2016-10-11 21:45
ヒーゼル短編最終話です。
何だかんだで結局毎日更新してしまいました。こんな怒濤の勢いで小説書いたのは久々です。楽しかった。読者の皆様にも、少しでもお楽しみいただけていたら嬉しいです。
このエピソードから6年後、カミラがルミジャフタの郷を飛び出して『
黄昏の国と救世軍』が始まります。
ここまでご愛読ありがとうございました!
コメントや拍手から、感想などいただけますととても励みになります。
何だか妙な感じだった。
体からすうっと力が抜けて、心が穏やかになっていく。
譬えるならば、凪を迎えた海のような。そんな感じだ。
それまで自分の中で荒々しく猛り狂っていたものがゆっくりと、腹の穴から失われていく。
「ヒーゼル! おい、ヒーゼル、しっかりしろ! 大丈夫だ、すぐに癒しの術で――」
「駄目です、族長! この傷、ただの傷じゃねえ! 神術が弾かれる……!」
「神術が弾かれるだと!? 何を馬鹿な……!」
「本当なんです! 力を加えようとしても、まるで見えない手に押し返されるような……!」
――ああ、なんかうるさいな。こっちは今ちょっといい気分なんだから、静かにしてくんないかな。そんなことを思いながら、ヒーゼルはすぐ傍で大騒ぎしている仲間たちを見やる。
……まったく、こいつらときたら。
よくよく見れば揃いも揃って、ガキの頃散々俺に難癖つけてきたやつらばかりじゃないか。
あの頃は俺も青かった。父なし子、と同世代の子らに馬鹿にされる度、片っ端からそいつらをぶん殴って歩いてた。
半殺しにしたやつもいた。
決闘を吹っかけて郷から追い出したやつもいた。
その度にいつも取っ組み合い、罵り合った。「死ね」とか「殺してやる」とか。屈強でおっかない郷の大人たちがいなければ、もしかしたら本当に死人が出ていたかもしれない。
なのにこいつらときたら、今は顔中ぐしゃぐしゃにして、俺に「死ぬな」と叫んでいやがる。
「……悪くない、な」
言って、ヒーゼルは仰向けに寝転がったまま、腹の傷に手を当てた。先程自分の胴を貫き、一瞬にして消え去ったあれは何だったのか、まあ今更それを確かめる術はないのだが、とにかくちょっとした丸太程度の太さはあったと思う。
おかげでヒーゼルのどてっ腹には、掌でも覆いきれないほど大きな穴が開いていた。もう息をしているのがやっとで、ひどく寒い。けれど不思議と恐怖はない。いっそ笑いが込み上げてくるくらいだ。
「おい、おい、ヒーゼル、聞いているのか! 何を笑ってる、ついに気が狂れたか……!」
「そうじゃ、ない、さ、トラトアニ」
自分ではいつもどおり喋ったつもりだったのに、声は喉のあたりでつっかえて、何度も切れ切れになった。
おまけに腹に力が入らないせいか、思ったより声が出ない。どんなに口をぱくぱく動かしても出るのは掠れた声だけで、無理に喋ろうとすると代わりに血が溢れてくる。
「ヒーゼル……!」
「なあ、トラト、アニ」
こちらの右手に取り縋り、何度も呼びかけてくる旧友を、ヒーゼルは目だけで仰ぎ見た。
老け顔のトラトアニはきつく歯を食い縛り、いつもより数段ひどい顔になっている。どういうわけか燃えていた屋敷もズタボロだった体も一瞬にして修復されたというのに、この男の髭面にだけは神も慈悲を垂れてくれなかったようだ。
「よ、げん、は」
「何だ? 今、何と言った?」
「予言、は、外れた、か?」
ヒーゼルが右の口角だけを持ち上げてそう言えば、たちまちトラトアニが顔を真っ赤にした。
巌のようなその肩が、ぶるぶると激しく震え出す。握り締められたヒーゼルの手に大粒の涙がいくつも落ちて、そのまま床へ滴ってゆく。
「馬鹿者……! 何故だ、何故戻ってきた……! 私はお前に郷を託すと……お前に生きろと言ったはずだ!」
――ああ、と、ヒーゼルは心の中で頷く。
分かってたさ、トラトアニ。
お前がどんな想いで俺にあとを託したのか、なんて。
分からないわけないだろ?
お前はいつだって、この郷でたった一人の俺の味方だった。
そう言葉にして伝えたいのに、ヒーゼルはもうか細い吐息しか吐き出せない。
何だか猛烈に眠くなってきた。凍えるような寒さの中で、何かがやわらかく頬に触れる――ああ、そうか。これが、死か。
「トラ……ト、アニ。俺、は……幸せ、だった」
「……!」
「そん、なに……心配、しなく……ても……俺は、ちゃん……と、幸せ……だ、った……」
「ヒーゼル」
トラトアニが嗚咽を零す。その手がヒーゼルの右手を砕かんばかりに握り締める。
この期に及んで、まだつなぎ止めようとしてくれるのか。
ごめんな。
だけどもう、その手に握られている感覚すらない。
「ただ……俺、には……守れ……なか、った……本当、に……大切な……大切な……」
「ヒーゼル……!」
「だか、ら……こ、ども、たち……と……お前、だけ……は……今度、こそ……この手、で――」
すぐ横で、トラトアニが大きな体を丸めて泣いている。男泣きに泣いている。周りの元クソガキどもも。
なあ、俺たちみんな、手に負えないクソガキだった。
けど、今じゃいい思い出だよな?
ヒーゼルはやわらかで温かなものに何度も頬を撫でられながら目を細める。
視界がひどく狭い。耳もどんどん遠くなっていくようだ。
――カルロス殿。
泣き崩れるトラトアニたちの背後に、ヒーゼルはここにいるはずのない師の影を見た。
カルロス殿。俺は最後まであなたの弟子であれましたか?
暗くなっていく視界の中。
カルロスは、頷いてくれたような気がする。
「――トラトアニ」
ヒーゼルは命の残り火を燃やして、友を呼んだ。
「子供たちを、頼む」
もう目は見えない。耳も聞こえない。けれどきっと、あいつも頷いてくれたと思う。
体がふっと軽くなった。まるで宙に浮かび上がるような、そんな心地良さがヒーゼルを包んだ。
その浮遊感に身を委ねる。
最期の刹那、一瞬だけ光った視界の中に、愛しい顔が見えた気がした。
◯ ● ◯
風が吹いている。
森が揺れ動き、東の空から日が昇る。
夜鳥の声は途絶えた。
夜が白々と明けていく。
ナワリはしばしコリ・ワカの前に佇み、その風の音を聞いていた。
瞼を下ろし、千切れそうになる心を一縷の諦念でつなぎ止める。
「……さあ、行こうか」
祭服の長い裾を引き、ナワリはゆっくり踵を返した。
コリ・ワカの
端が朝日を浴びて輝いている。神の寝所。そこで眠る幼子たちに、夜明けを知らせにゆかなくては。
「どんな夜にも、日は昇る」
嗄れた声で、祈りの唄を口ずさんだ。
「ミトル・チ・マリ、ミトル・チ・マリ。神のまにまに――」
(了)