教室の窓際、一番後ろの席でなつきはぼんやりと中庭を見下ろしていた。
担任が教室に入ってくる音がした。
「転入生を紹介するぞ」
そう言った担任の声がなつきの耳を右から左に抜けていった。
「入ってきなさい」
おお!と歓声が上がった。「可愛い」「綺麗」と声がして、なつきはようやく転入生に目をやった。薄茶色の長い髪をした女生徒は、確かに整った顔立ちをしていた。
「藤乃静留言います。よろしゅうお頼申します」
流暢な京都弁に教室が沸いた。
「席はあそこだ」
担任が指差したのは、なつきの前の空き席だった。足音のしない綺麗な歩き方で、なつきの前の席まで来た転入生は、なつきの視線に気がつくとにっこり綺麗に笑んで見せた。
「よろしゅう」
「ん、ああ」
美人の転入生は人当たり良く、学業も出来た事もあり、たちまち学校内で有名人になった。休み時間には他のクラスのやつらだけでなく、上級生や下級生まで、静留を一目見ようと教室に押しかけた。

静留を中心に人だかりができているのを横目で見ながら、なつきは席を立った。昼休みはいつも一人で屋上に行く。おにぎりとお茶が入ったビニール袋を片手に下げて、いつもの階段を登った。鉄の扉を押すと、錆びた音を立てて扉が開く。少し冷たい秋風がなつきの黒い髪をさらった。もう少し寒くなったら屋上で過ごすのは厳しいな。どこで暇を潰そうか。そんなことを考えながらおにぎりを頬張る。鳩が一羽、バサバサと羽根を鳴らしてなつきの傍に舞い降りてきた。どうやら、こいつの目当てはおにぎりらしい。
「そんな目で見てもやらんぞ」
その時だった。ぎい、と扉が開いて噂の転入生が屋上に出てきた。きょろきょろと周囲を見回した静留はなつきを見つけると歩み寄ってきた。
「玖我さん、ここにおったんやね」
「なんか用か」
「用っていうか。いつも一人でどこに行かはるんかなって思ってたから」
「ふぅん」
「寂しくないん?」
「一人がか?楽でいい」
「そおなんや」
静留はその日から、昼休みになると取り巻きの目を盗んでは屋上に来る様になった。
「うちな、小さい頃から引っ越しばっかやって友達もいーひん」
「ふうん」
屋上に寝っ転がったなつきの顔を、静留が覗き込んだ。少し寂しげな静留の眼は綺麗な紅い色をしていた。
「玖我さんが友達んなってくれはったら嬉しいなぁ」
「取り巻きならいっぱいいるだろ」
「……ああいうんは、なんか違ごぅて」
「ふぅん」
「なあ、うちと友達なってくれはる?」
「考えとく」
「いけずやなぁ」
毎日、静留は自分の家のことや、今までどんなところに行ったのかとかの話をしてきた。私はそれに「ふうん」と返していた。
静留は私の気の無い返事にもめげずに、笑って話しかけてきた。いつしか、二人でいる時間を心地いいと感じる様になっていた。

その日は雪がちらほらと降っていた。私の前の席のあいつは今日は休みの様だ。教室で窓から外を見ていた私の耳に、信じられない言葉が入ってきた。
「急な話だが、藤乃は転校することになった」
担任が止めるのも聞かず、私は走り出していた。いつだか静留が言っていた住所を一生懸命思い出して、そのあたりを探し回った。ある角を曲がったところで、大きな引っ越しトラックが停まっているのを見つけた。そこに静留はいた。
「静留!」
「え、玖我さん?」
静留は驚いた様に目を大きくした。走って上がった息を整えながら、私は静留に詰め寄った。
「なんで引っ越すこと教えてくれなかったんだ!」
「……言うても、仕方ないことやもん」
静留は悲しそうに目を潤ませた。
「私は!」
「?」
「お前のこと、友達だと思ってる」
「!……おおきに、玖我さん」
「なつきって呼べ」
「……なつき、堪忍な」
トラックのエンジンがかかる。ああ、さよならなんだ。そう思うと、もっと一緒にいたい気持ちが溢れてきた。
「なあ、私たち。大人になったらずっと一緒にいられないかな」
「!」
「静留がいなくなるのは嫌だ」
「……うちも、なつきと離れるのはいやや」
「手紙書くから」
「うん、うちも」
「電話もする」
「うん」
「だから、私を忘れないでくれ」
「うちのことも、忘れないでいてくれはるん?」
「当たり前だろ」
トラックは走り出した。静留を乗せて。車が見えなくなるまで手を振った。
いつか、いつか大人になったら、ずっとずっと一緒にいよう。

重い瞼を開くと、こちらを覗き込む静留がいた。
「よう寝てはったね」
そう言って、髪を撫でてくれる。その手を捕まえた。
「子供の頃って、どうしようもないことって多かったよな」
「どうしたん?急に」
握った手を引き寄せ、腰に腕を回すと、静留は大人しく腕の中に収まった。
「静留が引っ越して行った時の夢みてた」
「そうなん」
「悲しかった」
静留が腕の中で動いて、目線を合わせてきた。綺麗な緋色が真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
「もうどこにも行かへんよ」
「ああ」
「なつきも、うちのそばにいてくれはる?」
「当たり前だろ」
もう離れない。もう離さない。
外は暖かい春の風が吹いていた。