リボーンのベルフェゴールと死んだ女の子のお話。
私のちいさいえにし、かわいい羽毛のあの子に捧げます。
ああだめ、思い出しただけで涙が出てきます。
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リボーンのベルフェゴールと死んだ女の子のお話。
【死を教えた女】
彼が極めて非人道的かつ彼の職業からすれば非常に職務熱心と言える行為、つまり殺人を、彼の仲間と呼べる人間たちとなんの滞りも無く遂行している場所は、イタリアの南西部に位置するとある街のはずれのこの街では比較的大きなビルの最上階から玄関に到るまでの全てだった。片っ端から殺って殺って殺りまくったあと、王子の担当はあとはこの部屋だけじゃねー?と思って蹴り開けたドアの向こうに、まるでウエディングドレスのように純白の、だけど華奢で下着みたいに下品なワンピースを纏った女が独り、簡素なベッドの上に座っていたのを見た時も、彼は特になんの感慨も抱かなかった。仕事上の、こなすべき対象。目標。オブジェクト。つまり殺人の。
「おまえ、だれ?ここの誰かの女?」
もともとこちらを見ていた女と彼との目が合う。女は逸らさないし、彼も逸らさない。
女は無視した。足元を血で染めあげ、ナイフをくるりくるりとまるで自分の一部かのように自在に操る若く美しい自称王子に恐怖した為に答えられなかったのかも知れないし、もともと口がきけないのかもしれない。幼くして両親に捨てられ、その捨てられた先でオオカミかもしくは巨大な山犬に育てられた為に人間の言葉が理解出来ないのかも知れない。彼には知る術も無かった。もっとも、知りたいと思わなかったから手段が手に入らなかっただけなのだが。
女の、いや、少女と呼んだ方が良いかもしれない、とにかくそんな生き物は、長く細い髪をところどころ縺れさせたまま、じわりじわりと滲んで来る涙をこらえているのか、それともそれすらしていないのか、美しき殺戮者、ベルフェゴール王子様をじっと見つめていた。
「答えたくねーんならそれでも良いけど。どうせお前すぐ死ぬんだし。」
彼は、返り血を浴びない。そんなヘマをするような人物は、ヴァリアーに1日だっていられないだろうというのが彼の見解だった。時々堪らなくなってシャワーよりも温かいその液体を浴びることもあるけど、大体は自分に相応しくない汚い血なので浴びない。
足元はすっかり汚れてしまっていたが、それは彼が対象を始末した後たちまち、ごく一般的な例え方をするなら路傍の石ころよりも意識の外に生き物だったものを放り出してしまう為におこることで、毎度のことだった。踏んづけてしまうのだ、死体を。自分が作ったその傷口を。無意識に。
口元にはいつもの三日月のような笑みをたたえたまま、彼は一歩一歩確実に女に近づいた。女は黙ったまま、まだ潤んだ瞳で彼を見つめている。微動だにしない。そんな女を見つめて、彼は馬鹿らしいひとつの仮定を頭の中に思い浮かべた。
女はもう死んでいる。
これはもちろん否だった。ぺたりと座っているこの体勢は、生きて、たとえ無意識的にであっても脳から筋肉に神経を伝って「この体勢を保て」と命令を送らなければ保てない。壁によっかかっているなら話は別かもしれないが、そんなことも見受けられなかった。
ベルフェゴールの馬鹿馬鹿しい仮定を否定するかのように、女はようやく、ほんの少しだけ動いた。あごを上げ、近づいてきた彼の姿を見逃すまいと目を瞠った。
「…あなた、おうじさまなの?私を迎えに来てくれたの?」
ようやく口を開いたかと思ったら、突拍子も無いことを言った女に、ベルはほとんど興味を失くしていた。クスリでもやって頭がいかれてるのかもしれない。それとも本当にオオカミに育てられたのかもしれない。こんなに華奢で、蟲も殺さないような女だって、何をやっているか分からない時代を、コミュニティを、彼は生き抜いているのだ。
「そうだよー、オレ王子。でもお前のじゃねーし、オレはお前を殺しに来ただけだから。ばいばい。」
さくっ。
良く砥がれた殺傷能力抜群の、彼ご自慢のナイフが、女のまだ膨らみきってもいないような乳房の上から心臓を貫いた。その瞬間、サーっと音を立てんばかりに鮮血が吹き出て、ベルのティアラからお腹の辺りまでを満遍なく塗らした。
女は、穢れない清純な乳房に開けられた傷から血を噴出しながら、ゆっくりと、スローモーションのようにベッドの上に崩れ落ちた。目を開いたまま、髪は縺れたままだった。
その時、ジャラリと重苦しい音がして、ベルは驚いた。
女の細い足首に嵌った、似つかわしくない錠。つながれた先は、ベッドの近くの壁。マフィアの作成物らしく、それは一見しただけで恐ろしく頑丈なことを彼に伝えていた。
それを見た彼は、一瞬世界の全てのわけがわからなくなって、混乱した。
「…なに、お前、あいつらに捕まってたの?」
死んだ女は物言わない。
当然のことなのに、ベルは初めて唐突に理解した。死んだものは、もう二度と、どんなことをしたって、戻ってはこないのだ。何もしない。ただ、地球上に存在する数多の微生物に分解され、腐敗され、最後には何も残らない。本当に、何も。
ベルは無意識のうちに、死んだ女に手を伸ばしていた。一瞬触れて、感電したかのように素早く引っ込めて、それからまた、今度は確実に、そうっと、触ってみた。
温かい。新鮮な死体の温もりだ。
見開いた目を覗き込んだ。瞬きはしない。何も映さない。
ベルフェゴールは突然、自分が恐ろしさのあまり震えていることに気付いた。女の髪を梳こうとした手はろくに言うことを聞かないし、ベッドに中途半端に乗っけた尻が振動で落っこちてしまいそうだった。
「おまえ、おまえ は、」
名前も知らない。ベルは、この死んだ女のことを何も知らない。瞳と髪と肌の色。「おうじさま」の発音、血の味、血の温もり。それ以外、本当に何も知らなかった。
今まで殺してきた生き物。今日殺したこのビルの人間だけでなく、今まで彼が仕事の対象・目標・オブジェクトとしてしか見てこなかった人間全て。どこで生まれ、何を思って人生を歩み、どうして己に仕事の対象にされねばならなくなったかすらも。彼らも、自分ほどではないにしろ、一応人間としての生があったのに。この女のように…。それを知らずに、知ろうともせずに、何も思わずに、殺してしまったのだ。彼らを。まるで路傍の石を踏んづけるみたいに。
ベルフェゴールは、女の顔にそっと手をやって、瞼を下ろした。もうさっきほどの温もりはなかった。まだ硬くはなっていなかったけれど。
この瞼は、幾夜を越えても再び開けられる事は無い。
鎖を切って、不自然に倒れていた身体を真っ直ぐに横たえて、ベルは部屋を後にした。
ドアを閉める瞬間、「おうじさま」と言ったあの声が聞こえた気がした。
「己変わらずとも、死知るべし。」
BGM【小さき者への贖罪のソナタ】ALI PROJECT
「教えてくれてありがとう。」
ベルフェゴールの返事は、もう単なる殺戮者のそれではなかった。死を知った殺し屋の返事だった。