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太さと厚み



空が


眩しいみかん色に燃えて。


そこに

刷毛で薄くぬったような

うす紫色がまじりはじめると。



私は、夜が来たことを知る。





街は、明るい。


ネオンの明かりが


いつものように

ゆるやかな達成感に溢れた

人々を照らす。




でも

その横顔は、以前よりも


なんだか厳しい。






いろいろなことを考える。


何が正しくて

何が間違いだったのか。



限りなく広がる闇を見ては

途方にくれる。





どこにいたって

人が1人でいることを

ダイレクトに知る。


痛いくらい、

身体に滲みる。



私がなにをしたところで

自由なんだ。


やろうと思えば

なんでも出来てしまう。





人を陥れいれたり。

殺人まがいのことしたり。

はたまた、ドラッグ漬けになってみたり。






寂しいね、すごい寂しい。

行き着く発想力が。




抱えてるものを

いっそ放り出したくもなる。









でも考えるほど、


いつも必ず

寂しいってわけじゃないことにも気づく。



私は、悲しい時に

抱き締めてくれる温もりを知ってるし。


育ててた勿忘草が咲いたときの

びっくりするくらいの青さを知ってる。



ただ満ち干きを繰り返す
海の深さを知ったし


なにも言わずに
通じあって
お互いが労れたあの瞬間も、知ってる。







まだ、生きてたいと思う。

いっそ死んでしまいたい、
消えてしまいたいと思う心境の中で


ぎりぎりの気持ちで
生きることを選ぶ



魂の太さに、感謝する。





明るさは、厚い力だ。







親からもらったこの身体、


まだまだ使わせてもらうと。



暗い方には転べないと。



そう、ふと思ったよ。









つらいとき

つらいとき

泣ける人と泣けない人がいる。





私にも

きっと、泣きたいときがある。


でも、涙は出てこない。
帰り道を、1人で歩いて
夜道が月で照されていて、
夜空があんまりにもきれいで
心にしみいるようで。




そんなとき、
ふと涙がこぼれる。


突然、すっと流れるから
自分でもびっくりしたりする。



ああ、私、

悲しかったんだ。

つらかったんだ。



初めて、気がつく。


精神がこんなにも
傷ついて
病んでいるように
見えるときさえあるのに。


でも、私の中にある
なにかは



とても強い。


つよいままだから、
足は、前を前を歩いていて。
とまることを知らない。


そんな私の中にある
悲しいくらい強い
健全さを。



ときたま、うらむよ。





なにがあっても
手折れないこころは

きっとこれから先も

私を苦しめる。



それに惹き付けられるように
その核をなんとか
傷つけてやろうと
無意識に画策してる人も近くにいる。




やっかみとか、
いわれのない嫉妬とか。



でも、きっと。
私には、効かない気がする。



傲慢かも、しれないね。

でも、そんなことくらいで
倒れるわけにいかないんだ。


私には、私の役目があって。
全うしなきゃいけない、ことがある。







ごめんね、

期待にそえなくて。


私は、私の強さと頑固さをうらむけど

なにかを画策するあなたの

思いどおりになんかは

なってあげない。





つらくても、苦しくても。
泥を投げつけられようが




地べたをはってでも。

怒りに身をまかせることなく


微笑みながら

今、今日を生き延びていくよ。


自由か 孤独か

『何にも縛られず、
自由でありたい』

って言う人が、
私の周りには結構いる。
けど、
そういう人に限って

『寂しい、人恋しい』


って全身で叫ぶから、

なんとなく気になって、
いろいろ考えてみた。




自由と孤独は、
違うものだけど

同じ温度をもってると思う。




縛られない、というのは
すごく孤独なことだ。

誰とも共有できない領域を持ってるってことだから。

その代わり、自分の身ひとつで、
どこへでも飛んでいける。

でも、その身のなんと軽いことか。

その軽さ、
心地良く感じられるかどうかは、人次第。



そう、自由って
言い方によっては
素晴らしく聞こえるけど

ある程度の覚悟を決めなきゃ
楽しめないと思うんだ。

孤独に押し潰されがちな人は、向いてないよ。



あと、
自由なのと、自分の思い通りに身勝手に振る舞いたいのは、
紙一重だけど、全然意味合いが違うんだよ。


っていいたい。

身勝手なのは、なんの責任もいらないってことでしょ?

それはただ、楽ちんが良いってだけ。

それを、自由と取り違えちゃダメな気がする。


ひとつのことに関して、光も闇も知らないと。
きっとどちらかに、溺れちゃうから。

それはすごく、怖いことだ。






ちなみに、私は…
自由…好きだねー(笑)

1人でカフェに行ったり、お店見るのが大好き。
気ままに歩いて、
ぶらっと立ち寄ったラーメン屋の思いがけない美味しさだったり。

部屋に飾るためだけに買った花を、腕に抱えたときのふくふくした喜びだったり。

誰ともわかちあえないけど、私の大事な部分を
そういうことが、育ててくれてる気がして。


まっさらな、
なににもとらわれない見方も、くれる。





水の中って音がないじゃない?
1人のときの感覚って、そういう感じ。

音がないから、
店屋のおじさんや見知らぬ人との出会いが、
過度に純化されて
夢のように、つよく、ひかってみえる。



つかの間の、旅人気分。冬なんかは特にだけど。

でも、それと同じくらい誰かといるのも好き。


誰かといなきゃ
味わえない幸せ
ってのも、ある。




どちらも、好きで。

どちらも大事。




なんと贅沢な(笑)


でも私は、そういう欲望にいたっては、我ながら本当に忠実すぎると
思う。



…幸せに、ひっじょーに貪欲なんです(笑)






あらら。

書いてたら。


今さら書いて後悔してないけど、
なんだか、
どこぞの教祖かよ的な
上から目線な気がしてならない。
気、悪くしたらすんません…

でもやっぱ上から目線、許されるのは
ON● PE●CEの
ボ●・ハンコ●クくらいだと思うから

以上にて、自重(笑)

変わっていく

写真は、

被災地の人たちが
つくったアロマキャンドル。
後ろのホタテ貝は、地元産。


悲しみ、喪失感、それでも明日はめぐってくる苦しさ。そのなかで生きる気持ち。

きっと色々な気持ちがつまったものだから、私には何も言えないです。

ただ、これを買うだけしかできないけど、明日を生きる糧に少しでもなるなら。
偽善と言われようが
ないよりは、あった方が良い。
時には物質が精神を助けてくれることだってあるのだから。





中国、ニュージーランド、そして日本と、続く地震。

独立を叫び、慟哭するアジア諸国。

そして、タイの大洪水。


たとえていうなら、
江戸時代から明治時代への移り変わりと同じような変化が、世界規模で起こりはじめてる。
なんだか、そんな気がしてならない。

ただの思いすごしであって欲しい。

でも、まだ、続くかもしれない。先の暗い、未来。



そんな荒れていく時代の流れの中で、人は少しだけ、人にたいして、以前より優しくなった気がする。



そして、それは私もで。


ここ2年にかけて。
そして、地震があってからは特に、私の中ですごく変化が起こってる。

自分が苦しいときでも、
他人と笑えるようになったし、他人のために笑おうと思えるようになった。

それは、私にとって

すごく大きなことなんだ。


私にはなんの力もない。
でも、ちょっとした気配りで周りの人たちに
笑顔や少しの安心を、その心に耕せる。

私が今まで受けてきた痛み、悲しみ、諦め、涙。
それすらも、有機的に
他人を癒し、あたためる燃料になるのなら。


私は、なにをされても
笑ってみせるよ。

時には泣いても、最後はちゃんと、笑えるよ。

どうせ生きなきゃならないなら、笑顔が良い。

それはとても、自然なサイクル。



私の中で、核がゆっくり形をかえ
変化していく。

じんわりと熱を帯びて、やわらかくとける表面を、風がそっとなでていく。そういう感じ。
新たな私自身ができあがっていく感覚。

私のための私じゃなくて、
私の周りのために、存在している自分。

それはなんて、切ないけど、強くなれることなんだろう。




世の中に、
本当に必要な人、
なんてのは、いない。

誰1人、この世界に必要な人なんていない。

私がたとえ明日死んでも、世界はまわり続けてく。


だから、寂しくて。
人は人を求めるんだね。
人は、人にとって。
かけがえなく大切なものなんだね。



だから、私は。




明日も笑えるよ。
明後日泣いても、その次はまた、もう、笑えるよ。



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