」
 サーニャは数秒の戸惑いの後、ハルトマンの言うとおりに目を閉じた。
「いい?サーニャ。動いちゃ駄目だよ?」
 すぐ耳元で囁かれる言葉に、逆らってはいけない気がして、サーニャはコクンと頷いた。両肘を押さえていたハルトマンの両手が離れる。同時に、サーニャの身体に、ハルトマンの身体が重なって、そっと体重を預けられた。
「温かい?」
 右のほうを向くようにして目を閉じているサーニャの、左の耳にハルトマンの吐息が吹き込まれる。そこから、ざわりと広がる感覚を、サーニャはギュッと目を閉じて受け止めた。
「エイラにも、触れたら温かいと思うよ?」
「・・・、」
「人肌って何だか安心するよね?」
 確かにハルトマンの言う通り、触れ合う身体は温かい。その事に気が付くとサーニャはこんな状況ではあったが、不思議と落ち着くことが出来た。サーニャの強張っていた身体から力が抜けるのを感じたハルトマンは、僅かに口角を上げた。強引に事を運んでしまったけれど、内心では少しやり過ぎただろうかと思っていたからだ。
「よいしょ、っと」
 幼い顔つきには似合わない掛け声を掛けて、悪戯な天使はサーニャの上に身を起こした。サーニャはベットに横になった体制のままハルトマンを見つめている。陶器の様な白い頬が少し赤くなって、翡翠の両眼が蝋燭の明かりを受けて揺らめいている。すっかり開放されているはずのサーニャの両手は行き場所に困っているのか、胸の前で握り合わされていた。その様は何かに祈ってでもいるかのように見えて、ハルトマンはいっそ目の前の子ウサギを取って食べてしまいたい気にすらなったが、欲望とモラルを天秤に掛けて、結局は後者に傾いた。
「それじゃ!ここからはまじめに作戦会議だよ、さーにゃんっ」
「え」
「やだな〜、もう。さーにゃんたら赤くなっちゃってー、エイラに言っちゃうぞ〜」
 ハルトマンは仕切り直しとでも言うかのように「んんっ」と、わざとらしく咳払いをして、サーニャの上から退いた。手を差し出して、あっけに取られているサーニャを起こす。
「あの、ハルトマンさん」
「ん〜?」
 サーニャは、先ほど書いたメモをピラピラと振っているハルトマンの顔を覗きこんだ。
「その・・、なにかあったんですか?」
 ハルトマンには普段から驚かされることも多いサーニャだったが、今夜のハルトマンの態度には何か、いつもとは違う雰囲気を感じた。なにがいつもと違うのかと聞かれても、はっきりとこうとは言えない。でも何か違う。
「なにかって、何かな?」
「・・えっと・・」
 質問を質問で返されてサーニャは戸惑う。
「まぁ、今サーニャとエイラのことだよ。」
 これ以上の詮索はするなということだろうか。サーニャはハルトマンの言葉にそんな思いを感じて追求はしなかった。ハルトマンはサーニャにニッコリと微笑んで「じゃあ次はね〜」と話を進めていく。

「サーニャ」
「はい」
 突然、話が切れたかと思うと、落ち着いたハルトマンの声がサーニャを呼んだ。ハルトマンの持っているメモに落としていた視線をぱっと上げると、同じ目線の高さで揺らがない瞳に貫かれる。見つめてくる瞳の強さに囚われて視線が逸らせない。サーニャは喉が詰まるような感覚に陥った。ハルトマンがゆっくりと唇を動かす、慎重に言葉を選んでいるようにも思えるその声は、僅かに震えていた。
「サーニャ。ちゃんとエイラに好きって言ってね?」
「・・・はい。」
「成功したら教えてよ」
「はい」
「失敗しても教えてね」
「・・・ハルトマンさん」
「あははっ!うそうそっ」
 ハルトマンは腕を伸ばして、サーニャの頭をぽんぽんと優しく叩いた。ひとしきり笑ったハルトマンの声からは、もう震えは消えていた。
「ハルトマンさん」
「なんだい?」
 サーニャはハルトマンに正面から向き合うとペコッと頭を下げた。
「ありがとうございます。その・・話を聞いてもらって」
 申し訳なさそうな、嬉しそうな、そんなサーニャの様子にハルトマンは一瞬毒気を抜かれた気になって、ぽりぽりと右手で自分の頬を掻いた。
「いいよ、これぐらい。それにまだ成功したわけじゃないんだしさ」
 極力明るい声で答えて「じゃあ、そろそろお開きにしようか」と、ずっと手に持っていたメモを綺麗に畳んでサーニャに手渡した。サーニャはメモを受け取ると大事そうに軍服のポケットにしまい、座っていた床から立ち上がった。
「おやすみ。サーニャ」
「おやすみなさい。ハルトマンさん」
 サーニャを部屋の扉まで送ったハルトマンは、一人になった部屋で「ふぅ」と深く溜息を吐いた。
「おひとよし」
 誰に言うでもなく零した言葉は、味気のない石の床に滲んで消えた。

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雨と飴 (エイラーニャ)

「サーニャ」

 それはそれは、優しい声で。

「わたしは、そろそろ起きなくちゃいけないんダナ」

 眠っているわたしを、起こすつもりがあるんだろうか?

「サーニャー?」

 今の、「ニャー?」って言うところ、かわいかった、エイラ。

 でも、もう少しこのまま。

 だって、昨夜は雨が降ってきたの。昼頃から、灰色の雲が出てきていたのは、エイラも知ってるでしょ?おかげで、夜間哨戒は、予想通りに雨の中。哨戒から帰ってきた後は、お風呂にもちゃんと入ったし、貴女が用意してくれた着替えを着て、貴女が温めていてくれたベッドに入ったわ。

「サーニャ、もし雨に降られたらサ・・・」

 夜間哨戒に出る時、いつも滑走路まで見送りに来てくれるエイラ。

「寒いだろうかラ、その・・ベッド、わたしの方で寝てもいいゾ」

 あの時、エイラがそんな事を言うから、うっかり魔導針の色が変わってしまって、あんなに慌てて飛び出さなくちゃいけなくなったのよ。

 もう一度、そっと名前を呼ばれる。エイラの身体が、一瞬起き上がるような動きをしたから「ん」と、起きちゃうのサイン。途端に「!」と動きを止めて、わたしの呼吸に耳を澄ませる貴女は、やっぱりわたしを起こす気なんてないのね。

 サーニャは薄っすらと瞼を持ち上げる、目の前には、エイラの白くて華奢な背中があった。わたしの、腕は貴女の腰に回っていて、貴女はそれに困っているのね。
 
 ねぇ、エイラ。ホントは「一緒に居てって」、「もう少しだけこのままがいい」って、貴女の顔を見て言えない、わたしが悪いの。

 起きたら・・・、ちゃんと、ゴメンねって謝るから。

 お願い、もう少し、もう少しだけ・・・

 それでも、貴女はそぅっとわたしの手首を掴んで、それをどかそうとするから、ギュッと腕に力を込めて、思わず抵抗してしまった。

「ぇ」
「ぁ」

 ・・・・・・・。

 重なった、エイラとわたしの声。

 頭の中を巡るのは、どうしよう、どうしよう・・・。

「・・・・。」
「・・・・。」

 張り詰める空気。お互いの息づかいだけが、やけに大きく聞こえて、それすらも消せないものかと息を潜めた。

「・・・ったく、しょーがねーナー」
「ぇ」
 わざとらしく大きめの声でそう、言われて。反射的に引こうとした腕に、エイラの腕が重なった。
「・・・エイラ」
 小さな声で呼びかける。ごめんね、と言おうとしてやめた。
「ありがとう」
 やっぱり小さな声になってしまって、ちゃんとエイラに届いただろうかと、心配したその時。
「・・・こちらこそなんダナ。」
 とやはり小さな声で返されて。

 エイラ、ちょっと、エイラ。自分で言っておいて笑わないで。そんなにプルプル震えたら、わたしだっておかしくなっちゃう。

 結局、二人で笑い出して、転がって、やっと目が合ったのに、そしたらもっとおかしくなって。しばらくそんな風にしていたら、部屋にやってきた芳佳ちゃんに「ごはんが冷めちゃいますよっ、エイラさん!」って、貴女は連れて行かれてしまったけれど。

 ねぇ、エイラ。きっと目が覚めたら、貴女はこの部屋に居て、「よく眠れたカ?」なんて、その優しい声で囁いてくれるに違いないんだわ・・・



 
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こんなに近くで(サーニャver)

こんなに近くで(エイラver)の対の作品です。
ご覧になる際は、エイラのバージョンから読むことをお勧めします。


 歌うネウロイの狙いは、・・・わたし?

「二人とも!逃げて!!」

 言い切る前に急上昇をかけた、漆黒の機体が唸り声を上げる、重力をグンッと身体に感じた。フリーガーハマーの安全装置を親指で跳ね上げる。
「サーニャ!!」エイラの叫び、胸に罪悪感が過ぎった。

 でも・・・!!

 上昇から体制を変えようとした、一瞬の隙をつかれる。雲を切り裂いて一条の赤い閃光が眼前に迫る。「しまった」と思ったときには左のストライカーを吹き飛ばされて、わたしの身体は風に舞う木の葉のように宙を舞った。

「サーニャ!!」

 被弾の衝撃に、思わず瞑ってしまった目を開けると、エイラの珍しく怒った顔が、それでも心配そうに覗き込んでいた。「馬鹿!」開口一番に怒られて、それでもわたしを抱きとめた腕は、底なしに甘くて、「一人でどうするつもりだったんダ!!」と怒鳴ったエイラの目は、いつも通りの優しいエイラの目だった。

 一人でどうするつもりって、こんな事言ったら、貴女をまた怒らせてしまうけど。
 エイラ、わたしは戦うつもりだったのよ。わたしを狙ってきてるなら、貴女と一緒には居られないと思ったの。
 街でも、人でも、なるべく守りたいものから敵を遠ざけて戦うでしょう?

 わたしが大切なものが、そこにあったから、貴女に逃げてと言ったのに。結局、エイラも芳佳ちゃんも巻き込んで、でも二人が居たから勝てたわけで・・・。仲間が、エイラが、大切だから一人で戦おうとしたわたしと、守るためにチームで戦おうとしたエイラ。結局、エイラの言うとおり、一人で戦おうとしたわたしは「馬鹿」だったけど。

 エイラ、エイラでもね。わたしだって、エイラのことを守りたいの。

 貴女がいつもわたしに優しくて、守ってくれて、甘やかしてくれるから。わたしは貴女の傍が居心地が良いと思ってしまうし、そう思うのが自然なことだと思うの。そして、居心地が良い貴女を失わないように、わたしなりに貴女を守りたかったの。

 だって、そうでもしないと、エイラに沢山貰うばかりで、わたしがエイラに何を返せるっていうの・・・。

 貴女は、誰もが認めるトップエースで、強くて、優しくて、・・・かっこいい。

 わたしだって、エイラの為に何かしたいの・・・。


 前髪に触れた柔らかな感触に、意識が呼び戻される。「サーニャ」と呼ばれた気がした。それは多分、小さな小さな声、エイラの声。

 昨日は、わたしの誕生日。夜間哨戒の後、2段ベッドの梯子を上るわたしをエイラが「サーニャ!」と呼び止めた。そんなに慌てて呼ばなくても、ここに居るわ、エイラ。
 外は快晴。窓は暗幕で覆われているけれど、容赦ない日の光は、ほんの少しの隙間から、必死に細い光の針を何本も、薄暗い部屋の中へと射し込めていた。エイラは梯子の中間辺りで、振り返ったわたしに「誕生日、良かったナ!その、ラジオのこととかサ」と少しはにかんだ笑顔を見せた。「うん。ありがとう、エイラ。」エイラの言葉に、自然と笑顔になってそう返すと、エイラから珍しい言葉が飛び出した。

「一緒に、下で寝ないカ?サーニャ」

 思わず、「え?」と聞き返してしまった。だってエイラが、わたしを誘うようなことなんて、いまだかつて一度も無かったことだから。いつもいつも、エイラのベッドに一方的に潜り込むのはわたしのすることで、それはあくまで、わたしが寝ぼけていることが前提だから。
「い、嫌なら!サーニャが嫌なら、いいんダ!・・・気にしないでクレ」
「・・・嫌じゃないわ」
「ほ、本当か!?あ、いや・・・誕生日だしナ、その、今日だけだけどナ!」
「うん・・・」
 なぜ、誕生日だから一緒に寝てくれるんだろう?そんな、小さな疑問は、先にベッドに入ったエイラの横に、同じように転がった時点で、どこかへ消えてしまった。

 今何時位だろうか・・・?前髪が何かに触れる感触も、エイラが小さくわたしを呼んだことも、気になったのはもう少し後で、重い瞼を持ち上げることすらできずに、まどろんでいたわたしは、意味も無く時間が気になった。
 もぞと身動ぎすると、いつの間に抱きしめてしまっていたのか、隣りで眠る人から、ピクリと反応が返ってきた。ああ、ずいぶんエイラに乗っかってしまっているんだなと、ぼんやりしながら考えて、「ごめんね、エイラ」と謝る。結局、ちっとも起きてくれないわたしの身体は、言葉すらも失ったのか、自分でも驚くほど緩慢に唇を動かした。

 エイラが動く気配がした、頬に柔らかい物が触れる。なぁに?暖かい。なかなか回転数の上がらない脳が、エイラの手に撫でられたのだということを、ようやく認識して、胸がキュウと締め付けられた。エイラ起きてるの?「エイラ」と呼んでみたけれど、弱く漏れた音は、うまく声にはならなかったのか、エイラからの返事はない。

 なんとか、瞼を持ち上げようとした、その時だった。
 フワッとエイラの気配が強まる、わたしの額に触れたのはたぶん、エイラの額。自分の心臓がどくんっと大きな音をたてる。

 エイラ・・・?

 唇に、エイラの吐息が掛かった。その熱さに、わたしは「あ」と声を出しそうになるのを、どうして必死に耐えたのか。心臓の音が煩い。

 エイラ・・・

 ゆっくりと、確実に近づいて来ていたはずの、エイラの動きが止まる。

「こんなの・・・おかしいよナ」

 エイラの、意識せずに口から零れたような、小さな小さな呟きは、サーニャの心になぜか鋭く突き刺さった。近かった温もりが遠ざかり、絡めていた腕をそっと優しく解かれる。ベッドの軋む音で、エイラが身体を起こしたのが分かった。
 
 たぶん・・・、エイラはわたしにキスをしようとした・・・。

 どうすればいいんだろう?起きるべきなのか、このまま何も知らないフリをして眠るか・・・。サーニャは悩んで、薄く瞼を開いた。身体を起こしているエイラには、わたしの事は見えないはず。
 エイラのくれた黒い枕が視界に入る。エイラがくれた、わたしのお気に入りの枕。この枕をはじめて使ったときは、本当に寝ぼけていて、夕方ごろに目覚めたわたしは、はじめてその存在に気づいた。わたしが起きるのを待ってくれていたのか、部屋の真ん中にあるテーブルで、タロットカードを広げていたエイラが「あ〜、それサ。ええっト、サーニャにやるヨ」とぶっきらぼうに言っていたのを、鮮明に覚えている。
 
 ふと、異変に気がついた。ベッドが不自然に揺れている、小刻みで小さな揺れ。

 もしかして、エイラ、泣いてるの・・・?
 
「えいら・・・?」
 思わず、声を掛けてしまった。
「・・・眠れないの?えいら?」
 なんて声を掛けたらいいのか分からなくて、結局わたしは小さな嘘をついた。エイラは、振り向かない。何も喋ってくれないことに不安を覚えて、のろのろと身体を起こした。白々しいとは思ったけど、他になにも言葉が浮かんでこなくて「なにかあったの?」と左手を伸ばし、華奢な背中に触れた。瞬間、エイラの身体がビクッと強張ったのが、手の平を通して伝わる。

「エイラ?」
「・・・なにも、ないヨ。サーニャ」
 やっと聞けた、エイラの声。
 でもそれは、とても悲しい意味を持った言葉で。
 わたしは唐突に理解した。

 エイラがなぜ、わたしにキスをしようとしたのか。
 どうして、やめてしまったのか。
 なんでこんなに胸が苦しいのか。

「サーニャこそ、どうしたんだ?」
 そんな、いつもの優しい声で、気遣ってくれたって。もう、だめよエイラ。
「サーニャ?」
 エイラはうまく喋っているつもりだろうけど、震えを抑えてるのか、ほんの少しだけいつもより低いエイラの声。エイラ、わたしは小さな頃から音楽をやっているのよ?ごまかせると、本気で思ってるなら心外だわ。

 膝で立ち上がって、エイラの背中に寄りかかった。僅かに跳ねた肩に右手で触れた。エイラが何も言わないのをいいことに、わたしはそのままゆっくりとエイラの腕を撫で下り、エイラのすべらかな手の甲まで辿り着くと、少し力を込めてその手を握った。
 
 わたしがエイラに出来ること・・・。
 ううん、違う。これは、わたしがエイラにしたいこと。
 わたしのことでもあるのに、ずっとエイラ任せにしていたことを、わたしはどこかで知っていた。
 
 ずいぶん前に、エイラに対する、自分の気持ちに気づいたときから、エイラのわたしに対する気持ちにも、なんとなく気づいていた。
 そう、本当はずっと気づいてた。それすらも、きっとエイラが何とかしてくれると、わたしは思っていたのだ。どこまでも優しいこの人が、どれほど傷ついているのかも知らないで・・・

「嘘・・・」
「え」
 一体これまで、貴女に何度、こんな嘘をつかせてしまっていたんだろう。

「何も無いなんて、嘘。」
「・・・サ、サーニャ。わたしは」
 言い訳はもういいの。今まで、ゴメンねエイラ・・・、わたしも勇気を出すから。

「いい匂い」
「へ?」
 目の前にある、エイラの髪に鼻先を埋めた。ふわりと香る、落ち着くいつものエイラの匂い。「ササササーニャッ」エイラが、戸惑ったように動くのを、左手で抱きしめて逃がさない。さらりと流れたエイラの髪の間に、白い首筋を見つけて、そこに唇を押し当てた。
「ちょ、ちょっと、ごめんっ!は、離れてくれ、サーニャッ」
「離れちゃだめ、エイラ。」
 お願いだから、逃げないでエイラ。わたしも、もう逃げないから。
「だめって・・・、でも」
「でも、なぁに?」

「・・・」
「・・・」
 エイラは、急に大人しくなった。握っていた手をエイラの手を離すと、その手でエイラの顔をこちらへ振り向かせた。エイラの肩越しに、潤んだエイラの目と、わたしの目が合った。赤く染まった目元、涙の痕の残る頬、彫刻のような鼻筋、薄く開いた形の良い唇。
 
 ・・・やっぱり。エイラって綺麗。

 隠していた泣き顔を、わたしが暴いてしまったせいなのか、エイラの身体から力が抜けて、わたしに体重を預けるように倒れてきた。少し、後ろに下がって、エイラの頭を膝に乗せると、エイラは大人しくわたしの顔を見上げてくる。エイラの頬に涙で張り付いている髪が一筋、指で横へ流す。
「ごめんね。エイラ」
「・・・?」
 泣いたせいなのか、少し熱いエイラの頬を、右手でそっと撫でる。
「ホントはね・・・」
 見上げてくる、チャコールグレイの瞳はいつもより、たっぷりと水分を湛えていて、部屋の中に細く射し込んだ、細く白い陽光でキラキラと光っていた。そっと、手でエイラの視界を塞ぐ。
「サーニャ?」
「・・・ホントは」
 
 ホントは、ずっと、こうしたかったのは、わたしなの・・・エイラ。

 背中を丸めて、エイラの顔に自分の顔を近づけた。エイラの唇が何か言おうとしたのか僅かに開いた。怖じ気づきそうになって、ぎゅっと目を閉じた。エイラの鼻先を、わたしの顎が掠めて、すぐに柔らかな感触に唇が触れた。
「・・・っ」
 何故か、泣きたくなった。口の中に涙の味が込み上げてくるのを堪える。

 どのくらい、そうしていただろう。そっと、温もりから離れる。身体を起こすと、さっき堪えたはずの涙がぽろっと零れて、エイラの目を隠している手を外せなくなった。エイラに雫が落ちないように、少し上を向いた。我慢すると、さっきのエイラの様に身体が震えてしまうから、目を閉じて、自然に任せて涙を流した。


「ずっと、待ってたの・・・」
「うん」
「ずっと、ホントは・・・」
「うん」
「エイラに触れたかったの」
「うん、わたしもダ。なぁ、サーニャ」
「なぁに?」
「これ、とってくれないカ?」
 エイラの手が、わたしの手に触れた。
「だめ・・・」
「どうして?」
「・・・だめなの」
「なんで?」
「だって・・・」
 泣いているからとは言えなくて、「どんな顔すればいいか、わからないの」というと、エイラも少し黙ってから「そうダナ」と言ってくれた。

 結局、わたしの涙もとっくに乾いたのに、本当に気恥ずかしくなって。
 エイラの視界が自由になったのは、長い長い時間が経ったあとで、「ちょっとまって」とか、「やっぱり待ってクレ」とか言い合って、やっと顔を見合わせてみたら、お互いに同じような表情をしていたから、二人して噴出してしまった。

 
 ベッドに並んで寝転ぶと、エイラが意を決したように、わたしに告げてくれた。
「サーニャの両親が見つかったら、サーニャはオラーシャに住むんだヨナ?・・・もしさ、サーニャが良かったらなんだけど・・・、その、わたしも・・・一緒にオラーシャに行っても、いいカナ?」
 
 オラーシャはスオムスよりも寒いカナ?なんて、聞かれて「エイラ、気が早い」と照れ隠しに答えた。でもすぐにエイラの耳元に「嬉しい」と囁いてみると、見たこと無いくらい嬉しそうに貴女が笑うから、わたしはもっと嬉しくなる。

 エイラ、あのね。大好きよ。
 ホントは、ずっと、ずっと好きだったの。
 エイラの側は居心地が良くて、それを壊すのが怖かったの。
 この気持ちを伝えるには、あまりにも距離が近すぎて・・・

 貴女が言った通り、わたしは「馬鹿」だったんだわ。
 だって、エイラが傷つくなんて考えもしなかった。
 きっと、いつもわたしを助けてくれるみたいに、貴女なら二人の間の関係すら、いつか易々と乗り越えてきてくれると思っていたの。

 エイラがなぜ、わたしにキスをしようとしたのか。
 どうして、やめてしまったのか。
 なんでこんなに胸が苦しいのか。

 わたしがなんで、エイラのキスを受け入れようとしたのか。
 どうして、エイラの言葉に胸が痛んだのか。
 どうして、エイラにキスをしたのか。

 エイラ、ねぇ、えいら。もう一人で泣かないで。
 わたしもエイラが大好きだから。
 自分の臆病さすら、貴女に押し付けて、逃げることはもうしないから。

 
 エイラ、エイラ。わたしだって、エイラのことを守りたいの。
 貴女の為に、何かしたいの。

 エイラのことが、大好きだから。
 
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