奥州にも冬がやって来た。
それにくっつくように、厄介なものもやって来た。
伊達軍の半数が風邪にかかった。
由々しき状況である。
風邪にかかった人数のうち、八割方は悪化せず、ちょっとした咳、喉の痛みなどであったが、残りはそれらに熱や倦怠感、意識不覚といった症状があり。
大きな戦が終わった後だったこともあり、緊迫感は無いものの、しばらくは城中が風邪のために騒がしくなった。
――そして重症者の中に、奥州筆頭の姿があった。
「Hey、小十郎……」
なんですか、と手ぬぐいに水を含ませながら答える。
この時代、こうした“看病”は傅役であったとしても、小十郎の仕事ではない。
その辺りのことはご理解頂くとして、政宗の病状は重症者の中でも酷いものだった。
幼い頃からそれほど身体が強いわけでも無かった政宗。
例に漏れず今回もかかり、城の人間を相当慌てさせた。
因みに政宗がこの風邪にかかったのは城の中で最後であり、自室になるべくいることを小十郎から言い渡されていたにも関わらず、脱出を何度も試みて、重症者のいる部屋に行ったからである。
殿様の癖に何をしているのか。
その辺りも、色々な意味でご理解して頂きたい。
「小十郎ー……」
「ここに」
額にある、温くなった手ぬぐいを投げる政宗に、空かさず新しい手ぬぐいを乗せる。
べち、と投げられた手ぬぐいが、襖に当たってぼとりと落ちた。
乗せられた手ぬぐいも投げようとする政宗の手を掴むと、すがるように握り絞められる。
小十郎は、熱にうなされる主に心を痛めた。
幼い頃もこうして世話をしたものだが、元服後の急激な身体の成長もあってか、ここ最近は大病にもかからずにいた。
いくら身体を鍛えてもかかるものはかかるのだが、大人の風邪は辛い。
しかも、奥州の冬は格別厳しい。
早く治さなければ、命すら危うい。
「栄養をつけましょう。起き上がれますか」
熱で赤い目をぎゅっと閉じたまま、うめきながら小さく頷く。
身体を支えるように熱い背中に手を添えて、ゆっくりと起こしてやる。
蓄えてあった野菜を活用した、特製煮物汁の入った器を、そっと唇に触れさせる。
勿論これは、十分に冷ましてある。
――民には、こうした栄養が摂れない者もいる。
それが小十郎には、とてつもなく辛かった。
政宗も同じように感じているのか、器を見止めると、己の胸をぎゅ、と掴んで眉を寄せた。
器が触れたことでようやく政宗は口を開けるが、あまり大きくは開かない。
すする力もさほど無いのが小十郎も分かっているので、傾けて流し込んだ。
すぐに傾きを戻して唇から離し、政宗の喉が嚥下したのを見届けた。
「……んまい」
「有難うございます。ご自分で飲めますか」
「うん……」
頷いた政宗だが、何か言いた気な瞳で小十郎を見つめる。
小十郎は器を枕元に置き、その視線に応えた。
「ご用件がございますか」
「……仕事……あるん、だろ」
「……はい」
半数の人間が風邪にかかったとあれば、執務は当然遅れる。
運良くかからなかった小十郎にはその分仕事が増えるわけで、対応の合間を縫って政宗の看病をしているのだ。
「侍女がいる、戻れ」
「しかし……」
「護衛も、いる……心配、すんな……」
枯れた声と荒い息で、政宗は言った。
護衛―――小太郎のことだ。
政宗が“拾って”以降、“勝手に政宗を護ると宣言した”伝説の忍。
今も部屋に近いどこかで政宗を護っているのだろう、微かな気配を感じる。
小太郎が城に居着いて数ヶ月、未だに小十郎は警戒を完全に解いてはいない。
信頼を寄せてもいい相手ではないと、本能が告げている。
最初は隙あらば斬ろうと思ったが、政宗は全幅では無いが、信頼していた。
なので現在は、隙あらば政宗様を護ろう、に変更した。
意味合いは変わっていない。
「お前がいねぇと、……あいつら、不安になる……から」
「貴方がいないことこそ、不安の要因でしょう」
「……馬鹿、だな……お前は、俺の代わりに……っ指針に、なるんだ」
代わりなどと、と眉間に皺を寄せたが、政宗は弱く微笑った。
「治ったら、いつもの倍やるから……小言も聞くから、……今は、行って……っ、」
「政宗様!」
ふら、と起きていた上半身が揺れる。
慌てて支えると、一瞬意識を飛ばしたようだった。
近くにある小十郎の顔に驚いて、しかしすぐに強気に笑む。
「悪ィ、ちょっと、寝る……」
「政宗様、」
Don't worry、と舌っ足らずに言って、横たわりながら目を閉じた。
すぐに荒いながらも寝息が聞こえ始め、小十郎は溜め息を吐く。
ぐったりと臥せる主――愛しい人を前に、仕事に戻れ、というのは酷な言葉だ。
しかし仕事をやらねばならないことは、真面目で堅物を地でいく小十郎には、分かり過ぎるほどに理解していた。