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学祭

昨日は出身大学の大学祭に行ってきた。

これと云って愛校心があるわけでもない。
寧(むし)ろ不好きな方だ。
外出の口実にしたに過ぎない。
大学には恩師に離職等々の報告を遅れ馳せながらしてこようといった程度だった。


実家から大学までは実に往復4時間掛かる。
実に長旅である。
学生時代これを毎日やっていたのだから、自分乍(なが)ら感服する。 


身仕舞いが遅れたが、幸い自宅と最寄り駅は走っていける距離なので間に合った。
しかし、電車に駆け込んでから重大な忘れ物に気付いた。
水と、頓服薬だ。
程無くして、息苦しさ、眩暈、悪心、その他諸々の症状に襲われその場にしゃがみ込む。
家を出てからまだ10分も経ってない。
情けない事である。
乗り換えの駅の事務室に頼んで休憩させて貰い、連れと合流し回復を待ってから再出発した。


大学祭は、内容としては変わり映えなく、相も変わらず退屈な様子だったが、どこかそっくり似た余所に来てしまった様な妙な感覚を覚えた。
もう自分の場所ではないというこちらの心持がそうさせたのだろう。


恩師との会話は主に愚痴を聞かされる許りで、切り上げるのに時間が掛かった。
同行を随分長く待たせて仕舞ったのは大変申し訳なかったと思う。
自分とは縁のない場所に放って置かれて、酷く所在無かったろう。

大学を出て最寄駅の周辺で適当に過ごしてから、帰路に着いた。


話題:大学

木枯

◇木枯らし・凩(こがらし)
@≪木を吹き枯らすものの意≫
秋の末から冬のはじめにかけて吹く強く冷たい風。
≪季 冬≫
「凩の夜の鏡中に沈みゆく/柴田白葉女」
「木枯や眠れば暗き夢ばかり/松尾金鈴」


昨日は通院の為外出したが、風が身に入(し)みた。
夕方には、東京で木枯らし1号が観測されたようだ。 

東京地方の「木枯らし1号」の条件は
・10月半ばから11月末までの間
・気圧配置が西高東低
・風向が西北西〜北
・最大風速が8メートル以上
であるらしい。  


話題:文字や言葉

彼我

◇彼我(ひが)
かれと、われ。相手と自分。あちらとこちら。
「−の力量の差」


◇彼此(ひし)
あれとこれと。あちらとこちらと。
「−相俟(ま)って始めて全豹を彷彿する事が」<芥川・きりしとほろ上人伝>  

◆全豹(ぜんぴょう)
全体のありさま。全貌(ぜんぼう)。
→一斑(いっぱん)を見て全豹を卜(ぼく)す 

◆一斑(いっぱん)を見て全豹を卜(ぼく)す
≪「晋書」王献之伝から≫
物事の一部を見てその全体を推し量る。
一斑を見て全豹を知る。 

◆一斑(いっぱん)
≪ヒョウの毛皮にあるたくさんのまだら模様のうちの一つの意から≫
全体からみてわずかな部分。一部分。
「研究の−を披瀝(ひれき)する」 

◆披瀝(ひれき)
心の中を包み隠さずに打ち明けること。
「本心を−する」 

◆髣髴・彷彿(ほうふつ)
@ありありと想像すること。よく似ているものを見て、そのものを思い浮かべること。
「往時を−させる」
「ミイラに因って埃及(エジプト)人を−する」〈漱石・吾輩は猫である〉
Aぼんやりしていること。
「眸を凝らして海を望めば、−の間」〈鴎外訳・即興詩人〉
@ありありと想像するさま。目の当たりに見る思いをするさま。
「郷里−とする」「故人が−として現れる」
Aぼんやりしているさま。
「彼が何物をか有しているのが、−として認められた様である」〈鴎外・青年〉
Bよく似ているさま。
「田の太夫の舞台顔に−たり」〈逍遥・当世書生気質〉  


◇我他彼此(がたひし) 仏語。 自分と他人、あれとこれと、物事が対立して決着しないこと。


話題:文字や言葉

エムブロランキング

今日、何となく気が向いてエムブロランキングを確認したところ、小説/創作部門で第93位(757point)でした。

これが凄い事なのかは解りませんが、僕の記事を読んで下さっている方が少なからずいるという事が解って嬉しいです。


これからも当ブログをよろしくお願いします。

話題:ランキング

恋情・愛情(前)

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「恋愛は文学の大きなテーマ。
でも多くの恋愛小説は恋に重きを置いてきた。」

「人間は結局、自分を愛せないと生きていくのが難しい。」

「恋愛小説ではこれまでどれだけ献身的に愛せるかが強調されすぎ、相手のおかげで自分が愛せることが見失われてきた。
燃え上がる恋では相手を求める感情だけでいいけれど、その人といるときの自分が好きという感情がないと関係は続かない。
愛は受け入れられた相手との関係性です」

東京新聞 2011年1月8日 土曜訪問より
平野啓一郎の言葉
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嘗(かつ)て僕は20歳の誕生日を前にして「もう恋はしない」と決意した。
それは、これからは子供染みた「恋」ではなく、大人らしく「愛」を探求しようという志だった。

果たして、その決心は幾度か揺らいだ訳だが、そうしている内に、遂に或る人物に出逢った。
そう、先の記事でも紹介した“ユラ”である。


ユラは僕の名前と容貌を好んでくれた。
それ迄(まで)、僕は自身を嫌いだった。
殊に名前は、試験やレポート等の公式なもの以外は筆名を使用していた位である。

ユラと接し、僕は僕自身を初めて好きになれた。

あれは刹那と消えた恋だったかも知れない。
しかし、確かに僕の「愛」の起源だった。


話題:恋愛
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