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遅桜(おそざくら)

以下は時期を逸して記事として上げていなかった文章である。
題名は『春疾風(はるはやて)』


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染井吉野が盛りを迎えているらしい。
生憎(あいにく)僕は未だ見ていない。

花時(はなどき)は兎角強い南風が吹く。
春の風と桜は一揃えなのだ。

万朶(ばんだ)の花を咲かせたかと思うと、一陣の風の狼藉に呆気なく散っていく。
花、と云えば桜花を指す程、その風情は万人に好かれている。


果たして、嵐がなければこんなにも桜は愛されただろうか、
などと、強南風(つよごち)を感じながら、見ぬ桜の事を想うばかりである。


話題:桜

弥生(いやおい)

近頃は寒さが緩んで、駘蕩(たいとう)たる春光が誘う。

濡れ縁に腰掛け庭前を見遣ると、春色が目に見えて濃くなってきた事を識(し)る。
風を面(おもて)に受けても柔かく心地好い。


先日8日は仏生会(ぶっしょうえ)であり、傍近の不動尊でも花祭が催されていた様で、軽快な太鼓の音が仄(ほの)かに聴こえた。
その日は特に陽気の好い日で、快かった。


庭先を眺めると、先ず目に付くは、鉢植えのハナニラの白。
ユリ科らしく合弁花で、相称の花被が内外に3枚ずつ放射状にあるのが星を連想させる。

英名は端的に“Spring star”
英語と云うのは如何してこうも安直で面白みがないのだろうか。

例の如く、父に頼んで折ってきて貰い熟々(つくづく)観ると、只白いだけではなく、花弁の軸に黒色のボールペンを引いたのが滲んだかの様に、淡く青紫色をしているのだと解った。


ハナニラの隣には菜の花があるが、僕はこの花は好まない。

同じ黄を探すと、ラッパスイセンだろうか、黄の花被片(かひへん)と橙の副花冠を持つスイセンが花壇に多く咲いていた。

その黄の中に混じって一つだけある紫色は諸葛菜(しょかつさい)。
一般的にはオオアラセイトウと云うのが正しいかも知れない。
俗に、ムラサキダイコンソウとかムラサキハナナ、ハナダイコンなどと呼ばれる様だ。


左に目を遣ると、全体に緋紅の花を沢山付けた低木がある。
木瓜(ボケ)である。
これは語感が好くなく、美しいのに勿体無い。

更に奥には桃の木があり、白い花と葉との柔かな色合いが実に好ましい。


反対に目を向けてみると、梅と沈丁花の低木が二つ。
二つとも香りが好いものと知られている。


最後は、庭の中で一等背の高い樹、山桜である。
未だ咲いてはおらず、紅褐色の蕾が多く付いているのが解る程度である。

そうやって見上げていると、枝の向こうに、雲一つない、しかし真っ青ではなく、白を溶かした様な、正しく春の空がある。
春日に目が眩む。

今日は頑張り過ぎた。長く書き過ぎた。



追陳  コメントの返信が未だ出来ておらず大変申し訳ない。
一つ記事を設けて行う心積りではあるので、お待ちいただきたい。


話題:花見

回春

◇回春(かいしゅん)
@春が再びめぐってくること。
A若返ること。「−の妙薬」
B病気が治ること。快復。


却々(なかなか)の間、筆無沙汰を続けてしまった。

選外の報を受けてから後、一月(いちげつ)許(ばか)りも銷沈したままで過ごしていた。

いつか解らない内に、4月になっていた。
日付の感覚がない。
例年よりも薄鈍(うすのろ)い春気もこれを後押ししているようだ。



梅の頃の話となる。
父が手折(たお)り渡して呉れたものを、小瓶に挿して傍らに置いていた。

白い花弁の中に、子筆で颯(さっ)と薄紅を引いたようなのが交ざっているのが好い。
未だ含(ふふ)んでいる蕾の様子も実に可愛らしいものだった。

また、盛りも過ぎて、不意に手が触れたばかりに、はらはらと散らして終ったときの、果敢無さ、呆気なさ。

花兄と云われるだけある。
梅は好いものだ。



今もって、巧く言葉が浮かばず紡げない日々が続いている。
更新しても、閑文字(かんもじ)を連ねた記事になってしまうだろう。
殊に返信は先になると思われるが、何かしら言葉を頂けると励みになる。
御寛恕を請う。


話題:春
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