雨と飴 (エイラーニャ)

「サーニャ」

 それはそれは、優しい声で。

「わたしは、そろそろ起きなくちゃいけないんダナ」

 眠っているわたしを、起こすつもりがあるんだろうか?

「サーニャー?」

 今の、「ニャー?」って言うところ、かわいかった、エイラ。

 でも、もう少しこのまま。

 だって、昨夜は雨が降ってきたの。昼頃から、灰色の雲が出てきていたのは、エイラも知ってるでしょ?おかげで、夜間哨戒は、予想通りに雨の中。哨戒から帰ってきた後は、お風呂にもちゃんと入ったし、貴女が用意してくれた着替えを着て、貴女が温めていてくれたベッドに入ったわ。

「サーニャ、もし雨に降られたらサ・・・」

 夜間哨戒に出る時、いつも滑走路まで見送りに来てくれるエイラ。

「寒いだろうかラ、その・・ベッド、わたしの方で寝てもいいゾ」

 あの時、エイラがそんな事を言うから、うっかり魔導針の色が変わってしまって、あんなに慌てて飛び出さなくちゃいけなくなったのよ。

 もう一度、そっと名前を呼ばれる。エイラの身体が、一瞬起き上がるような動きをしたから「ん」と、起きちゃうのサイン。途端に「!」と動きを止めて、わたしの呼吸に耳を澄ませる貴女は、やっぱりわたしを起こす気なんてないのね。

 サーニャは薄っすらと瞼を持ち上げる、目の前には、エイラの白くて華奢な背中があった。わたしの、腕は貴女の腰に回っていて、貴女はそれに困っているのね。
 
 ねぇ、エイラ。ホントは「一緒に居てって」、「もう少しだけこのままがいい」って、貴女の顔を見て言えない、わたしが悪いの。

 起きたら・・・、ちゃんと、ゴメンねって謝るから。

 お願い、もう少し、もう少しだけ・・・

 それでも、貴女はそぅっとわたしの手首を掴んで、それをどかそうとするから、ギュッと腕に力を込めて、思わず抵抗してしまった。

「ぇ」
「ぁ」

 ・・・・・・・。

 重なった、エイラとわたしの声。

 頭の中を巡るのは、どうしよう、どうしよう・・・。

「・・・・。」
「・・・・。」

 張り詰める空気。お互いの息づかいだけが、やけに大きく聞こえて、それすらも消せないものかと息を潜めた。

「・・・ったく、しょーがねーナー」
「ぇ」
 わざとらしく大きめの声でそう、言われて。反射的に引こうとした腕に、エイラの腕が重なった。
「・・・エイラ」
 小さな声で呼びかける。ごめんね、と言おうとしてやめた。
「ありがとう」
 やっぱり小さな声になってしまって、ちゃんとエイラに届いただろうかと、心配したその時。
「・・・こちらこそなんダナ。」
 とやはり小さな声で返されて。

 エイラ、ちょっと、エイラ。自分で言っておいて笑わないで。そんなにプルプル震えたら、わたしだっておかしくなっちゃう。

 結局、二人で笑い出して、転がって、やっと目が合ったのに、そしたらもっとおかしくなって。しばらくそんな風にしていたら、部屋にやってきた芳佳ちゃんに「ごはんが冷めちゃいますよっ、エイラさん!」って、貴女は連れて行かれてしまったけれど。

 ねぇ、エイラ。きっと目が覚めたら、貴女はこの部屋に居て、「よく眠れたカ?」なんて、その優しい声で囁いてくれるに違いないんだわ・・・



 
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嫉妬、或いは独占欲?B (エイラーニャ)

嫉妬、或いは独占欲?A (エイラーニャ)

嫉妬、或いは独占欲?@ (エイラーニャ)

こんなに近くで(サーニャver)

こんなに近くで(エイラver)の対の作品です。
ご覧になる際は、エイラのバージョンから読むことをお勧めします。


 歌うネウロイの狙いは、・・・わたし?

「二人とも!逃げて!!」

 言い切る前に急上昇をかけた、漆黒の機体が唸り声を上げる、重力をグンッと身体に感じた。フリーガーハマーの安全装置を親指で跳ね上げる。
「サーニャ!!」エイラの叫び、胸に罪悪感が過ぎった。

 でも・・・!!

 上昇から体制を変えようとした、一瞬の隙をつかれる。雲を切り裂いて一条の赤い閃光が眼前に迫る。「しまった」と思ったときには左のストライカーを吹き飛ばされて、わたしの身体は風に舞う木の葉のように宙を舞った。

「サーニャ!!」

 被弾の衝撃に、思わず瞑ってしまった目を開けると、エイラの珍しく怒った顔が、それでも心配そうに覗き込んでいた。「馬鹿!」開口一番に怒られて、それでもわたしを抱きとめた腕は、底なしに甘くて、「一人でどうするつもりだったんダ!!」と怒鳴ったエイラの目は、いつも通りの優しいエイラの目だった。

 一人でどうするつもりって、こんな事言ったら、貴女をまた怒らせてしまうけど。
 エイラ、わたしは戦うつもりだったのよ。わたしを狙ってきてるなら、貴女と一緒には居られないと思ったの。
 街でも、人でも、なるべく守りたいものから敵を遠ざけて戦うでしょう?

 わたしが大切なものが、そこにあったから、貴女に逃げてと言ったのに。結局、エイラも芳佳ちゃんも巻き込んで、でも二人が居たから勝てたわけで・・・。仲間が、エイラが、大切だから一人で戦おうとしたわたしと、守るためにチームで戦おうとしたエイラ。結局、エイラの言うとおり、一人で戦おうとしたわたしは「馬鹿」だったけど。

 エイラ、エイラでもね。わたしだって、エイラのことを守りたいの。

 貴女がいつもわたしに優しくて、守ってくれて、甘やかしてくれるから。わたしは貴女の傍が居心地が良いと思ってしまうし、そう思うのが自然なことだと思うの。そして、居心地が良い貴女を失わないように、わたしなりに貴女を守りたかったの。

 だって、そうでもしないと、エイラに沢山貰うばかりで、わたしがエイラに何を返せるっていうの・・・。

 貴女は、誰もが認めるトップエースで、強くて、優しくて、・・・かっこいい。

 わたしだって、エイラの為に何かしたいの・・・。


 前髪に触れた柔らかな感触に、意識が呼び戻される。「サーニャ」と呼ばれた気がした。それは多分、小さな小さな声、エイラの声。

 昨日は、わたしの誕生日。夜間哨戒の後、2段ベッドの梯子を上るわたしをエイラが「サーニャ!」と呼び止めた。そんなに慌てて呼ばなくても、ここに居るわ、エイラ。
 外は快晴。窓は暗幕で覆われているけれど、容赦ない日の光は、ほんの少しの隙間から、必死に細い光の針を何本も、薄暗い部屋の中へと射し込めていた。エイラは梯子の中間辺りで、振り返ったわたしに「誕生日、良かったナ!その、ラジオのこととかサ」と少しはにかんだ笑顔を見せた。「うん。ありがとう、エイラ。」エイラの言葉に、自然と笑顔になってそう返すと、エイラから珍しい言葉が飛び出した。

「一緒に、下で寝ないカ?サーニャ」

 思わず、「え?」と聞き返してしまった。だってエイラが、わたしを誘うようなことなんて、いまだかつて一度も無かったことだから。いつもいつも、エイラのベッドに一方的に潜り込むのはわたしのすることで、それはあくまで、わたしが寝ぼけていることが前提だから。
「い、嫌なら!サーニャが嫌なら、いいんダ!・・・気にしないでクレ」
「・・・嫌じゃないわ」
「ほ、本当か!?あ、いや・・・誕生日だしナ、その、今日だけだけどナ!」
「うん・・・」
 なぜ、誕生日だから一緒に寝てくれるんだろう?そんな、小さな疑問は、先にベッドに入ったエイラの横に、同じように転がった時点で、どこかへ消えてしまった。

 今何時位だろうか・・・?前髪が何かに触れる感触も、エイラが小さくわたしを呼んだことも、気になったのはもう少し後で、重い瞼を持ち上げることすらできずに、まどろんでいたわたしは、意味も無く時間が気になった。
 もぞと身動ぎすると、いつの間に抱きしめてしまっていたのか、隣りで眠る人から、ピクリと反応が返ってきた。ああ、ずいぶんエイラに乗っかってしまっているんだなと、ぼんやりしながら考えて、「ごめんね、エイラ」と謝る。結局、ちっとも起きてくれないわたしの身体は、言葉すらも失ったのか、自分でも驚くほど緩慢に唇を動かした。

 エイラが動く気配がした、頬に柔らかい物が触れる。なぁに?暖かい。なかなか回転数の上がらない脳が、エイラの手に撫でられたのだということを、ようやく認識して、胸がキュウと締め付けられた。エイラ起きてるの?「エイラ」と呼んでみたけれど、弱く漏れた音は、うまく声にはならなかったのか、エイラからの返事はない。

 なんとか、瞼を持ち上げようとした、その時だった。
 フワッとエイラの気配が強まる、わたしの額に触れたのはたぶん、エイラの額。自分の心臓がどくんっと大きな音をたてる。

 エイラ・・・?

 唇に、エイラの吐息が掛かった。その熱さに、わたしは「あ」と声を出しそうになるのを、どうして必死に耐えたのか。心臓の音が煩い。

 エイラ・・・

 ゆっくりと、確実に近づいて来ていたはずの、エイラの動きが止まる。

「こんなの・・・おかしいよナ」

 エイラの、意識せずに口から零れたような、小さな小さな呟きは、サーニャの心になぜか鋭く突き刺さった。近かった温もりが遠ざかり、絡めていた腕をそっと優しく解かれる。ベッドの軋む音で、エイラが身体を起こしたのが分かった。
 
 たぶん・・・、エイラはわたしにキスをしようとした・・・。

 どうすればいいんだろう?起きるべきなのか、このまま何も知らないフリをして眠るか・・・。サーニャは悩んで、薄く瞼を開いた。身体を起こしているエイラには、わたしの事は見えないはず。
 エイラのくれた黒い枕が視界に入る。エイラがくれた、わたしのお気に入りの枕。この枕をはじめて使ったときは、本当に寝ぼけていて、夕方ごろに目覚めたわたしは、はじめてその存在に気づいた。わたしが起きるのを待ってくれていたのか、部屋の真ん中にあるテーブルで、タロットカードを広げていたエイラが「あ〜、それサ。ええっト、サーニャにやるヨ」とぶっきらぼうに言っていたのを、鮮明に覚えている。
 
 ふと、異変に気がついた。ベッドが不自然に揺れている、小刻みで小さな揺れ。

 もしかして、エイラ、泣いてるの・・・?
 
「えいら・・・?」
 思わず、声を掛けてしまった。
「・・・眠れないの?えいら?」
 なんて声を掛けたらいいのか分からなくて、結局わたしは小さな嘘をついた。エイラは、振り向かない。何も喋ってくれないことに不安を覚えて、のろのろと身体を起こした。白々しいとは思ったけど、他になにも言葉が浮かんでこなくて「なにかあったの?」と左手を伸ばし、華奢な背中に触れた。瞬間、エイラの身体がビクッと強張ったのが、手の平を通して伝わる。

「エイラ?」
「・・・なにも、ないヨ。サーニャ」
 やっと聞けた、エイラの声。
 でもそれは、とても悲しい意味を持った言葉で。
 わたしは唐突に理解した。

 エイラがなぜ、わたしにキスをしようとしたのか。
 どうして、やめてしまったのか。
 なんでこんなに胸が苦しいのか。

「サーニャこそ、どうしたんだ?」
 そんな、いつもの優しい声で、気遣ってくれたって。もう、だめよエイラ。
「サーニャ?」
 エイラはうまく喋っているつもりだろうけど、震えを抑えてるのか、ほんの少しだけいつもより低いエイラの声。エイラ、わたしは小さな頃から音楽をやっているのよ?ごまかせると、本気で思ってるなら心外だわ。

 膝で立ち上がって、エイラの背中に寄りかかった。僅かに跳ねた肩に右手で触れた。エイラが何も言わないのをいいことに、わたしはそのままゆっくりとエイラの腕を撫で下り、エイラのすべらかな手の甲まで辿り着くと、少し力を込めてその手を握った。
 
 わたしがエイラに出来ること・・・。
 ううん、違う。これは、わたしがエイラにしたいこと。
 わたしのことでもあるのに、ずっとエイラ任せにしていたことを、わたしはどこかで知っていた。
 
 ずいぶん前に、エイラに対する、自分の気持ちに気づいたときから、エイラのわたしに対する気持ちにも、なんとなく気づいていた。
 そう、本当はずっと気づいてた。それすらも、きっとエイラが何とかしてくれると、わたしは思っていたのだ。どこまでも優しいこの人が、どれほど傷ついているのかも知らないで・・・

「嘘・・・」
「え」
 一体これまで、貴女に何度、こんな嘘をつかせてしまっていたんだろう。

「何も無いなんて、嘘。」
「・・・サ、サーニャ。わたしは」
 言い訳はもういいの。今まで、ゴメンねエイラ・・・、わたしも勇気を出すから。

「いい匂い」
「へ?」
 目の前にある、エイラの髪に鼻先を埋めた。ふわりと香る、落ち着くいつものエイラの匂い。「ササササーニャッ」エイラが、戸惑ったように動くのを、左手で抱きしめて逃がさない。さらりと流れたエイラの髪の間に、白い首筋を見つけて、そこに唇を押し当てた。
「ちょ、ちょっと、ごめんっ!は、離れてくれ、サーニャッ」
「離れちゃだめ、エイラ。」
 お願いだから、逃げないでエイラ。わたしも、もう逃げないから。
「だめって・・・、でも」
「でも、なぁに?」

「・・・」
「・・・」
 エイラは、急に大人しくなった。握っていた手をエイラの手を離すと、その手でエイラの顔をこちらへ振り向かせた。エイラの肩越しに、潤んだエイラの目と、わたしの目が合った。赤く染まった目元、涙の痕の残る頬、彫刻のような鼻筋、薄く開いた形の良い唇。
 
 ・・・やっぱり。エイラって綺麗。

 隠していた泣き顔を、わたしが暴いてしまったせいなのか、エイラの身体から力が抜けて、わたしに体重を預けるように倒れてきた。少し、後ろに下がって、エイラの頭を膝に乗せると、エイラは大人しくわたしの顔を見上げてくる。エイラの頬に涙で張り付いている髪が一筋、指で横へ流す。
「ごめんね。エイラ」
「・・・?」
 泣いたせいなのか、少し熱いエイラの頬を、右手でそっと撫でる。
「ホントはね・・・」
 見上げてくる、チャコールグレイの瞳はいつもより、たっぷりと水分を湛えていて、部屋の中に細く射し込んだ、細く白い陽光でキラキラと光っていた。そっと、手でエイラの視界を塞ぐ。
「サーニャ?」
「・・・ホントは」
 
 ホントは、ずっと、こうしたかったのは、わたしなの・・・エイラ。

 背中を丸めて、エイラの顔に自分の顔を近づけた。エイラの唇が何か言おうとしたのか僅かに開いた。怖じ気づきそうになって、ぎゅっと目を閉じた。エイラの鼻先を、わたしの顎が掠めて、すぐに柔らかな感触に唇が触れた。
「・・・っ」
 何故か、泣きたくなった。口の中に涙の味が込み上げてくるのを堪える。

 どのくらい、そうしていただろう。そっと、温もりから離れる。身体を起こすと、さっき堪えたはずの涙がぽろっと零れて、エイラの目を隠している手を外せなくなった。エイラに雫が落ちないように、少し上を向いた。我慢すると、さっきのエイラの様に身体が震えてしまうから、目を閉じて、自然に任せて涙を流した。


「ずっと、待ってたの・・・」
「うん」
「ずっと、ホントは・・・」
「うん」
「エイラに触れたかったの」
「うん、わたしもダ。なぁ、サーニャ」
「なぁに?」
「これ、とってくれないカ?」
 エイラの手が、わたしの手に触れた。
「だめ・・・」
「どうして?」
「・・・だめなの」
「なんで?」
「だって・・・」
 泣いているからとは言えなくて、「どんな顔すればいいか、わからないの」というと、エイラも少し黙ってから「そうダナ」と言ってくれた。

 結局、わたしの涙もとっくに乾いたのに、本当に気恥ずかしくなって。
 エイラの視界が自由になったのは、長い長い時間が経ったあとで、「ちょっとまって」とか、「やっぱり待ってクレ」とか言い合って、やっと顔を見合わせてみたら、お互いに同じような表情をしていたから、二人して噴出してしまった。

 
 ベッドに並んで寝転ぶと、エイラが意を決したように、わたしに告げてくれた。
「サーニャの両親が見つかったら、サーニャはオラーシャに住むんだヨナ?・・・もしさ、サーニャが良かったらなんだけど・・・、その、わたしも・・・一緒にオラーシャに行っても、いいカナ?」
 
 オラーシャはスオムスよりも寒いカナ?なんて、聞かれて「エイラ、気が早い」と照れ隠しに答えた。でもすぐにエイラの耳元に「嬉しい」と囁いてみると、見たこと無いくらい嬉しそうに貴女が笑うから、わたしはもっと嬉しくなる。

 エイラ、あのね。大好きよ。
 ホントは、ずっと、ずっと好きだったの。
 エイラの側は居心地が良くて、それを壊すのが怖かったの。
 この気持ちを伝えるには、あまりにも距離が近すぎて・・・

 貴女が言った通り、わたしは「馬鹿」だったんだわ。
 だって、エイラが傷つくなんて考えもしなかった。
 きっと、いつもわたしを助けてくれるみたいに、貴女なら二人の間の関係すら、いつか易々と乗り越えてきてくれると思っていたの。

 エイラがなぜ、わたしにキスをしようとしたのか。
 どうして、やめてしまったのか。
 なんでこんなに胸が苦しいのか。

 わたしがなんで、エイラのキスを受け入れようとしたのか。
 どうして、エイラの言葉に胸が痛んだのか。
 どうして、エイラにキスをしたのか。

 エイラ、ねぇ、えいら。もう一人で泣かないで。
 わたしもエイラが大好きだから。
 自分の臆病さすら、貴女に押し付けて、逃げることはもうしないから。

 
 エイラ、エイラ。わたしだって、エイラのことを守りたいの。
 貴女の為に、何かしたいの。

 エイラのことが、大好きだから。
 
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