今軽く寝てて。
なんとなく思い出した小学生のときの話。



人気者のちぃちゃんって子が近所にいた。
確か高学年のとき同じクラスだった。

彼女が苦手だった。
3年生のときに、「変質者に遭って、サイカちゃんお家近いし危ないから一緒に帰ろう」的なこと言われて一緒に帰ってたからだと思う。
私は一緒に帰ってる仲良しの子から引き剥がされて、確か5年生あたりまで彼女と一緒に帰ってた。
帰路の途中まで、ちぃちゃんと仲良しの子も一緒に帰ってた。

一緒に帰ろうって、人気者のちぃちゃんから言われたときは嬉しかった気がする。
でも共通の話題もなく、楽しくなかったことしか覚えてない。
会話した記憶もほとんど無い。
ちぃちゃんの仲良しの子と別れるまでは、私と彼女達の間に会話はない。
別れてからちぃちゃんと2人になっても特に会話があった気もしない。
家は学校から遠く、下校ほど退屈な時間はなかった。
私がそう思ってたということは彼女はもっとそう思ってただろう。

ともかく私は、こいつなんて我が儘なんだと思ってた。
自己主張が苦手で自我もろくに芽生えてなかった私は長いものに巻かれるタイプで、たぶん思ってただけ。


苦手意識を持ってしまうとあとは早くて、高学年になって好悪の区別がつくようになってからは、普通にちぃちゃん嫌いって思ってた。
思ってただけで、誰かに言ったらいじめられたりするかもって言わなかったけど。

ちぃちゃんはやたら人気で、可愛いといわれ、確かダンスを習っててうまくて、習い事で忙しくて、一緒に遊ぼうって約束が1ヵ月先まで入ってるような子だった。
当時も意味わからなかったけど、今考えても意味わかんないな。
絵に描いたような誰からも愛される子だった。
中学卒業して学校が別れるまで、彼女個人の悪口を聞いたことが無い。

小学生女子あるある的に、私はクラスの子と交換日記をしてた。
ひみつって欄に「ちぃちゃんが嫌い」って書いて、修正ペンで消した。
修正が明らかすぎて、元々何書いてたのって聞かれた。
馬鹿である。


彼女の誕生日は、彼女にプレゼントを渡してない女子の方が少なかった。
渡してないのは私の他に、地味でクラスから浮いてるような、少なくとも人気者グループの子と関わりそうにない子だけだった。

義務みたいだなって思ってた。
覚えたての言葉である「貢がれてる」ってこういうことなのか、とも。
私と仲いい子も皆彼女に渡してて、あの輪に入れてない私はこの地味眼鏡同様クラスで浮いてるのかもって思った。
長いこと一緒に帰ってたのに、誕生日すら知らなかった私は相当彼女に興味がなかったらしい。

でも別に話し掛けられたら普通に話すし、ただのクラスメイトって思ってた。
これだけ見ると、私は暗い子どもみたいだが、勝ち気で男子と喧嘩するような子どもだった。



中学にあがると人気者グループはいわゆるギャル系となった。
それでたしか、こいつらとは合わないから仕方ないって見限った気がする。

友達を作れない私は、同じクラスにいる同じ小学校からあがってきた子と一緒にいたが、皆ギャル系だった。
そのなかにちぃちゃんもいて、一緒にご飯食べたりして、つまんねって思ってた。

そのあと、別の小学校からあがってきた子と仲良くなってどうでもよくなった。


ここまでの流れで、一体何がどうなったのか忘れたが、何故か歯に衣着せぬスタンスが私のなかに確立されてて、男子連中から支持を得た。

何を思ってその発言に至ったのかわからないが、自習中に騒ぐギャル系の子らを見て
「わざわざ自習中に席から離れて同じグループの子のとこで集まって騒ぎ立てるだなんて馬鹿みたい」
と言った。
特に深い意味はなく、単にうるさいのが欝陶しかっただけだと思う。

そしたら女子のくせにそういうこと言えるのすげーよ!って、クラスメイトの男子が皆私の舎弟のような振る舞いをしてた。
ネタだけど。
そのネタが1年の最後まで続いた。

で、男子と仲良くする私を見たちぃちゃんはじめギャル系グループからは嫌な目で見られたりした。
あんたらの期待するようなことは何もないけど、って思いながら喧しい男子を水筒で殴ったりしてた。

…何でそんな無茶なことしてたんだろう。
相手がたんこぶで済んでよかったよな、ほんと。




そう考えると私は、女子の思春期が始まるという小学校高学年から中学生にかけて、クラスの女子とは違う自分に酔ってたのかもしれない。

私はクラスの女子と違ってちぃちゃんと仲良くしたくない。
私はクラスの女子と違ってあんな派手な格好したくない。
私はクラスの女子と違って男子と特別仲良くなりたくない。

思い出すと子どもじみてるけど、今より分別があるのはどうしてだ。
嫌われたくないいじめられたくないの意識が今の私には無さすぎるからか。