好きな作家は?と聞かれれば、私はいつも小川洋子と答えていた。
博士の愛した数式の作者。
中学生の頃、よく本を読んでいた。
帰宅したら延々と。テレビはほとんど見なかった。
読むものはラノベが多かったけど、たまにそうでないものも読んだ。
そのなかのひとつが当時映画化で話題になっていた博士の愛した数式。
映画は苦手だから、何年かしてテレビ放映のときに初めて見た。
それを読んで、暖かくて残酷でどうしようもないような気持ちになった。
それを期待したのか忘れたが、ともかく他のも読もうと思った。
短編集を読んでいったら、当時の私は精神的なグロテスクさばかり感じ取ってしまった。
それでも短編集を買っては読み進めた。
そういえば小川洋子作品を、大学を卒業するまで読み返したことがない。
一度読んだっきり。
なのに私は高校、大学と、好きな小説を聞かれるといつも小川洋子を挙げていた。
塾講のバイトをしていたとき、彼女の文章はよく読んでた。
中学受験を目指す子達の国語の指導でよく出てくるんだ小川洋子は。
テキストに載っていたり、模試だったり、どこかの私立中学の入試問題だったり。
それだけ読みやすい文章を書く人なのだと思う。
授業の合間に次に解説する文章を読んでいると、どこかで見たことのある文章だな、と感じることがある。
そういう場合出典を見ると、大概彼女の短編だったりする。
自分が中学時代に読んでいた短編集の中には入ってなかった文章でも、どこかで見たことのある文章だと感じる。
それに気づくといつも、やっぱり!と思う。
小学生はだいたい雑談を混ぜながら授業を進めていたため、私の好きな小川洋子って人の文章なんだよ、と何度か生徒に言ったことがある。
もちろん、その当時大学生の私は読み返してもなければ、新作もチェックしてない。
しかしそんなことは自覚していない。
作品をを読み返したりしない。
物語も覚えてない。
輪郭だけ覚えてる話でさえタイトルがわからない。
何故小川洋子が好きなのかさえ言語かできない。
振り替えって思うに、好きな作家と言えるほど読んでいた作家がいなかっただけのようにさえ思う。
でも私はそんなことさえ自覚していなかった。
英語の授業のように、
私は小川洋子作品が好きです
と言い続けていた。
大学を卒業して、どうしても読みたくなった短編があった。
でもタイトルがわからない。
なんとなくツイッターに書いた。
確か小川洋子の作品で、朝起きたら左脚の概念がなくなってた女の話、短編。読みたいけど、タイトルがわからない。
読書家の友人がタイトルをズバリ当てた。
しかも彼女はネット上のレビューしか読んでなかった。
そのとき、初めて自覚した。
それからたまに読み返すようになった。
何故か偶然の祝福とアンジェリーナしか手元にないが。
博士の愛した数式やら揚羽蝶の壊れる時やらその他短編はどこに行ったのだろうか。
読み返して思ったのは、思ったほどグロテスクではないということ。
いや、おそらくいまは手元からいなくなってしまった揚羽蝶の壊れる時や完璧な病室はもう少しグロテスクだったと思う。精神的に。描写が。
どちらかというと、世によくあるように不条理さなのに、暖かくて、懐かしいような、儚げな、そんな話が多い。
読み漁っていたのは今から10年も前だ。
当然読解力も感性も全く違うものだろう。
ただ、考えると内容は覚えてないくせに、何を感じたかはやたらとはっきり覚えていた。
だから好きな作家と言い続けてたのかもしれない。
さっきなんとなく小説の棚から手に取って開いたら、偶然の祝福の、キリコさんの失敗のページだった。
そういえばキリコさんの失敗は、塾講時代に授業で読んだなと思い出して読んだが、いったいどこが抜粋されてたかさえ思い出せない。
巻末の川上弘美氏の文章を読んだら、小川洋子的世界は失われたものたちの世界と表現していて、なるほどなと思った。