オイアウエ漂流記 荻原浩
パラダイス土地開発株式会社に勤める塚本賢司はトンガ王国ファアモツ空港発、ラウラ諸島共和国行きの小型旅客機に乗っていた。
今にも落ちそうな機体が、悪天候の中鈍重に飛んでいる。トンガにゴルフ場建設をもくろんでいる会社が、有力なスポンサー候補の会社副社長(グループ会社会長の長男でただのバカ)を連れた、下見と称した接待旅行中なのだ。
本当はトンガ建設予定地を見に行くはずだったのだが、御曹司の気まぐれによってラウラに行くことになってしまった。
他にも機内には、賢司の上司三人
(部長はパワハラ、課長は温厚、主任はツンツン)
新婚らしいカップル
(ただし仲が微妙に悪そう)
おじいちゃんと子供、
外国人一人といった面々が乗っている。
飛行機にトラブルが発生し、予想通りというか、完璧に墜落。
漂流した末に、
何とか付近の島にたどり着いた。
しかし、そこはどう考えても小ぶりな無人島。
何日経っても、船影も飛行機の姿も全く見えない。次第に皆状況を受け入れてきた。
ここに長く居続けることになるのかもしれない。
食料も水もほとんどなく、荷物の大半は飛行機と共に沈んでしまったために使える道具は限られている。
そんな中、知恵を絞り、勇気を奮い、彼らは生きていくために奮闘を続けることになるのだが…。
今までの経過を話すとこんな感じ。
冒険、サバイバル、
もーワックワクします。
この先を、読むのが楽しみです。
無人島に持っていくなら この一冊。
2020-4-30 10:28
オイアウエー
2020-4-27 12:26
処理能力不足
2020-4-27 09:05
10ヶ条
本日は、お日柄もよく 原田マハ
この本は冒頭1ページ目に
スピーチの極意10か条が書いてあります。
1.スピーチの目指すところを明確にすること
2.エピソード、具体例を盛りこんだ原稿を作り、
全文暗記すること
3.力を抜き、心静かに平常心で臨むこと
4.タイムキーパーを立てること
5.トップバッターとして登場するのは極力避けること
6.聴衆が静かになるのを待って始めること
7.しっかりと前を向き、左右を向いて、
会場全体を見渡しながら語りかけること
8.言葉はゆっくり、声は腹から出すこと
9.導入部は静かに、徐々に盛り上げ、
感動的にしめくくること
10.最後まで、決して泣かないこと
小説は、主人公の二ノ宮こと葉の幼なじみの披露宴での、吉原家の社長のスピーチから始まります。
それは、こと葉が思わず舟を漕ぎスープ皿に顔を突っ込んでしまうくらい退屈なものでした。
そして、もう一つのスピーチにも出会います。
それは会場の全員を惹き付け、あたたかな気持ちにさせ感動の涙を流させるものでした。
そのスピーチをした人こそ、やがて主人公の人生をも変えていく言葉のプロフェッショナル、
スピーチライターの久遠久美でした。
こと葉は、友人の披露宴でスピーチをすることになり、原稿を書いてもらおうと久遠久美を訪ねます。
そして、その友人の披露宴の当日、またまたあの吉原家の社長と遭遇します。
しかし、社長のスピーチは前回の退屈なスピーチとは打って変わって素晴らしいものになっていました。
余裕すら感じさせる落ち着き、エピソードに込められたユーモア、スピーチの長さもさることながら、何よりも話の中に登場する人物、つまりは新郎新婦が魅力的に輝いているのです。
なぜ…?
そこにはやはりスピーチライターの存在がありました。
私はこの本を読むまでスピーチライターという仕事を知らなかったのですが、単純にスピーチの原稿を作る専門家ではないのです。
相手の心に寄り添い、相手が思っていることや訴えたいことを引き出し、言葉の持つ限りない可能性を信じ、人の心をゆさぶる言葉を紡ぎあげていく。スピーチライターとは、そんな仕事です。
この本には披露宴の祝辞、弔辞、企業の社長の挨拶、選挙演説、さらには総理大臣と野党党首の党首討論など、心があたかかくなったり、思わず膝を打って納得したり、涙を誘われたり、心を打たれるスピーチがたくさん出てきます。
その中に印象深い指摘があります。
アメリカの大統領選挙の時の、オバマ前大統領とヒラリー候補の演説について。
当初圧倒的に不利だったオバマが、ヒラリーに勝つことができたのは、
とにもかくにも演説の力です。
オバマの「Yes, We can」はあまりにも有名ですが、その時彼が言い続けたのは
「we=私たち」でした。
一方、
ヒラリーは「I=私」と言い続けたそうです。
聴衆は「we」の中に自分も含まれていると確かに感じ取った…というくだりがあります。
そして、もう一つのキーワード
「c・h・a・n・g・e=チェンジ=変わる」。
この「change」の「g」を「c」に変えると、
そう「chance=チャンス」になるのです。
人間は自分を、そして国をよりよく変えたいという願望があると思います。
前オバマ大統領は「we」と「change」を
見事に自分の「chance」とし、
国民の気持ちを鼓舞し、歴史的な結果を残したと言えるのではないでしょうか。
物語の後半は、怒涛の展開が待っています。
政治家や政治の裏側、そこで影武者のように動き火花を散らす大手広告代理店社員とスピーチライター。私は読み終わったあとに、潜在的に人間が持っている豊かな感性を改めて感じ、それを言葉にできた時、その言葉が持つ力に感嘆しました。
読み終わったあとに、きっと冒頭1ページ目のスピーチの極意10か条を見直し、二度読みしたくなると思います。この本を読めばスピーチマスター間違いなしです。
私は人前に出るのがとても苦手なので
生涯スピーチすることはありませんが、
言葉の大切さを勉強できました。
感謝の一冊です。
2020-4-26 01:12
不敗
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
現代語に直すとこうなります。
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けず
丈夫な体を持ち
欲はなく決して怒らず
いつも静かに笑っている
1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れず
よく見聞きし 分かり そして忘れず
野原の林の下の蔭の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに私はなりたい
自分のことだけを考えるのではなく、人を思いやって生きていく素晴らしさは、
今の世の中で見かけることは少なくなってきているのではないかと思います。
そして、この詩には宮沢さん本人のこういう人になりたいとは思っているけど
なかなかなれない自分がいるという、
理想と現実のギャップから生じる葛藤を
強く感じます。
雨ニモマケズには
実はモデルがいたのです。
実は「雨ニモマケズ」にはモデルがいるとされています。
その人の名前は斉藤宗次郎という人。
斉藤さんはクリスチャンなんですが、
この頃と言うのはクリスチャンは迫害されていました。
彼の娘は
エスカレートしたクリスチャンの迫害によって死んでしまいました。
それでも彼は
くじけることなく神に祈り続け、
子供に会ったらアメ玉をやり、
仕事の合間には病気の人のお見舞いをし、励まし、祈り続けました。
彼は雨の日も、風の日も、雪の日も
休むことなく、
町の人達のために祈り、
働き続けたそうです。
彼は「でくのぼう」と言われながらも、
最後までFOR YOU精神を貫き、
彼は花巻を去って
京に引っ越すことになったとき、
駅には自分のことを迫害していたはずの大勢の人が見送りに来ていました。
「御心がなりますように」と神を信じ、人を愛し続け、
当たり前のように人のために行動できる斎藤宗次郎。
こんな人と
関わりを持っていた宮沢賢治は
こういう人になりたいという
願いをこめて、
この「雨ニモマケズ」を書いたとされています。
人という生き物は、自分の身の回りの環境や人にとても左右されます。
尊敬する人がいて、その人の生き様に多かれ少なかれ影響を受けています。
勝テズトモ 負ケナイ人間ニ
私ハ ナリタイ
YouTube
youtu.be
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
現代語に直すとこうなります。
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けず
丈夫な体を持ち
欲はなく決して怒らず
いつも静かに笑っている
1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れず
よく見聞きし 分かり そして忘れず
野原の林の下の蔭の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに私はなりたい
自分のことだけを考えるのではなく、人を思いやって生きていく素晴らしさは、
今の世の中で見かけることは少なくなってきているのではないかと思います。
そして、この詩には宮沢さん本人のこういう人になりたいとは思っているけど
なかなかなれない自分がいるという、
理想と現実のギャップから生じる葛藤を
強く感じます。
雨ニモマケズには
実はモデルがいたのです。
実は「雨ニモマケズ」にはモデルがいるとされています。
その人の名前は斉藤宗次郎という人。
斉藤さんはクリスチャンなんですが、
この頃と言うのはクリスチャンは迫害されていました。
彼の娘は
エスカレートしたクリスチャンの迫害によって死んでしまいました。
それでも彼は
くじけることなく神に祈り続け、
子供に会ったらアメ玉をやり、
仕事の合間には病気の人のお見舞いをし、励まし、祈り続けました。
彼は雨の日も、風の日も、雪の日も
休むことなく、
町の人達のために祈り、
働き続けたそうです。
彼は「でくのぼう」と言われながらも、
最後までFOR YOU精神を貫き、
彼は花巻を去って
京に引っ越すことになったとき、
駅には自分のことを迫害していたはずの大勢の人が見送りに来ていました。
「御心がなりますように」と神を信じ、人を愛し続け、
当たり前のように人のために行動できる斎藤宗次郎。
こんな人と
関わりを持っていた宮沢賢治は
こういう人になりたいという
願いをこめて、
この「雨ニモマケズ」を書いたとされています。
人という生き物は、自分の身の回りの環境や人にとても左右されます。
尊敬する人がいて、その人の生き様に多かれ少なかれ影響を受けています。
勝テズトモ 負ケナイ人間ニ
私ハ ナリタイ
YouTube
youtu.be
前の記事へ
次の記事へ