自分はいったい
何様なのか
たまに
そう自分に問いかける
そうしなければ
なにが正しいことなのかを
独り善がりな尺度で
決めつけてしまいそうな
自分がいるから
たとえば
人を傷つけた人がいて
『人を傷つけるのはいけないことだ』
糾弾することなんて
造作もない
けれどその人がもし
被害者で
助かる唯一の道が
それしかないように思えたならば
はたして
いけない、と声を大にして
言えるだろうか
なんでもありが良いわけじゃない
でも
殴りつけたときに感じた
手のひらの重みは
きっと その人にしか
わからない
立場が変われば
視点が変わる
大事なのは
とおりいっぺんの
批判じゃなくて
それをどう
有機的な方向へ
少しでも
結びつけていけるか
考え
動くこと
当たり前のことを
自分可愛さに
忘れがちになることを
そんなエゴイスティックな自分を
苦しくとも自覚していたい
私は
ただ批判するだけの人に
そんな人にだけは
なりたくなんてない
なりたくなんて、ない
こんにちは
コメント、ありがとうございます♪
自分は絶対に正しい、
という保証なんてどこにもない。
けれど、なにもかもが正しくない、というわけではない。
定石が正しいのか、そうでないのか。
正しい、というのは
とても、難しい定義だと、すごく思います。
毎日毎日を
クリアな目線で生きようと努力すれば
少しは近づけるかな、と試行錯誤を繰り返す毎日です(笑)
うーん…
正しいって、
途方もない定義ですね。
こんばんは。
自分が正しいと信じている人に
正義はありません。
自分の考え、行い、発言などが
正しかったのかどうかの問いを絶えず続け
そしてその葛藤を生き抜いた人だけが
正しい…
に少しずつ近づくことが出来るのだと思います。
そういう十字架を背負って生きる覚悟がある人だけが
正しさに近づけるのですよ。
生きるのは
大して難しくないのかもしれません、生物学的に…
でも、人間的に生きるのは大変です…