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ぶっちゃけトーク

初めに宣言!

今日のお題は、
本っ当にどーしよーもない、ぶっちゃけトークです(笑)

なにも、いつも重い話が好きなわけじゃないんだよー(笑)


ではでは早速。








めっきり寒くなって、

冬ですねー…(())


そこかしこに
ニットやファー姿が
あふれかえってます。





で、つい見ちゃうんだけど。。。



女の人の薄手の黒ストって…



そそられない?(笑)




生足も良いけど、
あの危うさは良いよね

でもって、
カラータイツに
トレンカ、レギンスってなえない?


そういうの好きな人いたら、先に謝っとく。
ごめん


でも、私にとって受け入れがたい。
だって、全然セクシーじゃない

トレンカとか、なんで穴あいてんの?っていう…現代版、忍者スタイルですかと。



あと膝下ストッキング
なに、あれ?
靴下なの??

ストッキングの履き際は、膝より上、もしくは太ももとかの、
絶対領域以外は
みっともなく見えると思うの、私だけ?




話かわって、身体のパーツだと
意外と気を付けなきゃいけないのって、
手から爪とか、
末端部分じゃない?

なぜって、
隠しようがないから!(笑)

ささくれあるより、
爪が薄いピンクだったりするのが好き。

逆に、つけづめ、デコネイルはアウト。
なんか怖いし痛そう……

あと首やうなじ、鎖骨辺りの肌。
綺麗だと、思わず見ちゃうなあ。


他は、髪の毛と眉毛。
これで清潔感って、だいぶ変わると思う。
たまにいるけど、びっくりしたみたいに、眉毛つり上がりすぎてる人、怖いよね。




…しまった、語り過ぎた
他もまだまだあるけど、
ぼちぼち出してきます(笑)


こう見ると、つくづく女子と男子の好みって
違うと思う。

私の目線は、結構おっさん入ってる気がするんだけどね…まああしからず(笑)



今の意見、皆さんはどう思いますか?

女性はもちろんですが、できれば男性の方の
意見も欲しいです

ではでは


自由か 孤独か

『何にも縛られず、
自由でありたい』

って言う人が、
私の周りには結構いる。
けど、
そういう人に限って

『寂しい、人恋しい』


って全身で叫ぶから、

なんとなく気になって、
いろいろ考えてみた。




自由と孤独は、
違うものだけど

同じ温度をもってると思う。




縛られない、というのは
すごく孤独なことだ。

誰とも共有できない領域を持ってるってことだから。

その代わり、自分の身ひとつで、
どこへでも飛んでいける。

でも、その身のなんと軽いことか。

その軽さ、
心地良く感じられるかどうかは、人次第。



そう、自由って
言い方によっては
素晴らしく聞こえるけど

ある程度の覚悟を決めなきゃ
楽しめないと思うんだ。

孤独に押し潰されがちな人は、向いてないよ。



あと、
自由なのと、自分の思い通りに身勝手に振る舞いたいのは、
紙一重だけど、全然意味合いが違うんだよ。


っていいたい。

身勝手なのは、なんの責任もいらないってことでしょ?

それはただ、楽ちんが良いってだけ。

それを、自由と取り違えちゃダメな気がする。


ひとつのことに関して、光も闇も知らないと。
きっとどちらかに、溺れちゃうから。

それはすごく、怖いことだ。






ちなみに、私は…
自由…好きだねー(笑)

1人でカフェに行ったり、お店見るのが大好き。
気ままに歩いて、
ぶらっと立ち寄ったラーメン屋の思いがけない美味しさだったり。

部屋に飾るためだけに買った花を、腕に抱えたときのふくふくした喜びだったり。

誰ともわかちあえないけど、私の大事な部分を
そういうことが、育ててくれてる気がして。


まっさらな、
なににもとらわれない見方も、くれる。





水の中って音がないじゃない?
1人のときの感覚って、そういう感じ。

音がないから、
店屋のおじさんや見知らぬ人との出会いが、
過度に純化されて
夢のように、つよく、ひかってみえる。



つかの間の、旅人気分。冬なんかは特にだけど。

でも、それと同じくらい誰かといるのも好き。


誰かといなきゃ
味わえない幸せ
ってのも、ある。




どちらも、好きで。

どちらも大事。




なんと贅沢な(笑)


でも私は、そういう欲望にいたっては、我ながら本当に忠実すぎると
思う。



…幸せに、ひっじょーに貪欲なんです(笑)






あらら。

書いてたら。


今さら書いて後悔してないけど、
なんだか、
どこぞの教祖かよ的な
上から目線な気がしてならない。
気、悪くしたらすんません…

でもやっぱ上から目線、許されるのは
ON● PE●CEの
ボ●・ハンコ●クくらいだと思うから

以上にて、自重(笑)

『時』について

最近、祖父母を見て

思うこと。




この皺に、ふしくれた゛った指に

どれほどの苦しみと喜びが
きざまれてきたのだろうかと。




よく、お年寄りをバカにする人がいるけど、
私はそういう人を見ると、無性に腹がたつのを通りこして、
虚しくなる。



それは、お年寄りは大切にとか、道徳や美徳ではなくて。






『あなたたちも、そうなるんだよ。』





ということ。
わかってないと思う。



人間は、

赤ちゃんで生まれて。

若者になって。

働いて。

そしてまた。

最初の姿に戻っていく。


でも悲しいかな。
成長した身体は、
元には戻らない。


若者に出来たことが、できない。


日に日に出来ることが
減っていく。

それはどれほどの
葛藤だろう。


たしかに、偏屈なおじいさんみたいな人は、時折いるけど。



もし私が同じ立場なら、
出来ない自分にイライラして

人に当たり散らさない、
なんて確信できるだろうか?




そういう点で、

私の祖父母は、今を生きてる。

今を、楽しんでる。

輝いているのではなく、とても静かに、ひかっている。


動きづらい身体を嘆きながらも、ゆっくり回る人生を謳歌して。



ま、時折ほんっとに
頑固だけれども




たぶん、そう長くはないだろう。


でも、そのキラキラした姿は
焼き付けておこう。




未来の、いつか訪れる私の姿として。



そして、それまでに。


なすべきことを、なしていこう。



ひとつでも、ふたつでも。


明日の未来のために

今を生きよう。




変わっていく

写真は、

被災地の人たちが
つくったアロマキャンドル。
後ろのホタテ貝は、地元産。


悲しみ、喪失感、それでも明日はめぐってくる苦しさ。そのなかで生きる気持ち。

きっと色々な気持ちがつまったものだから、私には何も言えないです。

ただ、これを買うだけしかできないけど、明日を生きる糧に少しでもなるなら。
偽善と言われようが
ないよりは、あった方が良い。
時には物質が精神を助けてくれることだってあるのだから。





中国、ニュージーランド、そして日本と、続く地震。

独立を叫び、慟哭するアジア諸国。

そして、タイの大洪水。


たとえていうなら、
江戸時代から明治時代への移り変わりと同じような変化が、世界規模で起こりはじめてる。
なんだか、そんな気がしてならない。

ただの思いすごしであって欲しい。

でも、まだ、続くかもしれない。先の暗い、未来。



そんな荒れていく時代の流れの中で、人は少しだけ、人にたいして、以前より優しくなった気がする。



そして、それは私もで。


ここ2年にかけて。
そして、地震があってからは特に、私の中ですごく変化が起こってる。

自分が苦しいときでも、
他人と笑えるようになったし、他人のために笑おうと思えるようになった。

それは、私にとって

すごく大きなことなんだ。


私にはなんの力もない。
でも、ちょっとした気配りで周りの人たちに
笑顔や少しの安心を、その心に耕せる。

私が今まで受けてきた痛み、悲しみ、諦め、涙。
それすらも、有機的に
他人を癒し、あたためる燃料になるのなら。


私は、なにをされても
笑ってみせるよ。

時には泣いても、最後はちゃんと、笑えるよ。

どうせ生きなきゃならないなら、笑顔が良い。

それはとても、自然なサイクル。



私の中で、核がゆっくり形をかえ
変化していく。

じんわりと熱を帯びて、やわらかくとける表面を、風がそっとなでていく。そういう感じ。
新たな私自身ができあがっていく感覚。

私のための私じゃなくて、
私の周りのために、存在している自分。

それはなんて、切ないけど、強くなれることなんだろう。




世の中に、
本当に必要な人、
なんてのは、いない。

誰1人、この世界に必要な人なんていない。

私がたとえ明日死んでも、世界はまわり続けてく。


だから、寂しくて。
人は人を求めるんだね。
人は、人にとって。
かけがえなく大切なものなんだね。



だから、私は。




明日も笑えるよ。
明後日泣いても、その次はまた、もう、笑えるよ。



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