話題:わが国、日本について







2月22日は竹島の日です。竹島での日本人犠牲者が何人いるか知っていますか?


2月22日は竹島の日です

「竹島が島根県行政区域に編入された日」を記念したものですが、皆様もご存知の通り、竹島は現在も韓国軍の不法占拠が継続中です。
非常に腹立たしい現実ですね!

竹島問題の基本的な状況をおさらいする為に、過去の記事を再UPします。







韓国は日本の領土である竹島で不法占拠を続けています。
腹立たしく思っている方も沢山いらっしゃるでしょう。

しかし昔の僕もそうでしたが、揉めている事は知っているが詳しい経緯はご存じ無い方が多いのでは無いでしょうか?

今回は竹島問題の経緯について説明してみます。




竹島は江戸時代初期からすでに日本の実効支配下にありました。
ちなみに最初の頃は「竹島」ではなく「松島」と呼ばれていました。

明治政府は1905年に竹島を島根県に編入し、国際法的にも完全に日本の領土となりました。

しかし、戦後GHQは、沖縄や小笠原諸島と同様に竹島を日本の行政権から外しました。

そして1952年に韓国の大統領李承晩が「朝鮮半島周辺最大200マイルの水域に存在する全ての天然資源と水産物を利用する権利」を一方的に主張しました。
この一方的宣言によって規定された領海水域を李承晩ラインといいます。

もちろん日本は認めませんでしたが、1965年の日韓漁業協定で李承晩ラインが廃止されるまでに

死傷者:44人
抑留者:3929人
拿捕された船:328隻

これだけの犠牲者が出たのです。

抑留された被害者は、日韓漁業協定が成立するまで抑留され、韓国に人質として利用されてしまいます。

日本政府は彼らの身柄とひきかえに、472人もの在日朝鮮人の犯罪者を仮釈放して、在留特別許可を与える屈辱的な条件を飲まざるえませんでした。

1953年6月 島根県と海上保安庁が合同で領土標識を建てたが、その翌年7月から、韓国警備隊員(警察)が竹島の東島に常駐し不法占拠を始めた。

日本政府はこれに抗議し、同年9月25日に国際司法裁判所への付託を提案したが、韓国はこれを拒否している。

李承晩ラインは1965年日韓基本条約調印による国交正常化で消滅したが、竹島問題は棚上げされたまま解決しませんでした。
その後、両国は互いに領土権の主張をくり返して緊張した状態が続いた。

1978年4月30日ついに韓国が実力行使に出て、一方的に領海12カイリから日本の漁船を締め出しました。

その後も1997年11月に船舶接岸施設、1998年12月に有人灯台を建設し、監視所、兵舎、アンテナ等を次々と設置して武装強化を続けている。

その後も日本からの抗議には逆ギレしてみせたり、自国内では「独島(竹島の韓国名)は我が領土」という歌まで作ってそれを子供の頃から学校で歌わせて、捏造された歴史教育を現在も続けています。



本来は国家間の法律的紛争は国際司法裁判所で争うのが普通なのですが、そもそも韓国側は最初から自国の領土ではない竹島の事で裁判しても負けると分かっているから、裁判を拒否するんですよね。

歴史的に見ても国際法的に見ても、竹島が日本の領土である証拠は大量に存在しています。

一方韓国は推測に基づく間接的な証拠しかないので、最初から話にならないのです。

日本には竹島の領土権の根拠が有り、韓国には竹島の領土権の根拠が無いのです。

いつまでも日本固有の領土である竹島を、このまま放置しておく事など断じて許しておく訳にはいきません。