2016-10-5 00:55
一番最初の記事で、番外編の公開は早くても10月下旬になりそうとかほざいてましたが、早速やっちまいました。
エマニュエル・サーガ番外編、『神のまにまに』連載開始です。
『
子連れ竜人のエマニュエル探訪記』で絶賛活躍中のヒーゼルさんが、故郷のルミジャフタ郷に帰って10年が過ぎた頃のお話。
実は以前、この1話だけ先に書き上げて続きはいずれ、と思っていたのですが、先日読み返したら何かこううおおおおおおおっとなってそこから爆走してしまいました。
2話目も早めに上げたいと思います。ほんと気まぐれですみません……。
予定では全5話くらいかな、と見積もってますが、こちらはぼんやり脳内にイメージがあるだけでプロットなしなので、もしかするともう2、3話増えるかもしれないです。10話以内には収めます。
本文は右下の「続きを読む」からどうぞ。
それは蒸し暑い夏の晩だった。
ドンドンドンドン、ドンドンドンドン、としきりに戸を叩く音で、ヒーゼルは目が覚めた。
郷で飼われている
羊駝の声さえ聞こえぬ深夜である。ヒーゼルはゆらゆら揺れる吊床の上で半身をもたげて、眠い目を擦った。
今、何刻だ? と思ったが、この郷にはそれを確かめる術がない。クィンヌムの儀に出ていた頃に郷の外で手に入れた懐中時計は、手入れできる者がおらずとうの昔に壊れてしまった。
トラモント黄皇国の南に突き出る太古の地、グアテマヤン半島。
亜熱帯の森で覆われたその半島の真ん中にぽつんと佇むここ、ルミジャフタ郷はいつも蒸し暑い。
年中温暖で湿った風の吹く中央海に突き出ているため、北国のようにはっきりとした四季がないのだ。ヒーゼルは郷に戻ってきてもう十年になるが、一度外の世界の過ごしやすさを知ってしまうと、この郷は少々暑すぎる、と思うようになった。
それも夏の盛りとなれば、夜もうんざりするような暑さが待ち受けている。寝苦しい夜、ヒーゼルはようやく子供たちを寝かしつけて自分も床に入ったところだったのに、と、浅い眠りから引き戻されて苛立った。
元々外界との干渉があまりなく、平和すぎるほど平和な郷だ。こんな夜中に突然叩き起こされるいわれなどないはずだが、とヒーゼルは思う。
しかし玄関の戸を叩く音はいつまでも止む気配がなく、このままではせっかく寝ついた子供たちが起きてしまう。ヒーゼルは渋々黍縄で編まれた吊床から這い出し、簡素な寝間着姿のままで応対に向かった。
「あーもーうるさい、誰だよこんな夜中に――」
「――おお、ヒーゼル! やっと出てきたか、このぐうたらめ!」
こんな時間に叩き起こされれば、誰だって文句の一つや二つ言いたくなる。その欲求に忠実に、戸を開けるなり抗議をぶつけようとしたら、逆にちょっと罵倒された。
ヒーゼルは半眼になって開けた戸の向こうを見やる。そこには見慣れた髭面の男がいた。
歳は確かヒーゼルと同じ三十八のはずなのに、そのどっしりした体格と
鬢まで伸びた髭のせいで一回りは老けて見える。貫禄がある、と言えば聞こえはいいが、この男は青年の頃からこうなので、ちょっと老けすぎだよな、とヒーゼルなどは思っていた。言うとうるさいので絶対に言わないが。
「なんだ、トラトアニか……悪いけど俺、眠いから」
「って待て待て待て! 人がこんな時間に訪ねてきているというのに、用件も聞かずに戸を閉めるな! 仮にも私は族長だぞ!」
「バカ、お前、声がデカいって……エリクとカミラが起きたらどうするんだよ」
「それはお前が人の話を聞かんから……!」
「ハイハイ分かった分かった、何か用件があるなら聞くから、さっさと済ませて」
「まったくお前ときたら昔からそうだ! そうやっていつも人を小馬鹿にしおって……!」
ああ、もう、と、ヒーゼルは額を覆った。このトラトアニという古い友人は昔から冗談が通じない。クソがつくほど生真面目で頭が硬く、若い頃からのらりくらりと生きてきたヒーゼルとはまるで反りが合わないのだ。
まあ、生まれたときから次の族長として育てられてきた男だから無理からぬことだが、だとしてもこの長々しい説教は勘弁してほしい。この男は一旦口を開くと怒涛のように喋り続ける。クソ真面目なくせに話好きなのだ。
そしてその話の内容もまたクソみたいにクソ真面目なものだから、聞いているとヒーゼルはだんだん頭痛を催してくる。ヒーゼルがクィンヌムの儀にかこつけて郷を飛び出し、生死不明のまま何年も郷に戻らなかった原因の一端はこの男だ。
そんなこんなでヒーゼルはいよいよ辛抱たまらなくなり、喋り続けるトラトアニの横、そこにある家の壁をドンッ!と拳で叩きつけた。
「だーっ! もうマジでうるさい、黙れ! だから用件は何だって訊いてるんだよ! 用がないなら帰れ、俺は寝る!」
「そう言うお前の方がよっぽどうるさいではないか! 子供がどうとか言ってたのはどこのどいつだ――って、そうだ、その子供だ! ヒーゼル、お前はカミラを連れてさっさと私の家に来い! ただちに、速やかに、今すぐにだ!」
「はあ? 何でよりにもよってお前の家なんかに――」
まさかこんな時間に家まで連れ込まれ、埒もない話を聞かされるのか。そう思ったらヒーゼルは全身全霊を賭してこの腐れ縁の幼馴染みを突き放したくなり――しかし、そこでふと思い留まった。
……そうだ。この男は今
カミラを連れてと言った。
ただヒーゼルに嫌がらせをしたいだけならあの子まで連れて行く必要はない。カミラは今年ようやく十歳を迎えたヒーゼルの娘だ。
彼女をこの世に生み落とすのと引き替えに最愛の妻は命を落としてしまったが、それでもヒーゼルにとって、カミラがかけがえのない我が子であることに変わりはなかった。
そのカミラを――先程ようやく寝ついたところだというのに――わざわざこんな時間に家の外へ連れ出さなければならない理由とは、何なのか。
「――ナワリ様が来ている」
そのときトラトアニが低く告げた一言が、ヒーゼルの背中をぞわりと舐めた。
「時は一刻を争うそうだ。こんな時間に起こしてしまうのは忍びないが、連れてこい」
「……ナワリ様が、うちの子に何の用だ」
自然、ヒーゼルの声も硬くなった。普段は南にある
至聖所を守っているはずのナワリが郷に姿を現すなど、只事でないことだけは確かだ。
「巫女としてあの子を取り上げるという話ならお断りだぞ。カミラはマルティナが――」
「分かっている。今回は巫女選任の話ではない。……もっと悪い話だ」
熱気を孕んだ風が吹き、郷を囲む黒い森がざわめいた。
月が、雲に隠れようとしている。