「どういうことですか!?」
 朝のブリーフィングルームに声が響く。その場には病床に臥せっているエイラ以外、501の全員が召集されていた。皆、珍しく声を大きくした人物を見つめている、一番後ろの席で机に手をついて立ち上がったのはサーニャ・V・リトヴャク中尉だ。
 艶のあるストレートの赤髪を背に流し、カールスラントの軍服をきっちりと着こなしたミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐が、朝の挨拶もそこそこに連絡事項として切り出した。
「エイラさんは本日より面会謝絶になりました。」
 
「それなりの理由があるんだろう、サーニャも落ち着いて座れ。」
 軍人的な口調でそう言ったのは、一番前の席で腕組みしているゲルトルート・バルクホルン大尉だ。サーニャは「すみません」と小さな声で謝罪して席に着く、サーニャだけでなくその場に居た全員が何も言わなくても、エイラの面会謝絶については納得できなかった。ミーナもみんなが仲間を大切に思う気持ちはよく理解していたし、それを妨げるような事は言いたくないが、これは既に決定事項だった。
「みんなも知っているとおりエイラさんは高熱により、一昨日から街の病院に入院しています。今朝早くに、病院の医師からエイラさんの病状について連絡がありました。」
 そこで言葉を切るとミーナは一度自分の横に立つ坂本美緒少佐を見た。まるで厳しい体育教師のように木刀を両手で床に突き立て、白い扶桑皇国の軍服を着てしっかりと胸を張って立つ姿は、大変凛々しい。ミーナと目が合うとコクリと小さく頷き、コホンと一つ咳払いをした。
「ここからは私が話そう。」
 ミーナは言いにくいことを伝える為に、美緒に背中を押してもらいたかったのだが、美緒が代わりに話すと言ったことに対して少し驚いたような視線を美緒に送った。美緒は口の動きだけでミーナに「いいから」と伝えると、一歩前に出た。
「病院の医師からの連絡に寄ると、昨日の夜にエイラの容態が急変したんだ。」
 容態の急変と言う言葉の重みに、ブリーフィングルーム内の空気もグッと重みが増した。ミーナは美緒の言葉を聞きながら全員の顔を見渡す、みな緊張した表情をしているが、とくにサーニャは顔色が真っ青だ、そうじゃなくても今朝は夜間哨戒のあと睡眠を取らずに直接ブリーフィングに参加してもらったのだ、大丈夫だろうかと心配になる。
「エイラは高熱がずっと続いていたんだが、それが昨夜、突然熱が下がったんだそうだ。」
「ええ!?」
シャーロット・E・イェーガー大尉が少し癖のあるオレンジ色の髪を揺らして机に身を乗り出した。
「何だ?シャーリー」
「だって、入院中に体調の急変て言われたらさ!」
「まぁ、普通は悪いほうに考えちゃうよね」
 シャーリーに同意したのは金髪を短く切りそろえたエーリカ・ハルトマン中尉だ。いつもは寝坊の常習犯だが今朝は特に大事な連絡があるからとミーナに頼まれていたバルクホルンに無理やり叩き起こされてきた。
「でも、それなら面会できない理由がわかりませんわ。」
 上品な口調で発言するのはペリーヌ・クロステルマン中尉、金髪を眉の辺りで切りそろえ、掛けたメガネが彼女の生真面目さを表している。
「そのことなんだが。実は高すぎた熱が原因で脳に影響があったそうでな、記憶の混乱と多少だが欠落もあるそうだ。」
 美緒は至って落ち着いた様子で説明を続ける。
「何日も眠っていたんだ。混乱はともかくとして、記憶の欠落とは?」
 バルクホルンが怪訝な顔で発言した。
「ふむ。詳しいことは、これから私が病院に行って直接担当医の話を聞いてくるまで待って欲しい。」
「あの。それで、面会できない理由と言うのは・・・」
小さく手を挙げて質問したのはリネット・ビショップ軍曹。柔らかな茶髪を一つにまとめて、普段おとなしく話を聞いているだけのことが多い彼女が発言したのは、彼女の後ろの席で不安げに小さく震えるサーニャを気遣ってのことだった。
「人の記憶というのは大変複雑なものらしくてな、エイラ自身が落ち着くまでは我々が会いに行くと、かえってエイラが混乱する恐れがあるからだそうだ。」
美緒は一瞬、このブリーフィングが始まってから一言も発していない芳佳を見た、ルッキーニも発言していないがシャーリーの膝を枕にして机に隠れるようにして眠っているので除外される。
芳佳は美緒の視線を受けて浮かない表情ではあったが、小さく頷いた。実は面会謝絶については病院の担当医から言われたわけではなく芳佳の進言によるものだった。
芳佳はエイラが倒れたときの初診で、過去に実家の診療所でエイラの症状と似た患者が居たことを思い出したのだ。エイラと同じように前触れもなく突然倒れたと診療所に運び込まれた。
 その患者は男性だったが、高熱が何日も続いたあと、なんと記憶の約半分を失ってしまっていたのだ。目指していた夢も、家族との思い出も、大切な人のことも分からなくなってしまったのだ。
 その時、芳佳が見た男性を見舞いに来る家族や友人、そして男性と婚約を交わしていた女性の悲痛な面持ちや涙が当時幼かった芳佳の心に強く残っていた。
 エイラが倒れた夜に、ミーナと美緒が待つ司令室へと訪れた芳佳は、ミーナにその事を伝えたのだ。エイラの容態が過去に見たその男性患者の様子と酷似していること、万が一、エイラが同じように記憶を失うことがあったら、暫くは面会などは控えた方がエイラにとってもみんなにとっても良いように思うことを。
 美緒が言ったように、ひとの記憶とは複雑でいまだに解明されていない部分の方が多い。無くしたと思っていた記憶を突然思い出すこともあれば、ほんの少しの衝撃で記憶全てを失うこともある。どうしたら最善なのかは本当は医者にもわからないのだ。
 ミーナと美緒は芳佳の話を聞いたあと、芳佳の言ったように暫くはエイラの面会を控える事に決定した。面会の必要があればミーナか美緒のどちらかが行くようにしようと。
 この決定は、ウィッチの魔法力が本人の精神状態によるものが大きい事も考慮してのことだった。もし、大切な仲間に自分のことを忘れられたらどうだろう?ネウロイから大切なものを守る為に命を掛けて一緒に戦ってきた仲間なのだ。顔を見た途端に「初めまして。どちら様ですか?」なんて言われたら、どれほどのショックを受けるものか想像がつかない。
 そして、ミーナと美緒の心配は特にサーニャの事だった。普段からエイラとサーニャは、付かず離れず行動を共にしている。殊更、夜間哨戒の多いサーニャに関しては、他の仲間との交流が少ない分、エイラへの依存が強く見られた。エイラが倒れた日から、街の病院に入院するまでの間には、1週間ほどの期間があったが、サーニャは空き時間の全てを医務室に通ってエイラの看病をしていた。多少強引だったが、ハルトマンがロマーニャの街に詳しいルッキーとともに買い物へ出て、入手してきたという怪しげな睡眠薬をサーニャの食事に混ぜて無理矢理眠らせなければ、エイラの次に倒れていたのはサーニャに違いなかった。

 ブリーフィングが終わるとすぐに美緒は街へと出発した。美緒を乗せた黒い軍用車が街へと続く道へ消えていくのを、サーニャは自室の窓から見送っていた。
 サーニャはエイラの脳への後遺症についても心配していたが、それよりもエイラの熱が下がったことにひとまず安堵していた。

 エイラに会いたい。

 熱が何日も下がらなかったときは、このままエイラが死んでしまったらどうしようかと医務室の外で泣いたこともあった。熱は下がったのだ、とにかくエイラは生きているのだ。本当に良かった。

 サーニャはルームメイトの居ない部屋をぐるりと見渡した。エイラがこの部屋から担架で運ばれていってから、もう10日が経つ。それなのにこの部屋にはまだエイラの優しい空気が残っていた。目を閉じれば、独特のスオムス訛りで「サーニャ」と呼ぶ声が聞こえるようだ。ベットに倒れこんで壁側の方のスペースを半分空けるように転がる、そこはエイラの眠る場所だ。いつもエイラは壁に寄って姿勢よく眠っている。以前、一人部屋だったときから彼女がそうして眠っていた理由。私が入る為のスペースを空けておいてくれていたのだと、やっと気づいたのはブリタニア地方開放の少し前だった。
 エイラは気づいているだろうか、始めは寝ぼけて入ってしまったエイラのベット、今では寝ぼけたフリをして眠ることを。彼女が何も言わずに空けておいてくれるその半分のスペースに、なにも気がつかないフリをして甘えている私はきっとズルイ。
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