2016-10-10 23:34
滑り込み更新!ヒーゼル短編第6話です。
最近ヒーゼルがカルロスと出会ったときのエピソードを色々と妄想してます。
ヒーゼルはたぶん17、8歳くらいでカルロスと対面したんじゃないかと思いますが、当時既にトゥルエノ騎士団の団長だったカルロスにぞんざいな口をきいたりして、周りから「相手は橙爵閣下(列侯国の爵位で三番目に偉い)だぞ!」と窘められても、
「トーシャクだか何だか知らないが、斬られれば死ぬだろ。つまり俺と同じで対等ってことだ。なのになんで下手に出る必要が?」
とか抜かしてたんじゃないかと思います。とんだヤンチャボーイです。
その頃に比べたらずいぶん丸くなったね、ヒーゼル……。
なお今話はシリーズの核心につながる伏線回です。正直「何言ってんだこいつら?」状態ですがサラッと流していただけるととても助かります。
最終話は明日投稿予定。
「――ペレスエラさま」
「何です、ターシャ」
「わたし、あなたが嫌いです」
「ええ、知っています」
「人のためと言いながら人を試す、その底意地の悪さが嫌いです」
「そうでしょうね」
「そうやって高みの見物を決め込んで、神にでもなったつもりですか」
「いいえ。私が神ならば」
言って、ペレスエラは微笑んだ。
「この世はとっくに、彼らのものになっていますからね」
◯ ● ◯
トラトアニの咆吼が、夜を震わせた。
剣が赤い軌跡を描く。燃え盛る炎。その光を宿して振るわれる刃が幾度も、幾度もイヴへと襲いかかる。
けれどもそれは、まったくの無意味だ。執拗なイヴへの攻撃は翻って彼への攻撃であり、満身創痍の体からは剣を振るう度に血が飛沫き、もはや自らの剣で自らの命を削っている。――どこまでも、愚か。
「邪魔です。どきなさい」
イヴはいい加減この男に付き合うのも飽き飽きして、無感情に右手を薙いだ。瞬間、巻き起こった
疾風の獣が横合いからトラトアニへ飛びかかり、彼の巨体を壁際まで吹き飛ばす。他愛もない。これでやっと静かになった。
「ようやく姿を現しましたね、ヒーゼル」
炎の中をつかつかと歩み、イヴは床に倒れ伏した男を冷たく見下ろす。既に半身を血の沼に沈めているその男は、今や見えているのかも定かでない空色の
瞳でこちらを見ていた。
「お前がここにいるということは、やはりあの男の言葉は嘘であったということ。答えなさい。お前の娘はどこにいる」
は、と、横ざまに転がったまま、ヒーゼルは短く息を吐いた。それからヒュウッと不自然な音を立て、呼気を吸い込みながら嗤ってみせる。
「答えると思うか、化け物」
イヴは顔色を変えなかった。眉一つそよがせず、再びサッと右手を薙いだ。
途端に風の刃が巻き起こり、ヒーゼルの体を切り刻む。千切れるような絶叫が上がった。向こうで動けなくなったトラトアニが何か叫んでいるが、構わない。
「人間。我々はお前たちのくだらない感傷に付き合っているほど暇ではない。娘の居場所を答えなさい。さもなくばこの郷ごと焼き払う」
「はっ……はっ……やれるもんなら……やってみろ……お前、この郷を何だと思ってる」
「古き因習にとらわれた、無知で愚かな者どもの集まりです」
「ああ、そうさ……けどな、その無知で愚かな連中も、束になるとおっかないぞ。何せこの郷は――生まれながらの戦士とその子供しかいない、超閉鎖的集落だからな」
ニヤリと笑ったヒーゼルの視線の先で、何かが動いた。はっとしたイヴが振り向くと同時に、無数の刃が降ってくる。
鉄と岩がぶつかり合うような音がした。今にもイヴに斬りかかろうとしていた幾本もの剣は、やはり神の加護の前に止められた。
しかしそのぎらつく刃の向こうに、獣の眼光が光っている。
ルミジャフタの男たち。
かつてこの地を治めた神子の血を引く、命知らずの戦士たち。
「馬鹿な……この屋敷の入り口は閉じたはず。あの結界は、人間ごときに破れるものでは――」
――そうだ。イヴは確かにこの屋敷を訪れたとき、入り口という入り口を封鎖した。イヴが求める赤髪の一族以外、何人も邪魔に入れぬよう、見えない壁を築いてその侵入を阻害した。事実ヒーゼルが現れるまで、郷人は一人たりともこの場に駆けつけることができなかった――それが、何故。
「あなたはまだ人間というものを見くびっているようですね、イヴ」
刹那、鼓膜を震わせたその声に、イヴは目を見開いた。
人工物である彼女にはないはずの感覚が――悪寒がぞわりと背筋を舐める。
次の瞬間、時が巻き戻った。
恐るべき力で、恐るべき速さで。
空を焦がさんばかりに燃え猛っていた炎は悄々と消えてゆき、度重なる神の御業でぼろぼろだった屋敷が元の姿を取り戻す。
床に滴っていた血液は、男たちの傷に吸い込まれた。やがてはその傷口も綺麗に塞がり、風や氷の刃に切り裂かれたはずの衣服さえ瞬く間に修復される。
イヴは限りなく白に近い青の髪を逆立たせた。人間がこの感情に名をつけるなら、きっとこう呼ぶ。
――憎悪、と。
「ペレスエラ!!」
我を忘れて絶叫した先には、女がいた。
血のように赤い
長衣をまとい、血のように赤い髪を垂らした、一人の女が佇んでいた。
どこをどう切り取っても魔女≠ニいう形容しか浮かばないその女が、こちらへ向けて手を翳す。
「滅びなさい、過去の遺物よ」
光が弾けた。硝子が砕けるような音がして、イヴの小さな体は容易く吹き飛ばされた。
叩きつけられた背中に衝撃が走る。――加護が破られた。もはやイヴを守る不可視の壁はそこにはない。
「ヒーゼル」
赤髪の魔女は赤髪の剣士の名を呼んだ。剣を手に立ち上がったヒーゼルの体からは、あれほど痛めつけたはずの傷が消えている。
「
核石を砕くのです。あの娘の体内にある青い石を」
まだ事態についていけていない、という顔で、ヒーゼルがイヴと魔女とを見比べた。しかしその目がはっとしたようにこちらへ固定される。
人工生命が被った少女の幻。
それが魔女の力で傷つき、引き攣れ、綻びからイヴの命が覗いていた。
神の意思を宿した宝石。
あの魔女たちが数多の命を弄び、この世に生み落とした産物。
「運命の……娘……奪う……あの方の……ために……」
崩れかかった体で、イヴは細い腕を上げた。既に罅割れた核石に神力を注ぎ込み、その手に光を宿らせる。
だがそれを見たヒーゼルが、腹を決めたように剣を構えた。
銀光が閃き、最初の踏み込みで核石へ届く。
けれどもイヴの狙いは、それだった。
「悔いろ、ペレスエラ」
繊手を包む光が色を変える。
神の白から――魔の黒へ。
「
呪われよ=I」
イヴの背後から、闇の槍が突き出した。
それはイヴの体を貫き、核石を砕き――同時に、間近に迫っていたヒーゼルの胴を貫く。
「ヒーゼル……!!」
トラトアニたちの絶叫が響いた。動きを止めたヒーゼルは槍が刺さった腹を見下ろし、何か言おうとしたようだが声が出ない。
代わりにその口から鮮血が吐き出されると、闇の槍が霧散した。支えを失い、ヒーゼルの体は頽れる。
イヴの絶笑が谺した。
砕けた核石と共にさらさらと砂になりながら、残った半身で狂喜する。
「これが傲りの報いだ、ペレスエラ! この呪いの傷はお前でも癒やせまい! 何もかもお前の思いどおりになると思うな……!」
魔女の眼差しがイヴを射抜いた。彼女は長衣の裾を引きずってイヴの前に立つと、何千、何万という人間の血で染まった赤い目で、傲然と見下ろしてくる。
「あなたたちを生み出してしまったことが、我々の最大の過ちでした」
イヴはなおも笑った。狂ったように笑い続けた。
そのイヴへ向けてペレスエラが手刀を薙ぐ。
風が起き、残っていた核石を砕いた。
途端に少女の幻は露と消え失せ、あとには
少女だったものの欠片だけが転がっている。
「……この世で私の思いどおりになったものなど、ただの一つもありませんよ、イヴ」
背後で、友の名を呼ぶトラトアニの悲鳴が聞こえた。
赤き魔女は静かに目を伏せ、そして夜に掻き消える。