何度も最高気温を更新した夏が過ぎ、枯れ葉が舞い散る季節になった。最近なつきは忙しいらしい。祀りのせいで部屋を失ったなつきは、静留の寮の部屋に身を寄せていた。これまでHIMEという運命に翻弄された分のツケが回ってきたのか、なつきは学校では残って補修を受け、休みの日は朝から晩まで自室に篭って課題をこなしている。
「勉強教えましょか?」
「いや、いい。分からないことがあるわけじゃないんだ。ただ、量が多くてな」
せっかく想いが通じ合ったというのに、なかなか一緒に過ごせない。静留はそれでも「行ってらっしゃい」と「おかえりなさい」を言い合えるだけで嬉しかった。
そんな日々が続いて、季節はあっという間に師走になった。
「なつき、明日の休みに大掃除済ませときたいんやけど」
「ああ、手伝う」
「他んとこはいいとして、なつきん部屋は暫く入ってへんし、やりごたえありそうやな」
「わ、私の部屋は自分でやる!」
「一人でできるん?」
「できる!だから絶対入るなよ!」

−−−−−−

今日もなつきは学校で補習だと言っていた。それで、帰ってきてもいつも通り部屋に籠るのだろう。今日は、今日だけは、一緒に過ごしたかったけど、忙しくしているなつきは今日が何の日かなんてすっかり忘れているだろう。
すっかり陽が落ち、暗くなった窓の外を見ながら静留はため息をついた。いつもより少し贅沢に作った夕飯はもう間もなく冷めてしまう。
「なつきが頑張ってはるのに、構って欲しいなんて。うちは困った女やなぁ」
夕飯にラップをかけておこうと立ち上がった時だった。玄関から鍵を回す音がして、なつきが帰って来た。走ってきたのか、肩で息を切らしている。
「た、ただいま!」
「おかえりなさい。えらい急いでたみたいやな。どうしたん?」
「どうしたもこうしたも」
「?」
なつきは手早く着ていたコートとマフラーを取ると床に放った。
「もう、なつき。ちゃんとハンガーにかけな」
「後でいい」
なつきはキッチンに行き、手洗いとうがいをした。それから、リビングのテーブルについた。
「今日はお前の誕生日だろ」
「!、覚えててくれはったん?」
「忘れてると思ってたのか」
「やって、ずっと忙しそうにしてはったから」
「あ、ああ。それは、後で話す」
「?」
「なんだ。私の好物ばっかりだな」
テーブルに所狭しと置かれた料理を見て、なつきは感嘆のため息をついた。
「お前の誕生日なんだぞ」
「……そやけど、なつきに喜んで欲しかったんどす」
「そっか。嬉しい」
「うちも」
「静留。その、誕生日おめでとう」
「おおきに」
頬を染めながら、伝えられた「おめでとう」は静留の心を満たしてくれた。最近、すれ違いばかりだった二人はお互いのことを沢山話し合った。
「なつき、爪に色着いとるよ」
「ん?ああ、本当だ」
「補習で絵の具でも使ったん?」
「これはな……」
なつきは鞄を手繰り寄せて、その中から赤い封筒を取り出した。少し厚みのある封筒には「Happy birthday」と書かれた金のシールと小さなリボンが貼られていた。
「ん」
「え、うちに?」
「ああ、誕生日プレゼントだ」
「うれし。開けてもええの?」
「うん、あ、いや。やっぱり後にしてくれ」
「ほな、後でじっくり見させてもらいます」
「ん」

−−−−−−

シャワーの音がする。なつきが珍しく鼻歌を歌っているのが聞こえてきた。食器の後片付けを終えた静留は、なつきが寄越した「プレゼント」を開けてみた。
それは本だった。しかも、どう見ても手作りだ。厚紙を色紙と絵の具で装飾してある。表紙には犬と兎の絵が描かれていた。
「かわええなぁ」
題名の無い本を開く。

−−−−−−

ずっと一人だった。
それでいいと思っていた。
心が辛い時も、苦しい時も、頼れる誰かは居なかった。

ある時、兎が現れた。
鋭い牙で脅しても、兎は何度も現れた。
研いだ爪先を見て、兎は悲しそうに笑った。

何度突き放しても、兎はどんどん近づいてきて、やがて、犬は兎が来るのを待つ様になった。

あるとき、兎は「好き」と言った。
こんな争いばかりでボロボロの自分に向かって。
犬はそれを撥ねつけた。
信じられるものか、お前は嘘つきだ。
うさぎはいつもの様に笑った。

次の日から兎は犬のところへ来なくなった。
ついに、自分に飽きたのか。そう思ったけれど、心の中では兎を待っていた。また笑ってくれることを、自分を「好き」と言ってくれることを願っていた。

犬は初めて自分から兎に会いに行った。兎は家で病に倒れていた。犬は驚いて、慌てて薬草を取りに行った。兎は薬草を食べて、だんだんと元気になっていった。
なぜ自分なんかに会いにきてくれたのかと兎は犬に聞いた。
犬は、兎が笑うと嬉しいこと、好きだと言ってくれて心が癒されたことを話した。
犬と兎はそれからずっと寄り添って暮らした。

「ずっとずっと二人でいよう」

−−−−−−

手書きのイラストと文字で描かれた絵本を閉じて、静留はじわりと目に浮かんだ涙を拭った。ペタペタと音がして、なつきがタオルで頭を拭きながらリビングにやってきた。
「これ、作るの大変やったんちゃう?」
「ん、まあ、何度かやり直したからな」
「ほんまにおおきに。一生大切にします」
「本当は何か別の物をいろいろ考えたんだけどな」
静留は絵本を胸に抱いて首を振った。
「これ以上に良いものなんてあらしません」
「……そうか、気に入ってくれたなら良かった」
なつきがソファにいる静留のそばに立った。屈んで静留に顔を近づける。静留も応えた。視線を絡めて触れ合う唇。

「ずっとずっと二人でいよう」